第2話 敗北者のジレンマ

最近、カズヤの挙動がおかしい。


元々かなりおかしいのだが、ここ数日は目を見張るところがある。


「いつもの通りに生きていつもの日々には懲り懲りだぜ」


「え?」


「聞けない声に耳をすませ、聞こえる声を遮断するんだよなあ」


「なに言ってんの?」


「うるせえ!オトナは黙ってろ薄汚いオトナ代表!肥溜め人種!世界汚染!」


以上の通り二割り増しでおかしい。


なにがカズヤを狂わせたのか。


あたしは知っている。見て見ぬ振りをしたが、本当はとうに分かっている。


カズヤは最近、「米山幻斎よねやまげんさい」にヤラレているのだ。


米山幻斎は最近中高生に人気のある歌手で、CMとか曲がよく使われている。


ちょっと厨二病入った歌詞と軽快な曲調が人気らしい。


「オレ敗北者!お前はどうだ!生きるジレンマー♪」


ここ三日間くらい米山幻斎のヒット曲「敗北者のジレンマ」のサビを永久ループで歌い続けてる。


「左のポッケは戦争だ!ヘイ!右のポッケは劣等感!ヘイ!ヘイ!」


コレをリビングのイスに直立で座ったまま歌い続けている。


「ヘイ!ヘイ!ヘイヘイヘイ!」


カズヤは音痴でリズム感もない。


「ヘーーーイ!」


我が家は生き地獄だ。




「ねえカズくん。米山幻斎のなにがそんなに好きなの?」


「あん?なんだよ急に?」


ある日気になって聞いてみた。


「だって最近米山幻斎にハマってんじゃん。歌ったり、髪型とかも」


「そうかぁ?べつにぃ?そんなことねえよ」


誰が見たってそうだ。影響受けてるってレベルじゃない。


信奉してる。


米山幻斎は独特の髪型をしてて、前髪がやたら長い。


カズヤも今、それと全く同じ髪型していて、そのせいか前が見えなくてよくつまずいている。


薄っすら薄くなってきた前髪を必死に伸ばしている。


「いや、好きなのはいいんだけど。髪はもう少し切らない?いちおう社会人なんだし」


そう言ったら


「捉われんなよ!既存の仕組みに捉われんなよ!」


と叫びだした。


「え?」


「オレはぁ。確かに幻斎が好きだ。かなりリスペクトしてる。だが幻斎はオレにとって入り口であってそれ以上じゃない。奴がオレに与えたのは影響じゃなくて自由、ただそれだけだ。だから?今度は?オレが自由を与えてやる番だ」


「誰に?」


待ってましたというクソウザい投資家みたいな顔でカズヤが振り向いた。


「世界に?」


完全に影響を受けていた。


髪型は結局パクりだった。




余計なことを聞いてしまったからか、後日こんなことを言い出した。


「オレ、会社辞める。ワークイットライフから脱却する」


「え?ちょっと待ってよカズくん、どうした?」


カズヤは珍しく真顔だったが、これがまた吹き出しそうになるくらいブスだった。


「なんでまたそんなことに?」


「こんな穴ボコだらけの世界だからさ」


「え?」


「穴ボコだらけの世界がオレを求めてる。穴を埋めるために。世界が求めてるんだよオレというアーティファクトを」


とにかく酷いブスだった。


「オレ、ユーチューブでフリーのクリエイターデビューする。そんでいつか幻斎とコラボする」



あたしは仕事の疲れもあったし、その時はどうせまたいつものカスみたいなホラだろと思って軽く受け流した。


事件が起きたのはその二日後だった。




「ただいまーカズくーん」


帰宅したらリビングが薄暗い。


いつもならとっくに帰ってるはずなのにおかしい。出掛けるという連絡もなかったはずだ。


「カズくん?」


明らかに気配がしたのでリビングのドアを開けた。


「え?」


薄暗いリビングの中でカズヤが妙な格好で立っていた。


格好が妙というか、立ち方妙だった。


文字に起こすとややこしいんだけど、知ったかぶり芸人のやるジョジョ立ちみたいな感じだった。


「カズ…?くん?」


「フォーウ!」


カズヤの奇妙な掛け声に反応して、我が家のアレクサが米山幻斎の「敗北者のジレンマ」を大音量で流しはじめた。


「ヘーイ!ヘーイ!」


知ったかぶりのジョジョ立ちをしたまま、カズヤがクネクネと気味の悪い動きをはじめた。


多分、おそらくだがダンスを踊っている。


敗北者ダンスだ。


「敗北者のジレンマ」のミュージックビデオで米山幻斎本人がキレキレのダンスをしている。ネットではそれを敗北者ダンスと呼び、本人と同じくかなり人気がある。


「オレ敗北者!お前はなんだ!」


カズヤとしては必死に踊っているつもりでもはたから見れば海底の昆布がなびいているようにしか見えない。


米山を意識したのか黒いシャツに黒いパンツを履いているから余計に昆布さ加減が増してた。


「敗北者!敗北者!」


「…」


カズヤは両腕を変な形でキメた状態でクネクネ動き続ける。


「敗北者!敗北者!」


カズヤの熱は一気に上昇してゆく。


「ヒューッ!フォーウ!」


奇声を激しく発した辺りで力み過ぎたのか、カズヤが自分の足につまずいて倒れた。


「うぁべえ!」


勢いよく倒れたのでテレビ台にブチ当たりそこに置いてあった剥き出しのコロコロする奴がカズヤの前髪にへばりついた。


「うああああああ」


ブチブチブチ、と音がした。


たぶん何本か前髪が抜けたと思う。


「いたたたたたたt」


倒れた先のソファと壁の僅かな隙間に頭が挟まって動けない。


「助けて!助けて!助けて!」


私は薄暗い部屋の中で爆音で流れ続ける「敗北者のジレンマ」をバックに前髪にコロコロを貼り付けて悶え苦しむ同棲相手を眺めていた。


このときあたしの頭にあったのは「なんでこんなバカと付き合ってるんだろう」というごく一般的な感情ではなく「コイツはきっと今後どんなことがあっても本当の意味であたしを見下せることはできないだろう」という半ばサドめいた考えだった。


そんな自分に気が付いた瞬間、背中をなにか痺れるようなものが走り抜け不思議とカズヤが愛おしく思えた。


「いたたたたたたたすけええてえ」


カズヤ、アンタは間違いなく敗北者だよ。


少なくともこの近所では一番だ。



続ける

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