第6話 君はもう一度戦える


「アスト……あんた、なんで!なんで戻ってきたのよ!」


 カナリアは顔を歪める。どうして戻ってきたんだとアストの行動を強く否定する。

 せっかく諦められたのに。死を受け入れられたのに。それがぐらついてゆく。ひび割れてゆく。


「あんたまで死んだら……あたしはもうどうしようもなくなる!お父様にも恥をかかせる……それに……きっとあたしよりもあんたの方が伸びしろがあるわ……。生きる価値だって……あ、あんたの方が…大きいのよ……!」


「………」


 必死に説得をする。自分をどれだけ貶めてもいい。だが仲間も一緒に死んだとなればロベリールの名にも傷がつく。「ロベリールの娘は仲間も死なせた無能だった」と噂される。


 それなら意味のある死を。仲間を救って死んだ。それならまだ……



「誰が、君にそんなことを言ったんだ」


 アストはポツリと呟いた。



「誰が、君の価値なんか決めたんだ」


 やめて。もうそれ以上言わないで。諦めた心が割れていくから。



「誰が、僕の方が伸びしろがあるなんて証明したんだ」


 死にたくないって……思ってしまうから。



「まだ君は……何も終わってないじゃないか!」


 もう………


「どれだけ皆や君自身が否定し続けても、僕は君を肯定し続ける。僕の命を救ってくれた君を。『君は無能なんかじゃない』って僕だけは言い続ける」


 グランダラスはあちらの方が面白そうだと再びの標的変更。玩具の再来に歓喜する。


「行くぞっ!!『ファルス』!」


「ルルル、ルラアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!」


 少年は疾駆する。鎧も纏わず、攻撃魔法も使わず、勇気だけをその胸に。


「ラアアアアア!」


 グランダラスから放たれる風暴れ狂う一閃。避けても風で飛ばされ体勢を崩すことになる。


 アストはそれを、


「—っ!ああああああああ!!」


 斜めに構え、受け流した。

 ギャリリリ!!と剣と剣が摩擦する音が鳴る。

 受け流しても衝撃がすごく骨に響く。腕がそのまま吹っ飛んでしまいそうだった。

 それと引き換えに手に入れた大きな隙。これを見逃したりはしない。


「く……らえっ!!!!!」


 アストはグランダラスの体に魔法による強化をかけた一撃をお見舞いする。

 脇腹に刃を通した。筋肉がグッとそれを受け止めるが、止めさせはしない。


 もう一度力を込めて……受け止めた筋肉ごと、斬り裂いた!


「ル、ラアアアアアアアア、アアアアアアアア!!」


 グランダラスの脇腹から血が流れ出る。玩具からの思わぬ反撃に困惑した。

 今まで餌を与えられてきて強くなった。少年と同じ形をした餌を何度も食ってきた。

 自分を痛めつけてきた「餌」はここに来てから初めてのことだった。


「まだだ……!」


 アストはグランダラスの体に刺さったままだった【ローレライ】を強化された力で引き抜く。


 そのままロングソードとレイピアの双撃。


 アストは何かの剣技の熟練者というわけではない。かっこ悪いメチャクチャな双剣攻撃だ。


 それでも……止まるな。退くな。恐れるな。少しでも弱気を見せればそこで終わりだ。この剣舞を続けろ!


 バカでかい大剣と2つの剣が乱れ舞う。


(今だ……跳べ!やつの後ろに移動するんだ!)


 僕の足を狙った低い斬撃を跳躍して回避、そしてそのままグランダラスの背後に移動。さらにそこからグランダラスの背中を斬る。


 いける、いけるぞ……!こいつは僕のことを餌だとしか思っていない。


 こちらが恐れず一歩前に踏み出せば……戦える!


「ル、ル、ル」


 自分の体を斬り刻む小さき存在。グランダラスはもうその存在を「餌」とは思わなくなった。

 これは今までの「餌」とは違う。「玩具」として遊べもしない。邪魔な存在だ。


 なら、消さなければ……と。


「ルアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!」


 いい加減にしろ。その意味を込めてグランダラスは大剣を「両手」で構えた。


「!!」


 振り下ろされる圧倒的暴力。なんとかそれを避けたアストだが途轍もない衝撃波が自分の体に打ち付けられた。


 またも近くに置いてあった檻に叩きつけられるアスト。

 剣を放してはいない。意識も朦朧としていない。だから次に襲い掛かってきた攻撃にも反応できた。


「ぐっ!!!!!!!」


 アストに恐怖を染み込ませた横一文字の一閃。それをアストは二振りの剣で受け止める。


 だが力の差がありすぎる。大剣を受け止めたアストの体がフワリと浮いた。そのままアストが体を預けていた檻ごと……放り投げた!


「が…………はっ!!!!うっ……げほっ……げほっ!……あぁ…あ、あ……!」


 壁に衝突し、床に落ちる。

 頭から血が流れる。右腕が折れた。カナリアのレイピアは魔法武器の頑丈さのおかげで無事だが僕が使っているロングソードは粉々に壊れている。

 眩暈がする。足の力が抜けていく。僕は崩れ落ちる。


「いっったぁ……が、あ、ああああ……あぁああぁあ!」


 折れた右腕が発熱したように熱くなる。体中が痛い。息をするのも辛い。


 もう……終わりなのか?あいつを怒らせて、本気にさせて、たったそれだけで……僕は……




 ―もう、諦めるの?




