異世界警察は人喰いドラゴンを逮捕できるか?

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人間擁護派の魔王様とドラゴン擁護派のお姫様のラブコメディ⁉

  一、ファンタジー界にほえろ⁉



「──姫。マリー=ゴールド姫はどこだ!」


 王城の奥深くへ無断で乗り込み、大声でわめきちらす不届きな闖入者に対し、なぜか誰一人として、とがめ立てする者はいなかった。


 ──無理もない。


 腰まで伸びた漆黒の長い髪の毛。笑うことを忘れたかのような冷然たる闇色の瞳。おまけにその身を包んでいるのは、マントも軍服も小物の装飾品アクセサリーにいたるまですべて黒づくし。そして、氷の彫像のごとき透き通るような白い肌に、見上げるほどに大柄で無駄のない筋肉に包まれた体躯。


 そう。私は、人間どもが誰しも恐れおののく存在、魔族たちのおさ『魔王』なのである。


 ……ただし、不愉快なことにも、極少数の『例外的な』人間がいたりもするのだが。


「まあ、お久しぶりですこと、ブラック魔王陛下。あら? 今日はあの変な声で笑う犬は、お連れになっていませんの?」

「……私の名前は『ブラック』だ。それに犬など飼ってはおらぬ。人を懐かしの外国製アニメとごっちゃにするな!」

「ご、ごめんなさいっ。そう、そうよね。じゃあ、ブラックレイヴン大魔王……さま?」

「『大』はいらん。何かくしゃみが出そうだ」

 その高貴で可憐なる姫君は、端整な口元をほころばせて、いかにも「エヘッ♡」という感じでかわいらしい舌をのぞかせた。

 バルコニーから吹き込むいたずらな五月の風に揺れる黄金きん色の長い髪の毛と、サファイアみたいなつぶらな青の瞳が、柔らかな午後の陽射しの中できらきらと輝いている。

 ──でも、だまされてはいけない。この虫も殺さぬようなほんの十五、六の小娘に、魔王である私が何度煮え湯を飲まされたことか。


 しかし、この人間の国の王女と魔族の国の国王である私が、『くされ縁』的な幼なじみであることも、隠しようもない事実であった。


 隣り合う我が魔族国と姫のゴールド王国は、魔族と人間の垣根を越えて長年にわたる友好関係を続けてきた。

 それはひとえに種族的偏見を持たないゴールド王家の家風のお陰であり、人間中心の世界の中で何かと肩身の狭い我らとしては、非常にありがたいことなのであった。

 だがそれゆえに、ゴールド家の人間にはいろいろと問題もあったのだ。


 何者に対しても偏見を持たないせいか、やたらと物好きで変わり者が多く、魔族やドラゴンに対しても決して物怖じなどせず、なれなれしく近づいてくる始末である。人間に恐れられてナンボの我々としては、立場というものが無いではないか。


なに不機嫌な顔をして突っ立っているのです。わたくしに 何か御用があったのではないのですか?」

 ほら、これだもんなあ。何だか自信が無くなるよ。──いや、そんな場合ではなかった。

「おい、私の飛竜はどこだ。今すぐ返せ!」

「飛竜さんて、あのあなたのペット兼自家用機の、茶羽ドラゴンさんのことですか?」

「とぼけるんじゃない。自由市場いちばの広場の前につないでおいたのを、おまえの城の者たちが連れ去ったのを見ていた者がいるんだぞ!」

「──ああ、それは『違法駐に対するレッカー移動』を行っただけですわ」

「『レッカー移動』⁉ 何じゃそりゃ」


「あなたにお伝えするのは初めてでしたわね。わたくしこのたび『ファンタジー警察』を設立するとともに、初代警視総監に就任いたしましたの」


「ファ、ファンタジー警察う⁉」

 そのあまりの言葉にあっけにとられてしまった私を尻目に、『マリー警視総監殿』は、拳を振り上げ熱弁をふるい始めた。


「なぜファンタジー世界はこれほどまでに無法地帯なのか。それは文字通り『法律』そのものが存在しないからです。それ故人々は己の欲望にのみ従って行動し、争いや犯罪が絶えることなく横行してしまうのです。特に目に余るのが『勇者』とか『救世主』とか呼ばれる者どもの所業であり、本来この世界の正義と平和を守るべき立場にありながら、昨今のファンタジー界の軽薄化の影響をもろに受けて、『与えられた使命のためならどんな犠牲を払ってもいいんだ』とか、『勇者は何をやっても許されるんだ』とか、『むしろむちゃくちゃに暴れ回ったほうがウケるんだ』とか等の誤った考えにとりつかれ、かえって悪役キャラなんかよりも始末におえない場合が多くなってしまっているのです。もはやこのような慮外者たちは当てにはできません。今こそ公明正大なる法と正義の番人である『警察』組織を創設し、この歪みきったファンタジー世界の秩序を再生せねばならないのです!」


