ゆれゆくなかで

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ゆれゆくなかで

             

ある夕方の事でした。

燃えるような夕陽が輝いて地面では斜陽がゆらゆらと揺らいでいました。あまり高くない丘には草花が生い茂っていて幹の太い木々が所々に立っています。空気は澄んでいてまばらに羊雲が見え、カラスが声を上げながら群れをなして住処へと帰っていきます。

その丘の上を一人の男が必死の形相で走っていました。大柄で黒のセーターを着て、脇にギターか何かでも入りそうな、大きな袋を大事そうに抱えていました。だいぶ走って疲れ切っている様で速度は歩くのとさほど変わらないように見えます。

少しすると今度は二人組の男が現れました。こちらは全くと言っていいほど疲れを感じさせていませんでした。片方は背が低くまるで少年の様な顔つきで、黒い軍服の様なものを着ていました。腰には一丁の自動拳銃(オートマチック)が吊られています。

もう片方の男はがっしりとして身長が高く、年は三十半ば程にも見えますが、その彫りが深く険しい顔つきは四十代をも超えているようにも思えました。こちらも軍服らしき物は着ていますが吊られているのは自動拳銃ではなく回転式拳銃(リボルバー)でした。

大男は時々振り返って死に物狂いで逃げていきます。それに比べてこの二人はゆっくりと、しかし確実に(背の低い方はうっすらと微笑すら浮かべて)距離を詰めていきます。

その時先を走っていた男が躓きました。と同時に脇に抱えていたその袋を放り出してしまいました。

男は袋を取り戻そうとして

乾いた銃声が響いて伸ばしかけていた腕に直撃しました。

「があっ!」

勢いよく血しぶきを上げて男が悶えます。しかしそれでも諦めずに反対側の腕と足をつかって這う様に袋の方へと向かっていきます。

容赦なく銃声が鳴り響きます。今度は男の右ふくらはぎに当たって左の太ももを掠れていきました。

「……っ」

声すらでない様でした。足を撃たれたので満足に動くことすら出来ません。それでも無理に動こうとしては足に激痛が走り悶えます。

そうしているうちに例の二人組がやって来ました。見下ろす様な具合で、ゆっくりと近づいてきます。

男は最後の力を振り絞って二人を睨みつけました。

背の低い若い男がもう一人の方から拳銃を貰ってそれを男のこめかみあたりに突きつけました。

銃声が威勢良く鳴り響きます。

 

 

 

 

「やっと終わりましたね」

背の低く若い方が飄々と言いました。背中に大男を背負っていますがそんなに重くはなさそうです。背負われている方は手足に包帯を巻かれてぐったりとしてしばらく起きる気配はなさそうでした。

「そうだな」

背の高い方が答えました。こちらはどこか疲れた様子でずっと遠くの方を見つめています。肩には大男が持っていた人が一人入りそうなほどの黒い袋をライフルのように掛けていました。

「こいつどうしますか? その辺に放って置いても大丈夫そうですけど」

背の低い男が顎で背中を指して呑気な調子で尋ねました。

「一度持って帰って記憶を消す」

素っ気ない答えが返ってきました。

ああそれかと納得して一人で何度か頷いた後、背の低い男は何か思い出したかのように片手でホルスターをあさって背の高い男に渡しました。

回転式拳銃でした。六つの弾倉(シリンダー)のうち一つにゴム製の弾が入っています。

背の高い男はそれに一瞥くれた後自分のホルスターにしまいました。

それから丘を下りきるまで会話らしい会話はありませんでした。

下りきったところに大きめのジープが停めてありました。黒色で長らく洗っていないのが一目でわかるほど汚れている代物です。

まず二人は大男をジープの後ろの席に乗せました。これ以上出血すると命に関わるのでかなり慎重です。その後背の高い男の持っている袋を入れようとして背の低い男が

「ちょっと待ってください」

と言って止めました。

背の高い男は少し顔を歪めて逡巡していましたが、すぐにそれを背の低い男に投げました。

「おっと」

きれいに受け止めて、袋の紐をほどいて中を覗き込みます。

「……ふふっ」

背の低い男はどこか楽しそうな笑い声をあげました。

「これが世にも有名な“人形”ですか」

「有名じゃない」

背の高い男が言いました。先ほどよりも不機嫌そうな表情でした。

そこには黒髪で顔立ちの整った少女が膝を抱えて座っていました。薄灰色の布がかかっており細かなところはよく見えませんが安らかな笑顔を浮かべて、しかしどこか人間味の薄い形をしていました。

「まあ確かに昔の物ですしね。いやあしかし… こんなに可愛らしい姿であんなことを起こすだなんて、見かけによらない…いや、むしろだからこそ、ですかね しかしまあ本当に…」

本当に愉快そうに呟きます。

「あまり長く見続けるな 持ってかれるぞ」

背の高い男が短く言いました。口調に少し怒気が含まれていました。

背の低い男がおどけたように

「それは長年の経験ですか? それとも…」

と言おうとしました。

その時でした。

ガサッと後ろの方で音がしました。見るとジープの中で何かが蠢いています。それはすぐに姿を現しました。先ほどの撃たれた男でした。傷からたらたらと血を流し、眼は虚でした。這うようにしてジープのドアを押し開けてドサッと音をたてて転げ落ちました。そしてすぐに立ち上がって、さながらゾンビのような足取りでこちらに向かってきます。

背の低い男は目を丸くしてその光景を見ていました。男は今まで手足を撃たれて立ち上がった生き物を見たことがなかったからです。それでも大男は確かに自分の足で立って歩いていました。銃弾が足に突き刺さったままですがお構い無しです。

この時、背の低い男は完全に意識が大男に向いていました。そのためか持っている袋に異変が起こっていることに気がつきませんでした。

袋から腕が飛び出しました。真っ白でか細く、少しでも力を入れれば折れてしまいそうな腕でした。そしてそれは袋を持っていた男の首に引き寄せられるように飛びつきました。そして男の首をぎゅうぎゅうと締め始めました。

背の低い男はとっさに袋を手放してホルスターから勢い良く拳銃を引き抜ました。そして銃口を向けようとして、男の動きが止まりました。

そこにいたのは天使でした。純白の光をたたえ、背中に生えた翼は眩い金色の光を放っていました。そして全てを赦すかのような笑みを浮かべて首を締め上げていました。銃口を向けようとしてもいっこうに腕が上がりません。瞳を見つめたまま数ミリのずれさえも許してはくれないのです。視界の端に血だらけの大男の姿が見えます。ゆっくりですが着実にこちらに向かって来ます。首にかかる力が強くなってきました。体が無理矢理反らされ、足が数ミリ地面から浮いています。視界がぼやけていき、翼はますます輝きを増して、時々目の前が真っ暗になります。ただなぜか、全く恐怖はありませんでした。むしろ喜びさえ感じているところさえありました。

視界がかちかと点滅します。最早抵抗する力は残っていませんでした。そうしているうちに走馬灯のようなものが流れてきました。怒鳴り散らす散らす男と女。誰かの大きな手。あたり一面の赤色。並走するトラック。目の前を通り過ぎるナイフ。銃声 銃声 銃声 銃声 銃声

銃声。

突然、少女の手が首から離れました。そしてゆっくりとうつ伏せに倒れ込みました。

手から解放された男はまだ焦点の定まっていない目で呆然と辺りを見渡しました。静かに風の音が聞こえる中で足下に脳天を撃ち抜かれた少女が倒れています。そのすぐ近くに血だらけの男が転がっていて血だまりをつくっていました。胸や胴体、手足などにたくさんの銃によるものと思われる傷もついていました。

そしてそれらを背の高い男が見下ろしていました。右手の銃にはもう一発の弾薬も残されていませんでした。少しの間じっとその残骸を見つめた後、ポケットからおもむろに煙草を取り出して火をつけました。

煙草の先が赤く色づきだします。

ゆらゆらと真っ赤な夕陽が丘に沈んで辺りを黒く染めてゆきます。

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