国境の川

新巻へもん

第1話

 左手に広がる海から太陽が昇り、朝もやの中に弱々しい光を送り込んでくる。滔々と流れる川岸にしゃがんで川の水をすくって顔を洗う。真冬の川の水の冷たさが、数時間の行軍の疲れから脳を覚醒させる。

 振り返ると数千人の兵士が一塊になって、少し離れた川岸にひっそりと佇む。皮革に覆われた集団から発せられる熱で周囲の空気が歪んでいた。こちらを見ている兵士たちはいずれも若い。自分とは20才近くの年齢差があることを改めて感じ、ふと我が身の老いを感じた。いや、自分はまだ十分に若いと自らを叱咤激励する。この期に及んで弱気になっているのか?

 自らの決断が引き起こすであろう未来を予想すると、弱気とは異なるが、軽々には判断ができないのと考えるのも無理はなかった。進むも地獄、退くも地獄。しかし、この数年間の奮闘を無きものとしようとすることは許せない。自らの名誉のためにそれはできない。

 一方で自分へ突き付けられた要求を拒絶した場合には、全世界を二分した戦いが起こることになるのは明白だった。親と子、兄と弟が敵味方に相分かれての血みどろの争いとなるだろう。お前はそれを望むのか。自らへの問いかけの答えは否だ。だが、やはり、このまま膝を屈するのは耐えられない。

 戦ったとして、勝てるのか。敵は強大なのだぞ。兵士たちの先頭に立つ将官たちの中に見慣れた我が副官の姿はない。負けはしない。だが、あの男がここにいれば、もっと強く勝利を確信できるものを。先日の不首尾に終わった説得が脳裏に蘇る。もうよそう。済んだことだ。


 兵士たちのところに戻りながら、自らの内側にある逡巡と決別する。私は指揮官だ。兵士たちに迷いを見せてはならない。緊張した面持ちの将官たちのそばに行き告げる。


「ここを越えれば世界の悲劇、越えなければ我が破滅」

 

 愛馬に跨り、全軍に聞こえるよう大声で叫ぶ。


「いざゆかん。卑劣な敵の待ち受ける場所へ。賽は投げられた!」


 辺りの空気を圧する全軍の力強い喚声がそれに応える。その声を背に愛馬を川に乗り入れ、それを合図に全軍が渡渉を開始。


 この日、古代のとある共和国の終焉を告げる戦いが始まった。

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国境の川 新巻へもん @shakesama

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