間章Ⅰ<予言>

 終課の祈りの声が波のように聞こえてくる。


 礼拝堂に集う人々や僧侶たちは皆膝をつき、目を閉じ、両手の指を組んで額に当てて祈る。神へ捧げる祈りの所作は典礼書に定められているのだ。


 居並ぶ者たちの中で、僧侶とごく一部の敬虔な者だけが小さく祈りの言葉を口にする。唇を大きく動かすことなく、囁くように祈る。祈りとは神に捧げられる奉仕の一つであり、それは己の魂が神へと近づくことを意味していた。瞳を閉じ、大いなる神の眼前で跪く者が高らかに祈りを唱える必要があろうか。神を讃え、己の罪を懺悔し、許しを請う。沈黙は金、囁言は銀。


 祈りを捧げる者たちの中に、数人の冒険者がいた。その者らは聖職にありながら地下迷宮へと潜り、魔物を打ち倒す者たち。神に愛されるこの地を穢すものには、慈悲をかけてはならないと教えられていた。


 僧侶たちは戒律により帯剱を禁じられていた。剱はすなわち命を奪うもの。たとえ神の威光を守るためとはいえ、不用意に血を流すことは禁じられていた。そのため僧侶たちは戦棍メイスを手に地下迷宮に潜り、仲間を癒し守りつつ戦うのだ。


 そうした者たちの中に、一人の男がいた。名はアムレイズと言う。


 深い緑色をした髪は緩やかな波を描いて俯く顔を隠す。彼もまた、組んだ両手を額に当てて祈る。紺色の僧衣に身を包み、日没後の終課に参列しているのだ。


 神に仇成す者とはいえ、今日もまた血を流した。数多の者を打ち倒し、殺めた罪深き私を赦し給え。そして憐み給え。我は大いなる神の信徒なり。


 半時間にも及ぶ祈りを終え、神を讃える聖句で締めくくろうとしたときだった。


 アムレイズの視界に、ある光景が映りこんだ。


 視界、という言葉は正確ではない。何故なら彼は祈りのために目を閉じているのだから。幾度となく思い描き、身を捧げてきた神の光をはっきりと脳裏に刻み付けていたのだから。


 真摯な祈りをも打ち消したその光景。それはアムレイズの精神を揺さぶるのには十分すぎた。


 名も知らぬ一人の女性が立っていた。周囲の様子は分からない。暗く閉ざされた視界の中、女性だけが不思議と明瞭に見えた。女性は憂いを帯びた表情のまま、足元を指差す。


 示されるままに足元に目を落としたアムレイズは見た。血染めの鎧。見間違うことなどない、それは共に地下迷宮で戦うカルファインの鎧だった。


 何故だ。何を意味しているのだ。この幻はなぜ自分にこのような光景を見せるのだ。


 問おうと顔を上げるアムレイズだったが、言葉は出ない。喉から声を絞り出すことがこんなにも苦しく難しいものだったとは。


 女は続けて指を開き、左右の掌を広げて見せた。そのときになって初めて、アムレイズは女が黒い長衣を纏っていることに気づいた。


 左の掌には大きな穴が穿たれていた。不思議なことにかなり深い傷であるにもかかわらず、出血している様子はない。傷口は古く、しかし癒えてはいないのだ。


「これは堕落の証、我が身に刻まれた罪の証。それでも私は貴方に伝えたい……この地に満ちる災厄を」


 災厄。それは王女の永劫の眠りに捉えた呪詛か。


「どうか覚えていてください。私は妹を……そして私を慕うものたちをも裏切った……しかしそれは」


 映像は途切れた。


 幻は、いつしか彼の前から姿を消していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新編 災禍の都 Episode1 不死鳥ふっちょ @futtyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