第3話 命価考

「例えば、なんだけどさ。仮に命に価値があったとして、それは有限だと思う。それとも無限だと思う?」


 何時ものように突発的に出されたその問に私は少し頭を悩ませた。これが、我らがオカルト研究会の質問箱に入っていたらしいのだが、彼ないし彼女ははたして『オカルト』という四文字をしっかりと認識していたのだろうか。

 と思わないこともないのだが、しかし、こういう風にして議題をもらえるというのは、非常に嬉しいとこいうことである。というのも、私達の部員二名しかいないこの集まりを、サークルだと捉えてくれる人がいるという証左なのだから。


 さて、現在私達は例によって私の家に二人っきりでちゃぶ台を囲んでいるわけだが、こうなったのは数分前、目の前に座る彼女が珍しく(というか初めて)、大学に存在する正規の部室の前にある質問箱に質問が入っているといって持ってきたことに始まる。

 そして冒頭へと話は繋がっていくわけである。


「いやー、まさか命の価値についてだなんて、そんな重い議題が来るなんて思わなかったからさ、思わず一週間くらい放置してしまったよ」


 彼女は悪びれずにそう言った。わざわざこんな所へ質問を投げてくれた人に対しての敬意が一つとして感じられなかった。

 というか、一週間前といえばテスト前の時期である。大学の単位を取れるか否かの大事なテストが集中する前の猶予の時間で、よくもまあ、質問箱を覗きに行けたものである。


「……テストまで一週間切っている時に、アンタは何をやってるんだ」

「ごめん、完全に忘れてたよ。テへッ!」


 下手をしたら将来を左右することになりかねないテストの実施日を忘れる人がいるとは! 私は戦慄を禁じ得なかった。聞けば、テストがあることに気がついたのは、質問を回収して二日後のことであったらしい。

 七月三十日に質問箱を覗き、八月一日にテストのことに気づいたらしい。ちなみに、テストは二日からであったという情報を付け加えておこう。


 なんなんだ、コイツは……。


 割と本気でこういう感想しか浮かんで来なかった。


「まあ、まあ、ともかく。今はそんな話をしてるんじゃなくて、ほら、命の価値について話すよ? 前から思ってた、キノコの山、たけのこの里議論はまた今度にしてさ」

「おい、三回目にして親睦を深めるどころか、絆に亀裂が入ってそのまま冷戦に移行してしまいかねない題目を設けようとするな!」

「ははは、雨降って地固まるというじゃん? それとおんなじだよ」

「……世の中には、土砂崩れとかいうものがあって、雨降ってそのまま地が崩れてしまうということもあるんだぞ?」


 もし、その議論が起るのを避けられないのならば、あわよくば、そのまま里の方にまで土砂が崩れて行かんことを願うけれど、これ以上深く掘り下げたらある方面から、さながら魔女裁判にも近い制裁を受けかねないので、この辺で口を閉めておこう。


 ともあれ、我々が今考えるべき生命の価値について頭を切り換えていこう。

 まず、考えるべきは何をもって価値となすかである。いわゆる価値の指標となる物を決めておきたい。

 そしてその尺度の中で収まるのであれば、それは有限だし、収まらないのであれば無限である、とこういう風に考えていく。

 私は彼女と至極どうでもいい(この話だってあまり益のある話ではないのだろうが)世間話をしながら、頭の中でロジックを作り上げていき、お題を出されてから十数分後、ようやく考えがまとまった。

 会話が一段落ついた辺りで結論を滑り込ませる。


「話を冒頭の話題に戻すのだが、私が思うに、生命の価値は無限だと思う」

「へえ、そのわけは?」

「そうだな。まず、価値と言うからには、何か明確な尺度が必要だろう? 誰の目からも等しく明確な基準が。で、私はそれがお金であると思う。というと、非人道的なにおいがするけど、お金ほど明確な基準はないと思う。幸せだとかそういうのは、計ることができないからな。そして、お金と命の価値と聞くと、どうしても頭の中に浮かぶのは保険金だとか、収入だとかそこら辺だよな?」


 私はここで彼女が頷くのを待ってから、話を続けた。


「そして保険金とは、その人にかけることができるお金、つまりその人の価値であるという風に見ることができるわけだ。もちろん、収入は社会におけるその人がどれだけ貢献したかという風にもみ得るわけで、これもその人の持っている価値であろう。

