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 成一は急がなかった。

 日の出前にみらいの屋敷に戻り、仮眠を取り、起きてすぐ入浴した。

 そして豪勢な朝食をゆっくり食べ、今は朝七時――大勢のメイドに見送られ屋敷を出て、みらいと二人で最後になる――この桃花市という架空都市を回っていた。が、


「どうして御厨さんの家に?」

「このマフラー、正直どうしようかと悩んでて。捨てるのも忍びないというか……」


 成一はそれを取り出すと、家のチャイムを鳴らそうとして。


「やはり俺だともう出来ないな。みらい、これを頼む。一日早いクリスマスプレゼントだとでも言って渡してくれ、このカードも」

「じ、事情は知っていますが恋人相手に無神経過ぎやしませんこと?! ……まったく、私にも出来るかは分かりませんわよ? ――あ」

 鳴ってくれた。成一の時には固まったままのボタンが素直に押し込まれ、

「……出ませんわね」

「こんな朝から居ないのか……まあ休日だし、ありえなくはないか」

 父親も居ないのはある意味で仕方ないのかも知れないが、とにかくこの品をどうしようかと唸りかけ、ポストにでも入れたらとみらいが助言してくれて、考えて。

「いやそんなの痛いストーカーのやることだろ! 重いとか軽いとかの問題じゃなくてっ」

「それも同じく痛い自己満足でしかないでしょう? すっきりしたいならそうしなさいよ」

「こういうのは繊細な男心に関わってくるんだよ……」

「面倒くさいですわねえ……」


 どうせ心残りを解消するならと来てみたが、空振りした。

 そして結局あまり見慣れなかった街並みを――みらいにとってはそうではないが――二人でまたゆっくり歩いていく。

 その途中。


「おお、進藤様ッ、おはようございます!! 最近は学校にいらっしゃらないのでこの森部丁、心ッ配ッしておりました!!」

「うるさいのが来ましたわ……」

「むむっ、貴様は同じく全く学校に来なくなった転校生! な、なぜに進藤様とご一緒に!! そ、そそそそれもそんなに近付いてっていうか腕組んデ?!」

「私たち、付き合っておりますの」

「んぬああああああああにいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 大変非常にやかましい叫びを聞かせてくれた同時にみらいが無言で蹴る。森部はコミカルに吹っ飛んだ。しかし。


「お、おめでとうございます! 『僕らの未来を護り隊』を代表し御祝い申し上げまする!!」

 一瞬で復活し、土下座され、祝われた。

 成一はその華麗なるコンボに圧倒され、目が点になっていたが。

「……こっちのバージョンは従順だな。教育がより行き届いてる設定か?」

「比べていますわね、御厨さんのときと」

 じとりとみらいに睨まれた。それくらいは許して欲しいと思ったが。


「ああっ、憎しみで人が殺せたらッ!! しかしこれもまた試練ッ、進藤様への忠誠は、微塵もまったく揺らいでいなあああああああああい!!」

「……楽しそうだな、森部。というかこんな冬の早朝からランニングか?」

「おうよ。肉体は全ての資本にしてかけがえのない人生の相棒だ、鍛えて何も損がない!」

「いや、だったら――」


 立場を棚に上げるわけではないが、やはり同情をしてしまう。この男も結局は大勢存在するモブの一人でしかなく、何をする意味が無いのだとしても――


「だったらその、親衛隊以外に何か楽しみでも作ったら良いんじゃないか?」


 聞いてしまう。声のトーンは低かった。

 森部はしばし考え込み、


「……む、確かにそれも一理ある。だが違うな、間違っているぞ転校生ッ! 俺は、俺たちは全力で今という時を最も楽しむため進藤様に忠誠を誓いっ、それを支えられればと願い集った精鋭である! ゆえに真剣ではあるが――本質は遊び!! 本気で遊び楽しんでいるのだ!」


