後編

「あ……どうでしたか?」


 鉄格子の向こうから、女性が期待を込めた目でミズキを見ていた。


「姿は見てないけど、いそうでしたよ? なんか、ピンクのウサギにあたし、突き飛ばされちゃってー」

「……えっ?」


 女性が青褪める。


「男どもがなんとかしてくれると思うんで、ここであたしも待ってることにしたんです。あ、飴でも食べます?」


 鞄から飴玉を二つ取り出して、女性に一つ握らせる。

 園内に目を向けると、マサシ達はメリーゴーラウンドを通り過ぎるところだった。


「……ありがとうございます……綺麗な、赤……」


 飴を渡した手を少し持ち上げられて、ミズキは振り返る。

 女性が爪をじっと眺めていた。


「つけ爪ですけどね。ネイル、されないんですか?」

「そうですね。もう、随分してませんね」


 子育てはそんなに大変なんだろうかと、薄く笑う女性をミズキは不思議な気持ちで眺めていた。


 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「この奥って何があるんすか?」


 ヒロトはマサシとタツヤを盾にするように三歩程後ろをついて行く。


「アクアツアーとドリームキャッスルだな。川に囲まれた中島に城が建ってるんだ」


 振り返りもせずにマサシは答えた。


「これで水が綺麗なら飛び込んでもいいんだけどなー」


 タンクトップの首元を摘まんで風を送りながら、タツヤは言った。上から羽織っている半袖シャツのボタンは最初から全開にされている。

 見えてきた月明かりに浮かぶ城は、ドリームキャッスルというよりはドラキュラ城のようだった。

 ライトアップでもされていればもう少し違った印象になったかもしれないが。


「さぁて、何処行ったかねー?」


 川にかかる橋の前で暫し悩む。

 マサシが辺りをライトでぐるりと照らすと、中島を囲む川沿いの遊歩道に一瞬だけ動く物を捉えた。


「カラスとかネズミかもしれねぇが、行ってみるか」


 ギシギシいう木製の橋を渡りきり、目の前の城には目もくれず川の方へ回り込む。

 橋の下も念入りに見てみたが、何もいなかった。

 何かが動いた辺りの茂みをそれぞれで調べてみるが、こちらも何も見つかりそうにない。


「……うわっ」


 ヒロトの声にマサシが素早く反応する。

 ライトを向けると顔を払っているヒロトが浮かび上がった。


「なんだ?」

「蜘蛛の巣が〜」


 情けない声を上げるヒロトに、二人は呆れて先を行こうとする。


「……え? あ、うわっ」

「ヒロト、もういいぞー。蜘蛛の巣ぐらいで……」


 とぷん。


 派手ではなかったが、確かに響いた水音にマサシとタツヤは同時に振り返った。


「ヒロト?」


 返事が無い。

 タツヤは自分の尻ポケットに突っこんでいたライトを取り出した。


「悪ふざけなら、やめろよ? ヒロト!」


 ヒロトの居た辺りから水面に明かりを向ける。水は濁っていて少し揺れていた。


「落ちたか?」


 辺りを見回していたマサシの声が硬い。

 救急車? 警察? とスマホを取り出すも、圏外だった。

 タツヤがひとつ舌打ちをした時、甲高い悲鳴が響いた。


「やーーーーー!!」


 二人は弾かれたように声の方へ走り出す。

 少し先で、水の中からピンクのウサギが岸に登ろうとする子供の脚を掴んでいるのが見えた。

 先に着いたマサシが子供の上半身を抱え込む。


「タツヤ!」

「へーい。おまた――せっ!」


 途中で拾った太めの枝で、タツヤはウサギの頭をおもいっきり横殴りにする。

 足を掴む力が緩んだ隙に、マサシは子供を抱え上げ、水から離れるように城の方へ駆け出した。

 タツヤも後に続く。

 一度振り返ると、ピンクのウサギがのっそりと立ち上がり、昇降台に乗っているかのようにすぅっと水面まで垂直に浮いてきた。


「……何だよあれ!」


 自分の見たものが信じられない。タツヤの腕にぷつぷつと鳥肌が立っていく。

 土手の様な傾斜を登りきり、橋を渡ろうとしたマサシが足を止めた。


「何やってんだよ!」


 マサシを追い越そうとしたタツヤは橋の向こうにピンク色が見えて、マサシと同じように足を止めた。


 は?


 振り返って見るも、先程までそこに居たウサギはもういない。

 ゆらりとウサギは動き出す。


 ずず……びしゃり……ず……ずず……びしゃ……


「おじさんっ。お城に!」


 マサシに抱えられている男の子が後ろのドリームキャッスルを指差した。

 二人は反射的にそれに従う。


「おじさんじゃねぇっ」


 苦々しげなマサシの舌打ちに、タツヤは少しだけ笑った。




 ドリームキャッスルの中は螺旋状に通路や部屋が続き、出口まで一方通行になっている。地下まで下りて登ってくるのだが、ウサギが後から追ってくるのなら、出口で待ち伏せでもされない限り理論上は鉢合うことはない。


「お前、カイトか?」

「うん。ミラーハウスでぼくを呼んだのおじさん?」

おにいさん・・・・・、な。母さんが正門前でずっと待ってたぞ」


 ウサギの気配が感じられなくなって、マサシはカイトを下ろしてゆっくりと歩いていた。警戒は怠らない。


「帰りたかったんだけど、帰ろうとするとあのウサギがじゃまするんだ」

「なんでこんなとこに入ったんだ?」

「ええっとねぇ、あのウサギが風船持っておいでおいでしてたの。ぼく、風船欲しくて近づいたんだけど、もらおうとしたら飛んでっちゃって。別の所にあるからおいでって……」


 子供が消える噂はあのウサギの仕業か?

