僕はオスカー・シンドラーじゃなかった

 僕たちは急がず焦らず、落ち着いて支度を整えた。家を出るとき、壁に掛けられた時計は午前10時30分を指していた。避難指示を目にしてから30分後のことだ。


――この遅れはきっと減点対象だ。避難指示の4分後に堤防が決壊したケースもあるらしい――


 とはいえ当時の僕たちはそんなこと全く気にしちゃいなかった。実にのんびりと構えた僕たち一家は、あまつさえスーパーマーケットに立ち寄り、暢気に買い物をして行った。もっとも、その店内の方がよっぽど暢気だったけれど。ハザードマップの上ではその店は僕たちのアパートと同じ色合いで区分されていたし、もちろん避難指示の対象地区に含まれていた。だがその店内で客たちは昼食の材料を買い求め、店員たちはバーコードを読み取って対価を要求していた。それは物流の末端であり、誠実な商取引であり、日本経済を回す毛細血管だった。資本主義経済において欠かすことのできない重要な営みだ。


 店内にはBGMとして、耳にタコができるほど聞かされたアイドルグループのヒットナンバーが流れていた。なんの害悪もないジェイ・ポップ・ミュージック。少し前のアメリカのビルボード・ヒットチャートでも同じように一年以上のロングヒットで上位に居座った曲があったな、と僕は思い出した。それは不倫相手の女性との間に子供ができたことを告白する歌だった。ずいぶんと内容が違う。価値観の違いだ。


 とにかく、避難指示だとか特別警報だとか、そんな事なんてまるで無かったかのように、人々はいつも通りの日常を送っていた。もっとも僕には会社での仕事があったから、平日の昼間のスーパーマーケットの様子なんか見たことはないんだけれど。それでも自分が住んでいる町が水に浸かるよりは、平穏な日々を想像するほうが余程たやすい。平和な日常を思い返すくらい、キタキツネにだってできる。


 買い物をしていると、ふと過去の震災の記憶が頭をよぎった。物流が途絶えたことによる不安から、不必要なまでに物品が買い占められたあの日。パンやおにぎりが姿を消したコンビニの陳列棚は、まるでイナゴの群れが通り過ぎた後の麦畑のようだった。もちろん僕はそんな買い方はしない。夕方には家に帰るつもりなのに、そんなに買い込むわけなんかない。当たり前だ。


――だけど今になって思う。川が溢れたこの日、僕がこの店の全ての商品を買い占めていたらどうなっていただろう、と。それこそイナゴの群れが通り過ぎた後の麦畑のように、店中の品物を買い占めていたら。売り物が無くなったスーパーは早々に店終いし、店員達は早めに避難できたかもしれない。品物が水に浸かり廃棄されることもなかったかもしれない。そうして救い出した物資を避難所で配布し、僕はヒーローになれたかもしれない。けど僕にはそんなお金はなかった。僕はオスカー・シンドラーじゃなかった。ユダヤ人を守るためにユダヤ人を買い占めようとした正義の資本主義者みたいにはなれなかった。それだけの話だ。そんな膨らませたフーセンガムみたいに中身のない空想は、包み紙にでも包んでゴミ箱に放り投げておこう――


 控えめな買い物を終えてスーパーを出た僕たちは、避難所である小学校へと車を走らせた。その道は僕のランニングコースだった。自分の足では走り慣れた道だが、車で走るのは初めてだ。小学校へと続く最後の坂道は急だった。オートマチックのギアはドライブのままでも登れたが、ぐっとアクセルを踏みこむ必要があった。だが、それでいい。十分な高台だからこそ、そこははじめて避難所たりえるのだ。