 波紋のように頭に声が響いた。試験の時と同じだ。名も知らない少女の声。知らない記憶の断片が僕に囁く。



「諦め……ないさ」



 —諦めそうになった時、まずは立って。どれだけ痛くたって、体が千切れそうになったって、自分の脚で立って。



 僕は脚に力を込める。脚の骨は折れていない。なんだ、まだ立てるじゃないか僕は。



 —立つことができたなら、今度は前を向いて。下を見ていても何もできない。前を向いて……敵を見て。自分が倒すべき敵を。



 僕はグランダラスを見る。まだやつは怒っている。僕を殺すべきだと純粋な殺意を向けてきている。



 —前を向けたなら、今度は決めて。自分がやるべきことを。その敵をどうしたいの?貴方は何のために戦うの?



 僕はあいつを倒す。カナリアを救う。僕は君を、救いたいんだ。




 —そうすれば、ほら……貴方はもう一度、



「戦えるッ!!!!」




 僕は再び「勇気」を手に入れた。グランダラスへ、自分から向かっていく。

 左腕だけで無謀な戦いを。それでも退かない。左腕が折れても突進してやる。諦めれば本当に終わってしまうから。


 突入するは大剣の大嵐。それでも恐れはしない。その嵐の中に僕は体を突っ込ませる。

 当たれば即死。掠れば致命傷。死の匂いが濃厚なその場所へと躊躇わず足を踏み入れる。


 片手になってしまったことで受け流しなんてものはもうできない。いくら受け流しても衝撃を片手じゃ受け止めきれないからだ。


「ルルルルラララアアアアアアアアアア!!!!」


「う、くぅ……ああああああああああ……!」


 力でダメならスピードだ。翻弄しろ。動きまくるんだ。相手は両手で剣を持って大振りになっている分、軌道が読みやすくなってる。


 避けて、斬って、避けて、斬って、避けて、斬って。


 勇気を振り絞り、恐れをなくすだけでこんなにも体が軽くなるのか。もう怖くない。


 「捕食者」と「餌」じゃない。僕とこいつは対等な「敵」同士だ。



「—ッ!?」



 うまくいっている。そう思った矢先に僕の腹へ痛打がやってきた。

 僕は血を吐きだしながら仰向けで倒れる。



 襲い掛かってきたのは—グランダラスの



 やつの知能が高いことを忘れていた。

 激昂しているように大剣を振り回していると見せかけて、これが真の狙いだったんだ。

 チョロチョロと動き回る下等生物を効率よく倒すための策。


「うっ!!」


 ビシャビシャとまた血を吐く。

 予想していない攻撃だったこともあり防御をまったくしていなかった。魔力を纏っていない自分には死ぬかもしれない一撃だったぞ……。




 そんなアストの必死の突撃を見てさすがにカナリアは黙っていられなくなる。


「なんで……そこまでするのよ。無理よ。全然相手になってないわよ!魔力も纏えない、魔法だって大して使えない、剣術も体術もすごくない。今にも死にそうなくらいボロボロになって……なんでそこまでするの!?あんたとあたしなんかまだ出会ってちょっとでしょ?いくら命を助けたからって……」


 ここまでの戦いを見ていたカナリアは正論を言ってくる。

 いくらちょっと反撃できたからって1回攻撃をもらえばこの有様だ。そう言いたくなる気持ちもわかる。


「……マリー……ゴールド」


「え?」


「マリーゴールドが……嫌いって…言ってた、理由。まだ、聞いてない」


「は!?なんでそんなこと……」


「カナリアの、お母さんの話を……もっと聞いてみたい。……お父さんが………どんなにすごい魔法騎士なのかを、教えてほしい……」


 口についた血を拭い、僕はまた立ち上がる。



「君と、になりたい。君との繋がりを……手放したくない……!」


「!」



 初めて生まれた学校での繋がり。

 記憶を持たない僕にとってそれは大切で、君が楽しそうに話すと僕は楽しくなった。


 君が努力している姿を見ると僕も頑張らなきゃと思えた。


 君が怒ると僕は辛い気持ちになった。


 君が悲しそうにすると助けたいと思った。


 君と出会ってたった数日間。その数日間で君は僕に色んな顔を見せてくれた。


 そんな君と僕は友達になりたいと思った。


 だから!


「諦めないんだ……諦めたら、君が今まで僕に見せてくれた感情が全部無くなるから」


 僕には記憶がない。だからこそ、手に入れたものをくしたくない!




 僕はある覚悟を決め、震えた手でレイピアを逆手に持つ。


 どうやら……もうここで限界みたいだ。

 これ以上は奴を攻略する手立てがない。これだけはやりたくなかったけど……僕は賭けをしなくちゃいけなくなった。


 使……!


「やるしか、ないよな……。くそ……怖いけど…………もうこれしかない!頼む……なんとかなってくれ……!」



 ズシュッ……!



 僕はレイピアで、自分の心臓を突き刺した。





「な、なにしてんのよ!」


「ぐ、ぶっ………!」


 レイピアを引き抜くとそこから血が流れ出て尋常じゃないくらい吐血する。体の力が一気に抜けた。ガクンと膝から崩れ落ちる。


 そして……



 ドクン!



