チャプター5

 それはずっと昔のこと。

 とある黒い悪魔と白い天使が出会って恋に落ちた。それは禁忌とされる危険な恋だった。混沌を望む悪魔と秩序を守る天使が交じるなど、両者の種族ともにあってはならないこととされていた。両者が混じり合うことで秩序が混沌に呑み込まれて、世界のバランスが崩れるきっかけとなり得るからだ。

 世界は彼らの出会いが災いの種となりかねないと断定して、ふたりの仲を切り裂こうと動いた。しかし、ふたりはそれでも離れなかった。

 やがて、個人的な幸せを願った代償として、ふたりは世界の片隅へと追いやられた。当然の罰として。

 悪魔と天使は、どことも知れぬ辺境の地でひっそりと、それでいて心豊かに生活を営んでいった。子どもが生まれ、その子どもが新たな家族を成して。そうして禁忌とされたふたりの系譜は、静かに、根強く、今日まで受け継がれていくのだった。



 目が醒めると真っ白な天井が見えた。蛍光灯の明かりが嫌に白色を強調して、まともに直視できない。ここはどこなんだ?


「ようやくお目醒めになりましたネ。良かったデス……」


 聞き慣れない女性の声が聞こえた。顔だけ動かして見ると、右手側にいたのは黒いローブを着た金髪の人だった。教会のシスターさんみたいな雰囲気を醸し出している。


「ほんとに良かったぁ。あれから三日三晩目を醒まさなかったもんだから、一時はどうなるかとヒヤヒヤしたんだぞ」


 謎のシスターさんの真向かい、俺から見て左側に姐さんが座っていた。その隣から時計回りに柚月ちゃんやドラゴンくん、獅子ヶ谷さん、そして黒い男までもが俺を囲っていた。皆は安堵したような表情を浮かべて、柚月ちゃんは大粒の涙を流している。そんな中、黒い男だけがすぐにそっぽを向いた。鼻頭にはデカデカとガーゼが貼られている。

 と、そこでようやく気がついた。俺は今まで病院で寝てたんだ。大きなベッドに、手首に繋がれた点滴、殺風景な部屋に、消毒液のような臭い。獅子ヶ谷さん宅での一件で、俺はあの男に後ろからぶっ刺されて、気絶したんだったっけ……。


「そうだ。あの後、どうなったんですか……! そこにいる男は、なんで野放しになってるんですか!」

「落ち着いてくだサイ。事の経緯については、ワタシの方から説明しマス」


 シスターさんが優しく制する。その声を聞いて、不思議と気持ちが穏やかになっていく。姿勢を正して、彼女の方を向く。


「マズ、ワタシの名前はレスニア=アイズといいマス。ワタシは人に仇なす魔物を討伐するために結成された武装組織、異端狩りの一員デス。そして、アナタに怪我を負わせてしまったこのストリートギャングみたいな男も、異端狩りの一員なんデス。

「……信じられないのも無理はありまセン。本来であればこの男はすでに討伐されていてもおかしくない存在ですカラ。

「この男の名前はジーク=ヴェルド=ルー。彼は第一級危険指定生命体、つまり悪魔デス。目元の刺青に黒い炎といえば悪魔特有のものデス。彼は元々討伐対象でしたガ、悪魔を攻略するための足掛かりとして、彼を捕縛して協力してもらうことになりまシタ……何か言いたいことがあるなら口にしたらどうナノ、ジーク?

