愛ある猫は爪を隠せず

「イタタ…」

 ある休日の昼下がり。彼女が困ったように声を上げた。その膝には猫が寝ている。

「どうしたの」

痛がっているような声だったが、その表情を見るとそこまでのようではない。それどころか嬉しそうに笑ってすらいる。

「いや、別に」

そう言って、彼女は猫の小さな頭を撫でる。すると、

「あいててて……」

彼女がまた声を上げる。どういうことだろう、猫は別にどうともしていないように見える。キバを剥き出しているわけでもないし、爪だって……

「うわ、爪が」

白くて丸く、先の尖った爪が、彼女の柔らかな腿にぎゅうと食い込んでいる。

「ハァー、もうかわいい」

「えっ、なんて?」

彼女は先ほどよりも熱を入れてわしゃわしゃと猫を撫でていた。猫はぐるると喉を鳴らして目を閉じている。

「かわいい」

にこにこと彼女が笑う。

「かわ……?」

目を点にした僕に、彼女が猫の生態を解説した。曰く、子猫が乳を飲むときの仕草らしく、母猫への甘えと同じようなものなのだと。

「見て、にぎにぎしてる」

「両手を交互にね、ぐっぱぐっぱするの」

猫と同じくらい恍惚とした顔で、最近爪を切ってなかったからね、ごめんねぇ、と猫に話しかけている。

「……すごいな」

もしかして、これが母性というやつだろうか。ともかく、僕にはまだ彼女ほどの猫愛はないのだと思う。



 また別の休日。膝に寝る猫を台にして、僕は本を読んでいた。彼女は買い物に出掛けていて、静かなものだ。ソファに一人と一匹、ただゆっくりと流れる空気。

「いっ……………ったいな!」

完全に油断していたところに、とうとう来た。猫の爪が僕の腿を直撃する。ぎゅううと食い込んでくる爪。そういえば、あの後もまだ爪を切っていなかったのだったな。

「やめ……」

一度は払おうとした手を止める。読んでいた本が、音を立てて床に落ちた。彼女から聞いたことが頭によぎる。

 よくよく感じてみると、ぐるると響く膝への振動、柔らかな肉球、小さな短い指が僕の腿をわずかに握りしめて、離して、また握って……。子猫の頃の名残、母猫への甘え。

「うっ……うぅー……」

悶えた。痛みと、それ以外の何かで体がいっぱいになって悶えた。

「せめて、爪を切ってからにしてくれ…」

今すぐにでも爪を切りたいが、爪切りは……ああ、向こうの棚の引き出しの中だ。猫に膝を封印されている状況では何もできない。まさか、彼女が帰ってくるまでこのままだろうか。

 ぎゅうう、ぐるるる、ぎゅうう。

「わかった、わかったから……」

爪を引っ込めてくれないと、そのうち膝に血が滲む。

 ただいまー、とのんきに帰った彼女に、僕が呻きながら助けを求めたのは、言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫のあくびは春のはじまり まめつぶ @mameneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る