 でも、その理屈でいくと収入のない人達は無価値であると考えることができてしまう。もっとも、食費が発生しているから、その分の価値があるという話になるけど、じゃあ、今度は胎児のレベルまで話を落としていくと、この場合、母親の食事と重なるわけだから、内訳が非常に難しくなる。いや、もしかしたらある程度は定説があるのかも知れないけれど、文系である私には分かりっこない知識だから、放棄させていただくよ」


 彼女は何度か頷いた後、


「じゃあさ、出産費はどうなるのかな? あれは少なくとも、子供に産まれてきてほしいから、それだけの価値があると認められたから払う物だと思うけれど?」


 そう訊いてきた。なるほど、そう言われれば確かにそうだけれど、その反論はまだまだ私の予想の範疇はんちゅうを出てはいなかった。余裕で返せる話である。


「確かに、そういう意味では命の価値として、そういう風な言い方もできるかもだけど、でも、その金額がはたしてその子の価値であるのかと考えたら、必ずしもそうとは言えないだろう? むしろ多くの人々はそんなことはないと反対するだろう。実際に反対はしなくても、心の中では異を唱えるに違いない。じゃあ、それはどうしてかと考えると、お金という基準では計りきれない何かが存在するからだと思う。それこそ、幸せだとか愛とかそういうのが」


 私の長く拙い意見を咀嚼して呑み込まんがために、彼女は目を瞑って何度か頭を振った。それから、私の意見をこうまとめた。


「なるほど、つまり君は、明確な基準では計り得ない価値観が存在するから、その全てを足し合わせた生命の価値は算出不可能であり、よって無限だと考えたわけだね」

「そうだな」


 私は肯定して、彼女の意見を待った。

 彼女は親指と人差し指をコの字に曲げて、惜しいと言った。


「いやあ、惜しいよ。ほんと僕と君の意見がここまで重なったのは初めてだ。後もう少ししたら、私の意見が完全に被るところだったよ。とは言っても、これは別に理屈を言い合うバトルでも何でもないから、優劣なんてつかないんだけどね。それこそ蛇足というものがあるように、何も付け足せばいいという物ではないんだからさ」


 そう前置きをした後で、彼女は言った。


「結論から言うと、私は正直な話、命は有限であると思う」


 そう言ってから、


「ああでも、あくまでも有限というのは机上の空論であって、究極的には有限であるけれど、実質は無限であると思うよ」


 と軽く訂正をはさんだ。

 彼女は言う。


「そうだね。まず、僕のは君の意見に付け足す形になると思う。幸せとか愛とかは、お金を基準にした価値観と交わらないし、そもそも現状、数値化できない。でも、幸せとは何だろう、愛とは何だろう、そもそもお金とはどうやって稼ぐのだろう。そう考えていくと、ある共通点が浮かばないかな? ……僕が思うにそれはどれだけ影響を与えたかどと思うよ。収入は社会にどれだけいい影響を与えたのかの指標となるし、保険金は家族間における影響力を表しているし、愛は人間関係で影響を与えあって生まれるもの。こう考えていくと、どれだけ影響を与えていったかを完全に計りきることで、命の価値は有限かすることができるはずなんだ」


 いくつかに別れていた価値観を一つにまで落とし込んで考えると、理論上は、数値化でき有限にできるかもしれないが、私には到底それが可能だとは思えなかった。


「でも、そんなことは到底不可能ではないか?」

「どうして?」

「どれだけ影響を与えたかなんてそんなのどうやって計るつもりなんだ? 単純に数値化できるものではないと思うけど」

「そうだね、少なくとも、今の技術じゃあ、到底不可能だろうね」


 ――でも。


「それはあくまでも、今現在の話だよ。僕は思うんだ、将来的には個人がどれ程の影響を及ぼしたのか正確に計り取る機会が生まれるんじゃないかってね」

「……どれだけ影響を及ぼしたのか計る機会?」


 国民総幸福量とかあんな感じで調べていくのだろか。と私は思ったのだけど、しかし、彼女の説明を聞くうちに違うものであることが明らかになった。というか、彼女はほとんど何も考えてなどいなかった。


