旅立つあなたから旅立つ私

いち亀

旅立つあなたから旅立つ私

「世界で一番、君の恋人に似合うのが私だから」

 魔法みたいな言葉で彼女に告白された日から、今日でどれだけ経っただろうか。

 

 日が昇る前の駅のホームで、並んで立つ私たち。

「寒い?」

 心配する彼女へ、私は笑って答える。

「大丈夫だよ。さっきまでのあなたの熱、残ってるから」

 腕時計に目を落とす。彼女が乗り込む電車の到着まで、後五分。

 

 それが、私たちが恋人でいられるタイムリミットだ。


 私にとって彼女は、憧れであると同時に手の届かない存在だったはずで。彼女の恋人でいられた日々は、切ないくらい色鮮やかで。

 けどやっぱり、私と彼女では、生きる速度が違いすぎた。


「気を付けてね、あっちでの生活」

「任せてって! 君も……できれば、いい子を見つけてね」


 夢を追いかけるための長い旅路の最中さなかで、遠い故郷ふるさとで別の道を歩む私を、恋人として心に置いておけるのか。

 恋人のそばにいられない、駆け付けることもできない、そんな自分を許せるのか。

 彼女は何度も何度も悩み抜いて。


「きっと君を煩わしく想う。そんな自分を許せないから」

 それが彼女の答え。

 旅立つ今日を最後に、私たちは恋人を辞める。


「もう、あなたが心配することないよ。きっとあなたが思っている以上に、私だけでも平気だから」

 彼女に言い聞かせるように、そして自分に暗示を掛けるように。熱の残る唇が、寒々とした未明の空気を震わせる。


「だからこれは、過去形のお話なんだけど」

 それでも。旅立つ彼女へ、最後に伝えたい「私」がいた。


「大好きでした。輝いているあなたが、誰より綺麗で格好いいあなたが、私を選んでくれたあなたのことが。そんなあなたが選んでくれたから、私は私をやっと好きになれました」

 最後の告白に目をみはる彼女を、柔らかな朝日が照らす。

「あなたのために生きている私しか、意味がないって思ってたけど。あなたが導いてくれた私だから、きっと独りでも大丈夫です」


「――私だって!」

 涙を溢れさせながら、彼女は私の胸に飛び込む。

「君が好きだ、大好きだ大好きだ、誰より何より! 君が私を作ってくれたのに、こんなに温かい心をくれたのに、なのに私は」


 その次の言葉は、私には分かってるから。

「もう謝らない、ね?」

 少し強い声で、彼女の言葉を遮る。涙を拭いながら頷く彼女は、もう会えなくなるからなのか、最高に美しくて。


 最後なのに、私は口に出してしまう――最後だから、伝えておく。

「今日のあなたが、これまでで一番可愛い」

「なに、それ」

「ほんとは、結婚するときのために取っておいた台詞なんだけど」

「……え?」

 

 迫るレールの音。到着を知らせるアナウンス。

 言葉を紡ぎかけた彼女の唇に、キスで封をする。

 これまでのどんなキスより甘い、涙の味。


「行ってらっしゃい、またね」

 抱き合ったまま囁いてから、肩を押す。

「行ってきます」

 涙は止まらないまま、彼女は答える。開いた電車のドアの向こうへ、彼女は踏み出す。


「――さよなら」

 二人の別れの挨拶の余韻を、閉まるドアがかき消した。


 そして、窓越しに彼女が見せたスマホの画面に映る文字は。

「forgive me not」

 

 きっと、そんなことを言うと思っていたから。私も、文章を打っておいた画面を見せる。

 これが私の、最後のお願い。


「私があなたを誇るように、あなたがあなたを誇れますように」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

旅立つあなたから旅立つ私 いち亀 @ichikame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