終章 夢の中の君と

終章

 カレンダーの数字はリセットされ、幾度も季節が過ぎ去っていった頃。あれだけ世間を騒がせた、首都東京での正体不明の災害・・・・・・・のことなど、もはや誰も話題にしなくなったある日。


 目を覚ませば、薄いカーテンの向こう側に朝日が昇っている。時計の針は六時五〇分を指していた。僕は今日の天気を確認しながらベッドを降り、あくびをしながら着替えを済ませ、リビングへと向かう。


《――観客動員数は一〇〇万人を突破し、映画内のセリフがSNSで大流行するなど、今や社会現象となったこの映画。ファンの中には女性の姿も多く見られます。なぜこれほどまでの人気を――》


 動く絵を飾るだけの存在と化したテレビでは、アナウンサーが現在の流行りを解説していた。ただし、映画の内容はネタバレ厳禁、内容を語れぬテレビは表面的な話題でお茶を濁している。


 テレビのことなどどうでもいい。僕は台所で紅茶を作りながら、朝食を引っ張り出した。パンと紅茶を腹に入れると、荷物を確認し、出かける準備。準備を終え、いざ出発しようとすると、母親が僕に尋ねた。


「今日もいつも通り?」


「だから、何も言っていないときはいつも通りだってば」


「隆人の場合、万が一があるから聞いておかないと」


「はいはい」


 結末の分かりきった話など、するだけ時間の無駄。僕は荷物を持ち、玄関の扉に手をかけ外に出た。

 朝にしては暖かい気候に一安心し、『クローン住宅街』を抜け、駅までやってきた僕は電車に乗り込む。見ず知らずの人たちとともに電車に揺られること一時間。とある駅で電車を降り、街を歩き、僕は目的地である大学に到着した。


 高校を卒業し、無事に大学生となった僕ではあるが、今日がコピー用紙の上であることに変わりはない。起きる時間、乗るべき電車、向かう場所、その場所で何をするのか。それらがどれだけ変わろうと、人生の根本は、いつかのコピーでしかないのだ。


 講義が終わり、大学の校舎から外に出た時、太陽は西の空に大きく傾いていた。特別に親しい友人がいるわけでもない僕は、さっさと帰路につく。


 帰りの電車内。隙間を作ることすら許されぬ車内で人混みにもみくちゃにされると、思わずため息が出てしまう。満員電車へのため息、というよりは、この状況に慣れてしまった自分に対するため息だ。

 同時に、思うのである。満員電車に慣れてしまうような、コピーされた毎日を僕が過ごせるのは、地球に夢見る救世主がいたからだと。僕がこうしていつも通りを過ごしていられるのは、君の願いが叶ったということなんだと。


――君のおかげで、僕は僕の世界でいつも通りを過ごしている。君は、君の世界でいつも通りを過ごせている?


 届かないはずの質問。だけど、なぜか君の答えが僕には分かった。だから僕は、以前とは違って毎日に絶望することはなくなった。


 満員電車から解放されると、太陽に代わり街の光が輝く中を歩き帰宅。母親と父親の三人で遅めの夕食を済ませ、各々が勝手な時間を過ごす。


 僕は自室にこもり、ネットと本を漁った。勉学なのか趣味なのかが曖昧な時間は、気づけば日付が変わるまで続く。これもまたいつも通りのこと。明日は休日、夜更かしをしても良いのだが、ここは眠気に素直に従い、僕はベッドに入る。


 次に目覚めた時、そこがエッセであるのを願わなくなったのは、もうだいぶ前のことだ。僕が眠りにつく前に考えるのは、いつも明日のこと。君が願った通り、僕は明日もいつも通りを過ごそう。いつも通りをいつも通りに過ごすのが、今の僕のいつも通りだ。


 ただ、もしも僕のいつも通りにリィーラがいてくれたら、と思うのもまた、僕のいつも通りなのである。


    *


 目を覚ませば、満点の星が僕の目に映った。体には固い地面の感触が伝わる。そう、固い地面の感触だ。ベッドの上で眠っていたはずの僕は、星空のもと、固い地面の上で目を覚ましたのだ。

 

