西瓜の種
萩森
西瓜の種
「スイカの種を飲み込むとお腹でスイカができる」と子供の頃、親にからかわれていた記憶があるが、それはあながち間違いではなかったらしい。
朝起きると、ベッドが蔓状の植物で覆われており身動きができず、すわ金縛りにあったかと思った。ぶちぶちと蔓を引きちぎりながら半身を起こすと、ごろんと大きな丸いものが横へ転がる。濃い緑色に黒い縦縞。これまた大きなスイカであった。はて、スイカはこんなところに生息しただろうかと考えたが、もちろんそんなことは無い。それに、一昨日実家から送られてきたスイカはつい昨日友人達と食べきってしまったはずである。それなのに、自分のベッドにスイカが生えている訳は。昨日、スイカの種を飲み込んだから、なんてなんとも馬鹿馬鹿しい。
とりあえず下半身に絡みついている蔓もなんとか退けて、私はベッドから這い出た。ベッドを覆うほどの蔓に対して、できた果実はこれだけらしい。まだ青い小さなものも探してみたがひとつもなかった。
私の冷蔵庫は、またスイカに占領されてしまった。ため息をついて扉を閉める。顔を洗おうと洗面所に向かえば、あちこちに葉っぱと蔓を絡ませた男が現れた。さっと身構えたが、この家にいるのは私一人で、向かい合っている男も鏡に映った私である。やれやれ、ともう一度ため息をついた。念入りにシャワーを浴びて忌々しい植物をさっぱり流してしまうと、私の心もいくらか軽くなった。脳も明晰になったかもしれない。全裸で再び鏡の前に立った私は、最大の異変に気づいてしまった。胸より下、しかし腹部よりは若干上、つまりは胃があるであろう場所から、流したはずの蔓が生えていたのである。最初は流しきれていなかったのかと思った。しかし触れてみれば、それは確かに私の胃から生えていたのだ。ぞっとした。細い蔓だったので爪を立ててちぎろうとしたが、何故かちぎれない。「スイカの種を飲み込むとお腹でスイカができる」なんていうのは子供をからかう冗談だと思っていた。しかし目の前の現実は否定出来ない。私はこのまま、毎晩スイカを作りながら生きていかなければならないのだろうか。
種を飲み込んだだけだというのに、あまりにも惨い仕打ちに目眩がした時インターホンがなった。しかしこちらは全裸である。居留守を使おうと忍び足で歩いていると、鍵を挿す音が聞こえた。相手は合鍵を持っている。ということは、ドアの向こうには私の愛する彼女がいるのだ。私は急いで服を着、鍵の開けられたドアを開けた。急にドアを開けられてびっくりしたのか、彼女は「ひょおっ」と不思議な声を出した。
ついさっきまで全裸だった私はドキドキしながら、どうしたんだい、となるべく落ち着いた声を出した。年下の彼女は照れくさそうに笑った。
「顔が見たかっただけなのです。ご迷惑だったら帰ります」
「いやいや、迷惑なんてとんでもない。上がっていって」
狭い部屋に彼女を通して座らせる。彼女はバッグを膝に乗せて、手でぱたぱたと顔を扇いだ。「暑いですね」
「外はお日様が全部溶かしてしまいそうでした」
「そんなに暑かったのか」
彼女の白い首筋を転がる汗を観察しながら応えていた時、私は絶対にすべきことを思い出した。隣の部屋は今、スイカの蔓が散乱している。それを何とか片付けねば、彼女を夜まで留めておいて酒を入れ、あわよくば、なんてことが妄想だけで終わってしまう。
私は立ち上がった。不思議そうに見上げる彼女に、冷蔵庫に麦茶があるから好きに飲んでくれ、と伝える。わかりました、と台所に歩いていく彼女を確認し、素早く部屋に滑り込んだ。床に散らばったそれらを部屋の隅に蹴り飛ばし、ベッドの上の葉をシーツごと丸めてクローゼットに押し込む。蹴り飛ばした蔓を集めて、鉢の裏に隠す。親から観葉植物なんて洒落たものを貰った時は置き場所に困ったものだが、こんな所で役に立つとは。
あらかた片付いた時、がちゃりとドアが開いた。振り向くと、何かを持った彼女が顔を覗かせている。