 マサシとタツヤは顔を見合わせた。


「ぼく、泳げるから川を渡れば気付かれないかなって思ったんだけど、見つかっちゃって……」

「そうか。頑張ったな」


 マサシはカイトの頭をわしわしと撫でた。

 一番地下の折り返し地点に当たる部屋につくと、少し休憩を取ることにした。

 伝説の剣が台座に刺さっていて、これを抜けると勇者になれるという体験の場だ。

 カイトは目をキラキラさせてその柄を掴んでいる。


 だが、辺りの様子は酷いものだった。

 誰が持ち込んだのか、ステンレス製の台に錆びたのこぎりや包丁や釘が乗っていて、赤いペンキがまき散らされている。

 地下の拷問部屋の噂をモチーフにしているのは明らかだった。

 さて行くかと腰を上げたとき、嫌な音が耳に飛び込んできた。


 ……ずず……べちゃり……ず……ずず……


 ちゃんと正規ルートで追ってきたのか。

 不気味な音に背筋がぞくぞくする。タツヤはステンレスの台に手をかけた。


「来たぞ! 行け!」

「タツヤは?」

「これでドア塞いだら追いかける」


 マサシは無言で手を上げた。同じようにタツヤも応えて力任せに台を引っぱった。

 思いの外重い。いや、ペンキが固まって動き難くなってるのかもしれない。

 何かを引き摺るような、ずず、という音が、ウサギの出す音なのか台を引き摺る音なのか、判らなくなりかけた。


「……う……ら、あ!」


 引いた台を今度はドアに押し付ける。

 ガンっと派手な音を立てて台がドアにぶつかった直後、そのドアがゆっくりと引き開けられ、表情の変わらないピンクのウサギが顔を覗かせた。


「…………のこ……けん……」


 ぶつぶつとくぐもった声で何か呟くウサギに総毛立つ。

 あの台の上に乗っているのは、包丁と鋸――

 あんな奴に武器なんて持たせたら……

 のったりと台の上に手を伸ばすウサギより先に、タツヤは包丁と鋸を引っ掴んだ。


「……き……けん……」


 顔が近い。

 掴んだ包丁を振り回そうとしたタツヤの頭を、ウサギは両手で力いっぱい挟み込んだ。


 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 途中でもう走れないと言うカイトを背負って、マサシはなんとかドリームキャッスルの出口まで辿り着いた。

 来るはずのタツヤが来ないことに一抹の不安を抱きつつ、カイトを母親に届けるのが先だと自分を鼓舞する。

 少しの休憩を挟んで橋を渡り、正門に向かって走り抜ける。

 聞こえるのは自分の足音と息遣いだけ……


 メリーゴーラウンドが見えてくるとマサシは少しほっとした。

 もう少し。あと少し。駆ける足にも力が入る。

 そこに差し掛かった時、いきなり明かりがつき、オルゴール調の曲が流れだした。

 マサシは思わず一歩飛び退く。

 上下に動く馬の一つにピンクのウサギが横向きに座っていた。


「カイト、走れ!」


 背中からカイトを降ろし、正門へ促す。彼が駆けだすのと、ウサギがのっそりと馬から降りて立ち上がるのが同時だった。

 ウサギはマサシに構わずカイトを追おうとする。


「待ちやがれ!」


 マサシはウサギにタックルをかました。もんどり打って倒れ込む。


「…………こ……けん……」


 くぐもった声がマサシの耳をくすぐった。

 緩慢な動作で立ち上がろうとするウサギを、なんとかその場に留めようと腰の辺りに抱き着く。


「子供を何処に連れて行くつもりだ!?」


 ゆっくりとマサシに頭を向けて、ウサギはイライラするような速度でそれを横に振った。


「ママ!」


 カイトがもう少しで正門に辿り着く。

 正門……ミズキは何処だ?

 そこで待っているはずのミズキの姿が見当たらない。


「ミズキ?!」


 マサシの呼ぶ声に、正門まで辿り着いたカイトが振り返る。

 この距離で、メリーゴーラウンドの明かりがあるのだとしても、表情が見えるはずがない。だが、マサシははっきりと見た。

 カイトがニィっと笑うのを。


「……あの……こ……き……けん……」


 ピンクのウサギのくぐもった呟きに背筋が寒くなる。

 ウサギを放り出して正門に向かって走り出す。


 あの母親は何を持っている? 白く、細い何か。あんな物をあの母親は持っていただろうか。


 カイトが門の下の方の格子を潜って出て行く。


 その目の前、母親の足元にある塊は何だ?


 カイトが楽しそうに声を上げて笑った。


「ありがとう。カイトも戻ってきたし、お土産・・・も手に入ったわ」


 聞こえるはずがない声が聞こえる。


「だから、あなたはあれ・・の代わりね?」


 細く白い何かをこちらに放り投げる彼女の指先が赤い。放り投げられた細く白い何かの先も赤い。

 それを受け止めようと伸ばした手が桃色だった。

 桃色の毛の、指? 腕? 視界が狭くなる。

 受け止めた細く白い何かの先の五つに分かれた先端のひとつに、ラインストーンの付いた赤いつけ爪が付いていた。


「あ……あぁ…………あ……」


 叫びだしたいのに、くぐもった声しか出てこない。体が重い。思考が鈍る――






 翌日、裏野ドリームランド跡地からひとりの若い男性がふらふらと出てきた。

 近所のファミレスで保護された彼は自分が誰か、どうしてそこに居るのか、何一つ覚えていなかった。

 彼の所持品は煙草とライター、スマートフォン、財布、それからLEDライトだけ。

 スマートフォンから身元が分かり、今は家族の元で静かに暮らしている。

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