一 依頼
一 依頼
「長時間の御移動、誠にお疲れ様でございました」
そう言って正義の座る側の扉を開けたのは、執事の岡本(おかもと)誠一(せいいち)という男だった。
富谷邸への道すがら、善則の元で長いこと勤めていると話していた通り、落ち着いた話し方や丁寧な立ち居振る舞いが板についている。
黒い執事服は皺ひとつなく、歪みのないリボンタイからは彼の誠実さが窺えた。
そしてまた、よく伸びたスラックスのセンタークリースは足の長さを表していた。
年はもう四十に差し掛かっていると言ったが、端正な顔つきは今も若々しく、目元に少し寄った皺が彼をより優しげに見せている。
そんなスタイルも顔つきも、そしておそらく性格も理想的な彼を見て、若い頃は随分女性に人気があっただろうと正義は思った。
「ありがとうございます」
誠一へ礼をしながら、正義は自分の荷物を持って車から降りる。
余程家を自慢したかったのだろう、結局善則の強い押しに負けて、この屋敷に一晩泊まることになった彼の鞄には、一日を過ごす分の荷物が入っていた。
顔を上げると、そこには左右対称の見事な洋館が見える。
善則の言うとおり、市内から離れたこの高原には富谷邸が一つぽっかりとあるだけで、あとは近くに建物を思しきものは見当たらなかった。
誠一の案内で屋敷内に足を踏み入れると、印象的な大階段があったものの、傲慢で卑しい善則の姿からは想像もつかない、趣味のいい内装が広がっていた。
あの男ならギラギラとしたシャンデリアをぶら下げたり、えらく色のきつい大きな壺を置いていたり、ともすればツキノワグマの剥製なんかがさも自慢げに飾られているのだろうと半ば楽しみにしていた正義は、階段の下に品よく飾られた薔薇の花に毒気を抜かれてしまった。
「旦那さまは二階に居られます」
拍子抜けをしている正義を尻目に、こちらへと言って誠一は歩を進める。
正面に構える大階段は中腹で西側と東側の二手に分かれており、誠一はその西側の方を上がってゆく。
「いやあ、見事ですね。正直、驚きました」
「こちらのお屋敷には亡くなった奥さまのこだわりが強く出ております。普段の旦那さまを知る方々は皆さまそう仰います」
感嘆の言葉をはく正義に、誠一は嬉しそうに笑う。
そして、あの薔薇は自分が生けたものだという事も話してくれた。
ゆるやかな階段を上がりきると、誠一はすぐ見えた部屋の隣の扉へ向かい、そこを三度ノックした。
「旦那さま、多田さまがお見えです」
そう声をかけると、扉の奥から「ああ、入ってくれ」と言う善則の声が聞こえたので彼はまた丁寧な仕草で扉を開けると、部屋の奥には先日会ったばかりの善則の姿が見えた。
善則は奥にあるデスクから立ち上がり、部屋の手前の二脚あるソファの片方にその重そうな身体を下ろした。
「やあ、多田くん。遠いところ悪いね。掛けてくれ」
「これはどうも、富谷さん」
正義にそう声をかけた善則の姿は先日の同窓会よりは控えめだったが、首元に巻かれた柄物のスカーフなんかは特にこの屋敷からは酷く浮いている。
「私に似合わない家で驚いたろう」
善則は正義の考えていることが分かったのか、笑いながらそう言った。
「ええ、貴方にしては控えめで、しかしセンスのいいご自宅ですね。なんでも奥様の御趣味だとか」
「ああ、とは言っても、妻はもう何年も前に死んだがね」
彼は手を組んでしみじみと言った。
吊り上っていた太い眉を歪め、髭の残った口元を無理やり上げる。
その表情は今まで見せていた強欲そうな顔とは違い、一人の夫としての顔のようにも見えた。
そんな彼の表情に胸を衝かれた正義は、思わずため息を小さく漏らした。
「お悔やみ申し上げます」
「ああ」
「――貴方が大人しく言う事を聞いたほどです、さぞ素敵な奥様だったのでしょうね」
正義がそう告げると、善則の目尻が少しだけ下がる。
「……そうだな」
低い声で一言だけ答えた善則の姿に、正義は息を飲んだ。
それは善則の妻に対する愛情への大きさに驚愕したからであった。
正義は内心驚きつつ、言った。