 でたあ、マリー十八番の『女王様モード』。


 ゴールド一族って普段は温厚で平和主義なんだけど、ひとたび何かに熱中したり困難に見舞われると、まるで別人のように強権的かつ攻撃的になってしまうんだよな。

 結構裕福で地の利もいいのに、これまで侵略を受けたことが無いのは、その辺に理由があったりして。

「だからといって、一国だけで何ができると言うのだ。いくら警察や法律を作っても、他のやつらが従わなければ意味が無いじゃないか」

 しかし姫君の唇は、余裕の笑みに満ちていた。

「御存知の通り宗教的種族的偏見の無い我が国は、常に公正中立の等距離外交を貫いてきました。その一方で自由経済大国の立場から、全大陸の王侯貴族や豪商と密接なつながりを持っております。これらの政治的経済的実績からして、よほどの無茶をしないかぎりは、ほとんどの国や地域で協力が得られるはずです」

 理屈ではそうかも知れないが、実際そんなにうまく事が運べるとも思えないんだが……。


「──飛竜殿を、お連れしました」


「おお、待ちかねておりましたよ」

 突然の声に振り向けば、そこには全身白い調理服を着た十数名の男たちと、見覚えのある一匹の茶羽ドラゴンの姿があった。

『きゅい〜んっ。(ご主人様あ!)』

 羽をたたんでいるとはいえ全長二メートル以上もある巨躯を、私にぶつけるように抱きついてくる飛竜。

 涙に濡れた瞳。やつれきった顔つき。艶も張りも無くした鱗。そこにはいつもの誇り高きドラゴンの姿は無かった。

「おまえら、飛竜にいったい何をしたんだ⁉」

「別に取り調べとか拷問とかは一切行なっておりませんわ。ただ地下の大厨房に連れていき身柄を拘束していただけです。もちろん最初からこのコックたちにすべてを任せており、兵士等は一人も関わっておりませんわ」

 コックに? そっちのほうがヤバイだろ。

 魔王直属の茶羽ドラゴンである飛竜は、当然一騎当千の戦闘能力を有し、人間の兵士の千や二千ごときに臆するようなことは決してない。

 しかし、いきなり調理服を着た連中に囲まれて、大鍋がぐつぐつ煮立っている地下厨房なんかに連れて行かれたら、身の危険を感じて泣きながら命ごいをしても無理はないだろう。


 ──その時、マリー配下の兵士数名が、慌てふためいて飛び込んできた。


「デカ長、大変です!」

「何い、どうした⁉」

 古式ゆかしい刑事ドラマのパターンにのっとって、落ち着き払い間髪を入れず応答するマリー。おお、まさに事件の始まりの予感。

「大陸の西のはずれの山奥の谷あいで、人喰いドラゴンがハイキング中の家族四人を惨殺。現在、勇者や魔術師等からなる討伐隊が組織され、事件現場げんじょうに向かっているとのことです!」

「何だと⁉ おまえたちもすぐに現場に急行するんだ!」

「はっ‼」

 王女殿下直々の命令を受けて、気張ってその場を後にしていく兵士たち。

 そのてきぱきとした的確な指示は、一国の統率者であるこの私から見てもほれぼれとするものであった。さすがはデカ長、刑事課きっての『いぶし銀』。


 ……ところでおまえ、『警視総監』じゃなかったのか?




  二、『人を食った』お姫さま裁き。



「いててて。何のつもりだ、いったい⁉」

「ちくしょうっ、放しやがれ!」


 ──ど、どういうことだ、これは⁉


 マリーが派遣した遠征隊が捕縛してきたのは、ドラゴンではなく、勇者や魔術師等のドラゴン討伐隊スレイヤーズのメンバーのほうであった。


「控えおろう。かしこくもゴールド王国第一王女、マリー=ゴールド殿下の御前おんまえであるぞ」

「ほう、その方が『勇者』とやらか。なるほど、金や女や名声のためには、何人なんびとに対する殺傷行為や平和を揺るがす騒擾をもいとわぬような、無頼で欲深な顔つきをしているのう」

 まるでドブネズミを見るように、顔をしかめるマリー。

 な、何て絵に描いたような、高飛車なお姫さまぶりなんだ。なまじ美人なだけに、相手に与えるダメージは当社比数百倍だ。

 あ〜あ、言わんこっちゃない。全身を覆うツノガメの甲羅の鎧の下で、勇者の地肌が怒りのあまりどす黒く染まっていくではないか。

「ふ、ふざけんじゃねえ。俺たちは凶悪な人喰いドラゴンを退治しようとしていただけじゃねえか。なのにいきなり大勢の軍隊で取り囲んで、こんなところに連れてきやがって!」

 それを聞くやいなやマリーは、唇に蕾がほころぶような可憐な笑みを浮かべ、傍らの側近へと顔を向けた。……なーんかな予感。

「聞いたか、じい」

「は、確かに」

「よもや、これほどあっさりと自白に及ぶとは驚きじゃ。さすがは腐っても『勇者』、潔いのう。これにて『罪も無き人喰いドラゴン殺傷未遂事件』に関する、被疑者取り調べをすべて終了する。追って沙汰を申し付けるまで、獄舎の中でおのが罪を深く反省するがよい」

「者ども、ひったてい!」

「そ、そんな、何でそうなるんだ⁉」

 遠山とおやまだか大岡おおおかだか知らんが、いつの間にか『デカ長』から『お奉行さま』に変わっている気もするが、そんなことを言っている場合ではない。もはやまともな意見を言えるのは、第三者であるこの『魔王わたし』しかいないようだ。

「ちょ、ちょっと待て。どういうことなんだこれは。ちゃんとわかるように順を追って説明してくれ。さっき『罪も無きドラゴン』って言っていたけど、そいつがひと家族四人も殺しているのはおまえも知っているだろう。なのに何で討伐隊のほうが罪に問われるんだ?」

「おお、ありがてえ。どちらの御方か存じませんが、地獄に仏とはまさにこのことでさあ」

 感極まり涙で瞳をうるませながら、私に向かって手を合わせ拝みだす勇者たち。いや、悪いけど、仏様でなく魔王だから。

 マリーはいかにも面倒臭そうに、まるでどこかの有閑マダムがお抱えの道化を見るような目を私に向けた。……何て失礼なやつだ!

「何です、いたのですか。ブラック魔王陛下」

 だから、私の名前は『ブラックレイヴン』だっつうの。──ていうか、私がここにいたことを、今の今まで忘れていたのか?

「やれやれ、あなたには最初に言ったでしょう。勇者だの何だのと言って、やりたい放題やらせるから世の中むちゃくちゃになってしまうのだと。だから我が『ファンタジー警察』においては、『他人や他の種族に対する、すべての殺傷行為を認めない』というのが大原則なのです。この手の話によくある『かたき討ち』や『姫君をさらった魔物退治』すら、許すつもりはありません。ましてや、金もうけが目的の『ドラゴン退治』なんて言語道断なのです」

「そんな馬鹿な。それじゃ元々他者ひとを餌食にしている、悪漢や怪物キャラたちの思うがままじゃないか。『すべての殺傷行為を認めない』と言うならば、むしろこの『悪漢や怪物たち』のほうこそを、先に取り締まるべきだろう。なのになぜ、殺人の現行犯である人喰いドラゴンのほうは、罪に問おうとはしないのだ⁉」

 とうとう歓声をあげ、拍手をし始める勇者たち。

 しかし考えてみれば、魔王がお姫さまに向かって、人間を弁護しドラゴンを糾弾するというのも、何だか妙な気もするのだが……。


「まったくもう、あなたって人は昔から、救いようもないほどの石頭なんだから。いいですか、どんな決まりごとにも必ず『例外』というものがあるのですよ。たとえ他者を殺傷した場合であっても、当然『正当防衛』については罪に問われません。先ほどの『魔物退治』の例で言えば、さらわれたお姫さまが自力で魔物を倒した場合がこれに当たります。昨今のファンタジー世界の強いヒロインたちなら、十分可能でしょう。──そしてもう一つ。もし加害者が、殺した後に相手の体をきちんと『食べた』場合には、これも無罪とします」


 ──はあ?


