糸子教授の人生リセット研究所

川辺都

糸子教授の人生リセット研究所

 北川糸子という科学者が人生リセット装置を発明した。人生をリセットさせる依頼も請け負っているらしい。

 何とも怪しげな話である。怪しげではあるが、そういうところに儲け話は転がっているものだ。履歴書を手に意気揚々と、人里離れた場所にある人生リセット研究所の門をくぐれば、面接してくれたのは当の教授本人だった。

「山口あやさん。事務を希望、ね」

「はい。先生の素晴らしい発明の噂を耳にしまして、是非ここで働かせていただきたいと」

「ふうん」

 名前は偽名で動機も嘘だ。四十過ぎの白衣の似合うきれいな女性、糸子教授はそんなことにはもちろん気づかず、にこにこしている。

「あの装置はね、とっても素敵な装置なの。使えばみんなが幸せになれるわ」

「はい。私もそう思います」

「わかってくれて嬉しいわ。ええっと、貴女は高校卒業して大手企業に就職、経理の仕事をしていたけど去年退職したのね。歳は?」

「二十二です」

「人生をリセットしたいと思ったことはある?」

「あります。後悔することばかりで」

 相手の話に合わせて、神妙な顔をしてみせる。

 糸子教授はこちらをジッと見て、そして言った。

「手を見せて」

「手、ですか?」

「ええ」

 おずおずと右手を差し出すと、糸子教授はこちらの手をマジマジと見つめた。掌と手の甲の両側を丹念に確認して顔を上げる。

「あのね、うちの装置は一回のリセットにつき五百万円かかるの。用意できる?」

 五百万円。

 冗談じゃない。

「用意できないのでリセットしなくていいです」

 首をブンブン横に振って答えると、糸子教授は笑った。少女のような無垢な笑顔だ。

「わかったわ。貴女、採用よ。ねえ城島、ここの説明をしてあげて」

 糸子教授が声をかけると、部屋の隅にいた助手が立ち上がった。人生リセット研究所の職員は、糸子教授と城島助手の二人だけだそうだ。城島の後について研究所の中を進む。

 城島は、三十過ぎのうだつの上がらなさそうな男である。説明もどこかたどたどしく、わかりにくい。

「これが人生リセット装置」

 面接をしていた応接室を出て、実際に働くのであろう事務室を経由、最後に案内されたのが研究所の一番広い部屋、この研究所の核となる人生リセット装置が置かれた部屋だ。

 部屋の真ん中に鎮座する人生リセット装置は、金属製の大きな箱だった。複数の配管や配線やチューブが飛び出ていて、それらは隣の部屋へ伸びている。

「あそこにある小部屋が制御室」

「装置の制御はあそこでするんですか?」

「そう。あの部屋には入らないで」

 わかりました、と素直に頷く。

「人生がリセットできるなんて凄いですね。どんな仕組みなんですか?」

「あの箱の中に依頼人が入る。蓋を閉める。制御室からボタンを押す。箱の中に煙が充満する。依頼人が過去に飛ぶ。人生がリセットされる」

「えっと、つまり?」

 よくわからず聞き返せば、城島は心外そうな顔をした。

「城島は説明が下手ね」

 振り向くと、糸子教授がそこにいた。

「この装置は人の肉体と精神を粒子に変換し、光速を超える速度を与えることで時間を遡るの。遡った粒子はその時間軸にいる本人の体に引き寄せられ吸収される。二つの肉体と精神は融合し、今の自分は過去の自分と等しくなる。つまり、リセットされるというわけ」

「へええ」

 大げさに感心してみせたが、やはりよくわからない。

 まあいい。別に装置自体に興味があるわけじゃない。興味があるのは別のこと。

 人生リセット装置を見上げてほくそ笑む。一回につき五百万円。さてこの研究所、どれだけ貯め込んでいるのやら。




「おはようございます」

 次の日、研究所へ出勤し事務室に入れば、城島がのっそりとこちらを見た。小さく頷いたのは挨拶への返事だろうか。

「おはよう。今日は依頼人が来るから、お茶の準備をしておいて」

 教授の研究スペースである事務室の奥の部屋から、糸子教授が顔をのぞかせる。依頼人。人生をリセットさせたい依頼人のことだろう。

 返事をして応接室へ行きテーブルを拭いていると、手に資料を持った城島が入ってきた。

「お茶は俺が出すから、事務室にいれば。依頼人とは会わない方がいいと思うし」

「どうしてです?」

 首を傾げれば、城島は皮肉な笑みを浮かべた。

「人生をリセットさせたい人間は、大きく二種類に分かれる。自分はこんなはずじゃないからやり直したいタイプと、あの人にもう一度会いたいタイプ。どちらにしろ、まともな精神状態じゃない」

