アルコール教は偶像崇拝を禁止している

 ぐわんぐわんと響くその町内放送は、何を言いたいのか全く伝える気が無いように思えた。音の速度は有限だ。様々な距離にあるスピーカーから一度に放送が発せられたことで、僕の耳には時間差で次から次へと放送が飛び込んできた。出来の悪い輪唱のようなものだ。それは遠くモンゴルの草原から聞こえる馬の嘶きと大差なかった。テレビの次は町内放送。旧式の情報伝達手段は致命的な欠陥を抱えているのかもしれない。


 だがそのろくでもない町内放送も、何かがあった事を知らせるサイレンとしての役割は果たしたのだろう。僕はスマートフォンでニュースサイトを調べてみた。日本を中心に、世界中で起きている出来事を伝えるための情報の奔流。そのトップページを、僕らが直面する川の話題が飾っていた。


「うわ、堤防が決壊したって」

「本当?この近く?」

「いや、朝のニュースで出てたとこ。溢水したって場所……じゃない、そこから少し南側のところかな?ここからは30キロくらいは離れてるね」

「そっか、じゃあここは関係ないね」

「うん。そこの地区の人は気の毒だけど」


 30キロという距離は、少なからず僕たちを安心させた。車で1時間、走れば3時間。一度だけフルマラソンを走ったことのある僕にとって、その距離は肉体に訴えかけるリアリティを備えていた。もっとも実際に走ってみれば、スタートからの30キロよりも残りの10キロの方がよほど絶望を感じさせた。それは声援に背中を押され、前半20キロを一時間半という僕にとってはあり得ないハイペースで走った結果だった。前を走る陸上部員と思しき女性の後ろ姿に見入ってしまったのも一因かもしれない。いずれにせよ、自らの実力に見合わぬペースで30キロを走ってしまった僕のふくらはぎは、一歩を踏み出すたびにビクルッと痙攣するようになった。最後の5キロはよたよたと、馬に引き摺られる死体のようにゴールまでたどり着いたことを覚えている。フルマラソンに挑戦したのはそれっきりだ。無知なランナーの脚を潰す距離、それが僕にとっての30キロだった。決壊地点と僕たちの住む地域とを隔てるその距離は、水を防ぐための楯として十分なものに思えた。堤防の決壊は僕らとは無関係なものだった。それどころか、不謹慎なことを言ってしまえば、別地点で決壊したことで川の水が減り、僕らの付近で決壊する危険度が下がったとも考えられた。


「ちゃんと逃げられてるかな?」と言う妻の言葉に、僕は20人程しかいない体育館を見回し、

「どうだろう、ここだって避難指示区域だけど、これしか避難してないしね」と答えた。妻と僕は肩を竦め、娘は小さな手で顔をこすった。


 ニュースサイトを更新すると、決壊地点の写真が表れた。一面が茶色の水で埋め尽くされ、広大な沼のようにしか見えなかった。ちょこんと頭の先を出した家の屋根だけが、そこに人が暮らしていたことをかろうじて伝えようとしていた。実際には堤防の決壊によって溢れ出した茶色の水が、家屋を押し流し、車を押し流し、人を押し流していたのだが、残念ながら僕の限られた想像力ではその静止画からそんな惨事を推し量ることはできなかった。僕はスマートフォンのバッテリーと通信量を節約するためにそれ以上の情報を調べず、リュックサックから文庫本を取り出して読むことにした。何回読んだか覚えていないほど読み返したその本のページを適当に開く。それが僕の、もっともコンパクトな暇潰し方法だった。


 町内放送があってから、体育館に入ってくる避難者の数が増えて来た。幾人かは子供連れで、幾人かは高齢者だった。若い大人だけというグループはほとんどいなかった。レジャーシートを敷き、ここは私たちの縄張りだと言外に主張する人々もいた。

