第4.5話 科学考ノ後

「あ、そうそう。昨日、あり得ないと思われる科学の完成形について、ずっと話してたわけだけどさ」


 日がのぼり朝食を済ませていくらかした頃、私の元に彼女がやってきた。朝っぱらから、異性の下宿先にアポなしで来るんじゃない! と言いたかったが、機先を制する形で彼女はそう言ったのだった。


「あー、あの話か。どうかしたのか?」

「どうもこうも、少し面白いことに気がついちゃってさ」

 彼女の言う面白いことに対して、私は一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

「少し、無駄話でもしようか。いわゆる悪魔の証明じみたものになるけれど」

「悪魔の証明ねえ……」


 悪魔の証明とは、消極的事実の証明である。例えば、東京に蛇がいることを証明する時は、単純に東京から蛇を見つければいいだけなのだが、反対に、蛇がいないことを証明する時は、(本当に蛇が存在しないとして)東京をくまなく探し回り、いないということを示さなければならない。これは、事実上不可能であろう。このように、『ないことの証明』に代表されるように証明が困難、または不可能な証明を悪魔の証明という。


 しかし、昨日の話と言えば、完成した科学について考えたアレであろう。それとこれといったいどのような関わりがあるというのだろうか。


「そう、悪魔の証明になったちゃったんだ。本当は昨日言っていた娯楽について考えてただけなんだけどね。そしたら、結局、もう科学がすでに完成してしまっているのではないかという可能性に思い至っちゃったんだ」

「は? でも、アンタは確か科学の完成はあり得ないって」


 私は突然彼女が言い出したことに面食らった。その説は『科学が完成することはあり得ない』と主張していた今までの彼女の立場から逸脱するものである。

 だけど、彼女は首を振った。


「いや、私自身、科学の完成はあり得ないと思っているよ。でも、例えばの話として、科学はもうすでに完成している可能性は大いにあると思うんだ。というか、オカルト研究会である僕達があり得ないって言っちゃいけないでしょ。そのあり得ないの中に生息しているのが、オカルトなんだからさ」

「そう言われれば、そうだけど……」


 私が出したお茶を彼女は半分程度飲み、それから話し始めた。


「まず、私は未来の娯楽について考えてみたんだ。最初は、ゲームとかそういう路線で考えていたんだけど、ほら、人間の欲求って他にもあるよね? 例えば運転したいとか、料理を作りたいとかさ。でも、私が思うに、科学が完成した世界では、人類が運転する必要も、料理する必要もない。というか、むしろ邪魔になっちゃいそうだ。前者は、交通事故を引き起こし、後者は無駄に資源を消費したとか言って。じゃあ、誰の邪魔もせず、そういう欲求を全て叶えるにはどうすればいいかな? ゲームも運転も、料理も全てできるようになるためには」


 彼女は人差し指を立ててにやりと笑った。この表情は、彼女が結論を言おうとしている時に出されるものである。普段は、私が最初に論を展開するためかあまりその表情は見られない。私自身、久しぶりに見た。


「ずばり、VRだよ。――バーチャルリアリティ」


 ここにおいて、科学と悪魔の証明が繋がった。科学にVRと来れば、この後の話がある程度は予想できる。


「つまり、アンタはこの世界こそが、科学が完成した世界で生み出されたゲームだと言いたいわけだな」

「いえーっす。正解!」

「じゃあ、さしずめ私とアンタを含め、殆ど全ての人はNPCと言った所かな?」


 先程まで、うんうんと満足そうに頷いていた彼女は、しかし、私のその発言を聞いて、両手で口の前でバッテンを作った。


「ブー。違いまーす」


 思わず、右手がうずいたのだが、まあアレだ。紳士たる私が女に暴力を振うわけがないのは自明の断りであるからして、これは、季節外れの厨二病の再発か何かであろう。

 断じて暴力に訴えようとしたのではない。私はガンディー並の自制心を持っているのだ。


「僕が思うに、人類の全てがプレーヤーだね。で、元の世界の記憶を消して、この世界をプレイしているんだ。いや、もしかしたら或いは人間以外の何かにもなっているかも知れないね。虫とか鳥とかに。そういう特殊な願望を持った人もいるだろうし。そう考えれば、死後の世界を考えることは次の自分の役目を考えていると言うことになるね。じゃあ、前世は以前やっていたロールだ。今流行の異世界というのは、別のバーチャルリアルなのかも知れないね」


 続いて彼女は私の布団を指さす。


「そして僕が思うに、睡眠とは充電時間だと思うね。一時的にログアウトして、充電したり人類の本当の肉体が食事を摂ったりするためのような。だから眠らないとならないような構造になっているんじゃないかなあ。ショートスリーパーの人はいい機械を使っているのかな? 充電が速く済むような。もしそうだとしたら、偉人にショートスリーパーが多い理由も何となく説明が付きそうだけど」


 ほとんど彼女の想像の域を出ない話であるが、逆にそれを否定することはできなかった。悪魔の証明になってしまうからである。しかし、納得いっているかと言われると私は断じて否であった。そもそも、科学が完成しているという前提が呑み込めていないのだ。仮定の話ならばまだ水に流せたのだが、現時点で完成していると言われても、唯々諾々いいだくだくと呑み込めるはずもない。

 私はそのことを主張したが、彼女はあっけらかんとこう答えた。


「だから、これはまず、この世界の話じゃないよね? 確かにこの世界では科学が完成するとは思わないけど、他の世界だったらあり得るかも知れないじゃん。僕達は今その世界の話をしているんだよ」


 言われてみれば、確かにその通りであったが、でもまだ納得がいかなかった。正々堂々戦おうとしていたのに、番外戦術で負けてしまったような腑に落ちない感がぬぐえないのだ。

 私は再度異議を申したてようかと思ったのだが、結局、その言葉が出ることはなかった。


 私は冒頭の彼女の発言を思い出したのだ。


 ――少し、無駄話でもしようか。


 無駄話で熱くなってどうするのだ、私は。

 未だ夏の厳しい暑さを送り続ける太陽に呪詛を送り、八つ当たりしつつ、私は自分のお茶を飲み干した。

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大学生語適当事 現夢いつき @utsushiyume

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