カッサンドラーは神の目を持つ

G

エピローグ

私は、やけに明るい空間に居るようだ。


孤独を忘れ、苦しみは消え去り、優しい気持ちだけが胸を満たす。

空間と自分との境目がぼんやりと曖昧である。

それがまた、えも言われず心地良い。


こんなにも、この場所は心地良いのだ。

きっと、ここは天国だろう。


そうに決まっている。ーーなぜなら、私は、誰よりも「優等生」だったのだから。


私は心でそう呟き、そして、ここに来るまでの顛末ーーつまりは、私の短かった人生ーーを思い返した。



私、葛西瑠璃子は、いわゆる「優等生」だ。


両親が教師であり、私は、両親から、「いつもいい子であれ」と言われ続けて育った。

両親は仕事で忙しく、時には仕事が深夜まで続くこともあった。

必然的に、家のことは私の役割になっていた。


それでも私は勉強を怠らず、いつも成績は学年で上位をキープし続けていた。

部活動でも手を抜くことはなく、吹奏楽部では部長を務めていた。


負担は、正直、重かったが。

それでも、私は、親や先生の期待に応えている。

そのことが何よりも嬉しかった。





そんなある日の事だった。

それは、寒さが手袋越しに指先をチクチクと刺すような朝。久々に、雪まで降った。


そんな寒い日でも、「優等生」である私は、部活の朝練に向かおうとしていた。


どうせ弱小の吹奏楽部。私以外は、誰も朝練なんか来やしない。

しかし、そうは言っても、私には、部員に指示を出す立場としての矜恃がある。

そうして私は、毎朝、誰もいない音楽室で朝練をしていたのだった。


自転車の前カゴに自慢の愛器ーー昨日持ち帰って、キーをポリッシュでせっせと磨いておいたーーを、学生鞄ともに詰め込んで、学校へと急ぐ。


今朝は、兄にも弁当が必要な日だったから、時間が無かったのだ。


自転車を漕ぎながら、今日の一日のスケジュールについて思いを巡らせる。


ーー確か、洗剤を切らしていたから、今日は帰りにスーパーに寄らなきゃーー…


そんなことを考えていたら、突然、何かに強く衝突して、身体が宙に舞うのを感じた。


空を飛びながら、なんだか時が止まったように感じる中で、私は、そこの、半分潰れかかった黒い車が、私を跳ね飛ばしたのだと理解した。




刹那、何か堅いものに強かに頭を打ち付ける。そうしてようやく、激しい痛みが襲ってきた。


その苛烈さは、私の正気を奪うのに充分であった。





痛い痛い痛い痛い痛い。それしかかんがえられない。痛い痛い痛い痛い痛い





その後のことは、よく覚えていない。


思い返せば、酷く悍ましい、考えるだけでゾッとするような体験だったように思われる。


が、そんな強烈な不快感すらも、この心地良い空間では、とろけて無くなってしまいそうに思える。


ああ、このまま、この、心地良いところで、とろとろに溶けてしまいたいーー


そう思っていた時、声のような、また、透明な文字のような、そんな言葉が私の知覚に




……ーー善良なる魂の皆様……。

ようこそ、地獄へ。

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