昔に見た夢の話
水屋七宝
昔に見た夢の話
ある日私は夢を見た。
子供の頃に見た夢だ。
今の私は大人だが、夢の私は小さな子供で
夢の世界はとても美しいところでありました。
空は真っ赤に燃える夕日に染まり、
空は橙と青のグラデーションが、マーブル模様に交わり合い
空は雲の陰影が、くっきりと見えるほど鮮やかでした。
また、地はどこまでも続くまっさらな大地
地はいっぽんの木も見当たらず、建物ひとつも見当たらず。
地は人ひとりも見当たらず、地は私以外を立たせておらず。
ただ大きなみずたまりが、それだけが世界の全てでした。
地が空をうつしているのか
空が地をうつしているのか
それとも私がさかさまなのか
私にはわかりませんでした
空を見ても、地を見ても
うつるのは橙と青と雲だけ。
この世界には地も空もなく、
私が水にうつることはなく、私は世界にいないみたいでした。
ただ青の向こうにはきらきらと星が輝いていました。
とてもきれいなところでした。ひたすら広がる壮厳な景色は、まさに言葉を失うほどでした。
さぁ、さぁ、という音が私の耳に障りよく聞こえました。
それは風の草原を薙ぐ音のようにも、雨音のようにも聞き取れました。
その音に混じって、どこか遠くで、小さな子どもたちの笑い声が響いていました。
どの方向を向いても、それは同じように聞こえました。
透明な子どもたちが、透明な遊園地ではしゃいでるのだと、そんな想像が浮かびました。
きっと、童話に出てくる天国に私は来たのだと思いました。
とてもきれいなところでした。それこそ、遺憾なく涙をこぼしてしまいそうなほどに。
しかし、どんなにきれいであっても
そこは私のしらないところだったのです。
歩いても歩いても、何も見えません
ひとかげひとつ見当たらず、たてものひとつ見当たらず
じぶんのすがたすらうつすものはなく、がらんどうの世界にひとりぼっちでした。
おかあさん、おかあさんはどこ?
こどもの私はたちまち不安になり、愛する母を探しました。
必死に叫んで探しました。
しかし、いくら叫ぼうと、声は出ませんでした。
空気がのどをすり抜けるだけで、声は出てくれませんでした。
だれも私を助けてくれませんでした。
私はとうとう泣きじゃくりました。声も涙も出ませんでした。
私は突然悟りました。これは何かの罰なのだと。
好き嫌いをたくさんしてしまったこと、おもちゃを泣いてねだったこと。
何が悪くて、こんな不安を抱かなければならないのか。
私以外のすべてがいなくなってしまった。或いは、私だけここに迷い込んでしまった。
そんな風にさえ思いました。
おもちゃ箱の奥にしまわれて、忘れ去られてしまったような、そんな錯覚さえ抱きました。
ただの嗚咽は次第にごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すようになりました。
私はそれでも歩きました。
おかあさん。おかあさん。どこにいるの?
それだけを考えて歩きました。
どんなにきれいな世界であっても、私には地獄のようでした。
人の営みはそこに無く、自然の叡智もそこに無く。
ただ私の不安を掻き立てる、大きな大きな牢獄のようでした。
どれだけ歩いたことでしょう、ついには足すら動かなくなってきて、今度こそ本当に恐ろしくなった時のことです。
遠くに人影が見えました、それはだんだん近づいてきて、はっきり母だとわかりました。
母は困ったように笑っていました。私のクシャクシャな顔を見てさらに破顔し、
こんなところに一人で危ないでしょうと、私を叱咤しました。
私は大声で泣きわめきました。声は、母に届いてくれたようでした。
私の体を抱き上げると、母はよしよしと背中をさすってくれました。
なんて安心する腕の中だろう、夢の中の世界よりずっと夢の様な出来事に感じました。
母は私を抱いたまま歩きました。歩いた先には私の父と、少し意地悪な兄が扉の前で待っていてくれました。
案の定、私のクシャクシャな顔を見て、兄にはまた泣いたのかとからかわれました。
世界に一つだけ、ぽつんと立っている扉は、今思えば異質でありましたが
今思うにも、それは自然な佇まいでありました。
扉の向こうは私の部屋でした。家族揃って扉をくぐりました。私は扉をくぐるとき
一度だけ、振り返りました。
振り返った向こうは橙と青ではなく、家の廊下と階段が見えるだけでした。
私はこの空と地を、忘れることはありませんでした。
いつも、ぼうっとしていると、気づけばこの夢のことを思い出していました。
大人になった私はいつかまた、もう一度この夢を見たいと思っていたのです。
あそこは私のしらないところで、まるで天国のようで、地獄のようなところでしたが
それでも忘れられないほどに、きれいなところだったのです。
昔に見た夢の話 水屋七宝 @mizumari
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