「はあ」

「ここに来る人間なんて、ろくなもんじゃないよ」

 研究所の職員がそんなことを言ってもいいのだろうか。

 まあ、お言葉に甘えるとしよう。部屋のセッティングとお茶の準備だけしておいて、依頼人が教授たちと話している間、事務室にこもる。そしてコッソリ帳簿を拝見した。

「結構、依頼来てるんだ」

 平均して、一ヶ月に十件ほどか。一回の依頼につき五百万。だが、経費もそこそこかかっているようだ。研究所の運営費に設備の維持費にその他もろもろ。

 ふむ、と考える。経費にまぎれこませて月々少しずつ自分の口座にお金を移していこうか。それとも、ある程度のお金が入ったタイミングでゴッソリいただいてトンズラしようか。

 そんな算段を立てていたら、応接室から女の奇声が聞こえた。

「こんなの私の人生じゃない!」

 慌てて応接室をのぞくと、依頼人の女が糸子教授に掴みかかっていた。

「あの時、受験に失敗しなかったら大手の企業に就職できた! 彼氏にも逃げられなかった! みんなに笑われて、こんなみじめな人生を送ることなんてなかった!」

 城島が女を羽交い締めにして、糸子教授から引き剥がす。

「私はあそこからやり直したいの!」

 糸子教授は引っ張られてクシャクシャになった白衣の襟を整えた。そして依頼人に向き合う。

「お話はわかりました。では、手を見せて下さい」

「手?」

「はい」

 女はきれいにマニキュアを塗った手を糸子教授に突き出した。糸子教授はそれを眺め、そしてにっこり笑う。

「わかりました。人生リセット、お受けいたしましょう」




 ヒステリー女の人生リセットはその三日後に行われた。依頼人が入った箱の蓋を閉め、城島が制御室からボタンを押す。

 次に箱を開いた時に、中にあったのは煙だけ。女の姿はどこにもない。

「本当に過去に戻ったんですね」

 感心して声をかければ、装置の点検をしていた城島が目線を上げた。

「信じてなかったの?」

「信じてましたよ。でも、ちゃんと戻れたんですかね。受験の前に」

「誤差も考えて、受験よりもかなり前に戻した」

「あ、ドンピシャは無理なんですね」

「さすがにね」

 点検を終え城島は立ち上がる。

「部屋から出て。今日はまた別の依頼人が来る」

「はい。お茶を用意しておきます」

 お茶の準備だけ整えて事務室に戻った。依頼人が来たところで、糸子教授と城島を送り出す。が、今回は最初からこっそり応接室をのぞくことにした。今日はどんな依頼人か、興味がわいたのだ。

 今回の依頼人は、城島と同い年くらいの男だった。男は疲れた顔で言葉を吐き出す。

「婚約者が事故で亡くなりまして」

 あの人にもう一度会いたいタイプか。男の向かいに座る糸子教授と城島は神妙な顔をしている。

「その日、俺が待ち合わせに遅れたんです。彼女は待ち合わせ場所で待ってくれてて、そこに車が突っ込んだって」

 男は両手で顔を覆った。

「俺が早く着いてれば、あんなことにはならなかった。糸子教授、教授は人生をリセットさせる人間をご自身で選ぶと聞きます。俺は人生をリセットさせてもらえるでしょうか。俺は彼女に会いたい。彼女を助けたいんです。お金ならいくらでも出しますから」

 お金ならいくらでも。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。そうだ。こんな願いを叶えてくれるところなんて他にない。いくらだろう。いくらまでならこの男は払うのか。

