第5話 マリーゴールド

「やるしか……ないわね」


 僕のせいで奴との戦いはもう避けられなくなってしまった。

 カナリアは【ローレライ】を握る力を強め、覚悟を決める。出口が塞がれたとなれば残る道は討伐のみ。


 推奨は隙を見つけて逃げることだがそれは難しい。

 グランダラスという魔物の特徴として魔物のくせに知能がそれなりに高いことが挙げられる。「逃がさない」と決めればそのように上手く立ち回ることができる魔物なのだ。

 大剣が使えるのもそのおかげである。グランダラスは相手から奪った武器でも戦える珍しい魔物。あの大剣はコールドが与えたものだろう。


 だがアスト達の前に立っているグランダラスは通常の個体よりも体が異様に大きかった。

 これは周りにいる他に飼っていた魔物を捕食したせいだと考えられる。しかし、そんな個体はまだ確認されていない。未確認のエラーモンスターだ。


(いくらなんでも魔物を食べて大きくなるだなんて聞いたことないわよ……。もしそうだとしてもどれだけの命を喰らってきたっていうの……?)


 食べて大きくなる。これに納得ができたとしてもどれほど食べてきたんだという謎が生まれる。

 魔物が魔物を食うという現象はそこまで珍しくはない。それでも体の肥大化は報告されていない事例。普通に食べているだけではこんな異常進化は起こらない。


 だがすぐに答えを得た。アストが「それ」を見つける。


「カナリア…あれって、メイド服じゃ……」


「え……」


 魔物の死骸、血だらけの檻、倒れている1人の女性……以外にもこの空間にあった「それ」。

 「それ」とは……元は真っ白であるはずなのに真っ赤になってボロボロに千切れていた、その倒れている女性も着ているだった。


 そしてその数が……30は超えている!


「まさか……このグランダラス、人間も食べていたっていうの!?」


 驚愕の事実を知る。魔物だけではなく人間の大量捕食も行っていた。なんと惨たらしいことか。


 人間は強い兵器を生み出すためなら平気で同族をも生贄とする。全ては勝利のため。魔人の大量殺戮さえ叶うのなら30人ほどの犠牲など大したことではないのかもしれない。


「この家に使用人がいなかったのも、そこに1人倒れてるのも、こいつの餌にされていたからってことね…!」


 だとすればもう少しであの使用人の人も食われてたってことだよな。

 ここに放り込まれてグランダラスの姿でも見て気を失った。それでも運良くグランダラスが他の魔物の捕食に夢中だったおかげで助かったってところか。


「そこで新しく使用人になった僕達は自分から餌になりに来たってこと?」


「まったく笑えないわ……。あたし達が侵入することを想定してこいつを解放したのね。嵌められた…!」


 グランダラスはズシン、ズシンと重い音を響かせて近づいてくる。

 ちょうどその時、グランダラスの横にはさっきからずっと吠えている黒い狼の魔物―ブラックウルフがいた。グランダラスはそれを見た。直後、



 ガシャアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!



 破壊。持っていた大剣で檻を吹き飛ばす。

 檻の上部が丸々消し飛び、ブラックウルフの上半身も消し飛んだ。


 血が舞い散る。壁にベシャッ!と切断されたブラックウルフの上半身がへばりついた。残された下半身は静かに地に落ちる。五月蠅い声を一発で黙らせた。


 グランダラスは嗤う。壊れた玩具を見て面白がるように。


(なんて力だ……!!)


 暴力。この言葉が相応しい。命とはこんなに簡単に消えるものなのか。

 魔物の鳴き声で満たされていたこの部屋が嘘みたいな静寂に包まれる。まだ生きている魔物も先ほどのブラックウルフの有様を見て察知したのか。


 叫べば殺される、と。


 グランダラスは殺したブラックウルフを捕食し、骨もバキバキと音を立てて噛み砕いていた。地獄のような光景だ。


「今がチャンスよ…!『ファルス』!」


 それこそが好機とばかりにカナリアは走り出す。


 食事の時間とはどの種族にとっても油断して隙だらけの時だ。人間だろうが魔人だろうが魔物だろうが、それは共通である。


 カナリアは【ローレライ】で食事中のグランダラスの体を斬る。グランダラスにはバハムートのような硬い鱗はない。斬撃は有効な攻撃のはずだが……


「……! 抜けない!」


 刃が体を通る。途中で、止まる。筋肉で止められたのだ!