 きた。きたぞ……!突き破ったはずなのに心臓が大きく鼓動を伝えてくるこの感覚。


 これは……試験の時のあれだ。



『おそらく魔王の心臓の力が解放される条件は……致命傷を受けた時ってところね』



 あのベルベットの言葉を聞いた時からこれで発動するんじゃないかと思っていた。致命傷になる一撃。それは心臓への攻撃だ。


 闇が僕の意識を喰らっていく。「僕」が塗り替わっていく。切り替わっていく。




 舞踏会は、開かれた。




 さぁ……踊ろう。




 『俺』と一緒に。






「アスト……?」


「ルルルルゥ…?」


 アストは立ち上がる。体から紫焔のオーラを立ち上らせる。傷も急速に治っていき折れた右腕も一瞬で修復された。


「グランダラス。ここからは『俺』が相手をしよう」


 別人の雰囲気を纏って立ち上がったアストはグランダラスを睨んだ。それと同時にアストは手をかざす。



「顕現せよ!絶望の渦から一片の勇気を照らし出す魔法陣!!」



 すると天井に巨大な黒いが現れた!


 「魔法陣のようなもの」というのはそれが魔法陣に似ている幾何学模様のサークルであるにも関わらず、「あれは魔法ではない」と感じさせる異様な力を感じたからだ。

 

 

「来い……我が眷属」



 だがこれは詠唱ではない。これは魔法のようで、魔法ではない力。



「『漆黒竜しっこくりゅう バハムート』!!」



 アストは名を呼んだ。

 天井にあった黒の魔法陣から漆黒の尾が出現する。さらに硬い鱗を宿した体も。


「あ、あれって……!」


 カナリアは驚愕した。呼んだ名、現れたその姿。それはまだ記憶に新しい漆黒の暴竜。



「グギャガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」



 凄まじい咆哮をあげてバハムートはこの地に降り立った。グランダラスもその姿に畏怖の念を抱く。


「このままお前にやらせても良いが……ここが崩れて生き埋めになっては元も子もない。お前は俺の……『武器』となれ」


 今度は顕現したバハムートに向けて手をかざした。


「俺にその力を寄越せ!!」


「グルルル……。グギャアアアアアアアアアア!!!!!」


 バハムートは王に命令され、それに従うように1つ吠えると光の粒子となり霧散した。


 そしてその粒子はアストの前で集まり形を取る……に。


 アストはそれを手に取った。その剣の柄は真っ黒に染まっていて無窮の闇を連想させる。それに対して刃は蒼白く発光して煌々と輝いていた。



「【竜王剣りゅうおうけん バルムンク】」



 それがその剣の名。一度振るうと蒼の光が火花のように散った。



「なによあれ……魔物を召喚して、それが武器になった……?聞いたことないわよそんな魔法……」


 魔物を別空間から呼び出す魔法はある。しかし魔物を武器に変える魔法なんてものは存在しない。


 魔法武器などは魔物の体から取れる素材から造られる物だがアストが使った魔法は魔物そのものが武器になっているように見えた。

 カナリアは試験の時を思い出す。アストが倒したバハムートから魔力を吸収していたのを。


(まさか倒した魔物を隷属できる魔法!?魔物を使って戦うハンターに似てる力だけど……そんな次元じゃない。魔物を完全に支配下に置いてる。しかもあの武器、『魔法武器』だわ……!)


 【バルムンク】には魔力が流れていた。

 これは魔法武器に見られる特徴で使用者の魔法をサポートするために必要だからだ。カナリアの【ローレライ】もそうである。


「ルラアアアァァ!」


「ふん……」


 本能的に危険を察知したグランダラスは大剣を振り下ろした。

 アストはこれを避けず……右腕で持っている【バルムンク】を斜めに構えて軽く受け流した。


 振り下ろされた大剣はアストに当たらず地面に直撃。風が吹き荒れるがアストは上手く体を動かして飛ばされることなくやり過ごす。


 さっきまでのアストなら受け流そうとしてもグランダラスの力が強すぎて腕にダメージを受けていた。

 だが今のアストはそんな風には見えない。これは力が上がっているというよりも……



(剣術が……上手くなってる?体の動かし方も別人みたい……。どういうこと?)



 これももちろんのことだが身体能力を向上させる魔法はあっても剣術や体術を会得する魔法は存在しない。

 そんな魔法があれば魔法騎士は剣や格闘を訓練などしなくなる。それどころか魔女でさえ誰もが剣を手に取るだろう。

 今のアストの剣術や体術は完全に別人のそれだった。魔法の線が無くなったとなればなぜアストの技術が急激に向上したのか。


 大剣と、蒼く光る剣が舞う。

 今やグランダラスは殴る、蹴る、とその身全てで攻撃を仕掛ける。アストはそれを避けて、剣で受け流して、なんとか凌いでいる。


「すごい……!あのグランダラスに互角の攻防を……」


 Aランクの強さを誇るグランダラスによって殺される魔法騎士は数多くいる。

 自分の使っている武器を奪われたり、その強靭な肉体によって蹂躙されたり。力と知を持つ強力な魔物だから危険なAランクとされているのだ。

 しかもその異常進化した個体ともなればAランクに留まる力なのかすら疑わしい。

 それは置いておくとしても強化された圧倒的な力は魔力を纏っていようが一撃で深刻なダメージを与えるほどだ。



 魔人と人間は魔力を纏っている、いないが違うので戦い方が少し異なる。

 魔人は少しくらいのダメージなら防げるので「避ける技術」をあまり習得しない者が多い。逆に人間は防御面が「避け」に特化している者がほとんどだ。


(今のアストの戦い方……なんだか人間みたいだわ。自分と相手の得物を考えた位置取り……)