 体を起こし、頭の中が真っ白なまま辺りを見渡す。僕が今いるこの場所は、どうやら森に囲まれた丘の頂上。


「ここは……」


 この景色を僕は知っていた。この場所で僕は魔王を倒し、意識を失い、夢から覚めたのである。


「エッセ? また、エッセに戻ってきた……?」


 理解が追いつかず、僕は地面に座り込んだまま。しかしここがエッセであるのは間違いなさそうだ。間違いないからこそ、僕の頭はいよいよ混乱の渦に巻かれた。


「やっとこっちに来られたみたいだわね」


 混乱する頭に入り込む女性の声。少しでも現状を理解できればと、僕は声のした方向に視線を向ける。すると僕の背後には、ジャケットを羽織りながらもくだけた格好に身を包んだ、シルバーヘアの美しい女性が、馬を連れて立っていた。


「あなたは――」


「その顔だと、私のことを覚えててくれてたみたいね。久しぶり。ウェスペルの二〇周年パーティー以来かしら」


「どうして、旅人さんがここに?」


「どうしてって、私は旅人よ。ただ旅をしてるだけだわ」


 そう言って可笑しそうにする旅人。彼女は僕がここに現れることなど想定済みかのように、滔々と話を続ける。


「第三五〇世界から第三九九世界の管理者と、メディウムの勇者ドレイトンさんから伝言を預かっているわ」


 想定外の人物からの想定外の単語に、僕は何が何だか分からぬ状態。それでも旅人は気にしない。


「夢の中で二つの世界に送り込まれた魔王の魂だけど、あなたたちが魔王を退治してくれたおかげで、ドレイトンさんは魔王の完全討伐に成功したみたいよ。これで第三五〇世界から第三九九世界に存在する魔王は、完全に消え失せた。ありがとう、って」


 顔も知らぬ人物と、存在自体もあやふやな人物(人なのか?)からの感謝の言葉。こんなものが、旅人によって伝えられる。もはや理解のしようがない状況。少なくとも、エッセの勇者としての僕の行いが、遠い世界を救ったのは確かだ。


「魔王がいなくなって暇になった管理者は、数百年の長い眠りについたわ。今ね、管理者は夢を見ているの。自分の管理する世界を旅する夢を」


 状況の理解はできない。一方で、旅人の言葉の内容が理解できなかったわけではなかった。理解した上で、なぜだろうか、どうしてだろうかという疑問は尽きない。


「あの、あなたは一体?」


「フフフ、だから、私は世界を旅する旅人よ」


 質問を煙に巻くように、飄々と言い放った旅人。あなたが気にすることはそれではない、とでも言わんばかりだ。


「ねえ、私との約束、覚えてるかしら?」


「約束って、リィーラを大切にしろ、っていう、あの約束ですよね」


「そう、その約束よ。あなたはきちんと約束を守ってくれたみたいね。そうじゃなきゃ、あなたがもう一度エッセで目覚めるなんて、あり得ないもの。世界を超えて人を繋げる力は、魔力だけじゃないのね」


「魔力だけじゃない?」


「たとえ永遠の別れが訪れたとしても、あなたたちは魔王を倒すことから逃げなかった。それは、あなたたちがすでに、魔力とは違う強い力で結びついていたからできたこと。だから、あなたは今ここにいる。あなたたちを繋げる強い力が、夢を夢で終わらせなかったのよ」


 可笑しそうにしたまま、旅人は隣にいた馬の手綱を僕に差し出す。


「馬を貸してあげる。メディントンまでの道のりは分かってるはずよ。ほら、行ってきなさい」


 旅人の言葉が、僕の心に宿っていた正直な思いを引き出した。そうだ、僕はエッセで目覚めたんだ。なら、僕が行くべき場所はひとつしかない。


「旅人さん、ありがとうございます!」


 軽く手を振る旅人に背中を向け、馬に跨り、僕は丘を駆け下りる。向かう先は南西。


 しばらくの間、ひたすらに走り続けた。走り続け、暗闇に包まれた森を抜け、草原を駆けると、遠くに明かりが見えてくる。仄かに空を照らすあの光は、メディントンの街明かり。目的地はすぐそこだ。