「ルルルルゥ?」


 蠅でも止まったか?とジロリと下を見た。

 取るに足らない捕食対象。僕達を前にして食事をしていたのはそもそも敵として見ていなかったからだ。


「カナリア!!!!」


「ルラアアアアアアァァァ!!」


 僕は助けに行こうとするが、もう遅い。

 グランダラスの豪腕から生み出される薙ぎ払い。


 1秒にも満たない暴力がカナリアの華奢な体を襲った。





  ♦




「グランダラス?」


「そうだ!この私が何年もかけて育て上げた兵器。あれを成長させるのは苦労したよ。魔物を餌にするのは大変でねぇ……。捕まえてきてもすぐに平らげてしまう」


 コールドはベルベットの前でやれやれ…と困った顔をしてみせる。


「そこで……使用人を餌にしてみたのだよ。するとどうだ?グランダラスの体はモリモリと急成長!餌の調達も簡単で栄養も豊富ときた。最高だったよ」


「とんでもない外道ね」


「全てはお前ら魔人を全滅させるためだ。餌になったあの子達も栄誉なことだったろう。力ない者でもこうして対魔人兵器の力の一部として役立てたのならな」


 心底気持ち悪いと顔に表すベルベットはもういい加減ウンザリしていた。


「で、その兵器もあなたもここで終わりなわけだけど。っていうかあなた1人で私の相手できるの?助けでも呼んだら?」


「お前を殺すのはこの私だぁ……!誰にもこの手柄、取らせはせん。グランダラスの『食事』が終われば次はお前の番だぞ?それがわかっていないようだな」


「ぷっ。雑魚がなにか言ってるわね」


「笑うなぁ!!」


 コールドは鞭を床に3回ほど打つ。これは怒りを表しているわけではなく……。


 家のあちこちからその音を聞きつけたのかゾロゾロと様々な魔物が寄ってきた。魔物は地下だけなく家の中にも隠れていた。コールドは夜になると戦闘に備えて地下から数体の魔物を引っ張り上げていたのだ。


「私の異能は『調教者ドッグメイカー』。効果は魔物の隷属及び強化だ」


 異能……それはこの世界に突如現れた神という存在が人間に与えた力。

 魔法とは違い魔力を使わずに発動する。代わりに人間の「精神力」を使って発動するので使いすぎると気を失ったりする危険性はあるものの魔法と比べても勝るとも劣らない力を持っていた。


 異能は魔法の人間verという考え方で問題はなく効果も魔法と非常に似てるところがあるのだが厄介な点として気づかれにくいことが挙げられる。


 魔法は発動に杖などの魔法をサポートする魔法道具があったり、魔法陣が発生したりと視覚的に発動の予兆がわかる。属性魔法なんかは見られればそれが得意な魔法なんだとバレてしまう。


 異能は種類にもよるが発動がわかりづらい。最悪、知らない間に使われていたなんていう事態もあったりする。

 魔法陣なんか出ないし魔法道具も使ったりしないし詠唱もないせいで気づけば術中にハマっていることもあるのだ。


「なんかベラベラ喋っちゃってるけど自分の異能バラしちゃっていいの?」


「言っても変わらん。魔物使いとバレている以上そういう異能だと知られているも同じだ。……いけっ!」


 たくさんの黒い狼「ブラックウルフ」。


 赤い体毛の熊「バーニングベアー」。


 強大に膨れ上がった腕を持つゴリラの魔物「ハンマーコング」。


 人間と同じ大きさになった火を吹く蜥蜴の魔物「フレイリザード」。


 それらがベルベットをグルリと囲み……次々に襲い来る!


