第十二章

「それじゃあ、行ってくるね」

 そう言ってサギリは出ていった。宿舎に残されたハナは、静かになった談話室のソファに腰を下ろす。

 こんなに静かなのは、このアルデリアに来てから初めてだ。いつも周りに誰かがいたし、一人になることなんてなかった。ハナはどうしていいか分からなくなる。

 図書館で借りてきた本を開くことにする。国立図書館にあった、クサカ・キミの画集だ。

 文字を読むことはできないけれど、絵ならば分かる。そして描かれてあるのは、ハナのよく知っている風景だ。ハナの住む町並みが、いくつも描かれている。

 懐かしいと思う。そこに住んでいたことが、もう遠い過去のことのようだ。

「でも、もうすぐ帰れる……」

 呟いて、ため息が出てしまう。それはつまり、『獣』を掃討するということだ。『獣』の中には真も含まれる。

 昨夜、サギリはなんとか真だけでも生かせるようにしようと言ってくれた。真を生け捕りにするのだ。アルペングロー班で協力して、そうすると約束してくれた。

 うまくいくだろうか。そんなことを考えて、ハナは本の内容が頭に入ってこない。

 ふとなんだか見覚えのあるようなものが見えた気がした。絵に目を凝らしてみる。

「これは……日本語?」

 絵の中に文字が書かれている。よく見ないと、模様だと思ってしまいそうな文字だ。ハナは本を持ち上げた。

「これ……。女王様に知らせなきゃ!」

 ハナは立ち上がって宿舎を飛び出した。


     *


 北の城壁の前。結晶士たちがずらりと並んでいた。

 対するは百を超える『獣』たち。森の入り口で、結晶士を睨みつけている。その中央に立つのは、シンだった。

「答えを聞かせてもらおう! 門を開くのかどうか!」

 シンは城壁の上に向かって吼えた。見据えるのは、城壁に立つ女王だ。

 女王は一歩前に進み出て、シンたち『獣』を冷たい瞳で見下ろした。

「答えは決まっています! 否、です!」

 『獣』たちの殺気が増した。シンはにいっと口の端を上げる。

「いいだろう……。そちらがその気なら、力ずくで通らせてもらう!」

 そう言うとシンは『獣』にまたがった。

 シンの乗った『獣』を先頭に、『獣』たちは城壁へと駆けてくる。結晶士たちはそれぞれ自分の結晶を出して身構えた。

「いい? わたしたちの標的はひとつよ?」

 サギリが隣に立つアルペングローとジウに囁きかける。女王様の号令に咆哮を上げる人々の声にかき消されて、周りには聞こえていないだろう。アルペングローとジウはこくりと頷いた。

「シンを生かす。そしてハナの元へと届けるの」

 先頭の結晶士が駆け出した。それに次々と続く。

 サギリたちも走り出した。


 戦いは混乱を極めた。結晶士たちは集団戦には慣れていない。互いの結晶がぶつかりそうになり、ぎこちない動きをする者が何人もいた。

 だがそれは『獣』とて違わない。一匹の『獣』に複数の結晶士が相対するかたちなのはいつも通りだ。多数対一になれば『獣』の方が強いだろうに、連携を取るという選択肢はないようだ。

