偉大すぎるぜ三國志2

 前回のあらすじ。三國志演義しゅごい! ヤバイ!


 で、これの尻馬に単純に乗るんじゃなく、あくまでガワだけを拝借するにはどうしたらいいんだろう、というのが今回のお話です。結論は「んなもん無理」なんですが、まあまあ、それを敢えて押してこそのロックンロールですよ。


 以前、Twitter でこんな発言を発見。深くうなずきました。



面白い作品ができる→当該分野の人気が出る→研究したい人が出てくる→研究が深まる→面白がる読者が出る→面白い作品を作ろうとする人が出る→(以下同


これが理想の回転だと思うんだよね

https://twitter.com/kanbunyomi/status/1014159376402169856



 三國志では、これがものすっげえ勢いで回ってます。じゃあ、同じことを五胡十六国で起こせるようにするには、何が必要なんだろうね、と。これは前話でも書いた通り「三国志演義レベルの話よこせ」。こいつを達成するのは無理にしたって、じゃあどこまでならアプローチできるでしょうか。そいつを、上記ツイートになぞらえて考えてみます。



○面白い作品ができる


 いったんスルー。



○当該分野の人気が出る


「人気が出る」って部分は、正直水物、としか言いようがないのでどうしようもない。あらゆるヒットは「誰にも見えていなかったけれども、多くの人がその物語を求めていた」からこそ生じるものであって。そんなもんを意図的に繰り出せるんなら、漫画雑誌はいつの時代だってヒット作だらけになるはずです。

 三国志演義の場合、正史三国志が編まれて以来、講談と言う形でエピソードが磨き上げられていったりとか、更にそいつを当時の情勢に合わせての調整がなされた(南宋が金に圧迫されていた時代に、金を曹操に、南宋を劉備に置き換えて感情移入しやすくさせたとか)りがあって、そもそも人気が出ないはずがない、と言う感じではあったようです。

 っが、そんなん簡単に現代の情勢にすり合わせらんねーですよね。大体のところ「誰もが心の根っこで抱いている願望」ってのが、昔に比べて分散しすぎてる。例えば週刊少年ジャンプが最盛期の三分の一以下の発行部数になったのも、シングルCDでミリオンヒットなんてもんが出なくなったのも、基本的にはこれだと思ってます。作品の良し悪しじゃなく、その作品以外にも面白いものが沢山出ているから。

 じゃあ、どうすんだ?

 PDCAサイクル回しながら、数打つしかないですよね。それこそ漫画雑誌が打ち切りを恐れず、新連載を繰り出し続けるように。



○研究したい人が出てくる

○研究が深まる


 ここについては「カクヨムでやろうとしてもどうしようもねー」って思ってます。カクヨムでやるのは、本当にライトな部分。これは卑下とかそういうんじゃないです。カクヨムには幅広い興味、関心の世界があります。そのインデックスとして機能してもらう必要があって、そこではまず「入り口」としての魅力が求められます。

 無論その奥までもが魅力的であるべきですが、これまでに述べた通り、興味がない方、興味が浅い方、忌避する方に対してのアプローチと、興味を示した人に向けてのアプローチは別種です。この両者を両立できる作品なんて、そうそう作り出せたもんじゃありません。

 この辺りは、「襄陽守城録」をモチーフにされた氷月あやさんの二作品

【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884171637

と、

守城のタクティクス

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884546369

の、★/pv比がかなり如実に語っていると思っています。同じ作者が、同じ題材で、ターゲット層が変わってくる二作を上梓される。これほどまでに比較サンプルとして有用なものも、そうはないでしょう。

 2018年8月8日13時現在の両者の数字は、以下のよう。

  襄陽 ★ 98/pv38191=0.0025

  守城 ★118/pv 8551=0.0138

 どちらも素晴らしいお仕事です。が、「カクヨムでより支持を得やすい」作品の傾向としては、どうしても「物語性が強い方」になります。

 なお「襄陽」には、歴史/軍事クラスタの言及ツイートがバズったと言ういきさつもあり、カクヨムユーザ以外の方からの閲覧も多くありました。★の投下率はその影響も大きいです。が、結局のところ「歴史/軍事クラスタの多くがカクヨムのスタンスに則らなかった」のも、カクヨムと言う場の性格をあらわしています。かれらに取り、カクヨムはそのまま留まるべき場所ではありませんでした。

 この事実について、俺は肯定的な解釈をしています。というのも、アプローチが違う。興味の深度により、振る舞い方、振る舞うべき場所が違う。そしてカクヨムは、「物語性」が先行しやすい場である。なので物語、もしくは物語を助けるものこそが、このカクヨムの公開にマッチしてくる。

 これまで散々言い倒してきた「趣向深度スペクトラム」で言えば、カクヨムにマッチする「歴史」についての振る舞いの深度は、深くてもIIからIIIに差し掛かる辺りなのかな、と思います。「襄陽守城録」や河東竹緒さんの「通俗続三国志演義」と言った作品は、IVやVにすらコミットしうるIII向け作品、と言えるでしょう。

 とりあえず、どっちもI向けではないw



○面白がる読者が出る


 ぶっちゃけ、俺ってここの人間のひとりでしかないと思ってるんですよね。「面白い作品」ってのには広義と狭義とに分けて考える必要があって、広義の場合は「俺が面白いと感じている作品」が入ります。つまり俺の書く作品は全部広義の「面白い作品」です。

 が、狭義。これはもう、わかりますよね。「三国志演義みたいな作品」です。「自分もこんな世界での作品が作ってみたい!」と思わせるだけの何かに触れることにより、楽しみたい、と思わせる(俺の場合、それは田中芳樹「中国武将列伝」でした)。

 なら、これってどうやったら作れるのか。

 そのためにできるのは、「とりあえず面白そう!」と感じて頂ける人を、どれだけ見出せるか、なのかな、って思っています。隣で楽しんでいる人を一人得て、二人得る。そこの為になら、尽力が及ぶんじゃないか。

 誰が当たってくれてもいいんですよ。そしたら俺が読めますし。



○面白い作品を作ろうとする人が出る


 広義の「面白い作品」が増えていくことによって、興味を持つ人が増えてくる。そう言う機運の中から狭義の「面白い作品」が出てくる。そんな気がしています。

 そりゃ俺がそういう作品書けりゃ最高だとは思うんですけど、「劉裕」でやりたいことは明らかにそこじゃないし、かといって「劉裕」のあとにやりたいことだってもう決めてるしで、もし挑戦するにしてもそのあと。

 挑むターゲット、として、やりがいはありそうですけどねー。



 作品紹介でも書いてますが、このエッセイの目的は「誰かに五胡十六国時代の物語を書いて頂き、それ読んでウホウホしたい」です。そいつをデカい所からひとまず語ってみました。それにしても、書けば書くほど三国志演義やべえ、しか感想が浮かびません。ほんと、なんだあれ。


 気を取り直しましょう。誰かに書いてもらいたい、という願望があるんです。じゃあ、ためには、何ができるんでしょうね。


 このエッセイの最後は、その辺を考えてみます。


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