第5話 人生の分岐点

人生にはいくつか分岐点があるという。


10代の頃の分岐点ほど明暗がはっきりわかれていないにしろ、ここから双極性障害と診断されるまでに至るか、そうでない未来にいたのか。


僕は社会人の出だしからまともなスタートが切れず、ずっと混乱していたんだろう。

実を言うとこの少し前から今もなお苦しめられている持病がだんだんと蝕んでいたこと、事情があって、今になっては大した金額ではないにしろ借金を抱えていたこと。家族にはとても言うことができず、支払いのために日雇いアルバイトや短期派遣のアルバイトを重ねた。

もし、この頃に、きちんと知るという行動を起せば、職業安定所で失業保険の受け取りをすることができたし、そのお金で借金を返済しながら未来のことを考えることができたのかもしれない。


スマートフォンはこの頃にはまださほど普及はしていなかったが、家に帰ればパソコンで調べることができた。現実を生きているようで、今自分が置かれている状況は直視することができず、つらいことから逃げていた。


逃げる、ということは悪いことではない。危害を与えてくる環境からはむしろ逃げるべきだと思う。今自分が置かれている状況がどういったものであれ受け入れ、そこから模索し、最優先すべきものを選択することからは逃げてはいけないんだ。


時間は止まることなく進む。


今でもこの時点でなにが最良の選択肢だったかはわからない。


2011年、若者の4人に1人が非正規雇用であった。

100社は応募しろという時代だった。


学歴があってもぱっとしない者は容赦なく面接に落ち、メーカーは業績悪化し大規模リストラを行い、IT業界はことごとく倒産し未経験者が新たに入る余地はなく、自信たっぷりにスーツを着た営業マンを眩しく思い営業職に行ったものは労働環境の悪さに精神を病み、妊娠したと言えば退職を迫られ泣き寝入りした。


周りの友人たちは、公務員を目指しはじめたり、コネがある者は知り合いの自営業を手伝い、若者たちがみな息を潜めぐっとこの状況を耐え忍ぶしかなかった。


国は、リストラされたシニア層の一時的な金銭を稼ぐ場や、若者に社会生活を学ばせるため、緊急雇用創出事業などの打ち出しを2008年のリーマンショックから3年経ってようやくはじめた。


振り返ってもなお、何が最良かはわからない。

ただ、職業安定所へ行き、失業保険を受け取り、耐え忍び、この時できることやしたいことをじっくり考えるべきであったと思う。


僕は、その選択肢を知らないまま、まだ先へ進むこととなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

双極性障害の仕事 椿みなと @tsubaki_noki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