「人が増えてきたね」と妻が言った。

「大抵の人間てのは、何かあってからじゃないと動けないんだよ。僕だって二日酔いじゃなかったら会社に行ってただろうし」

「結果的に二日酔いに救われたって訳ね」

「アルコール神のお導きだ」

「神殿を建てて像を祀りましょう」

「いや、アルコール教は偶像崇拝を禁止している。アルコールを体内に取り込むことだけが正しい祈りの在り方だ」

「刹那的なのね」と妻はあきれた顔で言った。神殿とやらの建築費で僕の酒代が削られることは目に見えていた。僕はそんなこと、何としても阻止しなければならなかった。

 子供達が元気に走り回り、笑い声がその後を追い、さらに後ろから「静かにしてなさい!」という母親の叱責が追いかけた。平和な国の、平和な午後の光景だった。


 僕は午前中だけ休みを取ったのだと思い出して、上司に電話をした。避難所に来ていることと、川の堤防が決壊したことを伝えると、

「大丈夫か?」と本気で心配されたので、

「決壊って言っても30キロ先ですからね、たぶん大丈夫でしょう」と正直に答えた。

「関係ねぇレベルじゃねぇか」

上司の言葉にごもっともですと心の中で相槌を打ったが、

「何が起こるか分からないものです。いずれにせよ避難指示が出てる危険地帯ではあるんで、お休みさせて頂きます」と電話を切った。


 妻と交代で娘の世話をしながら、文庫本を3分の1ほど読み終えた頃、窓から覗く空は茜色を帯び始めていた。途中、受付に座っていた女性が食事の案内をして回った。僕たちは食料を用意していたので丁重に断ったのだが、人数分用意したから貰ってくれというので、有り難く頂戴した。メニューはおにぎりと鶏の唐揚げ一つずつだった。それらは事切れたカワウソのように冷え切っていたが、十分に食べられる味だった。日本人の食と排泄に傾ける情熱は異常の域に達していると聞くが、その通りだと僕は思った。


 夕暮れ時になり、体育館に入ってくる避難民の数が増えてきた。家族連れが多いようだった。親の仕事が終わるのを待っていたのかもしれない。彼らは幸運だった。もし堤防が我々の近くで決壊していたら、犠牲になったのは彼らだったかもしれないのだ。仕事が終わるのを待つ余裕なんて、本当はなかったかもしれないのだ。死は常にそこにあり、いつ我々を捉えるか分からない。メメント・モリ。


 そして日没を待たず、体育館は人で溢れかえった。


「教室でも貸してくれないもんかな」

「えー、でも机と椅子、ちっちゃいでしょ」

「十分座れるよ。座れるだけマシさ」

「そっかぁ、そうだね。懐かしいね、あの机」

僕と妻はそんな会話をした。だけど教室が開放されることはなかった。当たり前だ。少し考えれば分かることだった。もしも被害が拡大して、避難民が教室に居座ったらたまったもんじゃない。授業が再開出来なくなる。そして学校の停止は経済に甚大なダメージをもたらすのだ。後に日本社会は、いや世界は、新型コロナという環境下でそれを思い知ることになる。だがそれはまた、別の話だ。ドタドタと走る子供達がふと足を止め、「あ、赤ちゃんだ!べろべろばぁー」と言った。それはタメも風情もない、実に稚拙なべろべろばぁだった。だが娘はそれを見て、きゃっきゃと笑った。「あれで笑うんだね」と、僕と妻は彼らに対して少なからぬ劣等感を感じた。


 体育館が人で溢れかえったため、高齢者優先で特別教室が解放されることになった。(特別教室だったと思う。学童施設だったかもしれない。とにかく、畳張りの教室が3部屋ほどある別棟だった。)そう伝え回っていた受付の女性が我々の方を見て、「ああ、こちらにいらしたんですね」と近づいて来た。受付のときに覚えてくれていたのかもしれないし、他の避難民が気にかけていてくれたのかもしれない。いずれにせよ有り難いのとだ。

「よろしければ、あなたがたもご利用下さい。畳のお部屋なので、ゆっくりできると思います」と彼女は言った。

 僕と妻は少し戸惑った。娘は夜泣きする。3ヶ月の赤ん坊は3時間おきに授乳をせがむのだ。(だが半分くらいは空振りで、乳を飲めずとも抱いて揺らしていれば再び眠りに連れ戻されていく。)高齢者ばかりの環境で、そんな夜泣きは迷惑に違いない。だが迷惑さでいえば高齢者意外の環境でも迷惑だ。むしろ移動できるスペースがあった方が素早く娘を外に連れ出せる。僕達はその申し出を有り難く受けることにした。


 今となってはその選択が正しくなかったと僕は思っている。だがその頃の僕には、そんな予言は不可能だった。そんな能力があったら、水害の起きる場所に住むわけないんだから。

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水害避難体験譚 ヱビス琥珀 @mitsukatohe

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