▼エピローグ▲ ‐クリスマス・イブ‐
目が覚めた。
成一は自室のベッドの上にいた。
右手にはスマートフォン。
表示されている日付は十二月二十四日、時刻は午後十五時。
起動したばかりだったはずのアプリ、【ラブ・オア・ライブ】のアイコンは消えている。
そして左手は、
「……せまいベッド、ですわね。以前も思いましたけど」
「……。えぃ」
「ひっ、なにほっぺつついているんですの?!」
「まあ、夢でないことを確認するお約束というか――みらい?」
「……っ、なんでもありませんわよ。目にゴミが、入っただけで……っ」
「――ごめん」
反射的に謝った。
成一がようやく帰ってこれた寝転ぶ場所、戻れた現実の我が家の部屋。
けれど左手で繋がっていた彼女はいま、全てを失って。
「謝らないで、私は自分で選んだことを……悔いてなど」
「当然だ、そうじゃない。俺は喜んでしまったんだ。それでつい」
「……それは随分と、身勝手な感想ですわね。また自己嫌悪?」
「いや、泣くきみを見るのは初めてで、不謹慎でもきれいだと思ったことを謝った」
「……ばか。前にも言ったはずですわよ、嬉しくても哀しくても……勝手に涙は出ますもの。これはきっと痛みの涙――やっと生まれることができた、赤子が流す――」
「だったら叫べよ、大声で。俺だって何度も無様に泣いたんだ」
「お断りですわ。……あのときは周辺住民を退去させていましたが、防音の完璧でない薄壁のアパートですもの、誰かに気付かれてしまったら……」
そこでがちゃりと。
ドアが開く音がして――
――現在時刻は十七時三十分。東京駅。
成一は急いで丸の内南口の交番まで戻ると、
「遅いですわ! 何やっていましたの!?」
「たった十分だろ、これでも急いだよ!」
「私を公僕の前に置き去りにしたことを責めてますの!」
「どいつもこいつも四方八方からきみを見ている現状を理解しろ! 電車の中ですら俺は気が気じゃなかったんだ、美人過ぎても本当に問題だ、危なくて一人になんてさせられるか!」
「だったら何をしに行っていましたの?!」
成一はそこですっとポケットからそれを出して手渡した。
アルバイトもしていなかった高校二年生の小遣い程度では相応の、安物の。
「見に行く前にって思ったんだ。少しは格好つけさせろ、ほら」
「……た、確かにこっちに来たらすぐと言っていましたが……」
「駅ナカで買った程度の物だから、申し訳ない気持ちで一杯だ。サイズは正しいはずだけど」
「……ちょっと、ノリが軽すぎやしませんの? もう……っ」
「別にいいだろ、正式な契約は来年だし。その時は――もう少しマシなのを買えるくらいには努力して結果を出す。だから今は、重たく感じない方が良い」
みらいは潤んだ目を拭ってゆっくりと、けれど迷わず左手の薬指にそれを付ける。
その淑やかな姿を見つめながら成一は思い出す。
彼女が現実世界に持ち込んだのは、お気に入りのバッグ一つとスマートフォン。
衣服もいま着ているもの以外は何もない。だから家に戻る前に買い出しする必要があった。
確かにLOL世界から持ち出せるのは手持ちの物品だけという縛りはあったが、
「しかしまあ、宝飾品くらいは付けてきても問題なかったんじゃないか?」
「何度も言いましたでしょう、それでは貴方にハッパをかけられませんと」
「男の甲斐性の見せ所とは言うけれど所詮は高校生だからな……まあ色々と都合良くこっちの現実も書き換わってくれているみたいで、そこだけは本当にありがたい」
あのときドアが開いて母が来たが、その認識は既に息子の彼女ということになっていた。しかも遠縁の関係で今日から家で厄介になるという設定つき。とどのつまりはお咎め無し。
そんな帰還後の現実(?)に成一も戸惑ったが。
「まだ夢の中にいるなんて疑いたくはないけどさ……現実ってこんなものだったかな?」
「どうでしょう? この、去年前カノと行くはずだった&昨日一緒に行ったデートスポットに今カノを連れてくるという暴虐彼氏も、中々に疑わしい神経してますけど?」
「……忌まわしい記憶の上書きだよ、許して下さい」
「敬語だったら許すと思ったら大間違いですわよ!!」
そうして丸の内のクリスマスイルミネーションを見るために駅から離れ――あまりの人手に改めて成一はうんざりする。当然周りもカップルだらけで混み合っていて。