 小学校の駐車場に入った僕は、そこが満車であったことに肩を落とした。だがまぁ、仕方がない。イタリア人のようにゴツリゴツリとバンパーへこむためのパーツをぶつけて他の車を動かして駐車スペースを作り出す訳にもいかない。僕はぐるりと車をUターンさせ、校門を抜け、道路を渡り、向かいの神社の脇のスペースに車を停めることにした。そこにはすでに数台の車が停まっていたが、それでもまだ2,3台くらい停める余裕はありそうだった。妻がリュックサックを背負って娘を抱いた。僕も自分のリュックサックを背負ってビッグサイズのトートバッグを持ち、2人に傘を差しかけた。本当は全部の荷物を運んでしまいたかったけど、傘を真っ直ぐ持てなかったので諦めた。まぁ良い、もう1往復すれば良いだけだ。


 小学校へ戻ると避難所という立て看板が見つかった。そこは体育館だった。秋と言えば秋刀魚、避難所といえば体育館だ。もっとも、今となっては秋刀魚も高級魚の仲間入りをしつつあるから、将来的には体育館も避難所の候補から外れて行くかもしれない。だけどその時は紛れもなく、避難所といえば体育館だった。入り口で名簿への記入を求められた僕は、バインダーに閉じられたA4の紙に住所と名前を書きこんだ。そこにはすでに幾人かの名前と住所があった。プライバシーも何もあったもんじゃない。だけど僕らはこれから何の間仕切りも無い、それこそプライバシーなんて無い体育館で過ごすのだ。贅沢は言っていられない。


 スリッパを借りて体育館に入ると、中にはちらほらと人がいた。ステージの前に折り畳まれたパイプ椅子が置いてあったので、3つ借りてそこに座った。ざっと見たところ20人程が5つのグループに分かれて、僕らと同じようにパイプ椅子に座り、ニコニコと談笑していた。小学生くらいの男の子2人と女の子1人が走り回っていた。そんな光景を見て僕と妻は頬をゆるめた。そして僕は車へ残りの荷物を取りに行くため体育館を後にした。


 僕は再び道路の向こうの車に戻った。そしてふと、川を見てみたいという衝動に駆られた。その神社は川の傍にあるのだ。(後で知ったことだが、神社は高さ8メートルの堤防そのものの上に建っていた。ぶ厚く、堅く踏みしめられた堤防だ。その周辺で最も安全だった場所。さすがは神社である。)平穏な日々、ランニング中にそこから見渡した光景を思い出す。フットサルコートや野球場を備えた河川敷では、子供や大人が楽しそうにボールを追いかけていた。その向こうには草が生い茂り、まばらに生えた木々がひょこりと頭を出している。そんな混沌とした緑の向こう側、遥か彼方に緩やかに流れる水面が陽光にキラキラと輝いて。それが僕の知っている、川の景色だった。


 そんな記憶を嘲笑うように、数歩進んだ僕の視界の下半分を茶色の水が覆った。


 そう、川は思いがけないほど近くにあった。あと十歩も坂道を下れば茶色い水が僕の足を絡めとったことだろう。濁流ではない。それは悠然と流れる大河だった。ガンジス川や長江のような、川幅100mに達しようかという広大な川。向こう岸は雨で霞んで見えなかった。茶色に染まった水が渾々と目の前を流れていく。静かに、だがどこまでも力強いそれは間違いなく命を運び去る力を孕んでいた。


 僕は車から残りの荷物を運び出し、体育館へと戻った。受付の女性に車を停める場所はないかと聞いてみた。

「ごめんなさい、車を停める場所は駐車場しかないんです」

それは本当にシンプルな答えだった。車を停めるから駐車場だ。だが僕としては、代替の場所を聞かずにはいられないのだ。

「でも満車なんです。校庭とかって、ダメですか?」

そう尋ねると、彼女は悲しそうな顔で首を横に振った。

「校庭は、許可されてなくて……」

僕は小さなため息を吐いた。まぁ、そりゃあそうだ。校庭は子供たちが運動するための場所であって駐車場じゃない。当たり前だ。だいたい雨で泥濘んだ校庭に車で入ればそこかしこに轍ができてしまう。学校側としては、当たり前の対応だ。