「ルル、ルルル、ルルルルルルル……!!」


 暴力の連続波。大剣、拳、蹴り、噛みつき。最早やりたい放題。アストはそれを全て避けていく。


「ルラアアアアア!!!!」


「くっ……!」


 しかしここで一発の蹴りを避けきれず剣で防ぐことになってしまう。

 『ファルス』を使って身体強化を施しているが力の差が違いすぎることもあり大きく後ろに後退した。


「……!」


 アストは後退した場所に【ローレライ】が落ちているのを発見する。それをカナリアの方に投げた。


「え……あ、」


「カナリア・ロベリール!!」


「! な、なに……?」


 前のアストとは思えない強い声で名前を呼ばれてビックリする。アストはカナリアに目を向けずに声だけを飛ばした。


「お前はいつまでそうしている。早く立ち上がれ」


「む、無理よ……あたしじゃあんなのどうすることも……」


 声をかけられても立ち上がれない。自分があいつに勝てないことはわかっているから。


「諦めるのか?……ならお前に1つ教えてやる。諦めなければ終わることは絶対にない。だが諦めればそれは本当の終わりだ。生きていようが死んだのと同じ。掴める未来など1つもない」


 カナリアはアストの言葉を黙って聞く。まさに自分のことだ。

 命を諦めた自分はもう父に認められることも、母のような魔法騎士になりたいという夢も全て捨てていた。


「生きている限り、諦めない限り、必ずいつか自分の望む未来は掴める!そしてそれを試されているのは今だ!お前はどうする?」


 向かってきたグランダラスの大剣を受け流しながらアストは言った。立ち上がれと。

 カナリアは目の前に転がっている自分の武器であるレイピア―【ローレライ】を見つめる。


(アストが取り返してくれた……あたしの大切な物)


 カナリアはそれを握りしめる。でも、まだ戦う意思が出てきてくれない。ダメージが体に残っているわけではない。そんなものとうに無くなっている。

 問題は心。一度諦めてしまった傷は簡単に癒えない。トラウマのように残り続けているのだ。


 その様子をチラリと見たアストは勇気を手に入れる魔法の言葉をカナリアに送った。


「……まずは立て。立てたなら、敵を見ろ。そしてなぜ戦うかを決めろ。それができたなら……」


 グランダラスが走る。アストへ全力の殺意をぶつける。



「お前はまだ、戦えるッ!」



 大剣と蒼光の剣がぶつかる。アストは苦し気に顔を歪めた。まともに受けたことで右腕が悲鳴を上げる。



「アストのくせに、好き勝手言ってくれるじゃない……」



 カナリアは握っていた【ローレライ】を見つめる。そこで思い出した。いつかの母との会話。






『カナリアはマリーゴールドが似合うわね』


『えー!まましらないの?まりーごるどーのはなことばってね、いやーなものがいっぱいなんだよ!あたし、きらいだもん!』


『そう?じゃあこれは知ってる?……『勇者』』


『ゆーしゃ?』


『そうよ。それもマリーゴールドの花言葉なの。私好きなのよ。マリーゴールド。だからカナリアはマリーゴールドが似合う子になってね?』


『ゆーしゃってなにー?』





 母の死と共に忘れていた小さかった頃の記憶。母が大好きだった花は自分の大嫌いな花だった。


「今ならわかる……『勇者』。なんで忘れてたんだろう……」


 カナリアは立ち上がった。暴れ続けるグランダラスを見る。もう奪われた物は取り返した。あとは得るだけだ。勝ち取るだけだ。生きる希望を。


「あいつを倒して、あたしは生きる……お母様のような立派な魔法騎士になるために」



 ほら。もうお前は、戦える。



 アストからそう言われた気がした。自分に勇気をくれたアストに感謝する。


 【ローレライ】の刃先をグランダラスへと向け魔法の標的とする。


 詠唱が、始まる。


「水の精霊よ我に力を 悪しき魂に今こそ罰を 勇気ある魂に祝福を 忌まわしき心を洗い流す 我が敵を撃ち抜け断罪の水流」


 5節の詠唱。カナリアの手持ちの中でメインの攻撃魔法。

 【ローレライ】の刃を地面に突き刺し、自分の残り全魔力を注ぎ込んだ!


「『ウォーターガイザー』!!!!」


 アストに凶刃を振り下ろそうとしていたグランダラスの足元から魔法陣が出現。それを見たアストはすぐさま後退する。


 魔法陣から大きな水柱が立ち上る!!


 グランダラスは自分の体と同じほどの大きさの水柱に思い切り体を打ち付け、あまりの勢いに体を宙に浮かせてそのまま倒れてしまう。

 ここで初めてグランダラスが体を地につけた。


「ル……ルラ!?」


 これも初めてのこと。自分が持つ暴力に屈しない存在であるどころか自分が暴力に晒されている。


 また1人「餌」ではなく「敵」と認識する。

 さっきの魔法は下手をすれば自分の体を貫いていた。危なかったのだ。よろめきながら……なんとか立ち上がろうとする。


「今の、全魔力使って……も、もう……魔力、ないわよ……!アスト、あんたが最後、決めなさい!」


「やればできるじゃないか。後は任せろ」


 アストは【バルムンク】を天に掲げる。


「『ファルス』」


 アストは『ファルス』を発動。

 だがその対象は自分ではなく……自分の持っている武器だった。


 蒼く光る剣は光の粒子に包まれる。【バルムンク】は『ファルス』の効果で耐久力、斬撃性能が向上した。


(そうか……ベルベット様が言ってた。『ファルス』は身体強化魔法ではなく強化魔法。物体の力も向上させることができる!)


 【バルムンク】はさらに光を強くする。蒼い光が眩く輝いていて、どんどん光が強くなっていく。


「え………武器がアストの魔法に反応してる?」


 【バルムンク】が、かけられた『ファルス』に反応して光っているように見えた。


 そういえばあの魔法武器がどんな力を持っているかまだわかっていない。


(バハムートは魔法に対する強い耐性がある。それは鱗が魔法を吸収するから……あの剣もそれと同じ力を?)


