隕石が降ってくると知って僕は、薬を創り始めたけれど

いしき蒼太

声の薬

 薬は完成しなかった。この5年間、あれだけ必死に頑張ってきたのに、結局成し遂げることはできなかった。彼女の声を聞くことはできない。もう時間がない。



 ――僕は嘘をつくことにした。



 僕は未完成の薬を持って、彼女の部屋へと入る。彼女はベッドに起き上がって座っていた。

「大丈夫?」彼女は手のひらよりも少し大きなメモ帳にそう書いてこちらに向けた。

「大丈夫だよ。それよりできたんだよ」



 彼女に近寄りながら、部屋の時計を横目で確認すると21時30分を示していた。あれがここに到達するまであまり時間がない。普段のこの時間なら、閑静な住宅街であるこの辺りは静かなものだが、今は窓越しにクラクションやサイレンが複数聞こえるほど、喧騒の中にある。



 僕はベッド脇に腰掛けると彼女に薬の入った小さな試験管を見せる。

「きれいだね」彼女は試験管の中のピンク色の薬をしばらく見つめるとすばやくメモ帳にそう書いて見せた。

「……そうだね。準備はできてる?」



 彼女はうなずいた。



 僕は彼女の口元に、栓をとって試験管を近づける。唇に触れると傾けて薬を飲ませた。

彼女は傾きに合わせてゴクゴクと飲んでいった。彼女は全て飲み切ると変化を確かめるように、喉に手を触れる。その姿に胸が痛んだ。その薬は十中八九効かないんだ。



 彼女は自分の喉から手を離すと、不意に僕の頬に手を触れた。僕は気付かない間に涙を流していた。両頬を伝う涙を彼女が手で拭ってくれる。彼女がどれだけ手で拭っても、涙はあふれ出した。


「ごめん……本当は薬……できなかったんだ。ごめん。絶対に完成させるって言ったのに。声を出せるようにしてやるって約束したのに……できなった。ごめん。僕は失敗したんだ。僕は……」


 彼女は否定するように首を横に大きく振った。

違うんだ。僕は失敗したんだ。僕は自分の失敗から目を背けるように彼女から視線をそらした。







「どお……?」



 声が聞こえた。息が漏れるような声が。彼女の方を見ると、顔を赤くしながら必死で話そうとしている彼女の姿があった。薬は完成しなかった。それなのに彼女は必死に声を出そうとしてくれている。失敗した薬なのに、僕の失敗を失敗にさせないために。



「きょう……ちょ……うし……どお?」

今日調子どう。彼女が口にしたのは病室を訪ねた時にいつも僕が彼女に聞いていたことだった。

「最高だよ」そういつもの彼女をまねて答える。

「いつも……さいこうだね」絞りだすような声は、苦しそうだった。それでも彼女は必死で笑顔を作っていた。

「君がそばにいてくれるからね」よくそんな恥ずかしいことをさらりと言えるなと思っていた言葉も今は自然と口に出せた。



 僕は彼女を抱きしめた。


 彼女の息が首筋にかかる。


「ありがとう」もう声にならないその息は確かにそう言っていた。



 遠くで地響きが聞こえた次の瞬間、僕の視界は黒く染まった。

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隕石が降ってくると知って僕は、薬を創り始めたけれど いしき蒼太 @amehare123

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