「お前も餌になれぇ!!」


 敵に囲まれているこの状況。誰もがピンチだと思うが……彼女は表情を

まったく崩していなかった。


「これでリーダーか~。とんだ雑魚の部類だったわね」


 ベルベットは杖を構え、詠唱を開始する。


「刻印を刻みし全ての者へ」


 ベルベットは詠唱と共に魔物の群れの攻撃をヒラリヒラリと避ける。

 その合間に魔物の体へ杖の先をポン、ポンと当てていった。そこに刻印—小さな魔法陣が刻まれていく。


「罪を焼き消す灼熱」


 美しい演舞。敵でない者が見たならばそう表現しただろう。魔物の攻撃は1つも当たらない。コールドも鞭を振るって攻撃するがそれも避けられる。


「今、断罪の時」


 ベルベットが杖を掲げた。詠唱中に杖に触れ、魔法陣を刻まれた全ての相手を対象に魔法を発動させる!



「『チェイン・エクスプロージョン』!」



 発動。その直後、詠唱中最初に杖に触れた魔物の体が爆発した!


 さらに次は2番目に杖に触れた魔物が爆発。次は3番目に杖に触れた魔物……と爆発が


 これは杖に触れて魔法陣を刻まれた者を連鎖的に爆発させていく魔法。「爆発魔法」という属性魔法にあたる。


 実はこの魔法は宿で対魔物使い用にベルベットが作成していた魔法だった。

 別にベルベットは魔物使いに対しての対策が必要だったわけではない。ただの暇つぶしだ。


「なっ……!?私の魔物達が次々に……!」


 コールドは体を爆発させて臓物を散らしていく自分のペット達を見て唖然としていた。


 決してこれでベルベットに勝てると思っていたわけではない。グランダラスの食事が終わるまでの時間稼ぎにはなるかと思っていたのだ。

 それは間違いだった。まったく時間稼ぎにならずに全ての魔物がバラバラになって床に転がっている。


 さらには……コールドの体からも『チェイン・エクスプロージョン』の魔法陣が発光して現れる!


