小鳥遊結芽として生きた最後の5分

望月くらげ

小鳥遊結芽として生きた最後の5分

 目の前の扉が静かに閉まる。

 向こう側からは厳かな音楽が聞こえてくる。

 次にこの扉が開かれるまであと5分。

 つまり私が、小鳥遊たかなし結芽ゆめとして生きる最後の5分間。

 この時間に何を話そうかずっと考えていた。


 今までありがとう?

 私がいなくなってもちゃんとご飯食べてね?

 大好きだよ?


 どれも最後の言葉としてはありきたりだし陳腐だ。

 お涙頂戴がしたいわけじゃない。

 ただ、こんなふうに二人きりで話をする機会ももう二度とないと思うから──。


「お父さん」


 私の呼びかけに、緊張した面持ちの父が振り返った。


「どうした?」


 でも、どうしても最後の言葉が出てこない。


「ステップ、とちらないでね」

「馬鹿言うな。……あんな一回きりのリハーサルで覚えられると思ってるのか」


 それもそうだ。

 そろそろ時間です、そう言って係りの人が顔を出した。

 燕尾服に身を包んだ父の手を取る。

 手を繋いだのなんて、何年ぶりだろう。


「お父さん」

「ん?」

「お嫁に行っても……お父さんの、娘だからね」

「……当たり前だ。いつまでもお前は俺の大切な娘だ」


 目の前の扉が、再び開く。

 顔を上げるとバージンロードの先には、彼の姿が見えた。


「でも、しょうがないからな。お前の一番はあいつに譲ってやるよ。子供の頃は、パパと結婚するなんて言ってたくせにな」

「いつの話よ」


 小声で話しながら流れてくるメロディーに合わせて覚えたてのステップを踏む。


 ……お父さん、今ズレたよね?


 チラッと隣を見ると、ばつの悪そうな顔をしている父の姿が見えた。

 ゆっくりゆっくりと歩くけれどあっという間にそのときはやってきた。

 彼の元に辿り着くと、父から彼に私の手が委ねられる。


 伝えるなら今しかない。


「お父さん──それでも、私の一番好きな人は、今でもお父さんだよ」


 最後の方は涙声になってしまった。

 せっかくとっておきのメイクをしてもらったのに、これじゃあ崩れてしまう。

 でも……目の前で父も泣いているから良しとしよう。

 彼の手を取って、神父様の方を向く。

 さあ、小鳥遊結芽としての私はこれで終わり。

 ここからは──新しい人生のスタートだ。

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