「料金は、一度のリセットで五百万円と決まっています。それ以上はいただきません」

 にべもない城島の答え。

 何でだよ。この男からはもっとお金がとれるのに。

 そう思うものの、しゃしゃり出るわけにも声を出すわけにもいかない。歯がゆくて思わず爪を噛む。

「リセットをすると、今この時点での記憶や知識はなくなります。それでもいいですか?」

「構いません。記憶がなくたって、もう一度やり直せば彼女を助けられる」

 いや、と男は首を振る。

「もし一度で助けられなくても、また次リセットすればいい。彼女を助けるまで、何回だって」

「わかりました」

 糸子教授が頷いた。

「人生リセット、お受けしましょう」

「ありがとうございます」

 泣き出した男の肩を、教授は励ますようにポンと叩いた。




 その次の日、男の人生リセットは完了した。研究所の通帳に刻まれた五百万の数字を見て、思わず息を吐く。

「もっと、ふんだくれたよなあ」

「何の話?」

「うわっ!」

 背後から声をかけられ飛び上がる。慌てて振り返れば、城島がニヒルな笑みでこちらを見ていた。

「昨日、応接室をのぞいてたでしょ」

「あはは。気になって」

「いい趣味してるね」

「あ、あの」

 さりげなく通帳を片付けながら、城島に尋ねる。

「あの男の人、また来るんでしょうか?」

「え?」

 城島は怪訝な顔した。

「彼女を助けるまで何度でもリセットするって」

 そうだ。そうすればリピートのお客様になる。一回につき五百万。彼女を助けるまで何度でも、お金を払ってくれるはず。

「ああ、気づいてないんだ。あの男はもうここには来ないよ。ずっと、人生をループするから」

「ループ?」

 数度瞬きして言葉の意味を考える。

「えっと、つまり?」

 よくわからず聞き返せば、城島は心外そうな顔をした。

「城島は説明が下手ね」

 振り向くと、糸子教授がそこにいた。

「依頼人はね、今この時点での記憶や知識はなくなった状態で過去に戻るの。すると、どうなると思う?」

「どうなるんですか?」

「同じことを繰り返すの」

 できの悪い生徒に言い聞かせるように糸子教授は言った。

「リセットされても同じ選択をして、同じ人生を歩む。人生をリセットしたいとこの研究所にやってきて、そしてまた過去に戻る」

 つまり。

 人生をループする。

 ゾッと鳥肌が立った。つまり、人生をリセットした時点で未来はない。何度も何度も同じ時点で人生をリセットして、同じ人生をグルグル回る。

「でも本人がそれを望んだんだから、仕方ないわよね」

 糸子教授はにっこり笑ってこちらを見た。

「そういえば、貴女も人生をリセットしたいんだったわね」

「いいです。遠慮します」

「そう? 人様のお金を盗むような人生、リセットしたくない?」

 心臓が嫌な音を立てた。バレている。でも何で?

「何をおっしゃってるんですか?」

 経費の支払いにまぎれこませて、自分の口座にお金を流す。その計画と段取りはしていたが、まだ実際にお金をくすねてはいない。

 何故バレた?

 糸子教授は笑ったままだ。その笑顔が怖い。引きつった笑顔を返しながら、鞄を手に取り腰を浮かせる。

「わ、私、今日は帰りますね」

「そのまま逃げる気でしょ。君の罪状、バレてるから」

 ポンと肩に手を置かれて、ビクリと体が跳ねる。

 城島はこちらの肩に手を置いたまま続けた。

「もうわかってるんだよ。君がお金を盗る目的でここに来たこととか、二十二歳ってサバ読んでるけど本当は二十六歳ってこととか」

「嘘、何で」

「肌のハリとツヤ」

「年齢の話じゃなくて!」

 それも重要だが、そうじゃない。

 前科はついてない。あちこちでお金をくすねてきて、バレたことはあっても警察のお世話になったことはなかった。普通に調べたってわからないはずなのに。

「ここに来る人間なんて、ろくなもんじゃない。だから調べた。俺も昔はその道の人だったからツテはいろいろある。蛇の道は蛇ってね」

 城島は薄暗い笑みを浮かべる。

「まあ、今は教授に人生をリセットされて、助手なんかやってるけど」

「え、でも」

 リセットされたら、人生をループするのではないのか。

「私はね、装置を使うかどうかは手を見て決めるの」

 糸子教授は言った。

「手を見れば、その人が頑張ってきたかどうかわかる。頑張った手をしてる人はそのまま帰ってもらうの。だって頑張ってるんだから、これから何でもできるじゃない」

「五百万円の元手もあるしな」

 城島がボソリと付け加える。

「頑張った手をしてない人は装置に入れちゃう。頑張ってないのに人生やり直したいなんて、そんな人は世の中に必要ないもの」

 にこにこと少女のような笑顔で糸子教授は続ける。

「あの人にもう一度会いたいって言う依頼人は、全員に装置に入れちゃうの。そうすれば、好きな人とずっと一緒にいれる。素敵ね。この装置を使えばみんなが幸せよ」

 薄ら寒いものを感じて隣を見ると、目が合った城島は肩をすくめた。

「教授は純粋な人だから」

 純粋で片付けていいのだろうか。

「ねえ、貴女」

 ゆっくりと近づいてきた糸子教授は、こちらの手を取った。

「貴女の手は頑張ってきた人の手。五百万円がないのならここでこのまま働いて、一緒に人生リセットしない?」

 糸子教授のキラキラした目がこちらを射抜く。

 疑問形の言葉。けれど、選択肢なんてない。ここで頷かなければ警察に突き出される。叩けば埃の出る体。警察に突き出されればその場で人生が終わる。

 だから、こう返事するしかない。

「よろしくお願いします」

 両膝をついて、土下座するように頭を下げれば、糸子教授は嬉しそうに両手を叩いた。

「やった! 経理がわかる子ゲット。城島は数字に弱いから、助かっちゃう」

「あいにく、俺は理系じゃないもんで」

 そう言った城島は、励ますようにこちらの背中をポンと叩いた。

「まあ頑張って。人生のリセットも、そう悪いもんでもないからさ」

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