第一章第四節<Russell, the dark elf>

 ラッセル。


 それはザムとは別の冒険者を率いている、ダークエルフの魔術師の名だった。


 冒険者らの実力は、自分たちに勝るとも劣らない。事実、どちらが先に王女昏睡の真相に到達するかと思われるほどに、両者の実力は拮抗していた。


「奴、か」


 ザムは苦々しげに呟いた。眉間には深い皺が刻まれ、鋭い視線は虚空に向けられている。


 彼の脳裏には、かつて迷宮内で遭遇したラッセルの部隊の信じられぬ一幕を回想していた。





 それはまだザムがカルファインらと出会うよりも前。


 ザムは一人の戦士と僧侶、そして二人の魔術師と地下迷宮に挑んでいた。


 その日は度重なる不死族との戦闘のため、僧侶の祈祷力の消耗が激しかった。不死族との戦闘においてもっとも留意すべき点は、生命力の減退にあった。


 体力と生命力は異なる。体力は訓練によって増すことはできるが、生命力は鍛えることが難しく、そして加齢とともに減少していく。そもそも、生命力は一人ひとりがもって生まれた魂の力そのものであり、それ故生命力が無くなってしまえば、人は衰弱して死んでしまう。


 不死族は、この力を狙うのだ。


 蠢く骸骨スケルトン彷徨う死体リビング・デッドといった、低位の不死族であれば生命力を奪うことすらできない。しかし徘徊霊ゴースト簒奪怨念ライフ・スティーラーなどの中級の不死族ともなれば話は変わってくる。生命力を奪われるということは魂そのものが弱まることを意味し、筋力や思考力、肉体の巧緻性など戦闘に必要と思われる能力が軒並み低下してしまう。


 ザムらはこれらの中級不死族に幾度となく遭遇し、二人の魔術師が交互に呼び出す火炎と炎の渦によって撃退を繰り返していたが、ついに限界に達してしまったのだ。


 地下迷宮ではいくら用心してもしすぎるということはない。地上までの道程を踏破するだけの余力を残しているうちに撤退を始めなければ、道半ばで斃れることとなる。


 ラッセルとは、そうした帰路で遭遇した。


 それは第二層であった。力さえ十分であれば苦戦するような魔物はいない。霧の姿をした獣魔や異常発達した齧歯類、そして冒険者の遺した金品を狙うごろつきども。そのどれもが、ザムらにとって脅威となることはなかった。


 もう少しで第一層への梯子に到達するという小部屋に、ラッセルはいた。


 迷宮内でほかの冒険者に遭遇するということは、ほとんどの場合友好的な邂逅となることはない。さすがにいきなり攻撃を仕掛けてくるという無法地帯ではないにしろ、まるで見えていないかのように振舞うことが一般的であった。


 無論、相手が命を落とした仲間を連れていたり、激しく傷ついていたりすることもあった。冒険者が今よりもずっと多かったころは、己の力を過信するあまりに全滅の憂き目に会う者たちもいた。


 だが、ラッセルたちは奇妙であった。


 一人の若い男だけが武器や鎧などの装備を外されていた。否、男は冒険者などではなかった。


 巨漢の戦士との言い合いの言葉から、若い男がラッセルの仲間と酒場で賭け事をし、いかさまをして銀貨を巻き上げていたらしいことが分かった。おおよそ酒場から連れ出され、この第二層へと運び込まれたのだろう。


 およそ魔物との闘いなどしたこともないだろう男は半狂乱になっていた。どこをどう進めば地上に戻れるかもわからない、第一身を守る武器も鎧もない。たった一人で魔物と出会うようなことがあれば、生き残れる望みなど万に一つもない。


 男は必死になり、石畳に額を擦りつけながら何度も謝罪していた。巻き上げた以上の金も詫びに払う。もう二度と姿を現さない。しかしラッセルは首を横に振るだけだった。


 ラッセルが激昂したのは、仲間を男に侮辱されたことだったのだろう。顔を脂汗と涙まみれにしている男の胸倉を掴んだ戦士は、隣の部屋に続く扉を開け、男を突き飛ばすようにして部屋に入れた。


 よろけつつ尻餅をつく男。彼の周囲で白い靄が渦巻いていた。


 霧の獣魔だ、とザムは見抜いていた。そして武器を持っていたとしても、それなりの腕がなければ勝てぬ相手だった。


 無防備な男は立ち上がり、ラッセルたちのいる部屋に戻ろうとして、霧に阻まれた。最初は戯れのように、男を部屋の中央に押し返すだけだった。しかし幾度も諦めようとしない男に腹を立てたのか、煙から雄牛の頭が出現した。


 雄牛の怒号が部屋に響き渡る。戦意を喪失した男の背中を、実体化した馬の蹄が蹴りつけた。霧とはいえ太い角が男の鳩尾に直撃し、男は苦悶に身をよじる。


このままでは男は獣魔に嬲り殺される。そう考えたザムはラッセルに詰め寄った。男を解放しろ。お前が何を怒っているかを詳しくは知らんが、さすがにやりすぎだ。


 しかしラッセルは嗤っていた。唇の端を釣り上げ、納得しなかった。部外者が口を挟むな。短く言い捨て、まるで見世物のように嗤いながら男を眺めるだけだった。


 膝をつく男に四方八方から容赦のない蹄による蹴りが浴びせられていた。最早立ち上がることすらできなかった。額から血を流す男の口に、霧の蛇が入り込んだ。


 声すら出せなくなった男の体がびくびくと激しく痙攣した。喉を噛まれたのかと思ったザムの鼻孔に肉が焦げる匂いが届いた。


 生きながら腹の中を炎で炙られていたのだ。蛇がゆっくりと吐く炎にゆっくりと肉を焼かれ、逃げようとすると蹄で蹴りつけられる。鼻から黒い煙を上げながら、男は絶命した。





「よりによって……奴か」


 ザムは長く深い溜息をつき、肩を落とした。


 指輪がいかなる力を持つとはいえ、ラッセルがそれを魔物相手にのみ振るうとは思えない。強大な力であればなおさら、ラッセルの持つ被虐的な欲望を叶える悪夢となろう。


 しかし、今やそれを止める方法はない。ラッセルが非道なやり方で指輪を奪い去ったのならともかく、彼は正規の金を払い、店から買い取ったに過ぎないのだ。


 ザムは胸中の淀みが杞憂に終わることだけを願い、仲間を連れて店を後にした。

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