▼7▲ ‐最終日‐
成一は待っていた。
コンクリートの夜の底で空を見上げて吐く息は、白く鮮やかに際立った。
午前四時、少し前。始発の電車さえ動いていない黎明の時刻の東京駅、丸の内。
他に人の姿は――ひとつもなく。
「こんな時間に呼び出すなんて、非常識」
琴歌が来た。一人だった。近くまでみらいに用意してもらった車で来たはずだった。
成一はそちらに振り返り、
「悪いね、さすがに人通りの多い時間の場所確保は、みらいの財力でも無理だった」
「それで、いまさらいったい何用なの?」
「俺のハッピーエンドには絶対必要な手順があったんだ、それをしに」
「じゃあ私を選んでくれるのね?」
「いや、別れを言いに来たんだよ。思い残しを……消すために」
四時ジャスト。その瞬間に――
「……。これは」
「ずっと見たかった光景だ。きみと一緒に来るはずだった、一年前」
並木道の木々がいっせいに光を放ち輝き出す。灯りの消えていたビルの周辺からも同様に、幾千万のLEDライトが未だ明けない夜を飾り彩った。
クリスマスイルミネーション――人間だけが咲かせられる、冬の花。
「ずいぶんと金のかかった演出ね。それもイブ・イブに無茶しちゃって」
「どうせ無くなるものだからな、みらいも大盤振る舞いで使ってくれた」
「……さっきからみらいみらいと不愉快ね、私が何をしたっていうの?」
「とぼけるなよ地雷女。俺を一度は殺したくせに」
笑顔で言った。
琴歌の顔が一瞬険しく目を開き、
「そう――やっぱり気付いてしまってたの」
「ああ。だから利用させてくれ、俺のトラウマの克服に」
「……。そんなのを、よくも覚えていたものね」
「記憶力がいいほうでな。それに嘘つきの常套手段だろ、騙すときに真実を混ぜるのは」
淡々とそう言った。
成一は憶えていた、ハッピーエンドに必要な条件を洗い出しているときに、琴歌がぽつりと呟いた一言を。
琴歌はふうと息を吐き、
「ひどい男ね、昔の女はゴミ箱にでもポイ捨てる?」
「捨てたのはどっちだよ、真正邪気眼中二病患者。お前のおかげで人生の十七分の一が危うく黒歴史になりかけたんだぞ」
「あれ、もしかして学校やめちゃった?」
「んなわけあるか。お前ちょうど冬休みすぐに計画を実行しただろ、お陰で休みだけはそれも含めて潤沢に取れたから、二月頭には復帰した。もっともしばらくは腫れ物扱いだったがな」
「……。そう、じゃあ思い残しなんてないんじゃない?」
「馬鹿にするな、この左手を見ただろう」
成一はこれみよがしに甲の傷を見せていく。すでに包帯など付けてはいない。
琴歌はふわりとした笑みを浮かべ、
「先週も見たけど酷いものね、私の筆跡が原型をまったくとどめてない」
「誰のせいだ誰の」
「自分で傷つけたんでしょう、成一は昔と変わりすぎ。どうしてそんなになっちゃったの?」
「お前に
静かに成一は言い切った。
琴歌は少し、目を伏せて。
「……あのメールは、全てが真実だと書いたはず。一切が事実と無関係のフィクションだと」
「そうだな、タイトルにある通りだ。〈嘘つきのパラドックス〉というわけでもない」
「じゃあその左手に書いたものが、何を意味していたか分かるでしょう?」
「当然だ。俺はきみの後を追えなかった。つまり俺は、きみに相応しい男じゃなかったんだ」
「だから私を忘れて構わない、むしろそうしろって解釈したの? それはメールの前半部よ」
「ああ、『最後に――』のところ以前の部分だな。全然『最後』じゃなかったのに」
成一はくすりと笑ってやった。彼女があのメールでフィクションだと指定した、『以上』の部分がどこなのか、この世界に来る前から分かっていた。
琴歌はばつが悪そうに頭をかき、
「……。成一のくせに、生意気ね」
「誰かさんに鍛えられたお陰だよ、成長した。高い授業料ではあったがな」
安らかだった。苦い気持ちなど一つもなく、穏やかに成一は琴歌と語れていた。
彼女は木々やビルの光を見上げてゆき、
「こんなにきれいだったのね、だから連れてきたかったの?」
