絡み合う縁(えにし)

さつき

序文

序文



 市内を離れて一時間ほど経っただろうか。

 多田(ただ)正義(まさよし)を乗せた車は、賑やかだった景色を通り過ぎ、やがて民家も無い寂しい道を走っていた。


 そしてもうこの車だけが走っているのだろうと思われるようなそんな人気のない山道を行くと、やがて背の高い門が見えてきた。

 センサーか何かが反応したのか、その立派な門はゆっくりと口を開くと、車を快く向かい入れる。


 やがて車が完全に停止し、運転手の男が一足先に降りる姿をぼんやりと眺めながら、正義は、高級車はやはり振動が少なくていいなとその乗り心地の良さに感心した。

 そしてその運転手によって座席の扉が開かれると、彼はようやくその屋敷を仰いだのだった。

 

 彼の視線の先には、福島のとある高原にそびえ立つ豪邸――富谷邸が、荘厳な面持ちで鎮座している。

 

 家を出た時よりも強くなった雨に鬱陶しさを感じながらも、目の前に立つ豪邸に正義がやや胸を躍らせたのは確かだった。



 ――正義が富谷(とみや)善則(よしのり)から仕事の依頼を受けたのは、六月に行われた高校の同窓会の席でのことだった。

 黒髪と白髪が混じって灰色になった髪を整え、いつもより洒落た格好をした正義は、とあるホテルの大会場でシャンパンを片手に旧交を温めていた。

 

 すでに仲の良い友人らと語り尽くした正義は、せっかくいい所に来たのだからと思い壁に並ぶ豪華な料理を眺めていた。

 そのどれもがあまり目にしたことのない、複雑な形状をしており、また、その色鮮やかな色彩も正義の興味をそそった。

 

 そして正義がこういう――例えば今彼の目の前にあるサーモンのカルパッチョ――料理を見る度に思うことは、鮭と大葉、オリーブなど、彼らが生きていく中で決して縁のないもの同士が、死後どうして一つの料理として成立するのだろうかということだった。

 

 海や畑や山で別々に育ったというのに、今正義の前で大きな一枚の皿に乗っているこの光景が不思議で堪らなかったし、それを目にする度に彼は、縁というものを強く感じるのだった。

 

 そんな物珍しそうな様子で料理に釘付けになっている正義に、大きな影がゆっくりと近づいてゆく。

 その大きな影はついに正義の真後ろまで来ると、ふいに彼の肩を分厚い手で叩いて驚かせた。


「やあ、多田くん。懐かしいね」

「これは、富谷さん。お懐かしいです」

 

 正義がやや面食らった様子で振り返ると、そこには黒いスーツにボルドーのシャツを合わせた派手な格好をした男、富谷善則の姿があった。

 正義の肩を叩いた手と逆の手には、深みのある色と芳醇な香りを漂わせたワイングラスが、天井に吊るされているシャンデリアの明かりを受けて輝いている。


 彼は正義の顔を見るなり、昔と変わらぬ傲慢な態度で声をかけてきた。


「そんな他人行儀はよしてくれ。昔馴染みじゃあないか」

「私は昔からこんなもんです」


 正義がそう突っぱねたように答えると、善則はそうだったか。とどこか満足気にうなずいてから続けた。


「いや、それにしても懐かしい」

「ええ、本当に。三十年ぶりくらいでしょうか」

「そんなになるか。どうだ、元気にしていたかね」

「はい。お陰様で大きな病気をすることもなく、元気にやっていますよ」

 

 彼は善則の問いにそう答えると、「あなたはいかがですか?」と尋ねた。


「まあ、身体の衰えは感じつつあるな」

「それが年というものでしょうな」

「仕事も忙しくてあまり休む暇もないから困っているんだ。……そういえば、今君は何をしている? 私はちょっとした会社を経営していてね。だから君のほうはどうだ、成績も良かっただろう。いいところにお勤めかな」

 

 彼が持っているワイングラスが揺れる度、腕にかかる趣味の悪い金のブレスレットも照明を反射してきらきらと光っている。

 そしてその光が正義の目に当たるたびに、彼の中で善則への鬱陶しさが増すようであった。

 