 指さされ、宣言される。

 森部はそして、高らかに。


「しかしである! 己の分をわきまえれば楽しい遊び場であるこの世も、その分を超えようと欲すれば、傷つき倒れることもあろう。だから俺はこうして自分を鍛え、その時がいつ来てもいいように備えているのだ! 運命よ、俺をさらい、飲み込まんとする大波よ!! 俺はそれを受け入れよう、暴風に抗おうッ! そして叶うなら、その嵐を越えた先に輝かしい太陽の光があらんことを!! とはいえいまは別腹として進藤様ッ、俺にもっと光を――!!」


 言い終える前にみらいの無言蹴りが直撃する。森部はふっとぶ。だが明らかに喜んでる。

 そのあまりに芝居がかった疾風怒濤の森部のシャウトを、成一は。


「……大仰だな、暑苦しい。だが俺も――同感だ」


 笑っていた。

 確かにそうだと心から同意して、幸福に倒れる森部を背にした。


 そうしてやがて市街の中心にやって来て――二人で桃園の前の鳥居に到着する。そのときだ。

「……すッ?!」

「御厨さん……」

 雛子が桃園から出てきた。文字通りの鉢合わせで、


「あっ、おはよう進藤さん。転校生」

「御厨さん、おはようございます。その、どうしましたの、こんなにも朝早く」

「……うーん、なんでだろね。急にここの花が見たくなったのと、その――なにか忘れ物でもしていたような、そんな気がしちゃって。前にここにいつ来たのかも思い出せないんだけど。進藤さんは?」

「――成一さん」


 みらいがこちらに目配せする。それを受けて、持っていたマフラーをみらいに渡す。

 そして成一は一人、桃園まで来た道を戻り、歩いてゆき。


「御厨さん、一日早いですがクリスマスプレゼントですわ。どうぞ」

「え、いいの? けっこう良い物っぽいんだけど……」

「お構いなく。今年は誕生日プレゼントもまだ渡してはいませんでしたし」

「今年は……って」

「ええ。実はいつも贈っていましたの。いつか貴方にそれを打ち明けて驚かせるために」

「うそ! なんでそんな」

「いまさら遅いことではありますが、私は貴方とお友達になりたかったんですの」

「もうっ、とっくに友達だよ! ところであの転校生、彼氏? 学校に来ないと思ったら」

「……。はい、私の大切な……彼氏ですわ」

「おめでとう! でも新学期は登校してよ? ラブラブ生活もほどほどにっ、じゃあね!」


「っ、御厨さん!」


「? どうしたの」

「……。ある人から、言伝を預かっておりますの。『救えなくてごめん、きみの言う通り俺は嘘をついていた。けれど』――はあ、まったく」

「進藤さん?」

「ただの嫉妬ですわ。『けれどその嘘を、いつか真実にしたかった。きみのこれからの幸いと新しい恋に出会えることを、祈っている』……御厨さん」


「――……あれ? あれ、なんでだろ? なんでわたし……、あふれてきてっ」


「さようなら、私の。……ライバルだった人」


 みらいがこちらを振り向いて、傍まで戻ってきて。



「……ッ、成一くん!!」



 声がする。はっとなる。

 遠くで雛子が渡したマフラーを振って、はためかせ。


「さようなら、成一くん!! 元気でね? 私はきみより素敵な、嘘つきじゃない人を、絶対に見つけるから! だから私がまだきみを好きだなんて自惚れんなよっ、だって私は、私は!!」