「そんな大事な奥さまが残した場所で事件とは、悲しいですな。早く解決させてしまいましょう。――盗難について詳しく教えて頂けますでしょうか」
彼は懐から小さな革張りの手帳を取り出すと、適当なページを開きながら善則に問いかける。
声のトーンを少し落としたその様子は、まさに探偵と呼べる頼りがいのある姿だった。
善則は組んでいた手を話すと、その手を今度は顎に持って行く。
そしてやや逡巡した後、分厚い唇を持ち上げた。
「ホテルで言った通りだ。コレクションルームから私の腕時計やナイフなんかが何点か無くなっている」
そう言うと、善則はやや残念そうに首を振った。
「盗品リストなんかはありますか?」
「そんなもの、あるわけないだろう」
彼は、やや煩わしそうにそう吐き捨てた。
先ほどまでの慈愛に満ちた表情が嘘のようだった。
しかし正義は気にしていないような素振りでふむ。と考え込むと、また問いかけた。
「では、可能な限り盗まれたものを教えてください」
彼がそう言うと、善則は大きく鼻を鳴らしたあと、おもむろに口を開いた。
「そうだな。……ロレックスが何本か、パテック・フィリップのノーチラスが一本、いや、これはかなり気に入っていたんだがな。あとはウブロのビッグバンが二本。そして細工が気に入って購入したフランス製のナイフ、純金のブレスレットなんかも無くなっている」
「小さくて持ち運びのしやすいものばかりですね。それらは一緒の部屋に置かれていたんですね?」
「ああ、一階のコレクションルームにすべてあったよ」
「無くなったと気付いたのはいつごろですか?」
「盗難に初めて気付いたのは、半年ほど前だったか」
「最後に盗まれたのはいつ、どんなものでしょうか」
「あまり頻繁に見てはいないが……。先一昨日に見た時には、ロレックスとフランス製のナイフが無くなっていたよ」
「ちなみに、それらの金額は覚えていますか?」
善則は天井を仰ぐと、その状態のまま答える。
「いやあ、あまり値段は気にしないからな。時計は三、四百万くらいのもあっただろう」
「素晴らしいですね」
「まあ社長としていいところを見せないといけないからね、これくらいは」
「――そういえばあの時言っていた奇妙なこと、というのが知りたいのですが」
「……奇妙なこと?」
「ええ、盗難と同時に気がかりなこともあったと仰っていましたよね?」
「ああ、そんなことも話したね。いや、一度だけ私の机に入っている現金が無くなっていたことがあって」
ちょうどそこの机だ。と言って窓側に置かれていた自身の机を指差した。
普段はここで仕事をするらしく、机上にはデスクトップが置かれている。
引き出しには仕事関係の書類や印鑑が入っている他に、急に必要になったときのために現金を少し入れているのだという。
「ちなみに、盗まれた現金はいくらですか?」
「十万円きっかり。いつも同じ額入れてある」
十万、正義はそう口の中で小さく呟くと、手帳に書き込んでいたペンのノック部分をこめかみにあてて考えた。
「高価な時計などを盗む人間が、現金十万円を盗むとは思えませんねえ」
「そうだろう」
「場所も、今まではコレクションルームから盗んでいたのに」
「そう、そこが私も気になってはいたんだ」
「急に入用になったのだろうか?」
思案を巡らせていた正義がそう呟くと、善則はああ、違うと手を振った。
「現金はもう戻って来ているんだ」
「――はい?」
善則の言っている意味がわからず、正義は小首をかしげる。
「確かに一度現金を入れた封筒が無くなってはいたんだが、二日ほど経ってまた戻って来ていたんだ」
今はまた引き出しに入っているよ。と善則は続けた。
それから彼はまた重そうな腰を上げると、引き出しから白い封筒を一つ取り出して、正義の手に握らせた。
正義は渡された封筒をじっと見つめる。
「現金を盗んだ犯人が返した、ということでしょうか」
「奇妙なこと、だろう?」
そう善則は笑った。
絡み合う縁(えにし) さつき @azuma-novel
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