第4話 科学考

「例えば、何だけどさ。仮に世界にはびこる謎が全て暴かれて、科学が絶対的なものとなったとして、君はその完成した科学で人類は何をすると思う?」


 なるほど、今回は全知全能となった科学について考えるのか。

 ……いや、ちょっと待て。


「私達が最初に何を話し合ったのか、まさか忘れてはないよな?」

「うん。科学は魔法に取って代わられるという結論になったあれでしょ? あはは。まだ一ヶ月も経っていないのに忘れるわけないじゃん」

「その一ヶ月もしないうちに、矛盾が生じてると思うんだが?」


 当たり前のように私の下宿先に居座っている彼女は、地べたであぐらをかきながら小首を傾げた。

 曲がりなりにも女性であるのなら、是非ともスカートであぐらをかくのは止めていただきたいのだが、以前そのことを指摘すると、

「正真正銘、女の子だからね、僕!」

 と逆ギレされてしまった。当時は、たけのこ組ときのこ組に別れて冷戦が繰り広げられていたので、その影響もあったのだろうが、とにかくあれ以後指摘するのが怖くなって私は彼女の振る舞いに何も言わなくなった。


 私が彼女に負けたのではない。あれだ、日露戦争みたいなものだ。一時的に撤退して体勢を整えようとした折に、戦争を終わらせることができそうだったから条約を締結した、みたな。

 私は、紳士たる私は、言い合いに負けてなどいないのだ。

 ともあれ、そんな回想など今は置いておこう。それにこの回想をこのまま続けてしまっては一つのお話ができあがってしまいかねない。あんな見苦しいものを一つの話として紹介するなんて正気の沙汰とは思えない。


 閑話休題。


 小首を傾げた彼女は言った。


「いや、別に矛盾してないからね? 仮定の話だし、その都度変わるし。というか、そもそもこれは僕が言い出した仮定の話じゃないからね?」

「でも、アンタ以外に誰がそんな面倒くさそうな仮定を思いつくんだ?」

「えーっと、武藤さんていう子だよ? 今日たまたまお昼が一緒になって、その時にネタを募集したら、面白いのを提供してくれた」

「あー。なるほど。確かに興味深い話だな。……オカルト研究会の活動という名目がなければな」


 私の言ったことの意図を汲み取れなかったのか、彼女は不思議そうな表情を浮かべた。まるで何も分かっていない表情である。


「ほら、えーっと。私達はオカルト研究会だけどさ、オカルトって不思議なものであるという前提の元に成り立っているものだから、ほら、その。オカルトを全否定しかねない題材を私達が扱うってどうなんだと思って」

「ああ、それなら別に大丈夫でしょ。前回の命の価値もオカルトと言うより哲学的だったし、というか、僕達が話す内容って全て哲学っていう風潮あるし」

「もう、いっそのこと『哲学研究会』とかにするか?」

「あははは! それこそ、哲学を極めようと志している者達に袋叩きにされちゃうよ。この程度で哲学を語るか! って」


 ありそうでゾッとする話であった。

 もっとも、この調子ではオカルトを心の底から愛していられる方々から制裁を受けかねないのだけど。双方からリンチに遭う可能性も否定できないのが恐ろしいところである。

 とはいえ、そのような話題が来てしまった以上は何かしらの答を出さなければならない。


 私は十数分くらいの時間をかけて持論を整理した。

 以前は、科学の片鱗を感じ取るだけで、文系を免罪符に思考を放棄していたのだが、いくつもの――具体的には三つ――の経験を通して、こういう場合は案外言ってしまったもの勝ちであることを学んでいる。

 適当に言ってしまって、それから理論の部分で帳尻合わせを行えば、それっぽいものに仕上がるのである。

 最後にもう一度頭の中でシュミレーションを行ってから、深呼吸する。


「私が思うに、人間は機械の奴隷になると思う」


 私がそういうと彼女は満足そうに首を上下させた。どうやら今回も前回に引き続き、同じような考えらしかった。……そろそろ、意見が真っ向からぶつかるような話題がほしい所だが、そうなったらそうなったで私がボロボロになりそうだから、来ないでほしいとも思ってしまう。