「まぁいいでショウ。それで、ワタシたちがこの街に来たのは、ドラゴンの子どもが迷い込んだという情報を得たからデス。ドラゴンといえば高等魔獣に位置する存在。たった一体の力で街一つ壊滅させることができると云われています。子どもといえどその力は未知数デス。なので、捜索して保護するよう、異端狩りからワタシとジークが派遣されました。

「ところが、 ワタシが目を離してしまった時にこの男が単独で行動し出したんデス。この男は悪魔ということもあって、やること為すことがかなり粗暴でして……獅子ヶ谷サンのお宅へ出向いた際も、彼曰く『聞き込み調査』の一巻だったそうデ……皆サンに、特に竜司サンには大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでシタ」


 レスニアさんは深々と頭を下げる。事細かな説明、丁寧な所作に誠意が感じられる。それを見て、咎める気持ちなんて微塵も湧かない。それを言うなら────。


「ホラ、ジーク。アナタも早く謝りなサイ。自分の犯した罪は自分で償わなければいけないのヨ」

「わァッてますよ……お母さんじャあるまいし、一々言われなくてもやるッつーの」

「よく開くクチね……強引に縛り付けてもいいのかシラ?」


 レスニアさんの声に圧がかかると、ジークは「ハァ」と盛大に嘆息した後、激しく頭を掻きむしる。なんだか、上下関係がとても分かりやすいなこの二人。

 そして、目が醒めてから初めて俺の方へ向く。


「そのォ……なんだ。俺様が未熟なせいで、お前を危険な目に遭わせちまッて、あー、畜生! すんませんッした! はい、謝った! これで十分だろォ!」


 全く誠意も謝意も感じられない謝罪だった。しかし、とりあえず自分のプライドとバチバチに闘ってたんだということは伝わった。


「おいおい。そんなテキトーな謝罪で済ませられるわけねぇだろぉ。言葉が出ねぇんなら態度で示せよ、態度でぇ。簡単に言えば土下座をしろ。そこまでして初めて謝罪になるんだよ。特にお前みたいな脳みそカッスカスな俗悪生物にはなぁ」


 姐さんがジークにさらなる誠意を要求する。口調が完全に輩のそれだ。悪役ヒール感満載の笑みを浮かべて、とても活き活きとしていらっしゃる次第。隣の柚月ちゃんがオロオロと困った顔をしてるのが申し訳ない気持ちになる。


「おい、なにニヤついてんだよ。大丈夫か、竜司?」


 と、それまでチンピラになりきっていた姐さんが心配そうに俺に話しかけた。どうやら無意識に口元が緩んでいたらしい。


「大丈夫です。それにいいんですよ、姐さん。この男にとって、さっきのが精一杯の謝り方なんでしょうし、これ以上要求するのは酷でしょう。というか、一度死にかけた身としては土下座されたところで許すつもりは毛頭ありませんから」

「そ、そうか……竜司がそう言うんだったらいいけどさ」


 姐さんは物言いたげにしながらも了承してくれた。後は……。


「というわけだから。ジーク、だったっけ? 俺は今後一生涯にわたってアンタのことは憎み続けるけど、ひとまずこの場はレスニアさんの顔に免じて引き下がっておくから。そこまで気にしないでくださいよ。アンタの行方知らないところで、俺は死にかけた恨みと刺された疵を抱えながら生きていくんで」

「お、おォ……助かる。それと、本当にすまなかッたな……」


 率直な気持ちを伝えると、ジークはしおらしくなった。しかも素直に謝意の言葉も述べてくれた。やっぱり、大事なのは心からの言葉を伝えるコミュニケーションだよね(笑)。


「と、まぁ。竜司くんの意識が戻って、やることやったというわけで。そろそろさっきの話題へと移りますか」


 よっこらせっという擬音が聞こえるかのように、それまで場を静観していた獅子ヶ谷さんが取り仕切り始める。貫禄のあるその姿勢は、中年のなんだかんだで頼れるサラリーマンのおっちゃんという雰囲気だ。見た目のライオンみたいな凛々しさとのギャップが生じるものの、一周回って安心できる。自分でも何考えてるのか分からないが、とにかく安心できるヒトだと思った。


「まずは、竜司くん。俺が意識を失ってる時に助けてくれたんだってな。ありがとう。ずっとお礼が言いたかったんだ」


 獅子ヶ谷さんが頭を下げる。恐縮して、


「い、いえ。当然のことをしたまでですし……」


 とやや口ごもる。


「いやいや。その当然のことをやってくれること自体がとても嬉しいことなんだよ。君は立派だと思う。もっと胸を張りなさい」


 獅子ヶ谷さんの言葉に対して、自ずと

「はい!」と力強く頷く。

 それから獅子ヶ谷さんが咳払いをすると、皆の視線が一点に集中する。


「さてと。さっき話してたのは、これからドラゴンの子どもをどうするのかってことなんだが。異端狩りの方々には、この子どもが生まれたであろう住処を探していただくということでよろしいですね?」