「確かにこれは……良い感じに記憶が上書きされそうな状況ですわね……」
「マネーパワーの偉大さが身に染みる。深夜とはいえ休日の東京駅周辺を貸し切れるなんて、本当にきみはどんな財力してたんだ?」
「あら、ではそんな桁外れの元・お嬢様を、貴方はこれからどう満足させてくれますの?」
「皆目検討もつかないな……精々ふられないようにまずは今以上に身だしなみに気をつけて、勉強を一層頑張るよ。身体も鍛えないといけないな、メイドもボディガードもいないんだし」
問題は山積みだった。それでもみらいはここに居て、隣で笑ってくれている。
その奇跡に成一は感謝して、同じく笑いかけていく。
そして奇跡はもう一つ、彼女と繋いでいる左手の甲にあったはずの傷痕も。
「? どうした」
「ふふっ……いえ。貴方がそんなに真面目なものだから、おかしくて」
「気の抜けない暮らしが始まるからなあ、モラトリアム感覚でなんていられないよ。でもまあ実際のところこれからどうするか……さしあたってはきみの通う学校か。俺のときみたいに、都合よく転校生になっていたりしないしな」
「まあ、ほとんど身一つで来ましたし」
「まったくだ。正直その裸一貫の精神は――惚れ直したよ、大好きだ」
成一は心底そう思った。自分だったらもう少し即物的な発想になっていた。
けれど僅かにこちらを上目に見るみらいは、少し困ったように眉を下げて。
「そう褒められると、ますます褒められたくなりますわね」
「はいはい。みらいは美人で可愛くて俺以外の衆目を集めるのが悩みの種な最高の恋人です」
「私が、お嬢様でなくなっても?」
「……。今は別に、きみが金髪でも巨乳でなくても構わない」
「それはまた、意外な見解が出ましたわね……」
「俺は、きみの揺るぎない信念と誇り高さを、清廉さを何より愛おしいと思う。でもきみは、これからもっと汚れて変わっていくんだろう? それがどうなるかさえ今は、楽しみだよ」
「……もう、褒め殺し過ぎですわよ?」
「ただ願わくばDカップ以上には育たないで欲しい、髪色は変えても明るい色で」
「けっきょく胸も入ってるじゃありませんの!? ――はあ、これではスタイルを崩すわけにはいきませんわね。メイドに任せていた美容方面は、特に頑張りませんと」
「……。まあ、先立つものもいるけどな」
光の園が綺麗だった。
この時期にしか咲かない冬の花。夜が生み出すコントラスト。
その輝きが東京駅の赤レンガも幻想的に映し出し――
予定では今一瞬だけ忘れるつもりだった、現実を。
だがこの先に待つ果てしない無明の道程を直視すれば、一時の休息すらまだ早いと決意を固める。
だから成一はふたたび左手を、彼女の右手を握りしめ、みらいを見て。
「俺は、きみをこんな現実に連れ出した罪人だ。浮かれることなんて許されない」
「だったら私も、罪人ですわ」
「なら俺から告白しよう。俺はきみを今すぐだって抱きしめたい、裸にしたい、キスしたい」
「そ、そういうのは包み隠すのもたしなみではなくて!?」
「けどしない。俺はあの悪魔から教わった。都合のいい事実だけに目を向けて、耳をすまさず心を無防備にしたときに――俺はいつも罠に落ちた。今度それに嵌ったとき、きっと失うのはみらい、きみなんだ。俺はそんな未来を認めない……絶対に」
やり直しの決して出来ない現実だ、もう過ちは繰り返さないと決めていた。
そのためなら現実逃避など無用だと、成一は心を堅く鋭くする。
だからここに来たのは間違いだったかも知れないと、帰ろうかと言おうとして。
「……魔法は解けて、いないのですね」
「みらい?」
「貴方は私を好んでくれているままで――私もこの現実に来てしまったからと、想いも尽きて枯れてはいない。互いを正しく必要としていると、改めて確信しましたわ」
「同感だ、だからそれが保てるように、いやもっと良くしていくために」
「そうですわね。ですが成一さん? もう限界ですので……私にも告白させて下さいませ♪」
成一はそれに「え?」となって隣を見る。
彼女はくすりと笑って繋いでいた手を離し。持っていたバッグから、
「まずはパスポートに、健康保険証。本籍地も予め聞いておいた成一さんの住所に移動済み。あっちの世界で無茶がきくときにやるべきことはやりました。架空の桃花市から実在の住所に変えたので、問題なく使えるでしょう」
「……。あの」