「そっちこそ、見たかったか?」
「まったく。リア充の景色だもの。眩しくて私の闇が浄化されてしまいそう」
「ははっ、わざとらしい邪気眼だ」
「だからあなたはこれからも、これよりきれいな景色をきっと見るのね?」
振り返る。こちらの瞳をじっと見る。
琴歌の表情に笑みはなく、いつにも増して冷たさが感じられてきた。
「……。ああ、だからもう、きみの知っていた新成一はどこにもいなくなっていく。何もかも変わっていくんだよ、生きている限り」
「それでいいの、成一は?」
「このLEDの花は来年も使われるかもしれないな。だけどここにある木が次の季節に新しく生やす葉や枝も――どれも今とは違うだろ」
「……。私と一緒には、なれないの?」
上目遣いにこちらを見る。
けれど成一はこくりと頷き、
「残念だがきみの負けだ。いや勝ち逃げか。俺が後を追おうと追うまいと――どちらにしてもきみの期待に応える形にしかならないんだから」
「……いいえ、私の負け。賭けだったのよ。私のために死んでくれなかったなんて、想定内。私は死者。だからいいの、成一は私なんてさっさと忘れて――新しい恋を始めるべき」
「もちろん遠慮無くそうするし、そうしてる。これできみとはさよならだ」
「残念ね、じゃあ私もこれでさようなら。振られた女なんだから、歩いて適当に帰るから」
そして琴歌はこちらに背を向け、歩き出す。
一歩、二歩、三歩。区画のひとつ先まで振り返らず。
だから成一も同じように彼女を見送りきらず、やがて反対のほうを向き――
「――なんてね。そんなきれいに終わらせるわけないでしょう?」
振り返る。
琴歌は黒い影をまとってすぐ傍に立っていた。手刀を振り上げこちらを見る。
その影はかつて雛子を飲み込んで、一度は成一を絶命せしめた――
[トラップヒロイン「真浦琴歌」を発動します。
プレーヤーは回避を、回避を、回避を――]
間に合わない。成一の視界が挙動をとらえる。反応はできたが位置取りが理不尽過ぎる。
そしてそれがもし触れるだけでこちらに死を与えるものならば、
「やらせまっ……せんわよッ!!」
「――っ!?」
琴歌が飛んだ。吹っ飛んだ。横からの飛び蹴りを直撃させたみらいはしかし華麗に着地。
「ふん! 備えは常に万全ですわ! 私を誰だと思ってますの?」
右手をすっと上げるみらい。合図と共にこれみよがしに四方八方から出るメイド軍。
そして。
「金の力を、なめないでいただけますこと――って?」
「な! 私の決めセリフを!?」
琴歌は起きる。立ち上がる。そこには既にまとっていた黒い影はなく、その代わり。
「あーあ、やっぱり進藤みらいがラスボスか。言ったでしょ、私じゃ勝てないって」
「琴歌……お前」
琴歌の身体が煌びやかな光の粒をまといながら透けていく。
それは姿をとった木霊にも似て、幽かになって。
「卑怯よね、金髪巨乳お嬢様。成一の好みの超弩級ストライク。現実にはまずいないテンプレ架空ヒロインに、こうも奪われちゃうなんて。ほんと最高に最低で――気持ちいいくらい」
「……知っていましたの」
「当然よ。貸して読ませた作品の感想を聞くたびにうんざりした」
「だったらもう分かりますわよね。あなたの居場所なんてもうないから、消えなさい」
「ふうん。他にも恥ずかしい秘密があるけれど、知りたくない?」
「いりませんわ。これからいくらでも聞く機会がありますもの。まあもっとも――成一さんにあんな業の深い属性を付けてくれたこと、だ・け・は! 感謝して差し上げますわ」
「クソ生意気な女……気に入った、成一の童貞をくれてやる」
「と、とっくに予約済みですわよ!!」
二人は互いを罵倒して笑い合う。
成一はそれに耳が痛くなって頭をかいてため息つき、
「で。これでもう打ち止めか、嘘つき琴歌?」
「流石にね。でもここまでひどい地雷女になってあげたんだから、もう私の良い思い出なんて木っ端微塵になったでしょう? もしまだあっても、いいから全て私によこす」