「なに!?いつだ……!?いつの間にやられた……!?」


「あら?自分にも刻印が刻まれてたってこと気づいてなかったの?」


 ベルベットは悪魔の笑みを浮かべた。

 もう対象となる相手が自分しかいない。つまり次に爆発するのは……



「があああああああああああぁぁあああぁああぁがががああぁ!!!」



 コールドの体が爆発する。両脚が吹き飛んだ。ゴロゴロと血を噴き出しながら床を転がる。


「ぐ、がぁ……ぐ、ぐ、ぬ……」


「あーあ。これじゃあなたが餌になっちゃうわね」


 ベルベットは小さい欠伸をして転がったコールドを見やる。もうどう見ても戦闘行為は不可能だろう。


「も、勝った……あ…気、いる…のか?うっああ、あ………ま、まだ、終わっ…ぐぐ……が…て、ない、ぞ……!」


「まだなにかあるの?………ん?」


 つまらなそうに腕組みして聞いていたベルベットはコールドがそう言いながら手にしていた物に目の色を変えた。


 コールドは何やら赤色に着色された注射器のような小型の機械を持っていた。


「見せて……やろう……。人間…はッ!ここま……で、進歩したのだッ!!」


 コールドはそう叫ぶとそれについていた小さなボタンをカチッと押す。


「解放宣言……!」


『認証 マジックトリガー・アクティブモード 『No.1 フレイム』』


 コールドがそう発声するとその注射器のような機械からジャキッ!と針が飛び出した。


 そしてそれを……体に突き刺した。


 コールドの体はドクン!と1つ跳ねると……変化が訪れる。


「あれは……」


 コールドの体から炎が燃え盛る!炎は脚の形を取り、それでコールドは自立した。

 炎は徐々に強まっていき体を覆いつくしていく。今や炎の魔人と化したコールドはニヤリと笑った。


「これは……魔法!?人間が魔法を使った?」


「そうだ。人間は度重なる研究の末にとうとう……使。これこそが数百年の研究の結晶、その名も『マジックトリガー』だ!!」


 先ほど使用した注射器のような機械を見せびらかす。マジックトリガーと呼ばれたそれはベルベットでも知らない道具だった。


「まだごくわずかのハンターにしか認知されていない、数も少ない、貴重な代物だがな。私は裏ルートで手に入れた。針を通して魔力を体に注入し、このトリガーに記録されている特定の魔法が誰でも使えるようになるアイテムだ。これに記録されている魔法は見てわかるように炎魔法!はははは!素晴らしい!素晴らしいぞお前らが使う『魔法』というものは!!」


「へー随分面白いもん作ってるじゃない。いったいどれだけの同胞が実験材料になったのかしらね……」


 なんの研究材料もなしに魔法を知ることができるわけない。この結果からわかることは多くの魔法使いが捕獲され実験に使われたということだ。

 しかし、今まではそれでも人間に魔法や魔力を理解する方法がなかった。一体何をどうやってそれを解決したのかは知らないが……。


「人間が我らハンターの力の糧となることは栄誉なことだ。だが魔人などどれだけ消費しても構わんだろう。ゴミ同然の存在なのだからなぁ!!」

 コールドは手のひらをベルベットに向ける。


「我が敵を焼け 火炎の吐息 『ブレイドファイア』!!」



 コールドは2節の詠唱を唱え、両手から炎を噴射。2つの灼熱の火炎放射がベルベットに向けられる。

 魔法の詠唱文などコールドが知るはずがない。だが、この「マジックトリガー」には詠唱文もセットで記録されており、使用者は元から知っていたかのように詠唱を唱えることができるのだ。