 レスニアさんが頷く。


「ハイ。こちらで責任を持って捜索にあたりマス」


 その返答を受けて、獅子ヶ谷さんは話を続ける。


「ありがとうございます。そちらで捜索をしていただく間は、ドラゴンの子どもを俺の方で預からせてもらいます。ドラゴンの生態については一通りの知識があるんで、丁重に育てさせてもらいましょう」


 俺が寝ている間にトントン拍子で話が進んでいたようだ。それからも事務的な話が行われる。そんな中、


「あのぉ……ちょっとよろしいですか?」


 柚月ちゃんがおそるおそる手を挙げる。大人たちの視線が彼女に集まる。懐中のドラゴンくんが「グワ?」と円らな瞳を向ける。


「このコが獅子ヶ谷さんのところへ行っても、また会いに来てもいいですか……?」


 たどたどしく、されども精一杯の気持ちを伝えるように、柚月ちゃんは告げた。彼女と対面するように聞いていた獅子ヶ谷さんとレスニアさんは、ともに優しく微笑む。


「あぁ、もちろん構わないよ。そのコが一番懐いているのは柚月ちゃんなんだ。きっとその子も君に会えるのを喜ぶだろう」


 獅子ヶ谷さんが了承したのを受けて、柚月ちゃんは安堵の息を吐く。と思えば、突然思い出したかのように慌てて口を開く。


「そ、それから、もう一つご相談があるのですがっ!」


 レスニアさんが「なんでショウ?」と先を促す。


「この子の名前なんですけど、わたしが名付けても大丈夫……ですか?」


 柚月ちゃんは上目遣いに周囲を見渡す。その愛らしさたるや、なんと表現すればいいか。潤んだ瞳はとても透き通っていて、見る者を吸い寄せるように魅了していく。ぶっちゃけ、可愛い。こんなのロリコンでなくとも素直に「はい!」と承諾してしまうだろう。そうしない奴はきっと人の心も分からない極悪非道な最低野郎に決まってる。


「……おい、なんで俺様を睨んでんだ。なんも言ッてねェだろォが」


 とりあえず牽制したかっただけだ。そんな心配は杞憂に終わり、柚月ちゃんがドラゴンくんの名前を付けることになった。


「えへへっ。実はもう考えてあったんですよ〜」


 にこやかに笑う柚月ちゃんの愛おしさたるや、なんと表現すれば(以下略)。


「君の名前は“とかげさん”だよ! 最初に会った時はドラゴンの子どもだなんて知らなかったんだよね。だからとかげさん、なんて呼んでたけどその名前もいいかなって思ったんだ。だからこれからも君はとかげさんだよ。これからもよろしくね!」


 柚月ちゃんがドラゴンくん、改めてとかげさんの頭を撫でる。とかげさんは「グワー」と間延びした返事をする。その表情はどこか満足げだ。



 お見舞いに来てくれた皆は退室することになった。姐さんは柚月ちゃんを自宅へ送り届けに、レスニアさんとジークは獅子ヶ谷さんの家まで同行するそうだ。皆が居なくなるのは淋しいなぁ、でもジークだけは要らないなぁなどと感傷に浸っていたところ。


「やっほー。お兄てば元気にしてるー? おっ、ようやくお目醒めになったようだねー。いやぁ、これで一安心だわぁ」

「あぁ、本当に良かった。いつ目が醒めるのか、お母さんヒヤヒヤして朝昼と眠れなかったんだからね」


 間延びした会話とともに、新たな見舞い客がやってきた。片や、黄色のオフショルダーにブルーのホットパンツ姿のサイドテール娘。片や、ライトグリーンのカーディガンに白のロングスカートという出で立ちでサラリとした長髪のご婦人。というか、その二人は、