「お断りだ、さっさと成仏しろ中二病。遠慮なくくたばって、しばらくの間は年に二回くらいお参りさせろ。そしてそのうち思い出すこともなくなるだろうが、たまには行って、そのたびイチャラブ見せつけてやるから覚悟しろ、生涯処女の十六歳」
「前妻相手にひどい嫌がらせと辱めね、成一サイテー。あと今の私は歳が違う」
「誰が前妻だ、永遠の十七歳め!! サイテーとかお前にだけは言われたくないぞ!」
「今は同レベル、だからもっと成長することね。進藤の変貌ぶりも凄いけれども」
そう言って琴歌はみらいを見て笑い、次にあちこちのイルミネーションに視線をやり。
こちらを見て。
「だけどまあ、そんな私も、あなたと付き合ったせいで最後はほんの少しだけマシになれた。あなたを殺さずに済んだから」
「……。あぁ、あの日は眠り薬をありがとう。寝てる俺をそっとしておいてくれて助かった。クラス全員に失踪メール出したのも俺から加害者疑惑を外して被害者にするためだっただろ。お陰で俺はこんなところに呼び出されて、最高の彼女をゲットできた。その全てに感謝する」
「――……。やっぱり殺しておくべきだった……私の黒歴史そのものじゃない……」
琴歌が初めて全力で困った顔をしてくれた。恥を晒され赤くなった、苦々しい表情で。
けれどもすぐに「はーあ」と大きく息を吐き、しゃんとして、
「じゃあこれで本当にさようなら。たまには顔を見せてくれるって言ったこと、期待してる」
「裏切ってもいいか? 意趣返しくらいしたくなる」
「だったらしばらくはそうすれば? その女が邪魔だから別れた後でこっちに来て」
「そいつは保証しかねるよ。可能な限り、そんな未来にならないよう努力する」
「なら今のうちに呪わせて。あなたたちが幸せでありますように、死ぬまでは……ね」
最後に彼女は悪態をついてほほえんで、蛍に包まれたように淡く輝いて。
――光にとけて泡となり、消えていた。
「……。成一さん」
「なんでもない。これでけりはつけたんだ。せいせいしたよ、あたりまえだ」
そうだった。そのはずだ。いまさら過去を思う感情などあるわけが、ないのだと。
「っ……だから、こんなのは……こんなのはッ」
俯いた。下唇を噛んでいた。
こんな自分はみっともない、みらいを選んだのだから、笑って送り出して悪態をつきかえすくらいで丁度良い。そのはずだ。けれども理屈ではなく両眼のふちからどうしてか勝手に熱がこぼれてあふれ、落ちてゆき――
「? みらい……」
「いま泣くくらい許してあげて。嬉しくても哀しくても、涙は出てくれるでしょう?」
成一は前から緩く抱きしめられ、やわらかさに包まれる。
その体温に震えも僅かに、収まって。
「勝ちましたわ、貴方の勝ちです。私の勝ちです」
「当然だ、……当然だ。思い残したことなんて、もう何も」
何もない、わけではない。
それでも前に進んでいける。足踏みしない。ふと振り返るくらいはするだろう、けれどもう思い出すたびに胸の奥が痛んで軋むことは――
「やあ成一くん、おめでとう。ハッピーエンド条件、達成だ」
「……なにしに来た、祝辞なら不要だぞ」
もはや成一は振り向くことすらしていない。予定調和にもほどがあると呆れはするが、
「案内だよ、最後の選択だ。もう分かっているだろう?」
「腹立たしい限りだな。なにせみらいには、まだ伝えることが出来なかったんだから」
「? 成一さん……?」
いまだ彼女にいだかれてはいたが、そう言って成一は彼女から離れていく。
そしてサーペントに対し、
「エンディングに関わる場所か、あれは訊き方がまずかったな。ハッピーエンド限定かよ」
「物は言いよう、バッドエンドには実際関係ないからね。じゃあ待ってるよ、あの桃園で」
睨み合って互いに言い合い、白蛇はまたふっと見えなくなる。
天上の空はまだ暗い、だがその色は新たな曙光を待ちわびる青に変わろうとしていた。
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