第10話『少年A』

 異変に気づいたのは、教室のまえにできた人だかり。

 妙に騒がしい。あいにく気にするほどの気力もなかったので、そのまますり抜ける。


 ――友達ごっこ。バカみたい。


 抜け殻なんだ。この体。冷笑で胸が焼けそうになるが、あいにく身体は健康体。

 肩を並べる同級生たちは、青みがかったシャツが集まって生きものみたいに蠢いている。


 ほら、誰もあたしを見てくれない。


 ぐちゃぐちゃの感情を喧騒が逆なでる。

 ……ああ、やだなあ。こんなこと考えてるなんて。

 やり場のない苛立ちに自分で嫌気がさした。


 不意に、その目が横を向いた。

 がやがやと行き交う生徒の声。最近やっと顔を覚えたクラスメイトは放射的に散って、遠巻きに何かを見つめている。観察といった方が正しい具合だ。


 視線を辿ると、見覚えのある背中にいきついた。


 少しだけ目を見開いた。不覚にも足が止まる。

 人混みの先に、見覚えのある背中があった。

 ざわめく群衆の中、そいつは一人ぽつんと座っている。


「珍しいね。かれが来るなんて」


「わ」


 不意の声に驚いて一歩退く。隣には、これまた見覚えのある少女がいた。


「目薬ありがとね」


 少女は手をちょこんと前に突き出して、挨拶してみせる。


「ああ、このまえの……えっと、」


「雪音、碧石あおいし雪音ゆきねだよ」


 翠が思案するまえに、少女は自分から名乗った。

 雪音でいいよ、と少女は淡白に笑ってみせる。

 目薬は効いたらしい。クマは取れていた。

 心なしかこのまえよりも表情が柔らかい気がする。


「あ、百川です」


「知ってる。同じクラスだもん」


 そっけなさとは違う、シンプルな言葉のやりとりが少女の独特な雰囲気を醸している。


「それより、ほらあそこ」


 話はもどって、雪音は再び意識を前に向けた。


「あの席、普段は空いてるでしょ?」


 言われてみれば確かに。普段はあまり気にならなかったが、たしか空き机だったはず。

 普段ひとのいない席に、今日はひとり、小柄な背中がひとつ。

 クラスが騒いでいる原因はこれか。

 ずいぶんと猫背な、真っ白い首筋。

 初雪みたいな肌だった。くたびれシャツから薄い輪郭をさらして、小さな背中がちょこんと座っている。

 あの背をつい最近見かけたような気がする。あれは確か———


「レン」


 思いだすまえに、ふりかかった声に先を越される。

 担任の大神だった。騒ぎを聞きつけたのか、いつもより早く顔を出した彼は意外そうな目でレンを見つめる。


「……来てたんだな」


「日数、マズいでしょ」


 レンと呼ばれたその背中は、華奢な方を起き上がらせて億劫そうに応えた。

 担任は一度驚いたように目をぱちくりして、「それもそうだ」と口端を上げる。

 教師と生徒のやりとりにしては、随分親しげな会話に、様子を窺っていた生徒達がそれぞれでかんぐりを始める。

 教師は特にそれを気にした様子はなく、ため息をひとつ吐くと、早々にHRに入る。

 教室の妙な緊張感も担任の一声で、徐々に落ち着いていった。


「それじゃ」


 と一言添えて、雪音も自分の席へと戻っていく。

 翠もやや遅れて席へ向かった。

 歩きながら、横目で興味本位に視線を投げた。


 レン——その名前を聞いたのは2度目だ。


 やはりあの背中は、あの時翠にぶつかった少年のものだったのだ。

 そういえば初めて彼を見たときも、大神と一緒だったことを思い出した。

 あの二人、親戚でもいるのかな。


 不意に、少年と目があう。


 彼は特段気にした様子もなく、すぐに視線を前に向けた。


 予鈴が鳴る。


 HRが始まれば、たちまち喧噪は散った。


 担任の持ち出した抜き打ちの小テストに奮起する一同のなかで、例の少年、レン見てみると……早速寝始めている。


 まだ授業は始まっていないが、大丈夫なのだろか。


 そんな心配が頭をかすめるが、今朝のことが頭をよぎって、自分も人のことは言えないな、と笑った。



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