 ベルベットは跳躍してその炎を回避。


「空中では避けられまい!」


 火炎放射の標準が上空へ変わる。炎熱の地獄がベルベットに迫る。


 それに対しベルベットは虚空から新たな杖を出現させ、それを一振り。


 すると火炎放射はベルベットの体を避けていくように曲がる。急降下するように進んだ炎は飾ってあったマリーゴールドの花に直撃してその一帯を炎上させた。


 使ったのは「風魔法」。風を操作して火炎放射を曲げたのだ。これにはコールドも気づいていた。


 出現させた杖も風魔法をサポートしてくれる風魔法専用の杖—【ウィスプロッド】。緑色で翼の文様が杖に刻まれている。


「なるほど。お前が属性魔法を複数使えるという話は本当だったか」


「そんなことより今からもっと面白い物見せてあげるわよ。風でバラバラに切り刻まれるのと、氷漬けになるのと、また体が盛大に爆発するの……どれがいい?」


 そう言うとベルベットは【ウィスプロッド】とは別にもう2本の杖を出現させる。


 1本はオレンジ色でさっきも使っていた爆発魔法をサポートしてくれる専用の杖【イグニッション】。


 もう1本は水色で氷魔法をサポートしてくれる専用の杖【ダイダロス】。


「ふはは!お前が燃え尽きる方が先だ!!」


 コールドは全身から炎を発生させ、さっきとは比べものにならないほどの大きさの火炎放射を繰り出す。紅蓮の火炎旋風がベルベットを飲み込まんと口を開ける。



「じゃあまだ使ってないし氷魔法にしよっと」



 【ダイダロス】を手に持ち、一振り。

 たったそれだけ。


「…………………え」


 コールドの口からなんとも間抜けな声が出た。無理もない。自分の放った渾身の火炎放射が凍り付いていたのだから。


 詠唱有りの上位魔法を使ったのならわかる。だがベルベットがしたことは魔力を使って冷気を発生させただけ。ごく簡単な氷魔法の初歩。


 ただそれだけで自分の全力の炎を凍てつかせた。



「天より極寒の風が吹きすさぶ」


 今度はベルベットの詠唱が始まった。

 コールドにとってそれは自分へ向けられたどんな殺意のある言葉よりも恐ろしいもの。今から発動する魔法はヤバイ、と脳が危険信号を点滅させる。


「世界全てを凍てつかせよ 聖なる炎でさえ氷像と化す」


 花の花弁のような唇から発せられる「終わりの一撃」。

 今こそ攻撃して詠唱を阻止すべきなのにコールドの頭にはもう攻撃する思考など存在していない。

 「死ぬ、死ぬ、死ぬ」と2文字が羅列する。

 マジックトリガーという秘密のアイテムさえも使用してあれほどベルベットを殺すと息まいていたのが今では絶望一色に染まっている。


「鳴り響く破滅の鐘 命よ眠りにつきたまえ 絶対の樹氷となりたまえ 時が止まったこの場所で もう来ぬ覚醒の時を永遠に待ちたまえ」


 ベルベットの頭上に巨大な蒼い魔法陣が出現する。


「その目で世界の終わりを刮目せよ 終焉の冬」


 ベルベットは10節にもおよぶ詠唱を唱えた。

 、この数でコールドは恐怖の極限へと達する。


「ひいいぃぃあ、あ、ああああああああ!!う、嘘だ!きゅ、きゅ、究極魔法ぉぉ!?!?」


 究極魔法―それは属性魔法を突き詰めていくと最後に到達する最終の魔法にして究極の破壊魔法。


 使用には手練れの魔女数十人が魔力を共有して詠唱を唱える必要があるほどの超魔法で前例を見てもこれを使用するには50人くらいのプロの魔女が投入されていた。


 逆に言ってしまえばそれだけの数の魔女が「究極魔法を使おう」と賛同しなければ発動できない危険な魔法でもある。


 この場にいる魔女はベルベットだけ。しかし、そんなことは関係のないことだった。


 ベルベットの魔力の量と魔法の技量は魔女の中でも頂点に君臨する。それも他の追随を許さぬレベルで。



 そんな実力を持っているベルベットはたった1人で究極魔法を発動できる力を持っていたのだ。




「究極氷魔法―『フィンブル・ヴェト』」



 言葉の引き金トリガーを引く。蒼の魔法陣から吹雪が吹き荒れる。

 バキキキキキ!と大広間が瞬時に氷獄と化していく。


「が……………………………」


 コールドが発することができた言葉はたった1文字。

 至近距離にいたこともあって『フィンブル・ヴェト』発動から息つく間もなく凍り付く。巨大な氷柱がそこには建っていた。


 発動地点の大広間だけでなく全部屋がその被害に遭っている。それどころか……外では雪が降っていた。

 コールド邸のみを凍らせるように威力を調整したのだがそれでも雪を降らせてしまったのは究極魔法なら仕方ないことでもあった。


「……くしゅんっ!さっむ!この魔法すっっっごく疲れるし超寒いからあんまり好きじゃないのよね……」


 ベルベットはくしゃみをしてブルブルと体を震わせる。


「あ………トイレ使えなくなっちゃったかも」


 トイレに行きたかったのだが当然そこも『フィンブル・ヴェト』で凍っている。

 ベルベットは泣く泣くトイレを我慢することにした。これでも女なのでトイレでもないところでそういうことをしてしまうほど恥を知らないわけではない。


「それよりも……あったあった。これが『マジックトリガー』ね」


 ベルベットはトイレのことよりもコールドが使っていた謎のアイテムのことが気になっていた。


 人間でも魔法が使えるようになるアイテムが出たとなればすぐに報告しなければいけないことである。

 といってもベルベットはこれをどこかに提出するつもりも教えるつもりもない。私物にして自分1人だけで研究するつもりだ。


「これ、全部で何個あるんだろ~」


 ベルベットはマジックトリガーをポケットに入れた。もし集められる個数なら全て回収したい。それほどにこのアイテムはベルベットの好奇心をくすぐったものだった。


(よし。それじゃアスト達を助けにいきますか……。さ~て、どうなってるかな)