 それに、彼女と意見が同じだと不思議な自信が生まれてくるのだ。自転車に乗るための練習中に父が後輪を掴んでくれた時のような安心感がある。


「専門化ってあるよな? 様々な分野を深く深く掘り下げていった結果、細かいことは分かるけれど全体的なことは分からないというような。過去の偉人なんかに多い、何でもできる万能人が昨今ではもう存在しないのも、専門化が進んだせいかもしれないな。ともかく、今の状況でそうなら、当然、全ての謎を解いてしまった未来ではそのデータを一つに統合することは困難になってしまう。唯一の望みは膨大なデータベースを作る事ぐらいだろう」

「なるほど、つまり君はそのデータベースが人間の動きを決めてしまうと言いたいんだね。……んー。でも、科学と政治は別物でしょ? いくら科学が完成したとしても、そこまで影響力はあるのかな?」


 おそらく、彼女はこの問いかけを本気ではしていない。答を分かっていて、でも、話の進行上必要な部分だから質問をはさんだに違いない。


「いや、あると思うぞ。ネットなどで情報化が進んだ結果、個人情報保護法ができたように科学の発展は、法律等に影響を及ぼすだろ? それに科学技術の発達って取れる行動の選択肢が増えるという風な捉え方もできるわけだから、科学が完成した時、おそらく想像を超えるレベルで法律の数は増えているはずなんだ。おそらく、人間の頭では記憶できないほどに。となれば、機械を使わざるを得ないだろう」

「そうだね。そうなるよね。他にも科学が今以上に宗教色を帯びて、科学の娘である機械に政治を任せろと主張する人達も現れるかも知れないしね」


 流石にそこまで考えて言ったわけではなかったが、私は頷いて考えがそこまで及んでいたことをにおわせた。


「まあ、科学を神聖視したり、人類では処理できないという理由から、人類は自分達の決定権を機械に信託するはずなんだ。あ、いや、信託よりも献上すると言って方がいいかもしれないけれど」

「じゃあ、君は、科学に盲目的になった人類は機械に己が権利を譲り渡し、世界を回してもらうようになることを、機械の奴隷になったと表現したわけだね」

「ああ、そうなるな」


 私が首肯すると、彼女は立ち上がった。どうやら、あぐらとはいえ長時間座っていたため、足が痺れてしまったらしかった。まるで、足に怪我を負っているかのように、足を引きずりながら部屋を一周すると、今度は足を伸ばして座った。

 後ろの方に伸ばした両腕に重心をかけながら、彼女は言う。


「でも、それだと人類はどうしてるの?」

「どうしてるって……」


 私は彼女の質問の意図を上手く呑み込めなかった。

 どうしてるも何も、奴隷化しているという結論ではいけないのだろうか。


「いや、言いわけないじゃん。奴隷っていうのはあくまでも比喩でしょ? ニーチェで言うところのルサンチマンと似たようなものでしょう? 精神的な貧困を奴隷と表現しただけのような。だから、実際にそこに生きる人は奴隷ではないし、他の何かをしているはずなんだよ。前回はまだ好みの問題で済ませれたけど、今回は爪が甘いって言う他ないと思うよ」


 ひどい言われようであったが、納得できる言い分でもあった。土台、適当に思ったことを主張し、理由付けの際に帳尻合わせをしようなどと甘い考えがまかり通るわけもなかったのだ。

 先程、得意げに慣れてきたと語っていた、身の程知らずの大学一年生にこの現実を知ってほしいと切に思った。何なら、八つ当たりの意味も込めて拳で語ってあげよう。

 しかし、残念ながらその大学生は私であったし、この時間軸の私は私であり、このままでは自分で自分を殴るというひどく滑稽な展開になりかねない。

一刻も早いタイムマシンの開発が望まれた。

などと馬鹿なことを思っている間に、彼女は話し始めた。


「実は僕も君が言った所までは同意見なんだ。でも、人類が奴隷かと言われると僕は首を横に振るかな。今でもこそ、機械に職業を奪われるとか言って皆がてんやわんやしているけれど、本来は、社会の歯車としてすり減っていく人達を救済するという側面もあるはずなんだ。今変なことになっているのは、機械――と言うよりもAIだね――に不可能なことがあるからという理由が大半なんだと思う。逆に、全ての職業がAIに取られてしまえば、そんな不平等は起きないし、皆安心して職業をAIに引き渡すだろうね。そして、科学が完成したと仮定すれば、今不可能なものも可能になるよね?」


