パラサイト・ロマンス!
エノコモモ
パラサイト・ロマンス!
「……」
間違いなく、1分1秒どころかコンマ1秒と言って良いほど直前に、彼女は「そういう闇系の人」に東京湾なり風俗街なりに沈められそうになっていたのだ。
実際に簀巻きにされている自身の体がそれが事実であったことを物語っている。
その異常な状況は彼女の涙なしでは語れぬ生い立ちが背景にあるのだが、今はそれどころでないので置いておこう。
まあとにもかくにも、彼女が今いるこの場所はほんの少し前まで彼女がいた日本ではなかった。
「……」
「……」
そして彼女の目の前には、万里に負けないぐらい呆然とした顔でこちらを見つめる男性の姿。
その青年がどうにも金髪碧眼と、日本出身の彼女からしたらあり得ない容姿なのだ。
「…術式、間違えたんじゃない?」
あり得ないのはそれだけではなく、なんとまあその隣には喋る猫。
ふわふわの毛並みは紫色で帽子を被っている。
可愛いですねと、あまりにも異常な状況に万里は思考の全てを放棄して視線だけで彼女を愛でた。
「そ、そんなはずは…!」
彼がその大きな体躯を這いつくばらせて床を確認する。
正しくは、万里のまわりを囲う魔方陣のようなものを。
細かい文字のひとつひとつを指で追って、そしてあるところで彼はガックリと落ち込んだ。
「ここ、間違えてる…」
「だよねえ」
にゃんにゃんと魔方陣を踏んで、彼女が寄ってきた。
万里に向かってそのふわふわのお口を開ける。
「ごめんね。間違えて召喚しちゃったみたい」
何が何やら一切意味が分かっていない万里も、こんな可愛い猫ちゃんに謝罪をさせてしまったことに心を痛めた。
だから思わず口をついて出たのは怒りでも当惑でもなく、お礼の言葉だった。
「いえ…私もピンチだったので助かりました。ありがとうございます」
この日、高槻万里は異世界に召喚された。
彼女を召喚した男性の名前はレナード。
猫の彼女はアビーと名乗った。
そして彼の職業は魔術師であり、精霊の召喚中に術式を間違いただの人間の万里を喚んでしまったと。
万里にとっては異世界の全く違うシステムの話であるわけでさっぱりぽんと理解はできなかったが、自分が招かれざる客であることだけは分かった。
「魔力が溜まる明後日には帰せると思うから、それまで我慢してくれ」
彼の言葉にハイと頷きかけて、万里は思い出してしまった。
今は縄を解いてもらい自由の身だが、ほんの少し前まで彼女は抜き差しならない理由で簀巻きにされ真っ黒なバンの中に放り込まれていたのだ。
この理由については今は関係ないので置いておくが、その時に耳に届いた運転席の会話は大いに関係がある。
『兄貴ィ。この女、AVに出したら売れますかねェ』
『あァ?顔は悪かねぇが胸がなぁ、貧相だからよぉ。AV出てもいずれうんこ食うしかねぇなあ』
気付いたら彼女は魔方陣をかき消していた。
「あーっ!何してるんだ!」
「待ってください!私、戻ったらうんこ食わされるんです!」
「バンリの居た世界は地獄なのか!?」
万里の手のひらに擦られて霞んでいくそれを止めようと、レナードが大慌てで彼女の腕を掴んだ。
「ええ!地獄です!ですからここに寄生させてください!」
「だ、ダメだダメだ!帰れ!下手に召喚したままにすると後々問題になったりするんだ!」
「嫌です!何でもしますから!」
「何を言ってるんだ!普通は帰りたがるだろ!」
どっしんばったんとした騒ぎを聞き付けて、扉の外にメイドが集まってくる。
アビーはまた何かすごい女が来たなあと思いながら欠伸をした。
「困りました…」
アビーを抱きかかえて、万里は客間のベッドに横になっていた。
ゴロゴロと喉を鳴らす彼女を撫でながらため息をつく。
「バンリはもとの世界に帰りたくないのね」