「つまり『姫君をさらった』場合、それがなら、まったく罪には問われません」


 ──はああ?


「まあ、一言で言えば、『人喰いドラゴンが人間を食べて何が悪い!』、ということです」


 ──はああああっ⁉


「ななな何を言い出すんだ。おまえ怪物と人間のどっちの味方なんだ。『殺した後に相手を食べた場合は無罪』だと? 普通そっちのほうが罪が重くなるんじゃないのか。おいおい、そんな変な法律作っていたら、ファンタジー界が猟奇サイコ殺人鬼の天国になってしまうぞ!」

 すっかり取り乱しわめき散らしている私を冷たい視線で一瞥し、心底あきれた顔でため息をつくマリー。今や完全に女王様モードだ。


「あなたこそ本当に魔王なのですか? あなたの国の皆さまはどうだか知りませんが、人間を食べる魔物だっているではないですか。それに我々人間だって、自分より弱い動物を殺して食べているのですよ。すべては弱肉強食や食物連鎖という、『自然のことわり』に従っているだけなのです。元来『殺傷行為』が罪に問われるのは、他者の『命』を奪うからなのです。しかし『捕食行為』は根本的に違います。言わば『捕食』とは、他者の命をその身に取り込み自分の命を繋いでいくことであって、決して無駄な殺戮を行っているわけではなく、むしろ生きる上で当然の行為であり、尊い神聖な儀式とすら言えるのです。それを『猟奇サイコ犯罪』などとそしる誤った考えは、食物連鎖の頂点で安穏と暮らしている、『あちらの世界』の人間たちの世迷い言に過ぎないのです」


 ……やばい。こいつ何か変な宗教にかぶれているんじゃないのか。たとえば『悪魔信仰』とか。水臭い、ここに魔王がいるというのに。

 しかし、たとえ魔族のおさといえど、こんな奇天烈な考え方をとても認めることはできない。

 案の定、これまで大人しく話を聞いていた勇者が、たまらず猛然と抗議をし始めた。

「ちょ、ちょっと待てくれよ。俺にはちっとも納得できねえよ。それならいっそのこと例外なんてつくらずに、どんな理由があろうとも殺傷ころしはすべて有罪にするほうが、むしろ平等じゃないのか? 人喰いドラゴンを殺すことすら犯罪と言うなら、人間を殺したドラゴンのほうも罪に問うべきだろう。あんた結局ドラゴンを相手にするのが怖いから、屁理屈言ってごまかしているだけじゃないのか?」

 おお、一理ある。私は久しぶりに耳にした良識ある意見に心底感動した。

 しかしマリーのほうはというと、相変わらず余裕たっぷりで、その美しい口元に侮蔑の笑みを浮かべていた。

「ほう、それじゃ自分の命を紡ぐために他者の命を奪うことすら、すべて罪にせよと言うのじゃな? それでは一度でも牛や豚や鳥や魚を殺して食べたことのある人間は、一人残らず罪に問われなくてはならなくなるわけだ」

「な、なにどこかの国の口うるさい団体みたいなこと言っているんだ。家畜と人間じゃ話は違うだろう。俺たちは青豆グリンピースだけを食って生きていけるわけじゃないんだぞ⁉」

生命いのちの価値に優劣を付けるのは、我々人間の悪いくせじゃ。人間が万物の長として位置づけられている『あちらの世界』の話ならいざ知らず、ドラゴンや精霊といった人間よりもはるかに優位な存在が無数に跋扈する、このファンタジー界においては浅慮に過ぎぬ。ここでは我々は食物連鎖の頂点にはいないのじゃ。自分たちより弱い生命を殺し食べる権利を主張するなら、自分たちも殺され食べられることを覚悟すべきなのだ。それなのに、自分よりも優位な者に対し殺人罪を適用しようなぞとは、身の程知らずもいいところよのう」

「ばかばかしい。何が自分よりも優位な者だ。我々人間には知恵というものがあるではないか。たとえ一対一では敵わなくても大人数で力を合わせ知略をつくせば、ドラゴンだって魔王だって倒すことができるのだ。そこが我々と家畜との違うところじゃないか!」

 おいおい、魔王じゃなくて精霊だろうが?