「仕方ないですよね、どうにかします」

そう言って、僕は妻と娘の元へ向かった。


「ありがとー」

パイプ椅子3脚分の縄張りに戻った僕を、妻の柔らかな台詞が出迎えてくれた。その腕には娘が抱かれ、すやすやと気持ち良さそうに眠っていた。

「いやぁ、川ヤバいことになってたわ。なんかもう溢れそう」

「えー、見てきたの?」

「車のとこから。あれは避難指示も頷けるよ」

「ニュースでも上流の方で溢れ始めてるって言ってたもんね」

「そいつを目の当たりにしたって事だ。まぁそこの堤防は今すぐにってほどじゃなかったけど。あとさ、車、家の駐車場に戻してこようと思うんだ。校庭に停めれないか聞いてみたけど、やっぱり停めちゃダメらしい。そうするとあそこの神社脇、後から来た人が停めるだろうからさ」

「そっか、偉いねぇ。良いと思うよ?」

僕は妻と微笑みを交わし、再び車に戻った。他の人々から見れば、やたらと慌ただしい一家だと思われただろう。


 僕は車に乗り、来た道を引き返し、アパートの駐車場に車を止めた。傘をさして、今度は自らの足で小学校へ走りだした。いつものランニングコースだ。靴底が水しぶきを蹴り上げ、踝を濡らした。普通ならば鬱陶しく思えるようなそんな事柄さえ、その時の僕には誇らしく思えた。迅速な避難と他者への配慮。正しい行いをしているという自負が、僕の脳を酔わせていた。会社への忠誠心なんて元々持ち合わせていなかったし、仮に小匙一杯程度あったとしても、そいつはもはや馬の腹に収まっていた。圧倒的な自己肯定感が、僕の足を軽やかに、前へ前へと押し進めていた。


 オーバーペース気味に走っていた僕は、小学校へ向かう最後の坂道で足を止めた。神社を見上げ、川を想像した。神社の位置とさっき見た川の光景から、川の水面は少なく見積もっても足元から5メートルは上にあると思われた。頭の上を、川が流れているのだ。僕は水族館のイルカとシャチのショーの水槽を思い出した。ぶ厚いアクリル板を挟んで頭の上まで溜められた海水。その目の前に立った時、アクリル板が割れたらどうなるんだろうと思ったものだ。堤防もアクリル板みたいに透明だったら、その時の川の本当の恐ろしさを目の当たりにできたのかもしれない。


 体育館へ戻ると、娘は相変わらず幸せそうに妻の腕の中で眠っていた。僕は娘を引き受け、妻にスーパーで仕入れた弁当を食べさせた。娘を抱きながら体育館の中をうろうろ歩き回った結果、ステージの裏手が授乳スペースとして適当だったので、受付の女性に確認し、食事を終えた妻に教えてやった。ちょうど僕が弁当を食べている間に娘が目を覚ましたので、彼女もまた、そのステージ裏で食事の時間をとることになった。


 僕はカラになった弁当容器を片付けた後、ふと川の水位という客観的な数値データを知りたくなった。スマートフォンで「(川の名前)水位」と調べてみれば、詳細なデータはもちろん、定点カメラの映像すら見られるようだった。通信量制限が心許なかったので、動画の確認は控え、水位の推移を表したグラフだけを見ることにした。

「おお……」

青い線が示す川の水位は昨夜から着々と上昇し、氾濫危険水域を超えなおも増え続けていた。通常の水位とは明らかに違う異常事態。避難指示が出るわけだ。僕はこんな初歩的なデータすら把握せずにいたとは情けない。だが言い訳をすれば、マスコミもまたこういった情報を流していなかったことになる。視聴者に客観的データを示したところで何の意味もないと判断したのだろうか?


 とはいえ僕も、川が本当に溢れるとは思っていなかった。雨はもうほとんど止んでいたし、グラフの青線が下がっていき、警戒水位を下回ったら避難指示解除、晴れて自宅に帰還できるだろう。そう思っていた。その直後にが聞こえてきても、やっぱりそれは他人事だったんだ。

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