第20話 うるう日からの交換日記

こんな風に外を歩くのは何日ぶりだろうか。


すれ違う人はみんな半袖の服を着ていた。

いつの間にか、あたりはすっかり初夏の陽気になっていた。


 ――確かにちょっと暑いな・・・。


どこをどう歩いて来たのか全然憶えていない。

気がつくと、僕は高校がっこうの門の前に立っていた。


 ――あれ? 僕は何でこんなところにいるんだろう?


心の中で苦笑した。


真昼間だというのに、なぜか生徒の姿は疎らで閑散としていた。

そうか。今日は日曜日だったんだ。


ウチの高校は日曜でも部活動は行っているため、校門は開放されていた。

僕はそのまま校門をくぐって中に入った。


野球部員が輪に広がって柔軟体操をしている。

僕はじゃまにならないように、その脇を通り校舎の中へ入った。

知っている生徒は誰もいなかった。


静まり返った階段を最上階まで登り、そして屋上への扉を開く。

屋上に出ると、妙に懐かしい匂いがした。

僕はそのままペントハウスの脇の階段を昇り、給水塔に上がった。

もちろんそこには誰もいない。


すっかり夏の陽気になった暖かい風が僕を迎えた。

僕はいつもの場所に腰を落とした。


サッカー部の掛け声が聞こえる。

最後にここに来てからまだひと月も経っていないのに妙に懐かしい。


ここで彼女と初めて話をしたんだ。

今にも彼女の声が聞こえてくるような、そんな感じがした。

もうここで彼女と話すことはできない、そんなこと分かっているのに・・・。


一瞬、彼女の笑顔が見えた。

もちろん気のせいだ。


僕は袋に入った日記帳を取り出し、そのまま膝の上に置いた。

その日記帳を両手で掴み、ただそれを見つめていた。

中を開いて見るのが怖かった。


 ――彼女は僕に何を残してくれたんだろう。


結局、僕は彼女に何も言えず、何もしてあげることができなかった。

悔しさが再び僕の心の中から込み上げてくる。


僕は大きく深呼吸をしたあと、左手を表紙に掛け、中を開く。

悲しみ、期待、後悔・・・いろいろな気持ちが交錯した。

手術前、懸命に書かれた彼女の筆跡がそこにあった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


真面目くん・・・

じゃなくて雄喜へ 


鍵の番号ちゃんとわかってくれたかな?

国宝級に鈍い雄喜のことだから

ちょっと心配です


明日、急に手術をすることになりました

手術は子供の時から何回かやってるんだけど

今回のはかなり難しいらしい  


お母さんたちは大丈夫って言ってたけど

お医者さんとの話を聞いちゃったんだ

私の心臓、思ったより悪いみたい

でも私、がんばるからね


前に好きな男の子と交換日記を

したかったって私言ったよね

だから

私の人生初めての交換日記の相手に

君を指名します

光栄に思いなさい

(なんか偉そうだね、私)


この日記は、まず私から書きます

雄喜には伝えたいことがいっぱいあるんだ


この交換日記に私の雄喜への想いを託します

本当の私と私の気持ちを

雄喜に知って欲しいから


短い間だったけど

雄喜と過ごした一日一日は

とっても楽して毎日が輝いていたよ

ありがとう

(わあ なんか遺書みたいになっちゃったね

 これ交換日記だからね)