「そう、そんな機会。とはいえ、どういう風なものかは全く以て分からないんだけどね。まあ、ともかく。このまま進んでいけばいつか、人がどれ程影響を与えたのか正確に計る機械が登場する可能性もあるわけで、そうなれば、理解することができるわけだね」


 計ることができないから無限だと論じた私にとっては、非常に受け入れがたい理論であったが、将来的にはたしてそんなものが生まれるかどうかと真剣に論じるつもりはなかった。そんなことをしてもただ互いに足を引っ張るだけなのだから。

 悪魔の証明は照明ができないと相場が決まっている。

 そもそも、私達の中では未来において、科学は魔法に取って代わられると結論がでているのだ。そんなものが生まれても不思議でも何でもない。


「でも、アンタの意見は有限だけど、実際は無限なんだよな?」

「そうだね。今言ったのは机上の空論に過ぎないからね。あ、いや、機械が生まれるかどうかが空論だったのではなく、実際に全ての人の影響力を調べ上げるのは、どうしても不可能なんだ」

「……影響といっても、無意識のうちに受けるものがあるから、それは個人が記憶していないので計ることが出来なから、とかか?」

「いや、そんなのは、無意識状態にでもトランスさせたりなんなりして割り出せばいいから、別段問題ではないと思うけど、でも、影響は続いていくもので、連鎖しているものだから」


 あっさりとトランスさせるとのたまった彼女に内心驚きつつ、私は彼女のいう連鎖しているという一言で、彼女が何を言わんとしているのかだいたい予想がついた。


「例えば、子供は親から影響を受けるように、その親もまた彼らの親から影響を受けている。だから、極端な話、自分はその家の初代当主の影響も受けている。いや、もっと言えばアダムとイブの影響を、神の影響も微量ながらも受けているということか」

「……あれ? 君のところって仏教じゃなかったけ? なぜキリスト教を?」

「そっちの方が分かりやすかったからさ」


 実際は、仏教系の逸話や人間誕生の話を知らないため、例え話ができなかっただけなのであるが、それは一旦脇のいておこう。


「まあ、いいか。うん。おおかた君の言うとおりだよ。そして、そう考えていくと人が与える影響なんてネズミ算式に増えるどころの話ではないね。それこそ爆発的に増えていく。少なくともと言うことができないほどにはその数は多いと思う。生きているうちは、無意識に訊くなり周辺調査をするなり、莫大な資金を積めば人一人分くらいはどれ程の影響を与えられたか計ることができるだろうね。でも、それ以前の人達となると、死んでしまった人となると、調べるのは難しくなると思う。どころか、戸籍上存在しない人というのも、かつては確実に存在したわけで、そうなると僕の言う生命の価値が有限だというのは机上の空論になるんだよ」

「つまるところ、生きた痕跡がない人の価値が分からないから、そのくせ、後世になればなるほど影響を及ぼしていくから、計ることは不可能だと?」

「そ、だいたいそんな感じ。理論上、どんどん人類の祖先を辿っていけば、増え続けるものであっても変数として数値化できるけど、限りなく不可能に近い、というか不可能だから結局のところ、僕も無限だと思うなあ」


「アンタ、有限とか最初の方は言ってなかったっけ?」

「ああ、でもあれは理論上、もとい机上の空論上は有限というだけで、ほら、言ったじゃん、実質は無限だって」


 言われてみるまでもなく、確かに彼女はそう言っていた。

 その後、私達は結論的には当たり前だが、無限とした。しかし、この内容をどうやって依頼主に伝えればよいのかいい案が全く以て浮かばなかった。

 というのも、それは匿名で出されていた上に、連絡先が記されていなかったからである。これでは伝えように伝えることなどできない。


 結局、この話のまとめを部室の前に置いておくわけにもいかず(オカルト研究会のする議論ではないことは題名からでも判断がつこうものである)、ゆえに私達はこの結論を胸に閉まって何処にも公表しないことを決めた。


 なかなかどうして、ためになりそうな話ではあったが、話とは誰かに伝わってこそ初めてその真価を発揮するものであり、こうして哀れにも胸の内にしまわれてしまったこれは、やはり何時もの話と同様に、無意味なものだったと言えるのかも知れない。


 もし、この話題を提供してくれた方に事の顛末が知られたら、結局は無意味という烙印を押されてしまったことが伝わったら、彼もしくは彼女はたいへんご立腹になられるのだろうと、私は思った。

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