「どうした」
「いえ、冷蔵庫にスイカを見つけたので……」
彼女は自分の顔を隠すようにスイカを持ち上げた。しまった、冷蔵庫のスイカの存在を全く忘れていた。
「私、スイカ大好きなんです」彼女はそれをぎゅっと抱きしめた。
「これ、切って食べても良いですか?」
断れる訳もなく、素晴らしく輝いた顔で聞いてくる彼女に、私は頷いた。彼女を追いかけて部屋を出ると、既にスイカに刃を入れていた。なんと素早いことか。ざくん、と音がして、真っ二つに割られたスイカがまな板を転がった。
「どれくらい食べますか?」
「いや、私は食べないよ。きみが好きなだけ食べればいい」
「あら、どうして? こんなに美味しそうなのに」
流石に自分の胃から生えたものだから、なんて言えず、曖昧に笑って誤魔化した。
「夏バテでも食べなきゃ駄目ですよ」彼女は言った。
綺麗に切られたスイカを皿に並べてテーブルに置く。
「そんなに切って、食べ切れるか?」
「大好きなので、平気です」
嬉しそうにスイカを手に取る彼女の向かいに座る。しかし、私から作られたスイカを彼女が食べるのは如何なものか。私から作られた、というか、もう私そのものなのではないか。私の正体はスイカであったのだ。彼女の細い指が私を掴み、ぷるんとした唇が私に触れ、白い歯が軽い音を立てて私を崩し、口内で咀嚼された私が喉の奥に滑り落ちていく。そしてそれらはいつか彼女の血と成り肉と成るのだ。彼女を構成する一部は私である。そう考えると背筋がゾクゾクした。
彼女はあっという間にそれらを平らげ、皿には緑色の皮だけが残った。幸運なことにスイカはまだ冷蔵庫に残っているし、私がまたスイカを作れば、彼女もまたスイカを食べに来てくれるだろうか。それなら案外スイカを作るのも悪くない。せっかく寝室を綺麗にしたのに、残念ながら彼女は用事があるらしく夕方には帰ってしまった。「また食べにおいで」と私は言った。彼女はいたずらっぽく笑った。「きっともう食べに来ません」私は驚いた。どうして、と問うも、彼女は何も答えずくすくすと笑って私の家をあとにした。彼女の後ろ姿が見えなくなって、部屋に戻ろうとした時、私は急な脱力感に襲われた。立っているのも困難で、私はその場に崩れ落ちた。だんだんと視界が霞んでいく。胃がキリキリと痛む……
◇
「起きてください」という可愛らしい声に、私ははっと起き上がった。見れば隣に心配そうな彼女が私の肩を支えている。彼女は帰ったんじゃなかったのか。顔に出ていたのか、彼女は忘れ物を取りに、と説明した。
「大丈夫ですか」
「ああ、きっとただの夏バテだ」
「しっかり休んでくださいね」
今日はもう寝た方がいいと思います、という彼女の言葉に頷いて、立ち上がろうとすると、
「あ、ちょっと待って」
と彼女に押し留められた。失礼します、と彼女の手が服の中に滑り込む。心臓が跳ねたのを悟られなかっただろうか。彼女は服の中をまさぐって、胸の下、腹部よりは若干上を撫でた。何かを握って服から手を出す。掌には、小さな黒い粒が乗っていた。
「スイカの種……」
「はい、スイカの種です」
「なんだ、どうして……」
見上げた彼女は、太陽のように素敵な笑顔だった。
「私、スイカが大好きなんです」
そう言って種を大事そうにポケットにしまうと、彼女は立ち上がった。
「ちゃんとお休みになってくださいね」
ご馳走様でした、と言い残して、彼女は今度こそ帰っていった。私は重い体をずるずると引きずって、ベッドに倒れ込んだ。
次の朝、私は弦に絡まれてはいなかったし、冷蔵庫に残したスイカも、鉢の裏に隠した蔓も、シーツごと丸めた葉も消えていた。わたしは呆然とした。携帯を開けば、数少ない連絡先が減っていた。消えてしまったのだ、スイカも、彼女も。
西瓜の種 萩森 @NHM_hara18
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