私たちって、こうして話すようになってから

まだひと月ちょっとだから

まだまだお互いのこと

知らないことだらけだよね

だから、まずは私のことから書くね


私はB型の牡羊座です

あっこれはもう知ってたよね

好きな色は青

好きな食べ物はカレーライスとお寿司

苦手な食べ物は梅干しかな

趣味は映画とかよく観るよ

ジャンルはなんでも


特技と言えるものはあまり無いんだけど

強いて言えばピアノかな

四歳の時からやってるよ

これ知らなかったでしょ

いつか雄喜に聴かせたいな


苦手なものは虫

蝶とかでも顔が怖くて駄目かな

スポーツは・・・

心臓が悪かったのであまりやってないです

思いっきり走れたら気持ちいいんだろうな


勉強もあまり得意ではなかったけど

ここ一番での集中力はあったのかな・・

とか思ったりしてる


雄喜のことも

もっといっぱい知りたいな


私は生まれつき心臓が悪くて

学校にも行けない日が多かったから

子供のころから人見知りがすごかったんだよ


お友達と話すのがとっても怖くて

人の顔はいつもまともに見られなかった


雄喜は私のことを羨ましいって言ってたよね


人見知りをせず

誰とでも友達になれるとか

人の気持ちを読むのがすごいとか


本当の私はすごい内気で

気が弱い女の子なんだよ


だから雄喜の気持ちがすごくわかったんだ

雄喜の気持ちだからわかったんだよ

私も同じだったから


だから

あの日もすっごい勇気いったんだよ

あの日っていつだって?

あの日だよ

最初に雄喜と話をした日

(2月29日だよ)


学校の屋上にいた君に

私が声を掛けたんだよね


実はね

雄喜のこと、ずっと前から知ってたんだ

顔も名前も


私が雄喜を初めて意識した時のこと

教えてあげるね


道路沿いのイチョウの葉が

綺麗に色づいてたから

秋になったばかりの頃だったと思う

よく晴れた日の朝だった


学校に行く途中にある大通りで

お婆さんが信号の無い横断歩道を

渡れないで困ってたの

学校とは反対方向だったけど

私、渡るのを手伝おうかなって思って

お婆さんのところに行こうとしたんだ

そしたら、男の子が突然前に出てきて

何も言わずそのお婆さんの前に立って

車を止めたの

そして何も言わずにそのまま

横断歩道を渡り始めたんだよね


その男の子さ

お婆さんには声も掛けず

ずっと文庫本を読みながら

何も言わず、ただ黙々と渡ってるの

でも

ゆっくり

ゆっくり歩いてた

まるでお婆さんの歩調に合わせるように


渡り終わったあと

お婆さんはその男の子に

お礼を言おうとしてたけど

男の子はお婆さんの顔も見ずに

無愛想にそのまま行っちゃったんだ


もう分かったよね?

そう、これ君だよ

愛想の無い男の子だなあって

一瞬は思ったんだけど

あれは君の照れ隠しだったんだよね

目立つことが嫌いな君らしかったよ

ちなみにそのお婆さん

君のほうに向かって

ずっとお辞儀してたよ

(君見てなかったと思うから言っとく)


雄喜は誰にでも

いつも真面目で

いつも丁寧で

いつも親切で

そしていつも謝ってばかりいたね 


それからはそんな君のことが

気になってずっと見てたんだよ

ずっと・・・


鈍感な君のことだから

どうせ気づいてなかったよね


屋上で最初に声を掛けた時さ

君のボーっとした顔を見た時に思ったよ

この人、ぜんっぜん私に

気づいてなかったなあって(笑)


そんな冷たい君だったけど

お友達になりたいなって

私はずっと思ってたんだ

いつも昼休みに屋上にいて

ひとりで本を読んでるってことも知ってたよ

だけど、さっき書いたように

私から声を掛ける勇気が無かったの


で、私は決めたの

君との出逢いを運命に委ねてみようって


うるう日というのは昔ヨーロッパで

女性から男性に求婚する日だったというの

前に言ったことあるよね


だから私は2月29日の昼休みに

君に声を掛けようって決めたんだ


「人はなぜ死ぬの?」

なあんて変な話題で話し掛けたんだよね


でも雄喜はそんな私の変な質問に真剣に

そしてとっても丁寧に答えてくれたよね

雄喜は私の思った通りの優しい人だったよ       



―雄喜と初めてのデートの日

 (練習だったっけ?)


雄喜が本当に来てくれるかどうか

前の夜は緊張して眠れなかったんだよ

あの日は待ち合わせ場所でずっと

カゲに隠れて待ってたんだよ

君、遅れてくるからドキドキしちゃたよ

来てくれないのかと思ってさ

雄喜の姿を見つけた時は

すっごい嬉しかったよ


でもその日

初めてケンカしちゃったんだよね  

あの日、帰ってから家でいっぱい

泣いたんだよ



―雄喜が謝ってくれた日


雄喜が帰り道で私を

待っててくれてたんだよね

ストーカーみたいにさ(笑)


でもすごく嬉しかったよ

あの時はいっぱい待たせちゃってごめんね



―ふたりで学校を抜け出して海へ行った日


あの日は手術のために翌日から

入院するって決まってたの

もう遊びにとか行けなくなるのかなって

思ったらブルーになっちゃって

落ち込んでたんだ

そしたら雄喜にすごく会いたくなっちゃって

もしかして屋上に行けば雄喜に

会えるかなって期待して行ったら

本当に君、いるじゃん?

もう奇跡! やっぱ運命? 漫画? 

とか思って涙が出るくらい嬉しかった


そのあと私が無理やり外に

誘っちゃったんだよね

ごめんね


でも電車に乗る直前

雄喜に迷惑がかかるなって考えてたら

やっぱりやめようって思ったんだ

だけど雄喜が私の手を引っ張ってくれて

一緒に電車に乗った時

すっごく嬉しかったよ


ルール破りが嫌いな雄喜が私のために

初めて学校をサボってルール破りを

してくれたんだよね

あの日、二人で海へ行ったことは

私の一生の想い出になったよ 


こうして日記を書いてると

雄喜と過ごしてきた日々が

どんどん蘇ってくるんだ

不思議なくらい

すごい鮮明に


雄喜と一緒に過ごすようになってから

たったひと月しかたってないのに

ずっと昔から一緒だったような気がする

すごく すごく

不思議な気持ち



―そして今日

こんな夜に病院まで来てくれて

本当にありがとうね

突然で、すごくびっくりしたけど

本当に嬉しかったよ


雄喜の声を聞いた時は、

毛布の中で感激して

涙いっぱいになっちゃって

顔を戻すのに大変だったんだ


雄喜の前では不安な顔を見せないように

がんばってたんだけどさ

君があんな優しいこと

言ってくれるから

懸命に固めてた心が一瞬で崩れちゃって

思いっきり弱音ぶつけちゃったよ


でも そんな弱気になった私を

雄喜は全身で受け止めてくれた


不安と悲しみでいっぱいの私を

雄喜はギュっと抱きしめてくれたよね


ちょっと苦しかったけど

とても気持ちよかったな

頭がまーっ白になって

ふかふわと空を飛んでる感じがしたよ


そうだ

雄喜さ 私にハグしてくれてた時

もしかして

「死じゃやだ! 好きだ!」って

心の中で言ってくれてなかった?

何回も何回も


私には聞こえたよ

雄喜の心の声がはっきりと聞こえたよ


その時 私も「ありがとう」って

心の中で叫んだんだけど

聞こえたかな?


雄喜がこんなにも私のことを想って

くれてるんだって思ったの


そしたら私、この時から

何も怖くなくなったんだ


大好きな人と一緒にいられるって

こんなに嬉しいことだったんだね


私、雄喜と出逢えて本当に幸せだった

私と雄喜が出逢えたのは“運命”だったんだと思う


私、中学二年生を二回やったって言ったよね

実は病気で入院してたからなんだ

でも、そのおかげて雄喜と同級生になれたんだよね。

そして今年からはクラスメート

これってやっぱり“運命”って思わない?


きっと神様が私を病気にしてしまったお詫びに

雄喜に引き合わせてくれたんだと思う


だから私は病気を持って生まれてきたこと

全然恨んでないよ  


でも、そうだな・・・

あとひとつだけ願いしたいことがあるとすれば

もう少しだけでいいから

雄喜と一緒に過ごしたい


もう少しだけでいいから


人を好きになるってすばらしいんだね

ところで私はどうして雄喜を

好きになったと思う?


それはね・・・

うーん実は私にもよく分かんないんだ

(あ いま君コケたでしょ)


前に言ったことあるけど

私は高校に入ってから

ずっと無理して自分を作ってたんだよね

友達に嫌われるのが怖かったから

でも雄喜と一緒いる時は

本当に楽しかった

いつも自然の私でいられた

誰といる時よりも自然の私になれた

いつも自然に笑えた


どうしてかは分からない

きっと私と雄喜はとても似ているから

・・・かな


私は別の自分を作っていたけど

雄喜はやっぱり今のままの雄喜でいいと

私は思う


そういえば前に命のバトンリレーの

話をしてくれたよね


君と一緒に命のバトンリレー

できたらよかったのにな


実は今日、君に言おうと思ったんだけど

言えなかったことがあるの

もし今度逢うことができたら

必ず言おうって思ってる


でも、もしかしたら

もう逢うことができないかもしれない

だから、ここに書いちゃうね


雄喜 大好きだよ


これは私の心のバトンです

命のバトンの代わりに

私の気持ち、しっかり受け取ってね


人を好きになるって

すごく気持ちのいいことだったんだね


雄喜が言ったよね

人は人を好きになるために

生まれてきたんだって


今その言葉の意味がすごく分かるよ


ありがとう雄喜

私は今、とってもとっても

幸せな気持ちなんだ

本当だよ


だから雄喜も本当に幸せになってほしい


これから恋人を作って

結婚して、子供を作って

幸せいっぱいの家庭を作ってね

私の分まで


そうだ、もし娘さんができたら

サキって名前を付けて

うーんと可愛がって!

(あ!ウソ これ冗談だからね)


たくさん書いちゃってごめんね

雄喜には伝えたいことが

いっぱいあったから


君もちゃんと返事を書いてよ

一回だけでもいいからね


一回だけでいいから

雄喜の返事が読めたらいいな


それだけでいい

私はそれで幸せだよ


でも、もしかしたら

雄喜の返事は読めないかもしれない


もしそうなったら、ごめんね

その時はこの日記は君が持っていて下さい


雄喜にはいっぱいいっぱいお礼が言いたい


雄喜は前に、自分は変わりたいって言ってたよね

でも無理に変わる必要なんてないんだよ

今のままの雄喜でいいんだからね


今の雄喜が私は好きだから


そんな私が大好きな

とても優しい雄喜のままでいてね

いつまでもいつまでも  


そして、こんな私のことを

雄喜の心の片隅に・・・

ほんの片隅でいいから

置いといてくれると嬉しいな


じゃあね

           咲 季


◇ ◇ ◇ ◇ ◇



読み終えた時、ようやく僕は、彼女はもういないんだ、ということを理解した。

心で。


目がかすんで何も見えなかった。

涙が・・・彼女がいなくなってから初めて涙が出た。


 ――そうか・・・彼女は、死んだんだ・・・。


心の奥に固まっていた感情が溶け始めた。


一度流れ出した涙は・・・止まらなかった。


「何だよ交換日記って。交換日記だったら君が・・・咲季がもう一回受け取れなかったら意味が無いじゃないか。自分だけ言いたいこと言って・・・」


徐々に視界が歪んでかすれていった。

「僕だって・・・僕だって君に伝えたかったこと、いっぱい、いっぱいあったんだ。何でいつも勝手なんだよ。本当に君は最期まで・・・」


もう何も抑えらなかった。

僕の中にある想い全てが、涙となり、声となって吐き出された。

そして心の中は空っぽになった。


空を見上げた。

景色に色が付いていた。


とても・・・とても青かった。

色の付いた景色を僕は久しぶりに見たような気がする。


雲ひとつ無い、真っ青な空だった。


 ――あれ? この真っ青な空、どこかで・・・。


そうだ、彼女と行った海で見た空だ。

最初で最後になった一度きりの二人での遠出の思い出だ。


彼女の眩しい笑顔が目に浮かんだ。

すると、空っぽになっていた心の奥底に、小さな嬉しさが込み上げてきた。


「届いてた・・・彼女に・・・」


僕の心の中に沈んでいた、ある気持ちがゆっくりと溶かされていくのが分かった。

自分の気持ちを伝えられなかったという悔しい気持ちだ。


「分かってくれてたんだ。僕の気持ちを・・僕の声が・・・届いてた」

彼女はあの日の夜にこれを書いてくれた。

もう最期になるかもしれないということを覚悟しながら。


「ありがとう、咲季」

そう呟いて僕はペンを取った。

そして、そのまま彼女の書いた最後のページの隣にペンを置いた。


今書けば、今書けば彼女に届く・・・そんな気がした。

僕はペンを走らせた。


 ――届け・・・彼女に。    



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


咲季、ありがとう

こんな僕を好きになってくれてありがとう


一度も言葉に出して言えなくてごめんね

僕は咲季が好きだ


人を好きになるすばらしさを教えたのは 

僕じゃないよ

咲季が僕に教えてくれたんだ

ありがとう

・・・・・・・・・・・・


手が止まった。


目がかすんで見えなくなった。


「もう遅いよ! 届くわけないじゃないか!」

僕は手に持った日記帳を思わず振り上げた。


叩きつけたかった。

でも、できなかった。

できるわけなかった。


僕は振り上げた手をゆっくりと降ろした。

そして日記帳を強く抱きしめた。


「ごめんね、咲季・・・」


僕はまた日記帳を開いた。

そして再びペンを走らせた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


今度は僕のことを書くよ

そう、これ交換日記だもんね


僕は分析大好きなAB型

これは知ってたね


趣味は読書

これも知ってたか

好きな色は青

これは同じだ  

好きな食べ物はカレーライスで

苦手な食べ物は梅干し

笑っちゃうな、これも同じだよ

性格はメチャ内気の人見知り

実はこれも一緒だったんだなんて

びっくりしたよ


僕も咲季と出逢えてよかった

心からそう思ってる

運命の神様に感謝してる

本当に


僕は咲季のどこが好きになったか

すぐ言えるよ

僕は、君の何よりも眩しい笑顔が

大好きだった

でもその笑顔は

君の生きていたいという希望だったんだね


命のバトンリレー

僕も君と一緒にしたかった


咲季を好きになって本当によかった

君にはどんなに感謝してもしきれない


僕に笑ってくれてありがとう

僕を元気づけてくれてありがとう

僕に怒ってくれてありがとう

僕に泣いてくれてありがとう

僕を好きになってくれて本当にありがとう

・・・・・・・・・・・・・・


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


もう書けなかった。

再び視界がかすんで何も見えなくなってしまったから。



「ねえ、どうして人は人を好きになるのかな?」

彼女の声が聞こえた。


とても短い時間だったが、咲季と過ごした日々の思い出がどんどん湧き上がる。


昼休みに突然変な質問してきたこと。

無理やりデートに誘われたこと。

彼女に酷いこと言って悲しませてしまったこと。

謝るため彼女を学校帰りに待ち伏せしたこと。

そのあと仲直りしたこと。

学校を抜け出して一緒に海に行ったこと。


もしかしたら僕は彼女に最初に出逢った時に一目惚れしていたのかもしれない。

誰よりも輝いていたあの眩しい笑顔に。


そうだ。

僕は彼女に出逢ってから、ずっと彼女のことを想っていたような気がする。


僕の心の中にはいつも咲季がいた。

そして、今でも彼女は僕の心の中にいる。

僕の中で彼女は生きている。


僕は前を見ながら生きることに決めた。

咲季という女の子を好きになった自分を誇りに思いながら、

彼女が好きになってくれた僕を誇りに思えるようになるために。


でも、今すぐ自分を誇りに思うのは、まだ難しそうだ。

でも将来、誇りに思える自分にきっとなるよ。


咲季がその自信をくれた。


 ――ありがとう、咲季。


心の中でそう呟いた時だ。

僕の心の中でまた何かが崩れた。

急に視界がかすみ始めた。


 ――やっぱり・・・ダメだ。


決意とは裏腹に涙が滲んだ。


 ――もう一度、もう一度だけでいい。


 ――君に逢いたい・・・君の笑顔がもう一度見たい・・。


僕は心の中で叫んだ。

でもそんな願い叶うはずがなかった。

そんなこと、分かっていた。


その時スマホのメール受信の振動が響いた。

咲季のお母さんからだった。


 ―――何だろう?