 蒼く、蒼く、蒼く。輝き続け……そこから紫色の魔法陣がいくつも発生した。


「え!?あれは……!?」


 魔法使いがそれぞれ1種類だけ使える特別な魔法。それがアストの持つ剣の周囲に発生していた。


 属性は「闇」。光を滅する暗黒の力を生み出す闇魔法だった。


「アストの属性魔法が『闇』ってこと?いや……そうじゃないわ。あれは……使!使用者の代わりに魔法を発動する魔法武器ってこと!?」


 そんな代物聞いたことがない。

 そもそも魔法武器とは使用者が使う魔法のサポートが目的で作られている。あくまでできるのはサポートなのだ。


 武器ごときが魔法使いであるかのように魔法を発動するなんてことはおかしい。しかも魔法は無詠唱。それなのに強力な魔法の気配がする。


 アストの【バルムンク】は外部から魔力を吸収することによって使用者が魔法を使える使えないに関係なく、闇魔法の発動が可能な前代未聞の魔法武器だった。


 それはある意味で魔法使いの大原則である「1人1つの属性魔法」というルールを破壊する武器でもある。


「行くぞ……グランダラス。この一撃を受けてみろ」


 【バルムンク】は蒼い光から黒い光に変わる。剣はその黒の光に包まれて漆黒の大剣と化した。


「ルラァ!?」


 グランダラスはその攻撃に激しい恐怖を抱いた。あれはヤバイ。本能が騒ぐ。逃げろ、と。戦うな、と。


 好き放題に暴れていた暴君は後ろに振り返ろうとする。次の瞬間には情けない背中を見せて逃走を始めるつもりだった。


 だが、それは叶わなかった。


 突如、グランダラスの足元にあった水たまり―カナリアが発動した『ウォーターガイザー』によって生まれた―がバキバキ!と凍りだす。

 室内の温度も急激に下がり極寒の世界に早変わりした。


 ここにいる全員何が起こったのかと驚く。

 どんな偶然かちょうど地上ではベルベットが究極氷魔法『フィンブル・ヴェト』を発動させた直後だったのだ。


 その結果、足を氷で縛られたグランダラスは後ろを向くことすら許されず逃げることができなくなった。


 アストは白い息を吐き……グランダラスに告げる。


「覚悟はできたか?お前の終わりのときが、来たぞ」


「ルルラ!?ルラアアアアア!!ルラアアアアアアア!!」


 グランダラスは自分の足元の氷を大剣で砕こうとする。数秒あれば抜け出せるほどの氷だ。


 の話だが……。


 アストが目にも止まらぬ速さでグランダラスへと急接近する!



「『ブラックエンドタナトス』!!」



「ルラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!!!」


 それは漆黒の剣という鎌を振り下ろす死神か。


 漆黒の大剣と極大の大剣の交錯。

 大きさで比べればグランダラスの持っている剣の方が大きい。


 だがアストの剣に魔法が付与されている時点でそんな次元の勝負ではなかった。



 ズグンンンンンンンンンンンンンンンッッッ!!!!!!!!



 重々しい音を上げ、漆黒の光の刃が立ち向かう大剣ごとグランダラスの体を両断した!!


 嘘みたいになんの抵抗も見せず大剣はぶった切られた。おそらく魔法による効果だろう。


「ガアアアアアアアアアアァァァ!!!」


 斜めに斬り裂かれ自分が惨殺したブラックウルフと同じく上半身と下半身が離れる。

 頭と右腕だけになって地に落ちるグランダラスをアストは見下ろす。


「ル、ル、ルル……」


 情けか、トドメか。グランダラスは高い知能があるせいでこの次の行動の意味を知ってしまうことになる。



「足ることを知らず捕食の限りを続けた暴食の王グランダラス。今からお前を……!!」



 トドメ、だった。



 アストの手のひらから黒の魔法陣が現れる。グランダラスの魔力と思われる光の粒子がその魔法陣に吸われていく。

 そのまま全ての魔力を吸われ、グランダラスの体は虚空へ霧散した……。


「また……バハムートの時と同じ……?」


 さすがにカナリアも理解した。

 あの「支配」とは……倒した敵を己の眷属として従わせる魔法。眷属となった魔物は召喚することができ、武器にもなる。しかもその武器は『魔法武器』だ。


(急に戦闘能力が向上したり、『支配』とかいう見たことない魔法や魔法武器を使ったり、ほんと底知れないわね)


「………くっ」


 アストはガクンと膝を落とす。立ち上っていた紫焔のオーラも無くなった。持っていた【バルムンク】も消滅する。



「はぁ……はぁ……!なん、とか……勝ったのか…僕は……」



 アストは元に戻っていた。雰囲気も前のアストだ。


「アスト、あんた……」


「カナリア……ははは、僕達……助かったね。……クエスト、成功だ」


 アストはクシャリと笑顔を作る。カナリアはキョトンとした後、つられて笑った。


「……バカ。ちゃんと無事に学院に戻るまでがクエストよ。ベルベット様の方がどうなっているかわからないんだから」


「そうだった……いてて、体中が痛い……傷は治ってるのに体がメチャクチャ痛む……」


 もうどこにもひどい傷を負っていないのにふらつくアスト。魔力が欠乏しているのかもしれない。

 そんなアストを見て1つ息を吐くと、


「ねぇ」


「ん?なに?」


「……ありがと。あんたのおかげで戦うことができた。また立ち上がることができたわ」


「え?僕なんか言ったっけ?ごめん。覚えてなくて……」


「はぁ!?」


 自分のお礼の言葉が記憶がないという返しで全て無となりカナリアは激怒する。アストは「ごめんなさい…」と縮こまっていた。


 戦いの最中、確かにアストは自分へ言葉を送った。もう一度戦う力をくれる言葉を。アスト自身に言った覚えがないというならあれはアストではなく誰だというのか。


「まぁいいわ……。じゃあこっちの方はあんたも覚えてることよ」


「はい?」


 カナリアはゴホンと咳払いする。少し頬を赤らめる。



「助けに来てくれて……ありがと」



 目を合わせずにボソッと呟く感じにそれを伝えた。アストは照れ臭そうにそれを聞く。

 カナリアは母の形見であるレイピアを抱きしめた。今度はアストと目を合わせて、



「あたしの大切な物、取り返してくれて……ありがとう……!」



 カナリアの目から一筋の涙が流れた。


 母を失くして、父からの期待は無くて、自分に残る唯一の物さえ奪われて。


 絶望の淵にいた自分を彼は助けに来てくれた。救い出してくれた。奪われた物を取り返してくれた。自分に勇気をくれた。諦めない力をくれた。未来への希望をくれた。

 

「どういたしまして……?」


「ふふっ、なにそれ」


 カナリアは可愛い笑顔を咲かせる。それを見て僕はドキッとした。

 カナリアのこんな笑顔を見たのって初めて……かな?すごい……可愛い。普段もこんな風に笑ってくれてたらいいのに。


「か、帰ろっか。……階段の途中でメイドさんを降ろして引き返したんだ。もう意識が戻ってるかもしれない」


「それもそうね。それにまだベルベット様が戦ってるかも……!」






 アストとカナリアは地下を出るために階段を上がる。アストの言う通りで階段を上がって5分くらいのところでメイド服を着た人間の女性が座り込んでいた。意識はもう戻っている。

 しかし意識を失う前に怪物を見た時の恐怖で腰が抜けているのか立ち上がれないでいた。


「大丈夫ですか?」


 アストがその女性に駆け寄り安否を確認する。アストの顔を見ると目に涙を溜めてコク……と1つ頷いた。


「はい……あの、……?本当にありがとうございます…ありがとうございます……!」


 泣きじゃくっている人間の女性はひたすらアストに感謝を述べる。さすがにこの状況でアストが自分を助けてくれたんだと察したのだ。


 だが「ハンター」という言葉が出た。彼女はアスト達のことを魔人ではなくハンターだと思っているのだ。

 魔法使いの外見は人間そのままということや「人間を助けた」という事実の2つがアスト達はハンターなんだなと推理させるに十分だったのだ。


 その女性の言葉にアストは一瞬硬直する。カナリアも「やっぱりこうなったか」と溜息を落とした。

 彼女は人間。自分達は魔人。相容れない存在同士なのだ。求められている味方も「違う」。

 カナリアは何も言わずにこのまま去ろうとアストに耳打ちしようとする。だがそれよりも早くにアストは口を開いた。


「……いえ、僕達は………『魔人』です」


「ちょっ!!あんた何バラしてんのよ!」


 何を言い出すかと思えば自分達の正体を白状したのだ。黙っておけばこれ以上何も起こらずに済んだものを。


「え…………」


 やはりと言ってか使用人の女性は顔がサーっと青くなりみるみるうちにまた恐怖が押し寄せてきていた。命の危機はまだ去っていないとでも感じたのだろうか。


「逃げるわよ!ほら!」


 カナリアはマズイ空気を察知し、アストを引っ張る。

 もしハンターなんかに通報されたらおしまいだ。ベルベットもいるとなればエリア7のハンター全員がここに押し寄せてくる。

 アストも無理やり引きずられる形でそこから離れる。


「なんで……私を助けたんですか?」


 ポツリと零れたその言葉が空間に響いた。てっきり慌てふためくかと思っていたカナリアも意外な反応に足を止めてしまう。

 使用人の女性はアストを見ていた。アストもその視線に応える。


「どうして魔人が……私、人間ですよ?なんで……」


 カナリアが「なぜ人間なんかを助けるんだ」と言っていたように、この人間の女性もまた「なぜ魔人が自分を助けるんだ」と言った。

 もう心には救ってくれた感謝よりもアストへの疑問の方が多く残っていることだろう。


「人間と魔人は………違うんですか?」


「え?」


「この街に来て思ったんです。決してひどい人間や魔人がいないとは言いません。考え方も人間と魔人で違うかもしれない。でも……本質はどちらも同じだと思うんです。人間も魔人も……同じ」


「おな……じ?」


「はい」


 カナリアも黙ってアストの言葉を聞いている。まるで自分にも言われている気がした。

 憎む相手は「人間の誰か」だとしても「人間という種族」ではない、とも聞こえた。


「今、僕とあなたが言葉を交わしているように……きっと人間と魔人は分かり合える。人間が魔人のことを、魔人が人間のことをよく知らないだけで本当は……僕達は同じなんです。同じ……この世界で生きる存在」


 アストはそれだけ言うと使用人の女性はもう何も言わない。カナリアも何も言わず……アストを再び引っ張って歩き出した。出口へ向かうために。




  ♦




「……って、さっむ!なんでこんなことになってるの!?」


 地上に出るとあら不思議。地下以上に極寒の世界になっていて何から何まで凍っている。

 それならなぜ地上に出られたのかという話になるが隠し扉は外側から破壊されていたのだ。


「やっほ~……くしゅんっ!」


 ベルベットが凍っている椅子に腰かけていてこっちに手を振っていた。寒そうにガチガチと身を震わせて。


「ベルベット!やっぱりそっちも戦ってたんだ?」


「うん。倒した後に助けに行こうと思ったんだけどね。キッチン前で滑って転んでお尻打ったの……で、休んでた。いたた……ねーおんぶ!おんぶしてー!」


 持っていた剣が壊れてて良かったよ……。今も持ってたら柄でベルベットの頭叩いてたな。なにがおんぶだ。むしろこっちがおんぶしてほしい。


「それよりもこの有様はベルベットのせい?なんかすごいことになってるけど」


「うん。『フィンブル・ヴェト』ってので全部凍らせたの。なんかあのおっさんすっごいムカツクこと言ってたから」


 何を言ったらここまでされるんだよ……と呆れているとカナリアはあぐあぐと口を開閉していた。


「ふぃ、ふぃふぃ、『フィンブル・ヴェト』……!?究極氷魔法ですよそれ!!まさかベルベット様って究極魔法を1人で発動できるんですか……?」


「そうだけど……」


 カナリアは眩暈でもしているかのようにクラクラとふらつく。もう訳がわからないと言いたげだ。


「カナリア、それってすごいことなの?」


「すごいも何も究極魔法よ!?それを1人で発動するなんてヤバイなんて話じゃないわ!演算量や使用する魔力量だってバカにならないしそもそも座標指定や範囲指定だって甘くするとエリア7全域が氷漬けになってたし―」


「あ~ごめん。難しくてよくわからないんだけど……」


「メッチャすごい。以上」


 カナリアは熱く語っていたのがスゥ……っと無の表情になってそれだけを告げる。

 な……なるほど。メッチャすごいことなのか。もうちょっと僕も魔法について勉強しなきゃな……。


 そういえば自分が魔王の力を使ってから何を喋っていたかは覚えていないんだけど戦いの記憶は残っている。自分が黒い剣でグランダラスを斬り裂いた映像とか。

 それ以外に逃げようとしていたグランダラスの足元にあった水たまりが急に凍りついて動きを止めたことも。


(あれはベルベットの魔法のおかげだったんだな……。僕だけじゃなくカナリアとベルベットの力もあったからこそ勝てたんだ)


 また勝てた。この経験が僕の心の強みになっていく。ここから少しずつ強くなっていくんだ。ゆっくりでもいい。着実に。


「あのおっさんがベラベラと喋ってたことだけど下にグランダラスいたんだって?」


「いたよ。死にかけた。っていうか1回死んだかな……?」


「……使ったの?」


 ベルベットは僕の顔を覗き込んで聞いてくる。隠し事はできないな。


「うん。使った」


「どうだった?」


「なんか……すごかった。戦ってる時、僕はずっとボーッとしてて体は動かしてないのに勝手に動いてて……まるで自分が戦っているのを傍観してたって感じだったんだけど……」


 しかもカナリアが言うには僕は何か言ってたらしいし。本当に僕とは違う人格が戦っていたというのか。


「あの力はすごかった。でもまだ何もわかってない。もっと知らなきゃいけないと思った。あの力のこと。そして……自分のことも」


「それなら、よし。また詳しく聞かせてねー」


「……怒ったりはしないんだ?」


「なんで怒るの?絶対に使うなとは言ってないし。怒らな~いにゃー!」


 ベルベットは猫のように椅子からピョンと飛んで抱き着いてくる。って、胸当たってるって!!


 アストに抱き着いたベルベットはムフフと笑いながら心の中で呟く。


(だって……今回はそれが目的だったから)


 アストにレベルBクエストを受けさせたのは経験を積ませるためともう1つ。魔王の力を早く使いこなせるようにするためだ。魔王の力の熟練は強くなる近道なのだから。


 ただ……アストは魔王の力を発動していた時に戦っていたのは自分ではなかったと言っていた。


 自分は最初見た時は魔王の力で暴走していただけだと判断したが……もしかすると戦っていたのは……。


 それに関しては戦いの様子を見ていたカナリアに話を聞いておいた方が良いかもしれない。

 もしかすると魔王の力はアストが「過去の自分」と繋がるものなのかもしれないから。

 アストにとっては悪いことではないのにこれを警戒してしまうのはコールドにキツイ言葉を言われたからだろうか。


 『お前に注がれる愛は賞味期限付き』


 『彼が記憶を取り戻せばお前はすぐに殺される』



 あれは一番言われたくないことだった。予想以上にショックを受けている自分がいて、それだけ自分はアストのことが好きなんだと改めて自覚する。


 いくらアストの記憶が誰かによって封じられているとはいえ自然に記憶が戻らないとは決して言い切れない。

 その最悪の展開はアストとの日々が長くなるにつれ「きっと大丈夫」と自分の頭から無理やり追い出してしまっていた。



 アストが全ての記憶を取り戻せば、自分はアストに殺される。



(そんなこと……私が一番わかってるのに……)


 それでも、承知の上で進むのよ。その先へ。

 


 そんなことを心の中で呟いていたベルベットだが、抱きしめているアストの温もりを感じてネガティブな感情をすぐに振り払った。


「ま!今はそんなこと考えなくてもいーよね」


「は……?なに言ってるの?」


「なんでもなーい。ほらっ!おんぶしておんぶ!」


「そんなにはしゃいでるのに歩けないの……?仕方ないなー。今日だけね」


「やったー!」


 僕はいつも今日だけと言ってベルベットの我儘を聞いている。弟子と師匠って以前に……ベルベットは自分を拾ってくれた大切な人なんだ。

 それでも僕はベルベットに甘すぎるかな……。なんだかんだ言ってもこれが嫌だと思ってない自分もいるんだから。


「くんくん……アストの匂い……」


「こら、嗅ぐなー!」


 といっても限度がある。うちの師匠はアホなので気を許すと何をやらかすかわからない。そこは気を付けねば。


「もう……早くここから逃げないとバレるわよ!」


 カナリアは僕の脛を蹴って「走れ」と痛みの骨伝導式で伝えてくる。それ、僕にしがみついてるベルベットに言ってくれない……?