「金の力をなめないでいただけますこと? そしてもう一つ――」
みらいは携帯の画面をこちらに見せ、
「進藤グループの口座から、現実にも存在する銀行とネットバンクに資産を分散させました。ネット上のアカウントは継続できていたと聞いていましたので、ある意味では賭けでしたが、勝ちました。結論から言えば全勝で! キャッシュカードも通帳も登録印も、今ここにっ!!」
「っ! じゃあサーペントに携帯のことを訊いたのは!?」
「ふふ、継続して使えるなら電話料金はいったいどこから取られると思います? 当・然! クレジットカードも使用可能・健在ですわ!」
「そ、そんな確認をいつの間にっ」
「貴方がいなかった数分間ですの。つくづくスマートフォンとコンビニは、現代日本における最強ツールと実感いたしましたわよ♪」
みらいはおかしそうに笑っている。その姿がイルミネーションに照らされて――黄金の髪をなびかせる彼女の容姿と相まって、まるでいたずらが成功してはしゃぐ妖精のように見えて。
「……じゃあきみは、どうしてそれを黙ってて……」
「失敗したとき一緒に凹んで落胆するなんて全く優雅さに欠けますでしょう? それに時間も足らなかったので、持って来られたのは私の個人資産のみ。もちろん架空世界のこととはいえ多少無茶はしましたが……法に抵触しない範囲で片っ端から売却してきましたわ。これもまた〈立つ鳥跡を濁さず〉の精神で――きゃっ」
抱きしめた。周りの喧噪がどうでもよかった。
成一はよくあるバカップルの気持ちをほんの少し理解した。
何にも構いたくない瞬間は――抑え込んでも、どうにもなりはしないのだと。
「……何がハッパをかけるだよ、どれだけ俺を甘やかす? 蛇野郎さえ欺いて、凄すぎだ」
「いいえ成一さん、勘違いをなさらないで。これは保険でしかありません」
みらいが離れる。けれどそっとこちらの頬に手を添えて、リングの硬さが肌を撫で。
「私はこの現実で、貴方以外の人に心を許すことができません。だからそんなひとりぼっちの私に何の力もなかったら、きっと貴方に依存してしまいますわ。貴方なしには生きられない、愛でられるだけのお人形――……こんな書類もIDも単なるデータ、私の実在を証明するものではありません。成一さん、貴方だけが私とこの世界を繋ぐ糸。けれどもそうやって貴方から一方的に慰められる関係は、私たちの正しい在り方ではありません。そうですわね?」
無言で頷く。彼女は満足そうにほほえんで、
「だからこの力は、あくまで私のためのもの。私が進藤みらいで在り続けまた望む姿になる、そのために使うべき力です。金の力は万能ですが、一つだけ買えないものを知ってます?」
「なんだ?」
「過去ですわ。今の自分を形作るその全て。現在と未来は買えても過去だけは、虚ろな形しか買えません。貴方が私の真実の過去。けれど過去のために、過去に縋っては生きられません。それは限りなく堕落に等しき停滞と退廃。ですから……」
「だからきみは、離れると?」
彼女は頷き、しかしかぶりを横に振る。手を離し、腰にあてて仁王立ち――
「私は、進藤みらい! もはや女子高生ですらないっ、元・非実在青少年ヒロイン! ですがこの現実世界で自活するための基本手段は整えました、貴方の手を煩わすまでもありません、思う存分に生き、能力を振るい、ここで前向きに暮らしていく所存ですわ! ゆ・え・に! 新成一っ、貴方はただひたすらこの私の伴侶として相応しい男に成ることに邁進なさいっ! その歩みを止めない限り――私は貴方を求め、その隣人となることを望みます!」
「要約すると、ヒモになったら絶交だな?」
「即効で指輪を突き返しますわ。だって貴方にとって私は――安い女ではないのでしょう? とはいえ私も早く一口目に『うまい』と言わせられるようになり、そして今度は私が転校生となって貴方の日常を変えましょう。なぜなら私たちはもう自由。……自由、なのですから」
同感だった。けれども進む道の先は決まっていた。成一はそれを言葉にする。
この寒空の下、二人きりですらない雑踏のなか、人工の冬花の光に包まれて。
「ああ、だから俺たちは。共に歩める未来のために、生きていこう!」
ラブ・オア・ライブ 宗竹 @ma394
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます