反作用の軌跡




 もう、うんざりなんだ。

 平凡で穏やかな日々を私は望む。





一、


 フェンスに寄り掛かって腕を組む狼の姿が神懸っていた。

 季節は、秋から冬へと移り変わろうかという時期である。

 そんな肌寒い気候にありながら、半袖を貫く狼の発達した上腕二頭筋に胸キュンしたシゲは、内心で身悶えた。

 魂が打ち震えすぎて、踊り狂っているかのようだった。

 かぶり付きたいとは、きっと今日の狼のことを言うのだ……。

「おい、聞いているのか?」

「もちろんよ」

 肉食獣がごとき内心を押し隠して、さらりと答えて胸を張ってみせたシゲは、とびっきりの笑顔を狼へと向ける。

 二人が居るのは、丸徳印のファミリーレストランの裏手に在る、いつもの路地裏である。

 狼という男は、人間の群れの中を不得手としているらしく、滅多なことでは店内へ足を踏み入れようとしない。

 狼に恋するシゲとしては、ベンチタイプの椅子に横並びで座ったりなんかして、照れ隠しにフォークでパンケーキを突き回したいものだったが、とりあえず願望が叶ったことは未だない。

 シゲの今日の服装は、青みがかったグレーの膝丈ニットワンピース、それに黒いハードな鋲打ちロングブーツを合わせている。

 ニットワンピースはゆるふわを目指して全体的なシルエットにゆとりを持たせて、なおかつ素材の毛先の色が変化して白いモヘア仕様になっている。

 つまりは、厳選されたスレンダーボディにのみ許された、実にシゲ向きのコーディネートなのである。

 絶壁などと言う声は聞こえないったら聞こえない。

 あざといと評されたならば、シゲは真正面から受けて立つ所存である。

「もう一度言う。この依頼は、断わってくれて構わない」

「うん……?」

 とりあえず、いつもどおりにつれない態度の狼は、シゲが考えたモテ☆コーディネートに興味がないらしかった。

 身体の向きを調整してみたりなんかして、アピールしてみるも狼の様子に変化はない。

 気のせいかもしれないと思い、あらためて角度を変えてみるも、狼がシゲのアピールに気が付くことはなかった。

 あり得ない事態に遭遇したシゲは、絶望した気分で狼を見る。

 狼による謎の不意打ちキス事件以来の再会だからと、気合を入れて着飾って来たシゲとしては、肩透かしも甚だしかった。

 狼から仕掛けてきたキス一つで危うく錬金術を暴走させかけたシゲの動揺とは、いったい何だったのか。

 キスに――意味はあったのか、なかったのか。

 問いかけたい気持ちでいっぱいのシゲだったが、つるりとした面持ちの狼を見て思い止まる。

 まさか、よもや、なかったことにされてしまったのか?

 ――おそらくは、なかったことにされているのだろう。それどころか、本気で忘れている可能性すら思い浮かぶ。

 狼とは、そういう男だ。

 シゲを混沌へと突き落とした狼は、今日も憎たらしいくらいに安定の平常運転なのであった。

 そして、空気が読める良い女であるシゲは、今日こそはマゾヒズムと親友になれそうな気がした。

「ことわりゅ……うん、ことわる、ん、だよ、ね……あはは……」

 半ば以上うわの空で、シゲは呟いた。

 そんなシゲの様子を目に留めた狼が、不満そうに顔を顰める。

「聞いていなかったのなら、素直にそう言えば良いだろう。もう一度言うが、これで最後だぞ?」

「あーい」

 そうして、内心ではほとほと意気消沈しながら、狼から再度の依頼内容を聞き終えたシゲの方はというと、はて、どこかで聞いた話だなと首を傾げたものである。

 そう――あれは確か、つい先日のことだったように思う。

 近頃怠け者の汚名を返上してワーカホリックに目覚めたシゲは、魔女ルートからの依頼を一つ、すでに承っていた。

 魔女が仲介してきた依頼人は、四十歳過ぎの男で、浮気を繰り返す妻を剥製にしたいとのことだったが……。

 「永遠に美しいままの妻でいて欲しい」だなどと、なんとも極まった依頼人であった。

 とはいえシゲは、魔女が窓口だからとということで、もちろんありがたく引き受けたものだった。

「えっと。ずっと仲の悪い夫婦がいて、最近特にひどい夫婦喧嘩をした。奥さんは、どうしても別れたくない。旦那さんと一緒に居たいから、錬金術で旦那さんを指輪にして手元に置きたい……で、オケ?」