 僕達が使っていた使用人用の部屋から自分達の荷物を回収してこの館を出る。

 荷物はベルベットが魔法の対象外としたのか凍ってはいなかった。凍ってたらどうしようかと思ったけど。


 完全に無音となったこの館。飾られた全ての花の時間も止まっている。ここで死んでいった使用人達の墓のように。


 唯一マリーゴールドだけ、燃え散っていた花弁が凍って床に落ちていた。





 ♦






 あの後、アスト達はベルベットの体調(というかお尻)が回復すると『ラーゲ』でアーロイン学院へと飛んだ。その日はすぐに休んで後日に報告を行った。


 エリア7のリーダーが「魔物使い」と呼ばれる危険なハンターだったこと。

 地下にAランクの魔物「グランダラス」を飼っていたこと。

 そのグランダラスは大量の人間と魔物を捕食しており異常進化が見られたこと。


 そしてそれら全てを撃破したこと。


 このクエストのことは学院中で大きな話題となった。


「エリアリーダー」というハンターの中でも大物を1人倒したことや1年が初クエストでレベルBクエストをクリアしたこと。


 そしてなによりまだ学生である2人が推定でSランク近くとされる異常進化したグランダラスを討伐したこと。これが注目されたのだ。


 「アスト・ローゼン」と「カナリア・ロベリール」の名が学院で広まった時、その2名が底辺の3組である事実も注目された原因だった。


 これは余談だがベルベット・ローゼンファリスは許可を得ず勝手に究極魔法を使用したことがバレてアスト達とは違ってすごく怒られて罰金刑を食らった。

 さらには次こんなことをやったら禁固刑だと偉い魔法使いの方達から言い渡されたらしい。


 それと……アストとカナリアが救出した使用人の女性はあの後、突如発生した謎の氷魔法の発生源と思われる館へと偵察に来たハンター達に回収された。

 ハンター達は発動された氷魔法の強さから館にはかなり上位の魔法使いー『ベルベット』がいたのではないかと考え、彼女に事情聴取を行った。


 だが彼女は頑として「気を失っていて何も見ていない」と言い張っていた。館の惨状も「氷の魔法を使った魔物がいたのではないか」と。


 これには聴取を行ったハンターも困り果てていた。魔法使いの仕業であることは明らかだったが見ていないという言葉に何も言い返すことができなかったからだ。




  ♦



 さてさて、とある人間と魔法使いの物語はこれにて1ページが記された。これが始まりであって終わりでもある。これから先のページはまだまだ白紙だ。どうなるかなんてわからない。


 魔王の力に選ばれ魔人の世界で生きることになった人間「アスト・ローゼン」。


 この世界を変えようと願う最強の魔法使い「ベルベット・ローゼンファリス」。


 彼はその謎の力を知り、この世界の真実を知り、自分を知ることはできるのか。


 彼女はいつか来る破滅から逃げながらこの世界を変えることはできるのか。


 奇異な運命とは絡み合うことで混沌とした運命となる。その結末はどうなるのか。

 これから記されるページにそれがあるかもしれない。…………実に楽しみだ。




 ♦




「アスト、剣を持つ時は力を抜いて。もっと楽な体勢で」


「こう……かな?」


「そうそう。で、ズドーンと動く!」


「ず、ズドーン…????」


 あれから僕はベルベットから剣を教わっている。けれどベルベットは天才にあり

がちなすごい感覚派なので言うことが全然身に入らない。

 カナリアに教えを乞うても「また今度ね」と言われて躱されまくるからベルベットに頼むしかないのだ。


 あれから魔力を纏う練習も継続して行ってるし魔法を使わない戦闘も練習してる。魔王の力も使ってはいないけど自分なりに自己分析している。


 努力を続けなければいけない。僕はできないことが多すぎる。あのグランダラスとの戦いだってギリギリでカナリアが死んでいてもおかしくなかった。


 それにクエストを通じて僕の中である想いが強くなった。……人間と魔人、この2つの種族のことをもっと知りたいという想い。


 人間の世界を見て、魔法使いの世界を見て。

 どちらも美しく、無くしてはいけない世界だ。……争うべきではないと僕は思っている。お互いが協力すればもっと美しく素晴らしい世界が広がるとも。


 人間と魔人は分かり合える、そんな理想を語ることは誰でもできる。実現がどうとかよりまずはもっと知らなければいけない。

 人間のこと、魔人のこと。それ以外にも過去の自分のことやベルベットのこと。

 それらのことも含めて、僕はもっと強くならなきゃいけない。


 

 明日は今日より強くなっていよう。その明日はもっと。その次の明日も……



 そうやって僕はこの「世界」を生きていく。いつか「全て」を知るために……。




 エピソード1「漆黒の竜と勇気の花」完

 エピソード2「電導する旋律と聖なる星」(未定)に続く。



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ヘクセンナハトの魔王 四季 雅 @quatresaisons

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