 不可能なはずがなかった。

 科学の完成が全てを解明することだとすれば、無論、人間の頭の仕組みだって解明されていて然るべきである。それだけで、人間と同等のスペックを有することができる上に、AIの計算速度と記憶力は人間のそれを大きく凌駕りょうがする。人間にできて機械にできぬことなどないと言われてしまうに違いない。


「とはいえ、職業を趣味の一環として考えていた人はあまりいい顔はしないだろうね。例えば、小説家とかミュージシャンとか。あ、知ってる? 車の全自動化自体はそう遠くない未来に可能になるが、趣味で走りたい人達がいるせいで実用化できないって話なんだけど。この話からは、人間の非効率的な動きと徹底的に効率化したAIの動きは相容れないということの他に、もう一つ学べることがあるんだ。

それは、人間が道楽を――娯楽を求める動物であるということだね」

「娯楽?」


 私のオウム返しに彼女は頷いた。


「そう、娯楽。僕が思うに、彼らは娯楽を追い求めると思うね。世界のいく末を機械に任せ、社会の歯車から解き放たれた人類は自由だ。でも、暇だろうね。それも、ものすごく。自分に課せられたやるべきことがないのだから。自分が必要とされているのか分からないと言うのは、自分を社会の歯車の一つとして、換えがいくらでもきくものだと思い込んでいる現代では多い考え方だけど、逆に自由になっても多くの人達はそのことに悩むだろうね。確かに人間はかけがえのないスペアのきかないものだけど、社会は人間なしでも回っているんだから。


 ――だから、娯楽なんだよ。


 例えばRPGを考えてみようか。ほら、主人公がいなければ世界は救えないでしょ? 他のゲームだってそうでしょ? 読書は読者がいなきゃ、その物語は始まらない。音楽も同じでしょ? そして娯楽は極上の暇つぶしになるよね? ほら、もう彼ら彼女らが娯楽に手を伸ばさない理由がないでしょ?」

「つまり、アンタが言う科学の完成した世界って言うのは、全てから自由になって、そのせいで暇を持てあました人類が娯楽をひたすら消費する世界ってことだな?」


「イグザクトリー!」


 私達は数回言葉を交わし合った後、

『完成した科学の世界では、機械が世界を回し、人類は娯楽に浸かっている』

 というなんて言っていいのか反応に困る結論を出した。正直まだ、私の主張した『人類は機械の奴隷になっている』という説の方がまだそれっぽかった。でも、そういう結論になってしまったのだから仕方がない。


 しかし、ここで終わらないのが私達だったりする。


 私は彼女に質問した。

「で、結局、アンタは実際のところ、科学が完成して、神としてあがめられるほどに全知全能になる日がくると思っているのか?」


 彼女は笑って首を振った。


「正直、僕はそんな日は来ないと思うな。実質、無限の存在と言われている宇宙の真理を見つけろとか不可能だと思うし。それに、地球外生命体はこの宇宙のどこかにいるという算段が高いんだし、いつか接触するだろうけど、完璧な意思疎通なんて難しいから、科学が全知全能になる前に、選択を誤って戦争状態になって人類が滅ぶんじゃないかな?」


 今まで私達が一生懸命考えてきた話の前提をあっさりと否定する彼女に、思わず脱力してしまった。いや、本当、今までの時間を返せと言ってしまいたくなる。



 とはいえ、突き詰めればこれも、この駄弁りも娯楽なのだろう。私は楽しかった先程までの時間を思った。

 誤解を恐れずに言えば、娯楽の殆どは無意味なものである。少なくとも、普通に生きていく上では全く必要でないものばかりである。とはいえ、そうは言っても、無意味を味わう時間はあってほしいものである。


 というか、それぐらいの余裕はあってくれ。


 というわけで、私と彼女が楽しく感じるこのやり取りも娯楽であることに変わりはなく、やはり私達の会話は無意味なものなのである。

 結論といい、締め方といい、まるで喧嘩を売っているかのような感じだけど、私達にはその気はないので、悪しからず。

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