「ええ…。帰っても莫大な借金とうんこが待っているだけなので、あなたの主人にどうにか寄生したいのですが…」
あれから何度頼み込んでも、レナードは首を縦には振らなかった。
確かに万里が何か問題を起こせば彼の責任になるので言うこともわかる。
けれど何せここは居心地が良い。
この世界の常識はよくわからないが、彼女から見ればレナードはお坊ちゃんだった。
万里を喚び出した部屋もそこそこ広かったのだが、全体はかなり大きなお屋敷だったらしい。
あの後メイドや執事がわらわら出てきた上、お風呂はまるでプールのように広くご飯はいつでもお腹いっぱい食べられる。
近所中に響き渡る罵声や扉を叩く音に脱獄囚さながら逃げ回らなくて良い生活は久しぶりだった。
「けど…私ができることなんてないんですよね…」
家事手伝いはすでにプロがいるわけで、ごく普通といえばそれは嘘にあたるものの、ただの人間である彼女ができることは少なそうだ。
さらにここを飛び出したところで、魔力がない万里は誰かの協力なくしてはこの世界で生活し続けられないらしい。
一体どうすれば寄生できるのか、彼女の目下の悩みはそのことである。
「そういえば…レナードに恋人や妻は?」
「…いないよ」
「あら、そうなのですか」
「デカくて見た目ちょっと怖いし…それにレナードはさあ、ちょっと問題があって…」
アビーが話を進めるが、万里は聞いていなかった。
何故なら気が付いてしまったからだ。
その時彼女の脳を支配したのは、まるで神の啓示のような閃きだった。
「ん…?」
暗闇の中、レナードは意識を取り戻した。
自室のベッドで横になっている筈なのに寝苦しいことを不思議に思いながら自身の体の上を見ると、光るふたつの瞳と目が合った。
「わあああっ!んぐっ」
「静かにしてください!」
がばりと口を塞がれる。
その声と慣れてきた視界で襲撃者が万里であることを理解した。
「な、なにしにきたんだ…。いくら言われても寄生はダメだぞ」
「わかっています…。確かに私に飼うだけの価値はないのです…!メイドもダメ、コックも無理、ですがレナード!貴方は今懇意にしている女性はいないと聞きました!」
「…あ、ああ」
静かに頷く彼に、万里は自分の閃きを声にする。
「ならばこの身を生かして性欲処理の道具として使って頂くしかないかと思いまして!」
彼女が出した結論は、レナードの性玩具になることだった。
いやらしい道具としてならば側に置いておいてもらえないかという魂胆である。
あまりに突然のことに思考を停止させていた彼がハッと我に帰った。
「ふっ普通そこは恋人にしてくれとかそういう話じゃないのか!?」
「いえ、恋人じゃなくて良いです。道具で」
「良いんだ…。い、いやダメだ!女の子なんだから自分の貞操は大事にしろ!」
「どちらにしろ私は貴方に抱かれるかうんこ食うかしか選択肢がないんです!」
「俺に抱かれることをうんこと同列にするな!」
万里と両手で組み合い、ぐぐぐと押し合う。
「やめておけ!そういうものは好きな奴とするものだろ!」
「大丈夫です!超好きですから!めっちゃ愛してます!」
「適当すぎるだろぉお!!やめておけ!俺みたいな怖い奴としたら後悔するぞ!」
レナードは少々大きく、強面に育ちすぎた。
子供を泣かせたことは数知れず、立っているだけで不良は腰を大きく曲げて挨拶していき、老人は逃げる。
ところが、それを聞いた彼女の力が急に抜けた。
万里はキョトンとした表情を浮かべて首をかしげる。
「そうですか?怖くなんてありませんよ。歯も白いし顔に傷はないしパンチパーマでもないし指も全部あるじゃないですか」
「…そうなのか?」
「ええ。私を簀巻きにしないし売ろうとしないし」
これは本心だった。