「何ともはや。勇者であるその方まで、ファンタジーであるということを忘れておるのか。この世界には牛や魚の精霊だっているのだぞ。あの名作『西遊記さいゆうき』のラスボスである牛魔王ぎゅうまおうが突然やって来て、牛を食べたことのある人間を一人残らず処刑すると言い出したらどうするのじゃ? あやつは主人公の孫悟空そんごくうだけではなく、かの釈迦牟尼尊師しゃかむにそんしの直属の軍隊さえも、大いにてこずらせた剛の者なるぞ」

 ぎゅ、牛魔王って、いったい誰だ。何でこの私より、人間のお姫さまであるあいつのほうが、世界の『魔王事情』に詳しいのだ?

「……牛魔王か。それじゃしかたがねえ」

 ええっ、勇者さま。あなたもご存知だったのですか? 現役の魔王としては、何だか面目丸つぶれって感じぃ。

 しかし、ひとり落ち込む私を置き去りに、とんとん拍子に取り調べは進んでいき、結局勇者たちがしぶしぶながらも罪状を認めることで、一応の落着をみたのである。


 だからといって、私の心は少しも釈然とはしなかった。


 当然だ。幼なじみであるマリーが、何だか変な考えにとりつかれたまま、奇行に走り続けるのを見過ごすわけにはいかない。ここはこの私が目を覚まさせてやらねば。

 ──とはいえ、どうしたものか。事は非常に微妙デリケートな問題だ。

 本当に何か変な宗教にはまっているのなら、それはあくまでも個人の内面の問題であり、他人がとやかく言う筋合いでもない。

 しかも相手は一応一国の王女なのである、下手すると外交問題にもなりかねなかった。

 第一、魔王が邪教を勧めるならまだしも、それを諌めようとするのはいかがなものか。

「何ぶつくさ言っているのです、ブラック魔王陛下。本当はあなた、こんな所でのんきに遊んでる暇は無いんじゃありませんこと?」

「べ、別に遊んでなぞいないぞ! それに私は『ブラック』ではない。何度言えばわかる」

 突然の思わぬ言葉に動揺し、ごまかすように語気を強める私に対し、姫君は邪気の無い笑みをにっこりと浮かべ、さらりと言った。


「どうする気です、『北部神聖同盟』の件は」


 その時心底驚いた。

 私とて決して忘れていたわけではない。むしろ彼女に気取られないように、努力をしていたつもりであった。

 だからこそこうして、『ファンタジー警察』などという酔狂な遊びにも、本気で付き合っていたのである。

 なのにマリーのほうは、とっくに気づいていたのだ。


 ──ああ、そうだ。あいつは昔から、常に私の一枚上を行っていたんだっけ。


「いろいろと大変ですね。何かわたくしにできることがあれば、遠慮なくおっしゃってください」

「……その気持ちだけ、もらっておくよ」

 そう。彼女の国は永世中立国であり、我ら魔族にとっても大恩のある相手なのである。


 決して欲深き反魔族派の人間どもの諸国との『戦争』に、巻き込むわけにはいかないのだ。


 たしかに今の私には、ドラゴンや人間数名の生死なんかに、かかわっている暇なぞは無かった。

 何せひとたびいくさが始まれば、その数万倍もの魔族や人間の命が失われてしまうのである。


 ──ところで姫君あいつは、戦争にも『殺傷罪』を適用するつもりなのだろうか?




  三、魔物たちは、平和を愛す。



『北部神聖同盟』。それは、我が魔族国の国境北側に接している人間どもの諸国が密かに結んだ、こざかしい『軍事同盟』であった。


 数百年前、別の大陸で人間の大帝国との戦いに敗れてこの土地に流れ着いた我ら魔族の祖先は、人間の王でありながら宗教的種族的偏見のまったく無かった(……単に変わり者かもしれない)ゴールド王の先祖に助けられ、王国の北方辺境の地を分け与えられて、新生魔族国家の建国のいしずえを得たのであった。

 以来何百年にもわたり、人のまったく住めなかった周辺の大森林や沼地を開拓開墾し、ただひたすら北へと国土を広げていき、現在の大王国の版図を築き上げたのだ。

 しかしその結果、新たに国境を接することになった北方の人間の諸国連合が、今更になって開拓地の領有権を主張してきたのである。

 もちろん魔族が、そんなふざけた要求をのむことはなかった。そして度重なる言い争いや小競り合いを続けているうちに、現在の一触即発の険悪な状況が生まれていったという次第であった。

