第3話 自殺といじめ

 いよいよ本題ですね。


 今回の話はエッセイではなく、評論に近いような気がしますが、暖かく見守っていただければと思います。あくまで個人の意見として捉えていただければと思います。


 私は別の作品でも書いた通りいじめ問題に対しては人一倍に敏感だと思っています。


 しかし、その問題として取り上げられる頃には被害者(当事者)は既に死んでいるということがほとんどです。


 そしてその事に気づけなかった学校を責めることがほとんどです。


 しかし、最も責めなければならないのは親の方ではないでしょうか。


 行動を取っても動いてくれなかったらそれは学校が問題です。


 どっちなんだと言いたくなるのは分かります。


 つまり、どちらも悪いのです。


 少なくとも0というのは絶対にありません。


 1パーセントでも責任はあるのです。


 親は悪くない?そんなわけないと思います。


 過去の自殺をした事例を見ると、ほとんどがいじめが絡んでいます。


 これは親にすら相談出来なかったということです。


 厳しいことを言うようですが、今の子供達にはコミュニケーション能力が低い傾向があるような気がします。


 この前の学校の授業で、そのことを実感しました。


 その中で子育てをするのが大変なのは子供でさえ想像出来るのですから、大変さはそのさらに上を行くのでしょう。


 そのうえ、いじめまで気づくのはさらに難しいことです。


 社会の風潮として、


 不登校はダメである。


 いじめなんて起こってはいけない。


 みんな仲良しが良い。


 などなど・・・


 それは全て言葉での説明だけで、実際何の役にもたってませんし、不登校がダメ?だったらすぐに対応すべきです。「いじめが本当にあったのか。」ぐらいは証拠がなくても調べられますよね?


 Twitterのツイートでこのようなものがありました。


『日本では学校にエアコンをつけるのに市民投票しないといけないんだって。』と7歳の娘さんに説明したそうです。


 帰ってきた答えに私はびっくりしてしまいました。


『死ぬくらい暑いのだったら投票なんてしないで、すぐにつけるべき。命に関わる問題でしょ?』


 と言ったそうです。


 命に関わるからエアコンを付けるか議論するまではいいんです。ただ、そこからの行動がない。予算の問題は確かにあります。


 それでも、人が死んでいるのに対応しないのも問題だと思います。


 それといじめは違うと言うのでしょうか?


 それは・・・否。


 電話相談サービス等はありますが、あくまでそれは気休め程度にしかならないと思います。


 私がいじめにあっていた時にはまだそのサービス(?)はありませんでしたが、あっても絶対に連絡なんてしてなかったと思います。


 小さい子供が電話をすることは親が心配するからです。


 小さい子に基本的に携帯電話を与えてる保護者の方は少ないと思います。


 だから、「親に心配をかけたくない。」と考えてしまい、さらに相談出来なくなり、思いつめて自殺を選んでしまう。


 この負の連鎖を断ち切るために私たちに出来ることを改めて考えてみて頂きたいです。


 そして、どんなに小さい行動でも取ってほしい。


 その小さな行動が後の大きな一歩の礎になるのだから。

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自殺といじめ 囲会多マッキー @makky20030217

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