彼女が知っている男と言えばそういう系の人たちだったので仕方がない。
これに関して原因はよんどころない事情というやつなのだが、後述するので置いておく。
「むしろそういうところを気にするあなたはとても可愛らしいと思います」
「か、かわ…」
呆然とするレナードに、万里がちゅうとキスを落とした。
暗闇の中、碧い瞳と目が合う。
「バンリ。俺は…初めてなんだ」
「私もです。おそろいですね」
翌朝。
朝日に照らされる廊下に、鳥の鳴き声に混じってりんりんと鈴の音が響く。
「レナードぉ」
猫用の小さな扉から主人の部屋に入ってきたアビーは、ベッドの上を見て思わず声を漏らした。
「ワォ…」
「アビー…なんだ…」
昨日は早く寝たはずなのに明らかに寝不足のレナードが眠そうに起き上がる。
起き上がって、すっぽんぽんの自身の胸に乗っかるこれまた裸の万里を見てぎょっとした表情を浮かべた。
「っ…!」
「…オメデトー」
何がとは言わないがどうやら卒業したらしい。
そのやりとりにむにゃむにゃ起きる万里を横目に、アビーが本題に入った。
「バンリの件なんだけど…」
「あ、ああ…」
「はい…。どうかしました?」
彼女は部屋の隅から、ごろんと拳大の透明な石を引っ張り出した。
「これねぇ、レナードが魔力を抜き取った石なの。バンリの世界だとダイヤモンドって言うんだって」
「まあこれが…」
「魔力が無いからこっちではクズ石なんだけど、バンリの世界じゃ貴重なんでしょ?これを持って帰ればお金になるんじゃない?」
万里がぱちぱち瞬きする。
「借金が返せたらこっちに寄生する必要はないのかなって」
「まあ素敵!アビー!あなたは私の女神です!」
彼女がベッドから離れ、素っ裸でアビーを抱き締めた。
「ぐえ」
「これで借金も返せますし大学にも通えます!うんこも食べなくて良くなりました!そうと決まれば帰り支度を…」
ぴょんぴょん跳ねていた万里が、ふとレナードを振り返った。
急に静かになり、彼の大きな手を握る。
「…あなたに寄生する理由がなくなってしまいましたね」
彼女がいるべきなのはこの世界ではないし、元々レナードには帰れと言われていたので仕方がない。
わざわざ彼と肉体関係を持つ必要はなかったと言うことだが、不思議とそれに関する後悔はなかった。
「レナード、さようなら」
ほんの少し寂しい気持ちになりながら、万里は彼の手を放す。
服を着て帰る支度を始めた彼女を前に、アビーが隣のレナードを見た。
「…アタシ、何か悪いことした?」
「…いや」
「万里。俺と付き合ってくれ」
さて、日本に戻ってきた万里は無事に借金を一括返済した。
そして普通の女子大生となった彼女の人生はまさに順風満帆だった。
有り難いことに世界とは苦労した女性ほど光って見えるものらしい。
その日もイケメンで優しい大企業の御曹司という嘘みたいなスペックの男に壁ドンされるという嘘みたいな状況で告白されていた。
「俺がついている限り君は一生安泰だ。過去のような苦労はさせない」
彼には自信もあれば覚悟もある、その発言を実行できる財力も実力も備えている。
ところが何故かその台詞にときめきを覚えることはなく、彼女は自身の心がとても不思議だった。
考えても考えてもこの物足りなさの正体が判明することはない。
きっとこの違和感は勘違いだろうと自分に言い聞かせて、万里は返事をしようと口を開けた。
「私も…」
ところが1分1秒どころかコンマ1秒程の次の瞬間、万里は違う世界にいた。
彼女の足元には魔方陣、目の前では金髪の男がはあはあと肩で息をしている。
「…レナード。これは何、」
「俺は…身体だけの男だったのか!?」
「……?」
開口一番彼は叫んだ。
