第4話 ズイ要塞
「聖灰が消えた」
黒いローブに身を包んだ男の魔術師がおもむろに言う。手には白い壺が一つ、大事そうに抱えられている。
「どう言う事?」
そう聞き返したのも魔術師。可憐な女の姿でふわりと巻いた黒髪を揺らして首を傾げた。声を詰まらせるような喋り方に、男が冗談を言っていないことはすぐ分かる。
「今日の祈りの時間には確かにあった。この何重にも重ねて警備と結界が張り巡らせた'生家'から持ち出せるはずがない。」
「そんな奇跡に近いことができるのはあのライカ・フレリカだけ?」
穏やかな女の声。されど、逆らえないような響き。その問いに男は目を閉じて沈黙し、口に手を当てた。
「聖灰は何人もの魔術師が解析した上で残された魔力から本人のものと断定された。いくら稀代の魔術師であっても生き返ることなど不可能だ」
「ならば調べましょう。この'生家'から聖灰を盗むことができる人間がいるのかしら・・それと」
聖灰が消えたことは国民に知られてはいけないわね。そう言って女は男から壺を受け取り、恭しく中身を覗いた。そこには壺の底が見えているだけだ。
「聖灰の件は私の方で調べさせる。貴方には今まで通り生家の番を任せるわ」
そう言うなり、足元に展開した転位魔術の光と共に消える。残された男は暫く立ち尽くしていたが、そばにある祭壇へと跪き、ゆっくりと頭を垂れた。
「・・嗚呼・・まさか貴方は、帰って来てくれたのですか・・?」
それは国民にとって、そしてライカ・フレリカにとっても不穏を煽る台詞だった。
ズイ要塞
(飯と飯と時々襲撃・・)
セラがからかわれたり、フィロウが無駄に雑草を食べたがったりしたが。特に危ないこともなく一行はとうとうズイ要塞の門をくぐった。
「なんか、本当に二日ほど散歩しただけだったな」
あっけない、とレイが複雑そうな顔をして肩をすくめた。本当に散歩のような要塞移動だった。魔術師任せというのは本当に楽だ。
「なに、いつもこんな感じだよ。セラのお陰だ」
「勿体ないお言葉です。では私は一度屋敷へ戻ります」
「ああ、ありがとう。セラ」
「またな」
手を降るレイとフィロウの目の前で、セラが転位魔術によって視界から消える。どうやらフィロウ付きの魔術師様はやらなければいけない仕事が多いらしい。
「・・さてじいさん、どこへ行くんだ?」
振っていた手を下ろして、レイはフィロウの方を向いて行き先を聞いた。ズイ要塞は水が豊富なためよく育った作物類が名産の要塞で、あちこちに畑や果樹園がある。何処かへ食べにでもいくと思いきや、当のフィロウの視線は町にある一番の高台と大噴水に注がれている。
「すまない。日課なんだ。先に一輪を捧げても?」
「・・ああ、そうだった。真面目だなじいさん。付き合うよ」
少しこちらを伺うような視線に肩を竦めながら行こうぜ、と大噴水に向けて歩きだした。
綺麗に整えられた階段が、ゆっくりと螺旋を描きながら中心の高台へと続いている。緩い勾配の階段を登りながら、レイは眩しい日の光に目を細めた。気候が温かく、ここは土の水捌けがいい。所々に作られた果樹園には色々な果物が鈴生りになっている。
「付き合わせてすまないね。あまり好きでないだろう?」
「嫌ではないさ。この前は少し調子が悪かっただけだ」
確かに好きではないけどな、と内心で呟きつつ。そう返したレイはふとフィロウの顔を眺める。真剣味を帯びた真面目な顔に、こんな風習を本気でやってるのか、と妙な感心を抱く。思想にどうこう言う身分でもないから黙っているうちに、ゆっくりと大噴水へと近づいていく。
「前に墓参りの時は贖罪と一緒に多幸を祈ったりするって言ってたよな」
「ああ、そうだよ」
「じいさんも誰かの多幸を祈ってるのか?」
いくら偉人扱いとは言え、過去に死んだ人間相手にそんな馬鹿みたいな信仰心を抱けるものなのか?始めて一輪を捧げる風景を見てから心底不思議に思っていた。
興味深そうに聞いたレイに、フィロウはほんの少し考え込む仕草をする。
「・・贖罪の為は確かだけれどね。私は少し違うかな」
それきり気まずそうに口ごもってしまったのを見て、レイは漸くフィロウにとって良くない質問だったと気付き、口を閉ざす。
少し重苦しくなった空気のまま、大噴水ーーズイ要塞に建てられた墓標へと味を踏み入れた。