 しかし当の善則はそんな正義の心情には気付いていないようだった。

 人の悪そうな笑みを浮かべながら正義の方を見ている。

 

 ――善則は大学在学中に企業を起こして成功した、いわゆる成金と呼ばれる類の人物であった。

 

 そんな彼のことはもう皆に知れ渡っているというにも関わらず、こうしてわざわざ自慢気に話す彼に正義は心底うんざりしていた。


(――この人はいつもそうだ)

 

 正義は心の中でそう、ごちた。

 

 どうして自分に興味を持ったのかは定かではないが、善則は学生時代のころから何かと正義の存在を気にしており、正義の成績、クラスでの立ち位置、所属する部の活動など些細なことまで張り合って来ていたのだった。

 学生時代からマイペースだった正義は、善則のその挑発めいた行為に乗ることはなかったが、かといって目の上のたんこぶと言える彼の存在をあまり良く思っていなかったのも事実であった。

 

 大学への進学と同時にその呪縛は解かれたが、彼の性格は今も変わらぬようで、むしろ年を重ねたことでさらに嫌味が増したように感じられた。

 

 正義は思わず漏れそうになったため息を寸でのところで押し殺して、無理やり笑顔を作って口を開いた。


「あなたに自慢できるような立派な仕事に就いてはいない、とだけお伝えしましょう」

 

 正義のその言葉に、善則は勝ち誇ったような笑みを隠すそぶりも見せずに言った。


「また。私立探偵をやっていると耳に挟んだよ」

「ええ、まあ……」

 

 敢えて私の口から言わせようとするなんて、本当に意地の悪いやつだ。と正義は心の中でごちた。

 善則は、正義が学生時代に警察官を目指していたことも、その夢があえなく砕けたことも、そしてやむなく探偵という職に就いたこともすべて知り尽くしたうえで彼にこの話題を振ってきたのだ。

 

 そして経営している会社が好調な自分と、惨めな正義との差を知らしめることによって正義を今度こそ完全に屈服させようと試みたのであった。

 善則は続ける。


「すごいじゃないか、探偵、とは。もっと自慢していいことだよ。胸を張れる仕事だ。君にもぴったり合っているね」

「それは、どうも」

「……そうだ、いい機会だ。一つ君に仕事を頼むことにしよう」

「仕事?」


 突然善則から出た仕事という言葉に、正義は怪訝な顔で聞き返した。

 善則の方といえば、そんな正義の表情は気にも留めないで納得したように二度うなずくと、言った。


「ああ。実は家で少し盗難事件があってね」

「盗難事件ですか」

「いや、そんな事件と呼べるような大それたことじゃあない。私の持ち物が少し、そうコレクションの時計なんかが少し無くなっているようでね」

「ほう、それは大変ですねえ」

「まあ数はあるからちょっと無くなったところで困るようなことでもないんだが、せっかく探偵と呼ばれるような人がここに居るんだ。その犯人を暴いてくれないか」

「――そういったことは警察に相談してみては?」

「いや、さっきも言ったがそんなに大それたことじゃないさ。警察に言うと同時にマスコミにも伝わるだろう。ウチは結構名前が大きい会社だからね。こんなネット社会じゃあすぐありもしないことを書かれてしまう。それよりは君のような、細々と活躍している探偵にお願いするのが一番いい。家はちょっとした高原にあって近くに家もないから、犯人は内部にいるだろうしね。まあ、少し奇妙なこともあったが……」

「奇妙なこと?」


 正義は興味深く目を細めた。


「詳しくは後日話そう。まあ、友人の家に遊びに来るような感覚で来てくれて構わない。謝礼は弾むよ」


 言うだけ言って、善則はまた喧噪の中へ消えていった。

 学生時代から碌な事をしない善則とは極力関わりを持ちたくなかったが、彼の言う奇妙なことという言葉に興味が湧いた正義は、どこから知ったのか自身の探偵事務所に送られてきた依頼状に、しぶしぶ了承したのだった。

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