発車ベル。る、る、る。

来冬 邦子

「五分間、停車いたします」

 車掌さんが腕時計を指さした。


 たった一両だけの特急列車に乗っているのは、あたし一人。


「一分前に発車ベルが鳴りますので、乗り遅れませんように……」


 最後まで聞かずに、高いステップを飛びおりる。


 潮風のよせるプラットホーム。


 青い海がまぶしい。


 特急の真横には、各駅停車の10号車が停まっていた。




 ――五分で捜し出さなくちゃ!


 端のドアに片足だけ踏み込んで、大声で呼んだ。


「おかあさん!」 


 乗客がみんな振り返った。




 9号車。


「おかあさん!」




 8号車。


「おかあさん!」




「どうしたの?」


「あなた、中学生?」


「おかあさんと、はぐれたの?」




 競うように問いかける乗客は、みんな女のひと。


 そわそわと腰を浮かせて、あたしを見つめる眼差しが母と同じ。


 各駅停車の『おかあさん乗車率』はかなり高かった。




 ごめんなさい。説明してるひまがないんです。


 あたしはうすら笑いをつくって駆け抜ける。


 さっさと見つかってくれよ。おかあさん。恥ずかしいよ。




 7号車。


 6号車。


「おかあさん!」




 るるるるる♪


 あと半分残ってるのに、発車ベルが鳴りはじめた。そのとき。


「ちなつ! ここよ!」


 4号車から、母が手を振って降りてきた。


「おかあさん! 捜したよ?」


「おかあさんだって、捜したわよ!」


 このおよんで、嬉しそうな母。


「時間ないから、用件だけ聞いて! あたしの机の引き出しの底板の裏に、青い封筒が貼り付けてあるから。中を見ないで捨てて。絶対開けたらダメだから。分かった?」


「ええっ?」


「だから! 絶対見ないでよ? じゃあね!」


 全速力で駆け戻るあたしを、母の足音が追いかける。


「ちなつ! どこにいく気?」


「あたしは、こっちだから!」




 今日、母とあたしは、駅前で待ち合わせして事故に遭った。


 アクセルとブレーキを踏み間違えた車が突っ込んで来たんだ。


 あたしは特急だから、遠いところに行くことになっている。


 母は各駅停車だから、すぐに意識が戻るんだ。



 

 るるる る る る♪


 最後のベルに合わせて、三歩でステップに飛び乗った。


「だめ! ちなつ! 降りて!」


 かかとでドアが閉まったら、唐突に言わなきゃいけなかった言葉が押し寄せてきた。


 ありがとうとか。お世話になりましたとか。先に死んじゃって、すみませんとか。


「おかあさん。ごめんね!」


 あたしはドアを叩いて叫んだ。


 小さな円い窓は、母の泣き顔でいっぱいだ。


 ――ちなつ。行かないで。


 ごめん。もう聞こえないよ。おかあさん。




 あれ?


 車掌さんが、顔をひきつらせている。




 座席の横のガラス窓いちめんに、たくさんの手のひらがすがりついていた。




 ――返してあげて。その子を返してあげて。


 たくさんの女のひとの声が、波音のように寄せてくる。


 それはみんな各駅停車に乗り合わせた、おかあさん達だった。




 特急は発車しなかった。




「申しわけございませんが、お客様」


 車掌さんが慇懃いんぎんに頭を下げると、閉まっていたドアが開いた。


「お乗り換え、いただけますか?」


 目尻の笑い皺が、帽子のひさしに隠れたところまでは憶えているんだけど。

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発車ベル。る、る、る。 来冬 邦子 @pippiteepa

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