 彼らの目的は、単なる土地の所有権では無い。真のねらいはこの世から、魔族の存在自体を消し去ることである。


 結局やつらは、自分たち人間以外に高度な知能や武力を持つ者がいることが、我慢できないわけなのだ。


 だから、これ以上魔族国の脅威が高じないうちに叩いておこうと、本格的な開戦を決意したわけなのである。

 ──どうだいマリー。どんなに法律や警察を作ったって、この世界から争いや宗教的種族的偏見を無くすことなんて、決してできやしないんだ。

 かといって我々魔族とて、座して死ぬつもりは無い。売られたケンカは買うまでだ。


 それがどんなに無意味な破壊や犠牲を、生むだけであろうとも。


 しかし問題は、何よりも『緒戦』のありようである。

 魔族のほうが人間よりも身体的にも呪術能力的にも優れているとはいえ、今回はあまりにも数の上で不利すぎる。二十万対三万じゃ、個々の兵の能力の差なぞ意味が無かった。

 たぶんやつらは、我々を全滅させる気で臨んでくるはずだ。戦いが始まってしまえば和平交渉はおろか、降伏の申し入れさえ受け付けないであろう。

 とにかく、長期的な総力戦にもつれ込むことだけは避けなくてはならない。

 そのためには開戦と同時に敵軍に甚大な損害を与え、早いうちに勝負を決する必要がある。

 ただ、それをどうやって実現するかが、何よりの問題であった。


「──陛下、御進物が届いております」


「……何だ、この忙しい時に。どこのどいつからだ?」

 いや、いかんいかん。いくら山積する難題の思案中に邪魔をされたからって、わざわざ王城最深部にある魔王の居室まで報告をしに来てくれた家臣に対し、八つ当たりなぞしてはならない。

「はあ。それが、隣国のマリー姫様からです」

 ──げっ。すっごく嫌な予感。

「どうしますか。一応武器庫に運びましたが」

「武器庫に? あいつ武器を送ってきたのか」

「い、いえ、それが何とも……。とにかく、陛下御自身の目で確認していただきたいのです」

 何だそりゃ。私は業を煮やして家臣を伴って武器庫へと直行した。


 しかしそこで待っていたのは山と積まれた、棺桶大の無数の木箱であった。


「──なんか、えんぎわるー」

 とはいえ、当方の敗戦を見越しての嫌がらせでもないようで、すべて中身が入っており、一人では持てないほどの重みがあった。

「これだけの数と重さのある物を、よく人間の手で運ぶことができたな」

「いえ、実際に運び込んだのは、人喰いドラゴンや巨大な山鬼のみなさんでした」

 な、何で? 両方とも悪役キャラじゃん。なぜ彼らが人間の手伝いなんかを?