「合っている」

「なんていうかさ。それってもう、夫婦として終わってるよね?」

「だから、断われ……あ、いや。断っても構わないと言っている」

「ふーん?」

 実にあきれた話だった。

 派手に夫婦喧嘩をした夫婦から、夫と妻がそれぞれに別ルートにてシゲへと仕事を依頼する。ここまでは良いだろう。だが、その後がダメすぎた。

 シゲが二つの仕事を同時に達成することは可能だが、そうなれば当然、依頼人たちは夫婦で仲良く人生を終えることになるはずだ。おそらくは、依頼料の支払いも行われないだろう。

 金銭に困っていないシゲはともかくとして、夫側の窓口である魔女は怒り狂うだろうし、妻側の窓口である狼はシゲの仲介役を降りるかもしれない。

 そうなってしまっては、シゲは狼と会えなくなってしまう可能性がある。それだけは、論外だった。

 だからシゲは、珍しくも狼が仲介する仕事を断ることにした。

「断っても良いのなら……」

 一度はそう言って断ろうとしたシゲだったが、何かが引っ掛かった。断りの言葉は、自然と尻すぼみになる。

 頭では依頼を断るべきだとわかっているが、それにしてもと首を傾げずにはいられなかったのだ。

 シゲが知る限りでは、こういった裏の仕事は特別な契約書で魂までもを縛るか、もしくは口約束で済ませるかのどちらかだ。

 今回の場合、夫側は魔女自身が契約書を用意したのだろうし、妻側は狼が「断れ」と言うからにはおそらく口約束だけなのだろう。

 普段は気にも留めないだろうそれらのことが、この日に限り、妙にシゲは気になった。

 気になるからには、理由がありそうだった。

「その仕事ってさ、どういうルートで狼へ話が来たのかな?」

「……嫁は劇場型を得意とする振り込め詐欺グループのリーダーで、夫は腕の良い結婚詐欺師だ。夫婦ともに裏続きの縁はそれなりにある」

「うわあ」

 世の中には嫌な夫婦がいたものである。

 他人をどうのと言えた立場のシゲではないが、それにしても生きる害虫と言って差支えのない夫婦であった。

 世界の裏側を歩くシゲに持ち込まれるような仕事なのだ。普通に生きていては、シゲの存在を知る機会はまずないだろう。ならばおそらく夫婦揃って詐欺師の中でも凄腕、そして何らかの事情持ちとみて間違いない。

「狼はすごく気が進まなさそうだよね。なのにどうして奥さんの仲介役を引き受けたのかな?」

「言わないといけないのか?」

「うん。聞きたいよ」

「くそ、最近こんな実入りが悪い仕事しか……子供の治療費が……」

 悪態を吐いた狼は、しばらくすると浮かない顔で溜息を吐いて、シゲに答える。

「……振り込め詐欺師をしている嫁は…………オレの……親類だ……から、すでに報酬は前払いで押し付けら…………受け取り済み、だ……」

「うわあ」

 シゲは、狼が窓口となった依頼を引き受けることにした。




二、


 お互いに趣味嗜好が正反対だという夫婦が、狼が用意した一つの部屋で向き合っていた。

 打ちっぱなしの鉄筋コンクリートの室内に二脚の椅子だけが存在する、がらんと殺風景な一室だった。

 近頃の流行病が原因で倒産して夜逃げした中小企業の跡地だそうで、大変に縁起が悪く、この人類の敵たる夫婦にはまったくもって似付かわしい部屋である。

 約二名ほど尋常でなく鼻が利く人種が同席するがゆえに、閉じ込められたカビ臭さを緩和せんと窓という窓がすべて開け放たれており、風通しが良すぎて一般人に過ぎないシゲは肌寒さを感じた。

「ひさしぶりね」

「半年ぶりかな」

「顔を忘れそうだったわ」

「ぼくは忘れないよ。君は、変わらず美しい」

 夫婦は揃って四十過ぎだと聞いていたが、その外見は若々しい。どちらもが五歳以上は若見えしていた。

 美男美女とはこの夫婦を云うのだろうと、そう思わずにはいられないような、完成された造形美が向き合って微笑んでいる。

 狼が言うには、趣味も好みも違う夫婦であるとのことだったが、なるほどシゲから見た二人の印象はちぐはぐだ。

 長身迫力美女な妻と、小柄で人が良さそうに見える夫。

 普通に生きていれば顔面偏差値だけでそれなりの人生を歩んだのだろうに、この夫婦は詐欺師となる道を選択した。

 人様の金を巻き上げて私腹を肥やした二人は、少なくとも安くはないシゲの依頼料を支払える程度には裕福であるらしい。

 狼により前もってシゲと引き合わされた美女は、役者をそろえて金のない若者には借金の先を、老後資金を貯め込んだ老人には孫を装った配達人を手配している、のだと嘯いたものだった。