 ベルベットはキッチンへと向かった……。




  ♦



「カナリア!!」


 グランダラスの腕に吹っ飛ばされたカナリアは壁に強く叩きつけられる。

 【ローレライ】は手から放してしまい今もグランダラスの体に刺さったままだ。


「カナリア……大丈夫?」


「……大丈夫よ。あんたと違って魔力を纏ってるから。でも……」


 魔力を纏っていてもダメージがないわけではない。今の一撃も致命傷は免れたが意識を失いそうになる打撃だった。体も痺れて動けなくなっている。


「僕も……やらなきゃ」


 剣を握りしめてグランダラスを見据える。そんな僕をカナリアは服を引っ張って止める。


「無理よ!近寄ってみてわかったわ。あれはあたし達のことを敵だとかそんなものに見ていない。『虫が来たから払った』。まるであたし達のことを虫としか認識していないわ」


 虫、それか時期に腹に収まる肉塊共。それが妥当か。


 カナリアとグランダラスの攻防とも言えない交錯。

 それを見た僕でもバハムートの時ほどは絶望を抱いていない。だって斬撃が通るんだ。勝利への活路が見えないわけじゃない。


「行くよ……僕は」


「アスト!」


 走る。グランダラスは食事を終えてこっちを見ている。大剣を持っている右腕を上げて頭上に構えた。そこから……振り下ろしてくる!!


(今だ!横に回避を……!)


 僕の体の横ギリギリを刃が通る。大剣が地面にぶつかる。



 ドオオオオオオオオォォォン!!!!



「ぐっ!!!!!」


 轟音と共に凄まじい風が僕の体を横殴りに吹き、勢いよく飛ばされる。近くに置かれていた檻に体をぶつける。


 大剣を避けたとしても……近くにいたらこれか。冗談じゃないぞ……!


 僕はあまりの衝撃に怯んでいた。だが魔物にはそんなこと関係ない。むしろチャンスとなる。


「ルルルルゥ」


 グランダラスは右腕を思い切り横一文字に振るう!自分に迫りくる凶刃。


 やばっ……



 ガシャアアアアアアアアアアアアアアン!!



 周りにあった檻を出鱈目に撒き散らす一閃。僕が背にもたれていた檻の上部がバラバラになり全て勢いよく壁際まで飛ばされた。


 僕は………なんとかその一撃は当たることなく回避できていた。正確に言えば「回避できていた」ではなく「当たらなかった」が正しい。

 僕は倒れた体勢から動けていなかった。目の前にいる暴力の化身に完全に気圧されていた。


 まだたった剣を二振りしかされていない。それだけ、それだけなのに……


(死んでいた……?今さっき、僕は……死……)


 体がズシリと重くなる。思考が虚無へと引きずり込まれる。戦闘中なのに関わらず呆けてしまっている。


 運良く助かった。さっきの一撃がもしもう少しだけ下がっていたら。檻と一緒に僕の首から上も切断されて壁に叩きつけられていた。それにヒヤリとする。


「ルルル」


 だが……いつまで経っても追撃の気配がないことに驚く。どうしたのかと上を見やるとグランダラスは……嗤っていた。


 ブラックウルフを蹴散らした時とまったく同じ。こちらをジッと見て観察している。

 「助かった」と心底喜んでいる下等生物。それを見て嗤っているのだ。


 それでわかった。今の一撃。運良く当たらなかったのではない。わざとんだ……。


 体がゾクリと冷え切った。運良く助かった?……違う。遊ばれている。

 僕がどんな反応をするのか虐めている。楽しんで、楽しんで、最後に惨たらしく殺して僕の体は噛み砕かれる。


 その遊ぶ過程で僕の体はグチャグチャになっているのかもしれない。形を保っていられるかが疑わしい。上半身が吹き飛んだブラックウルフのように一部分が千切れ飛んでいるかも。