 ──そうか、あのふざけた警察ごっこだ。あのお陰で豊かな食生活(=人喰い)が保証された彼らは、すっかりマリーになついてしまったんだ。


 これじゃ、どっちが魔王だかわかりゃしない。


「ええい、とにかく中身は何だ、開けてみろ!」

 ほとんどやけくそ気味に叫んだその命に従い、次々と木箱のふたが開かれていく。

「……何考えているんだ、あのお姫さまは⁉」

 何とそこに現れたのは鋤や鍬ほどもある、巨大な『ナイフとフォーク』であった。

「ざっと見て、三万本ずつほどあります」

『三万』。どこかで聞いたような数字である。

 その時私の脳裏に、ゴールド城の地下厨房で怯えおののいている、飛竜の姿が浮かんだ。

「そうか、その手があったか!」

 私はすぐさま、作戦会議を招集した。


 ──そして、そのいくさは一滴の血も流さずに、たった半日ほどで終了したのである。


 もっとも、我々は最初から、剣を交えるつもりなぞ無かった。

 すべての戦線で敵の正面に立ち並び、あの巨大なナイフとフォークを手にして、ただにやにや笑っていただけである。

 そのあまりにも不審な行動に攻めあぐねて、しばらく成り行きを見守っていた人間たちは、だんだんと気づいていったのである。


 ──自分たちが今相手にしているのは、人間を平気で食べることのできる魔物であったことを。


 さらに彼らを不安にしたのは、どこかの姫君が酔狂な警察ごっこの中で定めたという、ばかばかしくも脅威に満ちた法律の噂であった。


 ──『捕食目的の殺傷は、罪に問わず』


 もし万が一、人間諸国が敗れ魔族の支配下に置かれてしまえば、平和時においても、常に魔族に食べられるかもしれないという恐怖と、隣り合わせで生きていくことになるのだ。

 いっそこの場で数に任せて戦えば勝てるかもしれない。しかし、そこに名誉の戦死なぞは無かった。

 相手は人間のことなど『エサ』としか見ていないのだ。目の前の巨大なナイフとフォークでくし刺しにされるだけである。


 ──結局、すべての兵士が戦意を失い我先に逃げ出すまで、そう時間はかからなかった。




  終章、やさしい竜の煮込み方⁉



「──姫。マリー=ゴールド姫はどこだ!」


 王城の奥深くへ無断で乗り込み、大声でわめきちらす不届きな闖入者に対し、なぜか誰一人として、とがめ立てする者はいなかった。


 ……きっと毎度おなじみのことなので、慣れきってしまったのだろう。

 けしからん。魔王に対する態度としては、かなり失礼な話である。


 案内されたテラスのテーブル席では、マリー姫が優雅に午後の読書を楽しんでいた。

 いたずらな五月の風に揺れる黄金きん色の髪の毛とサファイアみたいな青の瞳が、柔らかな陽射しの中できらきらと輝いている。

「──いつもながら、騒々しいですこと」

 開いた本のページから目を上げようともせず、ため息まじりに言い捨てる姫君。

 相変わらず、板についた高飛車ぶりである。

 しかし、今日だけは腹をたてる気にはならなかった。

「今回は何から何まで世話になった。全魔族を代表して礼を述べる。本当に助かったよ」

「隣人として、当然なことをしたまでですわ」

 本に書き込みなぞしながら、魔王に向かって聖書の一節のようなことを言い出す姫君。

「しかし驚いたよ。あんなふざけた法律に、『戦争抑止効果』なんかがあったなんて」

「彼らも当分魔族と戦争をしようとは思わないでしょう。『剣士ソード』ではなく『食糧フード』として殺されるなんて、誰だって嫌でしょうしね」

「まったく失礼な話だ。我が魔族国は百年も昔から、全国民が菜食主義者ベジタリアンだというのに」

「むしろわたくしには、『戦争』というシステム自体が許せません。民族対立だか宗教問題だか領地争いだか知りませんが、よくもまあ自国や他国の人々の命を無駄にして平気ですこと。もったいない。一回の戦争で、いったいどれだけの人喰いドラゴンが飢えをしのげることか」

 ──おいおい、結局ドラゴンかよ。しかも、いろいろと危険アブノーマルな思想の臭いもするし。

 やっぱり宗教か。『竜神崇拝』なのか?

 そういえばさっきから、妙に熱心に分厚い本を読んでいるよな。人の話は上の空だし。こまごまと書き込みなんかしているし。

 もしやそれが、おまえの信仰している教典なのか⁉

「おまえいったい何読んでいるんだ? なになに、『…やさしい…竜の…ころしか…』」

「ちょっと、ちゃんとよく見なさいよ。『やさしい』じゃなくて、でしょ、野菜! 『野菜と竜の煮込み方』よ! あっぶないわねえ」

『野菜と竜の煮込み方』? 何じゃそりゃ。


「ほら。わたくしったら、『他者を殺した場合、その体を食べないかぎりは絶対有罪』なんて法律作っちゃったでしょ。そのせいでドラゴン等の退治ができなくなったように思われていますけど、要は『食べてしまえば』いいんですよ」


 ──はあ?


「それでこの本を読んで、人間の味覚に合った『ドラゴン料理』の研究をしておりますの」


 ──はああ?


「そして、ゆくゆくは我がゴールド王国において、ドラゴン退治を一手に引き受け、ドラゴン料理のチェーン店を全大陸に展開し、そこから得る膨大な収益金を、『ファンタジー警察』の運営資金にあてるつもりなのです」


 ──はああああっ⁉


「おまえ、ドラゴンの味方じゃなかったのか」

「いつそんなことを言いました。警察は中立なのですよ。それよりもうすぐドラゴン料理の試食会をするのですが、御一緒にいかが?」

「結構。私はベジタリアンだと言ったろう」

「まあ、残念ですこと」

「ちょっと待て。そういえば三日前から飛竜の姿が見えないんだが、おまえ知らないか?」


 しかしその姫君は、決して私と目を合わそうとはせず、わざとらしく手元の本をめくった。


 ──私は血相を変えて、厨房へと走り出した。

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