終 奴との離別

 空は鈍色の雲に覆われていた。タクシーはようやっと奴の病院に着いた。

 私はタクシーの運転手に、エンジンをかけたまま待機するように伝え、手荷物を持ってタクシーを降りた。時間はかからないと思っている。

 病院に着き、保護者の方と面会する。

 憔悴しきっている。母親も父親も、青を通り越して灰色の顔だ。

 まるで雲と同じだな。

 そう思うと、自分が灰色しかない世界にいるように思えた。

 しかし、病院の壁は、確かに白い。

 シラけてしまう。

 看護士に案内され、奴が安置されている部屋へと向かう。

 あの日、学校で一騒動起こした佐久間は再入院し、そのまま退学した。

 私は卒業し、大学に入り、二回生の時、今日を迎えた。

 昨日、一時帰宅の時、自宅のベランダから転落したらしい。

 真昼の出来事だったそうだ。

 病院までは意識があったらしい。

 死の間際に私の名を両親に伝えたらしい。

 だから私がここにいる。

 喪服でもない。普段着だ。

 安置されている部屋にはろうそくがともされていた。

 ゆらゆらと燃えて、揺れていた。

 私は看護士に、二人きりにしてくれと頼んだ。

 若い看護士が出て行く。

 私は手荷物を取り出す。

 奴の顔にかかった布きれを取り払う。

「……、ずいぶんスッキリした顔じゃないか」

 私は笑って、手にしたブリキ缶を開ける。

 道中のホームセンターでかっておいた、一リットル缶だ。青のペンキである。

「水性にしてやったのだから、ありがたく受け取れよ」

 私は奴の顔に塗料をこぼす。

 布団を引っぺがして、なおこぼす。

 顔面から胸にかけて青くしてやって、そこで布団を戻して布きれをかけた。

 部屋を出る。

 入れ違いで看護士が入る。

 廊下に出たところで、走った。

 ワンテンポ遅れて背後から制止する声がする。

 気にするものか。

 私は走った。

 奴の両親とすれ違う。

 ポカンとしている。

 顔色がさっと、灰色からちょっと回復して青くなる。

 私は笑いかけた。

 笑いかけて、走った。

 病院を出る。

 空は鈍色だが、その向こうはきっと青空だ。

 奴が手を伸ばした青空だ。

 雨が降っていた。

 私は濡れながら走った。

 朝になれば、明日になってすべて青くなってしまえばいい。

 青くなればあなたと同じものが見える。

 雨の中をタクシーまで走る。

 背後から追いかけてくる声がする。

 あと三十メートル

 雨に塗料を混ぜてしまいたい。

 そうして、青くなってしまえばいい。

 あと二十メートル。

 なぁ佐久間、私とあなたは幸せになった。

 そうだろう? 佐久間。

 あと五メートル。

 もう何も聞こえない。

 私はタクシーの扉を開いた。


〈 了 〉


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