「そちらはずいぶんとお元気そうですね、母さん、それにめぐりも」


 結羽家の母と長女だった。二人ともケロッとした様子で正直面食らってる。


「お兄に比べたらそりゃそうだよ……でも、本当に心配したんだからね? お兄は請負屋さんのところでいっつも無茶なことしてたけど、今回は本当に危ないところだったらしいから。それを聞かされるこっちのことも考えてよね」


 それまでと打って変わった声音に、俺への気遣いが窺えた。それはそうだよな。俺がしてたこともロクに知らないまま、瀕死に陥ったという報せが唐突に届けられたんだ。二人が何も感じないはずがない。


「ごめん。毎度心配させてたっていうのに反省もせず、こんなザマになっちまって。他にもっと言えたらいいんだけど、これだけしか言えないみたいだ。本当に、ごめん……」


 母さんと巡に向かって頭を下げる。謝る意図もあるけど、それ以上に目を合わせるのが辛かった。視界の外から溜息が零れるのが聞こえた。


「こんなことになるって分かってたら、バイトなんてさせなかったわ。子供を危険に晒すのを望む親なんて居ないんだから」


 呆れたように母さんが言う。諭すようにゆっくりと、それでいて責め立てるようにはっきりとした口調だ。


「でも、竜司は命を懸けて女の子を守ってあげたんだってね。あの子、大粒の涙を流してたのよ。それで、何度も私達に謝ってた。それから請負屋さんも。万が一のことがあれば全責任を負う、ていうことまで言ってくれてた」


 柚月ちゃんも、姐さんも。そこまで心配させてただなんて。自分の無力さがただただ苛立たしい。


「あなたが怪我をしたのは女の子を、ひいてはドラゴンのお子さんを守るためだった。色々と思うところはあるけれど、あなたのしたことは人として誇らしいことだと思う。目を醒ましてくれて、心から嬉しく思ってるの」


 その言葉を受けて顔をおもむろに上げる。すると、真っ先に見えたのは母さんの涙だった。


「あなたの決断したことだから、これ以上咎めるようなことは言わない。けど、ここまで色んな人に迷惑をかけたんだから、一刻も早く身体を治すのよ。分かった?」


 嗚咽を堪えて振り絞られた母さんの問いかけに、「はい」と答える。心から吐き出すように、力強く。


「約束だからね。破ったら往復ビンタ百発なんだから」

「それは怖いな」


 自然と頰が緩む。母さんは涙を拭いて、笑顔を作る。それを見て、何が何でも養生しないといけないと思った。



 それからしばらくして。怪我が完治して、無事に退院することができた。迎えに来てくれた家族はもちろん、姐さんや柚月ちゃん、獅子ヶ谷さんやレスニアさんも電話越しの報告で安堵の息を漏らした。特に柚月ちゃんは嬉し涙を流してくれたみたいで、時折嗚咽の声が聞こえた。心配をかけて申し訳ないと思うのと同時に、皆の想いが純粋に嬉しかった。

 今回の件を教訓として、これから邁進していかなければいけない。それを肝に銘じて、まず取り組まなければならないことは────。


 予定されていた実技試験は入院していた関係で延期してもらっていた。姐さんから教えてもらったことを元に、右拳の一点集中強化を図る。試験の内容は、瓦割り。シンプルでいいけど、なんだこりゃという印象を拭えない。しかし文句を言っても仕方がないので、いざ挑戦。はてさて、結果はどうなったかというと。


 割れた瓦が一枚。二枚目に少しヒビが入った。


 先生の評価は、及第点ギリギリのスレスレだった。命懸けで習得した魔法がこの始末。奇しくも結果まで姐さんの言った通りになっていて、なんとも複雑な気持ちだった。

 ……まぁ、これから頑張るしかないよな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ようこそ魔街(まかい)へ 〜人外魔境異聞録〜 杜乃日熊 @mori_kuma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