義弟のために
城崎 夕
第1話
―ほら、夕(ゆう)。暁美(あけみ)お姉ちゃんにご挨拶して―
―いやいや、奉子(ともこ)さん。まだお姉ちゃんでは―
―いいじゃないですか、いずれそうなるんですから―
大人たちの不毛なやり取りを横目に、私は目の前の少年に声をかける。
「堀(ほり) 暁美です。夕くん、これからよろしくね。」
けれども彼は、群れからはぐれた狼のような眼を私に向けるだけで、挨拶を返そうとはしなかった。
―こら、夕。そんな態度とって―
―いいじゃないですか、これから少しずつ慣れていきますよ―
それが、私と夕の出会い。
私が中学二年生の時、母にはほかの男の人がいたようで、父の幸次(こうじ)さんとはそれが理由で別れた。どちらの親についていくかは、私としてはどちらでもよかったのだが、世間的および経済的理由から父のもとへ行くことになった。
高校に上がると、父には新しい恋人ができたようだった。名前は奉子さん。私より年下の男の子がいると聞かされると、そうか、私はおねえちゃんか、とぼんやり感じた。
父と奉子さんが結婚すると、城崎(しろさき)家、つまり奉子さんと夕は、堀家の構える戸建に越してきた。書類の手続きが済むまでと、家の前には城崎と堀の二つのプレートが並んだ。私はそれを見て、なんだかお得な気分になったのだった。
ある日の高校からの帰り道、夕の通う小学校の前を通り過ぎたとき、子供たちの騒ぎ声が聞こえてきた。
何だろうと思って中を見てみると、そこにはビオトープ(校内に併設されたため池)の側でずぶ濡れになっている夕と、それをからかう数名の男子生徒の姿があった。
驚いたのも束の間、夕はその場から逃げるように学校から走り去っていった。私も後を追うと、夕は近くの公園に入り、ベンチに座った。夕はうつむいていて私に気付かなかったので、近づいて声をかけた。
「夕くん?」
夕は、ビオトープの水のせいか、涙のせいか区別のつかない、びしょびしょの顔を上げると、驚いて目を見開いた。
「暁美さん!どうしてここに、いつから見てたの!」
「暁美さん」という呼称に違和感を覚えながらも、夕の質問に答える。
「高校からの帰りなの。びしょ濡れになってるところしか見てなかったから、何が起こったのかは知らないけど。ねぇ、何があったのか、聞かせてくれる?」
私がそう尋ねると、夕はためらいながら説明し始めた。
「あいつら、いつもああなんだ。前にも、教科書を隠したり、トイレに閉じ込められたり…。今日なんか、ビオトープにランドセルを投げ込まれて『取ってこい』なんていうから、やけになって中に飛び込んだんだ」
「どうしてあの子たちはそんなことするの?」
「それは…僕が…の子供だから…」
「え?」
「僕が、犯罪者の子供だから」
家に帰って、夕の服を変えてやると、私は父に電話をかけた。
「お父さん、夕くんと奉子さんに何があったの」
「…どうしたんだ、急に」
「今日、夕くんが学校でいじめられてたの。犯罪者の子供だからって」
「…そうか。あまり言いたくはなかったんだが、仕方ないな。奉子さんの前の旦那は、会社の金を横領して、逮捕されたんだ。だけど、それで夕くんがいじめられているとは…」
―そうか、夕のあの眼は、初めて会った時の狼のような眼は、犯罪者の子供として後ろ指を指されていた経験によるものなのだ―
私は、自分に何かできないだろうかと考え、その日から私は夕と一緒に登下校し始めた。高校生が側にいるといじめっ子も手を出しにくいのか、少しずつ夕のいじめは減っていったようだった。
それから三か月ほど経ったある日の食卓で、父がこう切り出した。
「二人とも、実はな、大事な話があるんだ。」
急に改まって、どうしたのだろうと思っていると、父はこう続けた。
「驚くなよ…我が堀家の家族が、もう一人増えることになった!」
その言葉の意味を理解するまで、少し間があった。何せ突然のことだ、奉子さんのお腹に赤ちゃんがいるという意味だと分かると、私は歓喜で声を上げた。
「本当に!それってつまり、私と夕くんの、血のつながった兄弟ってこと!」
その日の食卓は、新しい命への祝福に包まれた。
けれど夕だけは、祝福の笑顔の奥にぎこちなさがあることを、私は見逃さなかった。
次の日の朝、夕と一緒の通学路で、私は夕に尋ねた。
「夕くん、昨日、赤ちゃんができたって言った時、浮かない顔してたよね、どうしてなの?」
その瞬間、夕の顔は青ざめ、その表情に怯えを浮かべた。
「暁美さん、僕怖いんだ。お母さんは、僕と血のつながってるお父さんと別れた。それから、お母さんと幸次さんが結婚して、二人の間に子供ができた。それってつまりさ、うまく言えないんだけど、僕の存在がなかったことになるんじゃないかな。僕のお父さんの犯罪を、無かったことにしてるんじゃないかな。僕と幸次さんは血がつながってないし、お母さんと暁美さんは血がつながってない。そこに、みんなと血のつながった新しい子供が生まれたらさ、僕たちはみんな、その子のための家族になっちゃうんじゃないかなって。僕はそれが怖いんだ。暁美さんは、怖くないの?」
私がそのとき夕に何と答えたのか、今では思い出せない。
夕の恐怖は私にはわからない。けれど、私より小さいこの少年に、何か得体のしれない、とてつもなく大きなものが入っている。その不均衡が、私にはやけに恐ろしかった。
その次の良く晴れた休日、私が自室で勉強をしていると、奉子さんが扉をノックして尋ねた。
「暁美ちゃん、洗濯物ある?やっておくわよ」
私は扉越しに答える。
「ありがとう、でも大丈夫。後で自分でやります」
遠慮しなくていいのに、奉子さんはそう言って、階段を下りて行った―
―その瞬間、廊下から誰かがどたばたと走るような音が聞こえたかと思うと、何かがぶつかる、鈍い音がした。
―いやあああああああああああああああ―
ゴン、ゴン、ゴンという、重い音が連続的に聞こえる。
私が驚いて扉を開けると、階段に下で倒れこむ奉子さんと、それを見下ろす夕の姿があった。
夕は私に気付くと、怯えと笑みが混ざったような表情でこう言った。
「どうしよう、お姉ちゃん」
―お姉ちゃん―
私は事実、事の始終を直接見たわけではなかった。
それならば私は、この状況を証言することはできない。私には、夕を断罪できない。
そうだ、夕を、犯罪者の息子にしてはいけない。夕を、守らなければいけない。夕を守るためならば、私は夕に、何もかもを捧げるべきなのだ。
なぜなら私は
―夕のお姉ちゃんなのだから―
義弟のために 城崎 夕 @dame_ningen
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