 バハムートより怖くない?それも違う。

 ここで浴びせられる明確な悪意。「殺そう」ではなく「僕の体で遊ぼう」という死よりも恐ろしい地獄の遊戯ゲーム

 あれだけ気を付けていたのにもう僕は思考の泥沼にはまってしまっていた。自分で自分の体を縛ってしまった。


「アスト!!!!」


 僕はその声にビクリと反応する。カナリアの、声。


「何してるのよ……逃げなさい!」


 すぐに我に返り立ち上がる。逃げようとする。……が、足が重い。

 後ろから強烈な力の気配が。振り向くとグランダラスがまた右腕で大剣を振りかぶっている。

 次の瞬間、僕がどうなるのかが頭に映し出される。真っ二つになった僕。そんな自分が地面に崩れ落ちる姿だった。



「『ウォーターガイザー』!」



 グランダラスの一閃は僕の背後に出てきた魔法陣から発生する水柱に軌道を逸らされた。刃は僕の頭上を通る。風が背中を押してくるように吹いた。


「はぁ……なん、とか……!」


 カナリアが魔法を発動して助けてくれた。試験の時と同じだ。あの時も、今も、僕は命を助けられた。


 グランダラスは自分の「狩り」を阻まれたことにイラつきを覚える。カナリアの方を睨み標的を変えた。

 それに、怯え切っている獲物をグシャグシャにするよりも抵抗する獲物を容赦なく潰した方が楽しいかと考えたのだ。


 これもカナリアの狙いである。アストの位置からなら自分がグランダラスの気を引かせることで倒れている使用人の女性を助けながら地上へ逃げることが可能だった。

 それにベルベットにこのことを報告すればきっとこいつを倒しに来てくれる。そうなればこちらの勝ちだと確信したからだ。


「カナリア……?」


「あんたはそこのメイドを連れて逃げなさい。それでベルベット様をここに呼んできて」


「それじゃカナリアが……」


「あたしはあんたと違って魔法だって使える。ベルベット様が来てくれるまではなんとかなるわよ……。だからあんたは逃げなさい」


 弱々しい声を上げてアストに逃げろと伝える。


 なんとかなる?魔法で?さっきみたいにまた上手くいくのか?


 レイピアだってまだあいつの体に刺さったままだ。魔法をサポートしてくれる武器も何も持っていない。

 いくらベルベットを呼びに行くと言ったって何秒耐えることができるんだ。それにどう急いでもここにまた戻ってくるまで15分はかかる。


(僕がここを離れれば……カナリアは……)


「大丈夫よ!いいから行きなさい!」


 僕の迷いを横から引っ叩く強い声。でもそれはもう本心が見え透いている。ベルベットを呼んでこさせるよりも僕を逃がす、それだけを考えている。なんでそこまでして……。


 グランダラスは構わずカナリアに向けて進行する。カナリアに辿り着いてしまえば抵抗空しく彼女は八つ裂きにされる。

 僕は今すぐそれを助けに行かなければいけない。なのに立ち向かう勇気を振り絞れない。グランダラスへの恐怖心が向かう足に重りを縛り付ける。 


「早く!!」


 僕にもカナリアにも勝てる相手じゃない。誰でもここはベルベットを呼びに行くことが最善手だと思うだろう。

 そう。僕がやるべきことは……ベルベットを呼びに行くことなんだ。僕がここに残っていたってどうすることもできないのだから。


「絶対……助けに来るから!」


 僕は走り出した。………出口の方へと。その途中で、倒れているメイドさんの体を起こし、抱きかかえた状態で運ぶ。


 あいつはこっちを見ていない。もう十分堪能した獲物は一匹くらい放ってもいいかと無視された。

 早くベルベットを呼ばなきゃ。ベルベットならあんな怪物でもきっとすごい魔法で倒してくれる。僕なんかよりもとても頼れるんだから。




 部屋を出て、長い階段を駆け上がる。みっともなく逃げる。無様だ。情けない。仲間を置いて逃げてる。最低だ、最低だ、最低だ。


 そして僕は最悪だ。「また助けに来る」という言葉を良いように使っている。



 逃げられることに……。自分は助かったと思ってしまっている。



 そこまで自分の姿を客観視できた時、僕は歩を止めた。


 カナリアは死のうとしてる。この世界から消えようとしている。僕を助けて。

 僕は失おうとしてる。彼女との繋がりを。

  