 城壁の上に立ち、女王は雪原を見下ろしていた。

「女王様、参られますか?」

 お付きの者が言う。女王は一度目を伏せてから、まっすぐに雪原を見すえた。

「いえ、わたくしが地に倒れては、寄る辺がなくなります。彼らを信じましょう」

 なおも眼下では戦いが続いている。地に倒れ伏した結晶士も一人や二人ではない。

 女王はきつく両手を握った。


「はぁ!」

 かけ声と共に、サギリの手から六角板の結晶が現れる。六角板は向かってきていた『獣』を弾き飛ばし、雪原に転がせた。

「アル!」

「わかってるよ! ジウ!」

「うん」

 アルペングローとジウが、サギリの六角板の陰から飛び出した。二人は向かい来る『獣』の牙を避けて、各々の結晶でその胴体をなぎ払った。開いた道を三人はひた走る。

 三人の目当ては、シンただ一人だ。だが他の『獣』たちにはばまれて、その姿はいまだ見えない。

「シンはどこ!?」

「わっかんねぇ! おいサギリ! 離れんなよ!? まだ『獣』だらけだ!」

「それは! わかってるけど!」

 言いながら六角板を作ったサギリは、向かってきた『獣』をその盾で吹っ飛ばした。転がったところをジウの剣がとどめを刺す。

「ありがと!」

「大丈夫」

 ジウが剣についた血を払い、また三人で駆け出す。

 最初に気づいたのは、サギリだった。

「あそこ!」

 指差す先には、『獣』にまたがったシンの姿があった。結晶士の剣が、その『獣』を切り裂く。

 シンは『獣』もろとも雪原に倒れ伏してしまった。その頭上に剣が迫る。

「だめー!!」

 サギリたちの手は届かない。叫び声が戦場に響き渡った。


     *


 時は少しさかのぼる。

 ぎゅっと両手を握った女王の後ろに、一人の人物が立った。

「来てはいけないと言ったのに……。ハナ」

 女王が振り返るとそこには、息を切らしたハナの姿があった。

 ハナは手にしていた本を開き、女王に詰め寄る。

「今すぐこの戦いを止めてください……! この戦いは、無意味なんです!」

「なにかわかったんですか」

「クサカ・キミさんの絵の中に書いてあったんです! 『獣』は雪原を離れては生きていけない……。この戦い、『獣』が勝っても負けても意味がないんです!」

 画集の中の絵に書かれていたのは、日本語の文字だった。それは『獣』がこの雪原でしか生きていけないということ。アルデリアより南には行けないのだ。

「だからお願いです! みんなを止めてください!」

「それは……無理です」

「どうして!」

 ハナの悲痛な叫びに、女王は眼下を見下ろす。そこにはこちらを見向きもせず、ただ戦い続ける結晶士と『獣』の姿があった。

「もう彼らを止めることなどできません。どちらかが倒れ伏すまでは、止まらないでしょう……」

 黙り込んだ二人の耳に、怒号が入ってくる。その声は、何人なりとも止めることはできないだろう。

 ハナはぎゅっとくちびるを噛んで、雪原を見下ろした。

 これだけの人や『獣』がいて、彼に気づいたのは偶然だったのかもしれない。あるいはハナだからこそ見つけられたとでもいえたのだろうか。

 ハナの目に映ったのは、結晶士に切り掛かられようとしているシンの姿だった。

「だめー!!」

 ハナが叫んだその瞬間、雪原は真っ白な光で埋め尽くされた。いや、それは正しくは光ではなかった。

 結晶士の前にも、『獣』の前にも、きらきらと輝く星状六花の結晶が浮かんでいる。それはまるで透明な壁のように彼らの行く手を阻み、そして同時にあらゆる攻撃から守る盾となっている。

「なにが……」

 女王のつぶやきにはっと我に返ったハナは、駆け出した。ロープを伝って雪原に下り立ち、シンの元へとひた走る。

 結晶士も『獣』も、なにが起こったかわかっていない様子だ。駆け抜けていくハナを、ただ見送っていた。

 ハナはようやくシンの元へ辿り着き、しゃがみ込んでシンの頬を包み込んだ。

「真くん! 大丈夫!?」

「花……」

 シンの顔には困惑の色しかない。当然だ。こんなところに幼馴染の花がいるとは、夢にも思わなかったのだ。

 すり傷があるけれどシンが無事だと確認したハナは、ほっと息をついた。

「真くんが、無事で良かった……」

「花、どうしてここに……」

 呆然とつぶやくシンに、ハナはふわりとほほ笑んだ。

「真くんを、助けに来たんだよ」

 辺りには、いまだ星状六花が舞っている。ハナが生み出した結晶たちだった。

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