 オレオレ詐欺だなどと云われていたのは今は昔、昨今ではATMを利用せず直接人が金の回収をしているものらしい。「出稼ぎも良いものよ」などと得意そうに言われてしまっては、シゲとしては被害者の方を持ってイラつかずにはいられない。

 詐欺師稼業に勤しむ美女の背後には、能面のような顔付きをした狼が、用心棒よろしく突っ立っている。

 この狼をして顎でこき使おうとはなるほど、間違いのない凄腕である。

「これを、君に」

 夫が魔法のような手付きで取り出したるは、白い、小さな花弁が寄り集められた小振りの花束である。

 野菊のような――秋風に揺れ動く季節外れの白いマトリカリア。

「突然ね。花束だなんて、どうかしたの?」

「地味な花は……ぼくが嫌いだから、たぶん君は好きなんだろうなと思って」

「なによ、それ」

 美女が、鼻で笑う。

 囁くようだった含み笑いが次第に腹を抱えて笑うまでになり、妻は涙を流してまで笑い続けた。

 やがて笑いがおさまり、夫婦は自然な仕草で手を取り合い、見つめ合う。

 そこにはもう、わだかまりは存在していないのだと部外者にもひと目で理解できた。少なくとも、美しい妻の顔には夫を指輪にして永遠に共に有りたいと願った強欲さは見当たらない。

 ……シゲは、見ている方が恥ずかしいほどだった。

 だから、あえて空気を読まずに問いかけた。

「ねえ? 私は、必要?」

 夫婦が我に返った様子で同時にシゲを見た。

 わたわたと、触れ合っていた手が離される。代わりに無意識なのか夫婦は身を寄せ合い、肘で互の身体を突き合う。

「あ、えっと……」

「ぼくは、」

「絶対に、私のこと、忘れてたよね? ねえ、私は必要なのかな?」

 再度シゲが問いかけると、夫婦はちらちらと目配せをし合い、同じタイミングでこちらへと視線を向けてくる。

 このあたりで、さすがにシゲもこの夫婦の質の悪さを理解し始めた。

 遺憾ながら、犬も食わぬと云う夫婦喧嘩に手を貸してやったというのに、この仕打ちだ。酷い。あまりにも、酷い所業があったものである。

 よって、シゲは心底から依頼内容に納得し、予定通りの仕事を実行することにした。

 妻は美しい姿で時を止めたまま生きた剥製もどきに、夫は無骨な指輪になって妻の手に。

 そして世にも奇妙な芸術作品は、三人目・・・の依頼人の手に渡る。




三、


「いや、ありがたい」

 詐欺師夫婦の依頼料までもをまとめて支払った三人目の依頼人は、宗教家が窓口だった。

 例によって宗教家の箱庭たる学園出身者であるらしく、宗教家の実態を知らないままに「恩師」と仰ぐ姿に哀れを感じたものだった。

 その顔を見て、シゲは美男美女の遺伝子は時に要らぬ軌跡をもたらすのだと知る。

 美男美女の一粒種だというわりには、地味な顔立ちをした息子氏だった。

 姿を見た五分後には顔を忘れる。そんな特徴の乏しい中肉中背の二十歳前後に見える凡庸な印象の青年だった。

 苦労したのか、まだ若いのだろうに、隠しきれない疲れのようなものが垣間見える。

 シゲに向かって何度も感謝を述べ、頭を下げながら、腰の低い依頼人は白く小さな花弁を靴底で踏みにじる。

 そんな依頼人を見なかったことにしたシゲは、注意事項を告げる。

「御両親を元に戻したくなったら、また仲介役の宗教家にでも言って。アフターケアとか、そんな感じ。私がまだ生きていたら対応するよ」

「ありがたい、ありがたい」

「当然、アフターケアの依頼料は別料金で取るからね?」

 規格外の両親に振り回されて嫌気が差した子供は、修羅の果てに平穏を得た。

 厄介な両親が稼ぎに稼ぎまくった有り余る金を程々に使って、のんびりと暮らすつもりなのだと云う話だ。






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都会の錬金術師は愛を探している ないに。 @naini

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