第35話 愛をとりもどせ!!

 残されたコーヒーを片付けながら、犬塚はぼんやりと思った。伊勢崎の勘が正しいというのならば、一体彼女と自分の間に何があるというのだろうか。

 中々落ちない口紅を洗い落としていると、妻との熱い日々が思い起こされた。それももう何年昔の話だろう。


 感傷に浸るのをやめてバックヤードに戻ると、九条の周りに人だかりができていた。お土産を配っているようだ。中川の良く通る声によれば、有名な菓子店のものらしい。そこには竹中やあけみちゃんもいる。


「おはようございます」

「あ、おはよ、犬塚さん」

「ちっす」


 犬塚のあいさつに続いたのは中川と竹中だった。あけみちゃんは九条に感激を伝えながら頭を撫でており、一方の九条はそれをかなり迷惑そうにしている。


「犬塚さんもどうぞ」


 それから逃れるようにしてきた九条から、お菓子を受け取る。「ありがとうございます」と頭を下げるものの、先ほどの妙な気まずさが思い起こされて、会話が続かない。正義とは一体なにか。それを思わず口走る前に、九条は離れていった。


 九条がいると、職場が明るい。

 犬塚はそんな印象を抱いた。決して、九条自身が活発にエネルギーを発している訳ではなかった。彼女がいることで、周囲の人間が活発になるような。若くして管理者を務めるというあたり、彼女にはその才が備わっているのかもしれない。


「犬塚さん!」


 駆け寄ってきたのはあけみちゃんだった。まるで犬が飼い主のところに駆け寄るかのようなエネルギーに、犬塚は思わず身構えた。


「先日はすみませんでした。私、好きになってもらいたい一心で、押し付けてしまって。あの後、反省したんです。これじゃあだめだって」


 犬塚の前で大げさに振る舞い、まるで叱られた犬のようになっているあけみちゃんは、やはり周囲の注目を一瞬で引く。これも一種の才だろう。


「いえ、そんな。私は教えてもらって、ありがたいと思っているんですから」

「本当ですか?」

「ええ。私もあの後、反省したのです。自分なりに本気で取り組んでいるつもりではありましたが、好きになろうとする努力が足りていなかったですね。特にキュアローズのエピソードはとても興味深いです」

「キュアローズちゃん! 超可愛いですよね!」


 いつものが始まった、と言わんばかりに散り散りに仕事場へ出ていく面々の中、見てはいけないものを見てしまった、そんな表情しているのが九条だった。九条は犬塚を指差しながら瓜生の方を向いたが、瓜生は何も答えずにパソコンに向き直っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おもちゃおじさん ゆあん @ewan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