「――委員長、だから♪」



 笑みとともに、振っていたマフラーが急に吹いた強風にさらわれる。

 それは桃園から散って舞う花びらにまぎれ遥か空まで昇ってゆき、見えなくなり。

 視線をおろしたときには御厨雛子自身もまた――いつの間にか、幻のように消えていた。


「……。成一さん」

「行こう、みらい。俺は行く。きみから何もかもを奪うために」

「……私も同じですわ。貴方に何もかもを取り戻させるために」


 手を繋ぐ。体温が触れる。心臓の音がとくんと一つ重なって――握りしめる。

 もし、もしこれが夢だとしたら。

 醒めたら忘れてしまうとしたら。

 その不安が今さらのように内側から身体を震わせる、けれども歩みが止まることはない。

 新成一は進藤みらいを連れて行く、決意した。少なくとも自身に迷いは何もない。

 ともに歩き、鳥居をくぐり、桃園へと一歩を踏み入れて。


「やあ。待っていたよ、成一くん。進藤みらい」


 花吹雪を背景にしてサーペントが現れる。成一は穏やかに尋ねていく。

「夢オチってことは、ないんだな」

「絶対に無いよ。そんな茶番はナンセンスだ。ボクが嘘をついているよりタチが悪い」

「ならいい。始めてくれ、サーペント」

「成一さん……? 何を」

 みらいがこちらを窺った。心配要らないと笑みを返す。

 すると彼女の表情の僅かな曇りも即座に消え、生気あふれる鋭い眼になって前を見る。

 サーペントはそれを満足そうに眺め、そして。


[ハッピーエンド条件が成立しました。

 これより「新成一」と「進藤みらい」に最終審問を行います。

 審判者は、顕現を]


 相変わらずの無機質な宣告が頭に直接響き渡る。その直後――ぬいぐるみの白蛇は天を衝く大蛇となり、羽ばたく翼は三対となり。けれど声色も口調も変わらず普段のままで。


「――さて、まずは進藤みらい、君に幾つか質問をさせてもらおう。君は新成一の本来住まう現実世界に、付いていく決意はあるのかい?」

「無論ですわ」

「うん、やはり予め覚醒させてると説明が省けて実にいい。次に現実世界に持っていけるのはいま身につけてる衣類と手持ちの物品だけ。それでも心に揺らぎはないのかな?」

「もちろんですわ。ただし一つ確認させていただけるのなら」

「いいだろう、なんだい」

「携帯電話は使えます?」

「ははっ、そんな質問されたのは初めてだよ!! うん、大丈夫だ。成一くんと同様に継続して使えるよ、アカウントも。でも同様に君の友人知人とは連絡が取れなくなるけれど?」

「構いませんわ」

「じゃあ君はこの世界に未練はないと、そういうことかい?」

「ありますわよ。怖くて仕方ありませんわ。さっき友達に会いましたが――嘘偽りなく言えば全てを持っていきたいと、失いたくないと、そういう不安は消せません。ですが」


 重ね合わせていた手の力が、より強くなる。

 彼女は僅かに俯いて、けれどすぐ白蛇の目を真っ直ぐ見つめ、


「私には、もっと欲しいものがありますの。それはここでは決して手に入らない。そのために私は……進みますわ」

「たとえそこが地獄でも?」

「それは彼が居ない世界のことですわね」

「ああ、いい返答だ。久しく聞いたことがない。では最後の質問をさせてもらおう」


 白蛇の赤い双眸が妖しく光る。成一はその質問を知っていた。

 これまでも伝えることが出来なかった、ただ一つ。



「君は今という時を――永遠にしたいとは思わないかい?」



「……。なるほど、そういうことでしたか」

 彼女がこちらを上目に見る。

 成一は表情を変えず堅いまま、みらいは少し困ったように眉を下げ。


「さて回答を、進藤みらい。ハッピーエンドを迎えた君は、この花が咲き乱れる桃木のように最も美しい瞬間のまま彼の心と魂と結び合い、一切の傷病老死から解き放たれた楽園で暮らすことを選択できる。

