第6話 蚊、ほろぶべし


 「…っ!」


 俺は頭を振り上げる。


 俺は部屋のベッドの上で座り込んでおり、2人が俺の顔を覗き込んでいた。


 「戻った…のか?」


 「お兄ちゃん?お兄ちゃんなの!?」


 「ああ!」


 やったぁ!と妹が俺に飛びつく。続いて弟も。


 重い!痛い!と俺は2人を振り払う。


 「重いとは失礼な!」


 「うるせぇ!お前が引っ掻いた頰が痛いんだよ!」


 「私が引っ搔かなかったら助からなかったくせに〜〜!」


 俺たちは3人でひとしきり笑った。




 「さて」


 俺はベッドから立ち上がると部屋の一角、悪魔の蚊がひっくり返っているところまで歩いた。


 かがんで覗くと、蚊はまだ息があるのか少しピクピクと動いている。


 「どうするの、お兄ちゃん?」


 俺は蚊をじっと見つめる。蚊は恨めしそうな目で俺を見返した気がした。


 俺は少しためらってから、


 バンッ!


 と蚊を叩き潰した。


 「殺しちゃったの?」


 と弟。


 「…こうするのが一番いい。こいつは生かせば何をしでかすかわからないし、危険だ」


 それに、と俺はつづける。


 「あいつは悪魔に出会った時に死んだんだ。俺たちは奴の死にたまたま巻き込まれただけさ。そう考えろ」


 2人は俺の言葉をじっくり反芻はんすうしてから…うん、と神妙に頷いた。


 今の俺は2人にそう言うしかない。事実は違っても––––––。




 「まぁ、これで心配することは何もない…。俺は少し寝るよ。なんだか疲れた」


 そう俺がため息混じりに言う。えっ!と心配する妹。


 「私、冷えピタ買ってくるね!」


 妹は風のように家を飛び出した。別に熱があるとは言ってないのに。鍵を閉めろ。


 「ぼ、僕は…家中に蚊取り線香をたくよ!」


 弟が言う。


 「また起きた時にお兄ちゃんの人格が変わってたら嫌だもん!」


 別の部屋にすっ飛んでいく弟。スリッパが脱げているぞ。


 バタンと閉じる扉––––まったく。


 本当に兄思いの妹弟だ。俺はフフフと笑った。


 次第におかしくなって声が大きくなる。


 俺は体をそらして息もできぬほど大笑いした。

 



 本当に兄思いだ!


 滑稽こっけいなほど!!


 ––––––だまされているとも知らずにっ!!!



 「あはははははははははははははあはははははは!!」




 賭けに勝ったのは俺だった。


 血をただ飲んだだけでは入れ替わりは起こらなかった。


 直接肌に針を刺して血を吸わなければ意味はなかったのだ。


 しかし、成功しなければ、それはそれであの妹弟はまた別の策を講じただろう。それだけの必死さがあの2人にはあった。


 だから俺は“入れ替わったふり”をした。


 それが一番穏便で、簡単に悪魔の蚊を殺すこともできるからだ。


 俺の演技が迫真だったのか、あまりにうまくいったもんで思わず笑ってしまった。


 まぁ、今後あいつらの兄を演じ続けることには無理が生じるだろう。


 だから頃合いを見計らって家を出るなど、この男に面識のある家族や友人から離れなければならない。


 難しいが、俺ならなんとかなるだろう。


 …それにもしバレてもやりようはいくらでもある。


 そう、人間の可能性は無限大だ。蚊なんかと違って。





 蚊取り線香を燃やす火が、ジリジリと煙を吐いた。


 悪魔の蚊––––––。


 そんなものがいたのは驚きだが、1匹で根絶したとは限らない。


 この世界には悪魔の蚊がいて自分たちを狙っているかもしれない。


 だから蚊は見かけ次第殺さなければならない。


 徹底的に。


 暴虐的に。




 蚊、ほろぶべし。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔の蚊 後藤 大地 @marebito8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