少しびっくりしながらメールの開いた。


「ごめんさない。名倉君に渡し忘れたものがもうひとつありました。大切にして下さい」

見ると、そのメールにひとつの画像ファイルの添付されていた。


 ―――渡し忘れたものって?

 ―――画像ファイル?・・写真?


僕はその添付ファイルをクリックした。

それを開いた瞬間、僕の視界は再び大きく霞んで何も見えなくなった。


そこには澄み切った真っ青な空と大きな青い海が映っていた。

そして見慣れない笑顔の僕、そのすぐ隣に彼女の眩しい笑顔があった。


「咲季・・・」


最後に二人で海に行った時、学生のカップルに撮ってもらった写真だった。


最初で最後、たった一枚、一緒に撮った写真だった。


僕はその画面をそのまま抱きしめた。


 ――咲季。今日だけ・・・今だけ思いっきり泣いてもいいかな? これを最後にするから・・・。


僕は泣いた。

思いっきり泣いた。

叫びながら泣いた。


もう・・・これが最後だから。



* * * * *



彼女と逢うことができなくなってから初めての春が訪れた。


今年も、またさらに平年より桜の開花が早くなったようだ。でも暖かく心地よい風の香りは一年前と変わらなかった。


そう、だからこそ、この春の風は僕に彼女のことを強く思い出させた。

懐かしく、そして悲しく、とても短かったけど、とても楽しかった彼女と一緒に過ごした時間ときを。


その変わらない香りは、彼女が僕を包み込んでくれている・・・そんな気持ちにさせてくれた。


彼女は、僕が僕らしくあればいいと言ってくれた。

今のまま無理に変わらないでもいいと言ってくれた。


でも僕はもう少し変われるようにがんばってみようと思う。

君のように明るくなりたい。

強くなりたい。


君はいつも明るく、眩しく、そして強く輝いてた。

でもそれは君が懸命にがんばって作っていたもう一人の咲季だったんだよね。

僕はそんな咲季に憧れてたんだ。


僕はその輝いていた君に、君みたいになれるようがんばってみるよ。


それが僕が生きている証。


そして、

それは君が生きていた証。


どこまでできるか分からない。

だけど、僕が僕らしく、


できることを精一杯やってみるよ。

それが、君が僕に渡してくれた心のバトンだと思うから。


だから、それを空の上から静かに見守っててね。



* * * * *



今日は大学に入学してからの最初に日、新入生オリエンテーションだ。

この四月から僕もついに大学生になった。


キャンパス内の大きな階段教室には溢れんばかりの新入生が集まって大学の授業の説明会が開かれていた。

ざわついた教室内では、もう何人かのグループはラインの交換など積極的に仲間作りを始めている。


僕はというと消極的性格はなかなか変わっておらず、ちょっと尻込みをしながら、一人で教室の隅のほうにいた。


『ほらぁ! 壁は自分から壊せるんだよ!』

ああ、また彼女の恫喝するような声が頭に響く。


 ――分かったよ。いつもいつもうるさいな。


僕が自分は変わる、だなんて決意をしたせいであろうか? 

僕が消極的になっている時は必ずと言っていいほど彼女が僕の心に現れては声を掛けてくるんだ。


 ――たまには空の上から黙って見守っててよ。


『ありのままの君で行けばいいんだよ!』


 ――だからわかってるって!


僕はそのままひとつのグループの輪の中に入っていって、ペコリと頭を下げ自己紹介をした。


僕はありのままの自分で話をした。

気取ることなんてしなかった。ワザと明るく振る舞うこともしなかった。

とてもぎこちない、下手くそな挨拶だったと思う。


「よろしく。名倉君!」


みんなは僕を暖かく迎えてくれた。

彼女は紛れもなく、今も僕の中で生きていた。


『ねえ、どうして人は人を好きになるのかな?』

また彼女の声が聞こえる。


そして、僕はいつものように答える。


「人を好きになるのに理由なんか無いよ。

 人は人を好きになるために生まれてきたんだから」




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うるう日からの交換日記 雪追舞 @yukio55

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