 僕は……僕は……



「僕は……!」





  ♦





(行ったみたいね……)


 カナリアはグランダラスが迫ってきている今も壁に体を預けたまま動かないでいる。

 最初に受けた薙ぎ払いが思ったよりも効いている。未だに体に力が入らず立てない。

 これじゃ自分は戦えない。アストも戦力にならない。

 なら2人やられるより1人だけやられた方が良いに決まっている。そして動けるのはアストの方だ。そこで自分自身を切り捨てた。


(お父様の言う通りだった。自分は仲間を逃がすくらいしかできない。ここであいつを倒すことなんて到底無理。試験で良い成績を取ったって実戦になるとこんなにも手も足も出ないなんて……自分はちっとも強くなんかなかった……)


 自虐も入りだした。とうとう自分の中で諦めがついてきたということだ。



 アストがバハムートを倒した時、すごいという気持ちよりも……羨ましかった。悔しかった。そして……何か失敗しろとも思った。


 お父様はあたしじゃなくてアストに期待していた。あたしなんかと違って見込みがあると言っていた。

 アストが何か失敗すればその期待もなくなる。このクエストでも自分がアストよりも活躍すればお父様もきっと認めてくれる。実はそんな汚いことをずっと考えていた。


 マリーゴールドの花言葉は「嫉妬」「絶望」「悲しみ」。


(まるで自分みたい……)


 だから嫌いだった。お前は汚いやつだと言われているみたいで。


 努力はやめなかった。それでも上にいるやつは失敗しろ、コケてしまえと思っていた。

 だってどれだけ努力をして上位の成績を取ってもお父様は認めてくれないから。成功する人間は最初から選ばれていて努力だとかそんなものを嘲笑うように功績を積み上げていくから。



 自分は選ばれていないから……



 自分は十分頑張った。それでも無理だった。終わり。もう、終わり。


「ルルルル」


 この部屋で好き勝手やっていた暴君はあたしを見下ろす。次の人形はあたし。遊び相手になって、餌になる。

 もう魔法を使う気すらおきない。死ぬって決めたから。諦めるってすごい。全てがどうでもよくなる。


(あ……剣、刺さったまま……)


 グランダラスの体に刺さっている水色のレイピア。あれだけは返してほしい。あれは、お母様の形見だ。

 どうせ自分はこれから死ぬのだからせめてそれくらいは返してほしい。こんな自分にも残っているただ1つの大切な物なのだから。


「返して……それ、お母様の……」


 暴君は答えない。


「返してそれだけは………お願い……」


 答えない。

 自分の目に涙が滲んでくる。


「返して!!!!」


 涙を流して懇願しても暴君は何も答えない。


 弱いあたしは大切な物を取り返すことすらできない。

 お父様は離れていって、お母様はいなくなって。残された物も奪われて。何も無くなった自分には残っているものが何も無い。この状況に抗う力すらも。


 グランダラスはカナリアの反応を見ていたがさっきの少年のように怯えることもしなければ抗うこともしないので飽きていた。


 大剣を、振り下ろそうとする。






「待てえええええええええええぇぇぇぇ!!!!」





 グランダラスは振り向く。カナリアも涙が流れている目を向ける。叫びをあげた存在に。


「はぁ……はぁ…げほっげほ……はぁ…………はぁ……」


 落ちていた剣を手に取った。その存在はグランダラスに剣を向ける。



「お前の相手は……僕だ………!!」



 アスト・ローゼンは、震える体で、震える声で、それでも舞台に舞い戻った。


 ここからだ。まだ何も終わってない。ここからもう一度始めよう。さあ。


「僕と、戦え……!」


 何度も僕を救ってくれた君を、今度は僕が救い出す。




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