 川を渡り城門をくぐると、三角屋根の建物がずらりと並んだ、あの時と何も変わらぬメディントンの街が広がる。もう遅い時間なのか、街に人は少ない。大通りにも、広場にも、市場にも、駐屯地にも、人はほとんどいない。


 あの時、偶然に再会した道。巨大な魚の入ったカゴ片手に、成り行きから案内してくれた道。そんな思い出の道を駆け、僕はついに目的地に到着した。


 人々を温かく出迎える、花に飾られた複数の出窓と、白壁に三角屋根が可愛らしい三階建ての建物。僕の心を落ち着かせる、素朴で優しい雰囲気。宿屋ウェスペルに、僕はやってきたのである。


 ウェスペルの入り口には、眠りにつく準備を済ませようと、玄関の光を消そうとするパジャマ姿の彼女がいた。二度と会えぬと思っていた彼女と、僕は再会したのだ。


「リィーラ!」


 僕の呼びかけに、彼女は振り返る。いつも心の端っこで願い続けた奇跡が実現し、彼女は碧い瞳を丸くしていた。


 二度と会えないと思っていた僕たちは、再会したのだ。話したいことはいくらでもある。それなのに、どうしてだろう。突如として頭に痛みが走り、僕は意識を失うように倒れてしまう。


    *


 太陽は未だ東の地平線から顔を出さず、ようやく空が白みだしたかどうかという時間。見慣れた自室のベッドの上で僕は目を覚ました。時計を見れば、まだ午前四時五三分。


 頭には鈍痛が残っている。何があったのかと思うと、枕元に一冊の本が落ちているのが目に入った。視線を上にすると、その本があったはずの本棚に隙間があるのが、暗い部屋の中で辛うじて分かる。

 本棚にしまっておいた一冊の本が、何かの拍子で重力に身を任せ、僕の頭にぶつかってきたのだろう。本がぶつかった痛みで、僕は早朝に叩き起こされてしまったのだ。


 それにしても、先ほどの夢はなんだったのだろうか? きっと心の奥底に募った思いが、夢という形で現れただけなのかもしれない。あれはただの夢。二度と会えないはずの君と会えたのは、単なる夢の話。


 そのせっかくの夢も、一冊の本のいたずらによって消えてしまった。せっかく起きた奇跡は、頭に残る鈍痛とともに途切れてしまった。


――いや、夢を夢のまま終わらせはしない。


 僕はエッセで目覚めたのだ。ならば、彼女もまた夢の中で目覚めるかもしれない。夢の中で目覚めた彼女は、僕を待っているかもしれない。彼女が待っているというのなら、僕は今すぐに彼女のもとに向かわないといけない。


 決して比喩などではなく、僕はすぐさま布団から飛び出した。布団から飛び出し、簡単に着替えを済ませ、電車に乗るためのICカードを手に、家からも飛び出した。


 見知った街を走り、人生最短のタイムで駅に到着し、始発から数本目の電車に乗り込む。電車に乗っている間、窓の外に広がる空は徐々に明るく塗り替えられ、東の空がオレンジ色に輝きはじめた。


 東京を横断し、僕がやってき駅は、荒川のすぐ近く。電車を降り駅を出ると、河川敷から広がる公園が僕の目の前に。あと少しだ。

 息を切らせながら河川敷を走り続ける。修理されたばかりの新品の橋、その向こうに架かる橋に向かって、僕はひたすら走り続ける。


 階段を登り、橋の歩道へ。車も人もいない橋の中央までやってくると、僕はようやく足を止めた。夢を夢で終わらせないように。一瞬の奇跡を永遠の奇跡に変えるために。


「タカトくん」


 快活ながらも鈴のような声が、僕の背後から聞こえてくる。振り返ると、朝日を吸い込んだ首飾りを淡く輝かせ、結んだ髪を風に揺らし、にっこりと笑った少女――リィーラが、そこに立っていた。


「おはよう」


 いつも通りの笑顔で、いつも通りの挨拶を口にするリィーラ。だから僕も、いつも通りを口にする。


「おはよう」


 今日のはじまりを告げる朝の挨拶は、君がいるいつも通りのはじまりを告げる挨拶。これからは、夢の中の君と過ごす毎日が、僕たちのいつも通りになるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢の中の君と ぷっつぷ @T-shirasaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