LOVE永遠の愛 or LIVE有限の命】――君はどちらを望むんだい?」


 蛇は言葉巧みに彼女を誘う。彼女がどちらを望むのか。成一は黙したまま経緯を見守って。


「……。また一つ、お聞きしてもよろしいですの」

「いいだろう。何かな」

「貴方は悪魔でしたわね、ではこの誘惑の目的は何でしょう。私たちの魂をお望みで?」

「……参ったねえ、その質問は少し厄介だ。君たちの回答が済んだら教え」

「ノーですわ!! エターナルラブなんてクソっ喰らえですの!」


 大蛇がこけた。ように見えた。


「さ、遮らないでほしいなあ!! ていうか即答かい! 何でまた!」

「ふん、今が最高だなんて誰が決めましたの? 極めて主観的かつ相対価値に過ぎないものを危機感を煽り持ち上げた後で今が好機と売りつける――どう考えても詐欺の手口そのものを、金の力の専門家相手にこんなに長々と引っ張って! 余計なお世話のありがた迷惑ですわ!!」

「……せ、成一くんが望んでも?」

「ありえませんわね、私の胸を揉みしだけない世界なのに」

「何したんだよ成一くん?! 最初とまるで別人なんだけど彼女!?」

「知るか、俺は笑いを堪えるので必死だぞ。――だから十八禁にしろと言ったんだ」


 そこでようやく成一はサーペントに口を利く。にやりとする。そして、


「もういいだろサーペント。俺も今さら深刻な顔で悩む理由はない。俺は彼女の全てを奪う。家族も友人も財産も、彼女を形作ってきた過去の何もかもを奪って帰還する。だから」


 告げていく。決意の言葉は。



「俺は彼女に、未来をやる。俺の未来も、叶うなら一緒にだ。そこに永遠は――必要無い」



 笑みと共に、断言した。みらいも笑う。

 白い大蛇は大きく息を吐き出して、その直後。


[プレーヤー、ヒロイン双方の合意を確認しました。

 これより「新成一」と「進藤みらい」を、現実へと追放します。

 あたなたちは自由です、自由です、自由――]


「……おめでとう、成一くん。これで君は完全にゲームをクリアした」

「分からない奴だな、俺をバッドエンドにさせたかったのか、どっちなんだ?」

「そこはやむにやまれぬ事情でねえ……進藤みらい、そしてそれが君の質問への解答だ」

「私の?」

「ああ。悪魔は快楽主義者でね、ハッピーエンドにしか興味がないんだよ。でも劇的な展開を楽しむために泣く泣くバッドエンドを仕込むんだ。――矛盾しているだろう、ボクたちは」


 桃園が瞬きながら輝いて、それは立っている地面をも飲み込んで、白く薄れ崩れていく。

 サーペントはもう、元のぬいぐるみ姿に戻っている。成一は、


「サーペント、質問だ。俺が召喚されたのは何故だ。厳しい条件があると言っていたな?」

「まあ色々とあるけど教えられるのは一つだけ。……わかるかな、『愛が重い』ことだよ」

「……、納得した、嫌ってほど。じゃあこの世界の目的は」

「決まっているじゃないか。ここは恋愛ゲームの世界だよ、ヒロインを幸せにしてもらうこと以外に何がある? それが出来るプレーヤーしか、呼ばないさ」

「なら俺が永遠を選択していたら? あれもお前らにとってはバッドエンドか」

「違うよ、あれも一つのハッピーエンドの形だろう。ヒロイン付きの送還も、永遠の贈呈も、ボクたちからのお礼に過ぎない。良い観劇に拍手喝采を送ることは観客として当然だろう? 人間の激情、存分に楽しませてもらったよ。君は希に見るプレーヤーだった」

「この悪魔めッ!! ……あぁもういい、脅迫者相手に〈ストックホルム症候群〉じゃないが感謝する。いつも幸せを祈ってくれていたな、分かってた。――ありがとう」


 そして全てが光に包まれて何も見えなくなり。だがそいつは間違いなくにっこりと笑っていて、


「じゃあね成一くん、君の前途を、幸せな結末が続いていくことを――祈ってるよ」

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