身体だけかとの質問の答えはどちらかと言えば家だけの男だったのだが、それを言うと更に面倒なことになる気がして止めた。
意図がわからず静かになる彼女に、レナードは更に畳み掛ける。
「俺はあの夜からずっとバンリのことが忘れられなかったのに!なのにお前ときたら他の男の手をとろうとするなんて!」
「私の記憶が正しければ…あなた私に出ていってほしかったはずですが…」
「最初はそうだったさ!別にバンリじゃなくても良いと思い込もうとした!もっとおっぱいの大きな女に手を出したりもした!バンリと違ってふわふわだった!」
「殺しますよ」
そこで言葉を切って、レナードは心底悲しそうな顔になった。
「でも誰も…俺のことを可愛いなどと言ってはくれないんだ…!」
沈黙がその場を支配する。
「……」
その横で、アビーは主人の醜態を見ながら白眼をむいていた。
レナードは決してモテないわけではない。
容姿は悪くないし体格も良い、その容貌で精霊術師を名乗ると戦士になれよと言われるが、術師としての腕だって良い方だ。
彼がフラれる理由は毎回同じ。
「俺が甘えてもドジを踏んでも…誰も可愛いとは言ってくれないんだ…!」
レナードの“問題”は怖い見た目ではなく、中身にあった。
ワイルドな見た目の男には、ワイルドな中身を求めるものだ。
ところが2メートル近いレナードはほんの数センチの虫を怖がるような男だった。
すぐに泣いてしまうし心はガラスのように繊細だし実はとんでもない甘えん坊である。
彼は「外見に反してあまりにも女々しい」という絶望的な理由でフラレ続けてきた。
ところがあの日間違って召喚してしまった人間の女は女神だった。
その地獄のような環境出身の彼女は、彼のことを怖がらないばかりか可愛いと言った。
経験がないことを恥ずかしいとか下手くそとか罵ったりせず、優しく手をとって共に歩もうとしてくれた。
すべてはこの家に寄生したいが為の行動だったのだが、そんなことはもう彼にとっては関係ない。
「お前がいなきゃ俺は死んでしまう!!バンリじゃなきゃダメなんだ!!」
顔は半泣き、姿勢は土下座。
よりにもよって史上最悪の告白である。
今回も、いや童貞を散らしたぶん過去最高に悲しい最後を迎えるのだろう。
アビーは主人を想って、正確には彼のもとで仕えることになってしまった自分を想って涙を流した。
「私じゃなきゃ…ダメって…その台詞は何なんですか」
さて、そのとんでもない口説き文句をぶつけられた万里と言えば、肩を震わせていた。
それはそうだ。
やっと幸せを掴むところだったのに、それを邪魔された挙げ句に不愉快極まりない寄生男に粘着されている訳で。
涙なしでは語れぬ生い立ち。
抜き差しならない理由。
よんどころない事情。
さて、各所で置いてきた話をここで持ってこよう。
そもそもなぜ万里が莫大な借金を抱えることになったかと言えば、それは一重に父親のせいだ。
ヒモでギャンブル好きで借金まみれと、なんというか彼は正しいダメ男だった。
いよいよ普通の消費者金融で借りられなくなった彼がいつの間にか手を出していたお金は、相当悪どいところから引っ張ってきたものだったらしい。
返せないことが露見した後は一家離散、その手は万里にも及びついには沈められそうになっていたのだ。
そしてここからが重要な話だが、実は母親だけではなく、祖母も曾祖母も更に言えば曾曾祖母も、家系の女性全員が男運が悪かった。
総じて彼女達はある言葉に弱かったのだ。
「私がいないと死んでしまうだなんて…」
万里が静かに顔を上げる。
「あなたは本当…可愛いですね」
鳴り響く鼓動の音を聞きながら、彼女は頬を真っ赤に染めて微笑んだ。
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