no name a man

白蜘蛛

1、no name a man

『ねぇ、二人が出会った日の事をおしえてよ』




幼顔の40代の女性がワイングラスを片手に男に絡んでいる。




『姐さん呑みすぎですよ』


『良いじゃないのよ、話題も出尽くして、それくらいしかネタが無いでしょうよ』


『私も呑みすぎかと思います』




カウンター越しに馬面の男性が、帰ることを勧めるが、女性はお構いなしである。




『じゃあ、この話で今日は解散ですよ』


『あたしに命令するのかぁ?』


『マスターワイン追加でー! あ、ボトルでね』




マスターと男は目を合わせ、お互いに首を降り、諦めた様子でマスターはグラスにワインを注ぐ。




『何よ! ボトルって言ったでしょう…… まぁこれで勘弁したげる』




マスターは、無言でスーっと音をたてずに注ぎ、柔らかく女性の手元に置いた。


女性は手に持ったグラスを飲み干すと、そのままマスターに手渡す。




『はい、ありがとね、マスター』


『大好きだよー!』




マスターは無言でグラスを受け取ると他のお客の注文を受けに少し二人の席から離れる。




『それでぇ~話聞かせてよ~』


『はいはい、わかりました』


『あれはですね、もう半世紀ほど前になります』


『姐さんは、僕が外の世界から来たって事は知ってますよね?』 


『うん、その辺は何度かきいたよ~』


『この世界は、僕が元いた世界と異なることが多過ぎました、何より異なった事は、“飢え”です』




男はゆっくりとグラスを回し話を続ける。




『元の世界でも空腹はありますが、この世界の飢えは、死んだ方がマシと思えるくらい辛いものでした』


『でも、この世界には、僕が食べれる物が何も在りませんでした』 


『なんで、どぅしてぇ~いっぱい美味しいものあるじゃん!』




女性は、しばらく前に出された、水分が飛んで、パサパサになった芋のフライを箸でつついている。




『姐さん、食べ物を粗末にするのは……』




男が困った顔を見せると、やってしまったと、申し訳なさそうに口に運んだ。




『僕は今でこそ、食べるものに不自由は無いですが、元は肉食で、肉しか食べれませんでした、その、芋を食べようものなら、三日三晩、熱と嘔吐に苦しまされるほどでした』 


『っえ!? 肉食ってヤバイよ…… ね?』


『はい、この世界に動物や、ましては家畜の概念は無く、皆人語を使い、人と同じように生活してます』 


『……だよね』


『この話、もう、やめる?』




女性はワインを軽く一口呑むと、半分以上残ったグラスを、カタっとテーブルに置いて、下を向いた。




『話はどんな感じですか?』




無言のまま、二人がしばらく周りの雑談に身を委ねていると、マスターが隣の客の会計を済ませ戻ってきた。




『もう、酔いもまわったから帰ろうかなぁ~って、思ってた所』




女性が精一杯の愛想笑いをしてみせる。




『さては、話の最初で酔いが覚めたんでしょう?』 


『っえ!? マスター知ってる、の?』


『はい、何度かカウンター越しに聞いております』


『それに……』


『それに、何よ!?』


『実際に私も食べられかけましたしね、まぁ~半世紀も昔の話です』




……




『マスターの冷めた笑いが怖いよ……』


『やっぱりワインボトルでお願い!!』


『わかったわよ、私が聞いたんだし、最後まで聞いてあげるわよ』




女性は、呑みかけのグラスを飲み干し、ワインを手酌で飲み始めた。




『大丈夫ですか? 姐さん?』 


『うるさいわね、続き話なさいよ』 


『完全に酔っぱらってる…… もぅ知りませんよ』




男もマスターにグラスを取り替えてもらう。




『人語を話す、豚や鳥、牛をみながらこの世界の飢えに、7日耐えた所で、限界を迎え、僕は鳥だったらと思って、夜の闇に紛れ、両の手の平から、はみでる位の鳥を殺して食べました』


『それが、今まで食べた何よりも美味しくて、今まで味わった何よりも充足感に満たされてて、その夜は久しぶりにゆっくり眠りにつけました』 


『翌朝僕は、町のざわつきで目が覚めました』


『聞けば、一人子供が行方不明になってるという事……』




『僕はすぐに何が起きているのか悟って、慌ててその町を後にしました』




『どれだけ走ったか、町から見えてた大きな山が見えなくなる程に遠くまで来ていました』 


『自分が犯してしまった事の重大さに押し潰されながらも、その後悔の念をよそに次の飢えが襲ってきました』


『あの充足感を味わいたい、この飢えをどうにかしたい一心で、次はその芋に手を出しました』




『芋なの?』




『はい、芋です』




『正確には、トローリトロけるチーズのかかった、ホクホク、カリカリの芋です』


『美味しそ~』




思わず女性は唾を飲んだ。




『あ、ごめんごめん、続きをお願いします』




と、言いながらも、こっそりマスターにチーズのかかった芋の催促。


男は目の端でそんな女性を見ながら話を続けた。 




『その芋のおいしいの何の、その時は我を忘れて食べてました』


『っ! わかるー!!』




女性は芋を持ち上げ、トローリ落ちていくチーズをうっとり眺めている。




『じゃあ、それ以上に美味しいものを知ってしまったら、姐さんは我慢できますか?』




…… 




『あっ!』




口元まで芋を運び、大きく開けた口のまま固まってしまった。




『ごめんなさい姐さん、ほら、熱々のうちに食べて下さい』




男は優しく微笑みかける。




『ごめんね、でも、食べちゃう!』


『姐さんは正直ですね』




『僕は、その芋を食べ終える前に、意識を失い、その時は一週間熱にうなされていました』 


『その芋を出してくれた店のオーナーが大変良い方で、意識の戻らない僕を自宅まで運び、ずっと看病してくれていました』 


『一週間眠り続け、また、猛烈な飢えで目が覚めました』 


『叫び暴れる僕を、オーナー夫妻が、ロープでぐるぐる巻きにして、口に何か暖かい物を注いでくれました』




『それってもしかして……』


『違いますよ、たぶん姐さんが想像してるものでは無いです』 


『人肌に冷ました牛乳を口に運んでくれたんです』


『それも今までに味わった事が無いくらい美味しくて、スプーンでは足りず、結局鍋で飲み干してしまいました』




『意識は大丈夫だったの?』


『はい、動物性の物であれば大丈夫な事にその時気づきました』




『ここ、笑うところですよ』


『マスターキモい』




マスターが不気味に微笑むと、女性は鋭く指摘した。


男は軽く笑いながら話を進めた。




『それからは、主食をチーズと牛乳にしました、それで、一年ほどオーナーの店を手伝いながら過ごしていました』


『しかし、ある日突然、保安官が店を訪ねてきました』


『前の町の鳥の捜索が、その町までやって来たのです』


『僕は急に怖くなり、それと同時にあのときの充足感を思い出してしまいました』




『牛乳とチーズで、お腹は満たされます』


『オーナー夫妻に良くしてもらい、心も満たされています』


『でも、どうしても満たされない物があります』




男は、思わずグラスを持つ手に力が入る。




『保安官も、二、三日周辺を捜索すると、次の町に向かい、僕の居た町を出ました』 


『その直後、それを待っていたかのように、オーナー夫妻の一人娘が居なくなってしまいました』




『もしかして、やっちゃったの?』




女性はワインをチビチビ飲みながら恐る恐る男に訪ねる。


視線を男に向ける事は出来ずに、ぼんやりとワイングラスを見つめている。




『いいえ、僕は無実です』


『正直何度も美味しそうだと思ったことはありました』


『けど、無意識にやることなどはあり得ませんでした』




『そっか……』




真剣に語る男を見ながら、女性は少し安心した様子だ。




『僕も必死で探しましたよ』


『探してる途中で、隣の家の馴染みのじいさんから、おかしな事を聞きました』




『“保安官とオーナーの娘が二人で歩いているところを見た”、そう言うんです』




『僕は、保安官の後を急いで追いかけました』


『森の奥に入ると山小屋がありました』 


『窓から中を覗くと、オーナーが保安官と話している所でした』 


『最初は親しい様子で話していましたが、徐々にオーナーの顔が強ばって行くのが分かりましたが、中の音が聞こえず、何を話してるか分からない僕はいてもたってもおられずに勢いに任せて思い切り扉を開いて中に入りました』




『その時、ダン、ダンと2発の銃声が室内に響きました』




『慌てて奥の部屋に入ると、オーナーと保安官が血だらけになって倒れていて、オーナーの娘がオーナーの手をとり泣いていました』




『多分話している最中に、娘さんが飛び出してきて、咄嗟に持っていた猟銃で打ちあいになったんだと思います』




男が空になったグラスを持ち上げ、マスターに合図をおくる。 


マスターが、グラスにブランデーを注いでいる間、少しの沈黙に包まれる。


気付けば、客は、男と女性の二人だけになっていて、夜もだいぶ更けてきていた。


マスターがそっとブランデーをテーブルに置く。 


男は、グラスを口につけると、こもった声で女性に問いかける。




『姐さん、そんな時、姐さんだったらまずどうします?』


『私だったら~娘さんの安全確保して、応急処置して~助けを呼ぶかなあ~』


『姐さんだったら、ホントにやりそうですよね、やっぱり凄いですよ』 


『な~に言ってんの、当然でしょうよ!』


『その当然の事がなかなか出来ないんですよ』




男はグラスの水滴をなぞり、大きくなった水滴が、テーブルに落ちると、ゆっくりと続きを話した。




『僕は、オーナーから滴る血を見ながら、おいしそうだ、食べたいと思ってしまったんです』




男の話す声が小さく震えている。


女性が男の手元を見ると、グラスに入ったブランデーに男の震えが伝わり小さく震えている。




『傍らで震えてる娘さんに声をかけるでもなく、応急処置をするでもなく、そのまま、どこの部位をどうやって調理して食べるかだけを考えていました』




『わずかに残った理性で、娘さんを山小屋から連れ出すと、町まで連れて行き、急いで山小屋に戻ると、オーナーの意識が無いのを確認して、食べたい部位を食べたいように切り取って、火をおこして、山小屋にあったフライパンでソテーして夢中で食べました』




『焼いた肉は、芳醇な薫りで、脂はフライパンの上で踊るように弾けて、今まで押さえつけていたものは全て吹き飛びました』




『口に入れたときの脂の旨味は、今まで味わった事の無いもので、どれだけ食べたか、気づけば方針状態になっていて、どれだけの時間が経ったのか、外は暗く、それ以上に山小屋の中は真っ暗になっていて、町の人達の松明の明かりが目に入り、慌てて山小屋から出ました』




『すぐにその場から逃げたい気持ちもありましたが、置いてきた“肉”がどうしても気になって、少し離れて様子を見ていました』




普段見慣れない、男の興奮した様子に、当時の状況がより鮮明に伝わって来て、女性はワインを飲むのも忘れて、話に聞き入っていた。




『“肉”って、オーナーの事だよね?』




当然の事だが、聞かずにはいられなかった。




『……はい』


『マスターにはこの話し聞かせた事ありましたっけ?』 


『はい、直接は聞いていませんが、テーブル越しに何度か聞いてますね』

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