鮮やかに散る水飛沫の下、色とりどりの花が一面に供えられている。モノ要塞と違い、開放的で暖かい日向の墓標。思わず目を細めたレイが足を止めた。
「綺麗だな」
「そうだろう、此処は他に劣らないくらい美しい場所だと思う」
花を買い、フィロウが墓標の下へと歩いていくのを後ろでぼんやりと眺める。花をそっと既に色々な色に染められた墓標に供え、手を組んで跪く。周りにも似たように花を捧げる人がたくさんいて、なんだか一人だけ別世界に取り残されたような気分になる幻想的な光景。
こんなに綺麗な風景なのに。この十年で昔の事は整理がついたと思ったけれど、いざこうやって墓標を見るとなんだかもやもやする。
「もう随分と前の事なのになぁ・・よくやるよ」
なんか自分が幽霊にでもなった気分だ。戻ってきたフィロウが呼ぶ声に我に帰り、自分はまだ生きてるらしいと自嘲する。
「すまない、待たせたね」
「別に。中々綺麗な光景だったよじいさん」
二人連れだって墓標に背を向ける。もう一度振り返って眺めてみたって、やっぱりそこには別世界の様な花園があるだけだ。
「どうしたんだい? 」
「・・いや。凄い設備だなと思って」
「そうだろう。国民がライカ・フレリカを心から悼む気持ちが作り上げたものだ」
「・・」
くそ。聞くんじゃなかった。余計もやもやする。
何だかむず痒い様な気分で、レイは頭をかきむしる羽目になった。
(いっそ素晴らしい百面相・・)
何か思うところがあるのだろうか。それかやはり興味のない墓参りに付き合わされてつまらなかったか
。フィロウはそんなレイを清々しい勢いでスルーすると、手っ取り早く食事で釣ろうとレストランの多い大通りへと連れていくことにした。
・・
「さて、お楽しみの時間だね」
皿を握りしめて、キラキラと変な効果音がつくくらいの顔を輝かせたレイの背中をフィロウが軽く叩く。
「さあ、好きなものを取ってくるんだ!」
「ラジャーーー!!」
相変わらずちょろいもので、素晴らしいハイテンションでレイが何台も置かれたガラスケースの方へ走っていく。
ズイ要塞に入る前から宣言していた「名物野菜食べ放題バーニャカウダパーティ」メニュー。ちなみに大食漢のレイが出入り禁止にならないように三人前の料金を払っている事を本人には黙っておく。
畑から取ってからすぐ処理をして並べられる何十種類の野菜がガラスケースの中で瑞々しく輝いている。
のんびりと野菜を吟味するフィロウを他所に、レイは山のように野菜を積んだ皿を片手に席に戻っていく。どうやらおあずけを食らっているがこっちをちらちら見る辺り待っていてくれるらしい。皿の上、円状に美しく整えられた皿を席に持っていけば、レイが羨ましそうに覗き込んだ。
「おお、すごいな」
「ありがとう。それでは頂こうか」
美しく整えられたフィロウの皿とは反対に、もはやキャンプファイヤーの櫓のようになった皿を目の前にして、レイがいただきますと頭を下げた。
目の前に置かれたソースに取ってきたアスパラガスを付けて頬張ると、パキっと言う歯応えに甘い口当たり。思わず頬が緩んだ。
「なんだこれ、生なのに柔らかいし甘い!」
「ここの野菜は水分と養分が豊富だからね。生でも充分食べられるんだ」
ナスのふわりとした食感に、キャベツのしゃきしゃきした歯応え。ニンジンなんて甘味すら通り越して砂糖菓子に近い。それがトロリとしたソースの塩味と絡まって、思わず食べているのにごくりと唾液を飲み干しそうになる。
「・・これ、飲み物頼んだの失敗だった。水分いらないな」
「そんなに?」
「そんなに。啜れるこれ。塩気があるから余計野菜の水分が旨いのかな」
ぽりぽりと大根をかじりつつ大絶賛が止まらない。溢れた水気でごくりと喉がなる。一方フィロウは好みの香草類を次々と口に入れては味わっていた。スイートバジルの芳香が、ソースと合間って鼻孔を擽る。二人とも切り口は違うが、満足は出来たらしい。
「レイは普段こんな所には来ないのかい?」
「いや此処高いし、そこまで大金ないし。・・おぉ、トマト意外に合う」
器用にトマトをナイフで綺麗に切り分けながらそっけなくレイが言う。なるほど彼を釣るなら少し高めの店だな、と妙な思案を巡らせつつ、フィロウはエシャロット片手に軽く頷く。
「こんなに旨いならセラも来ればいいのにな」
「彼女には随分と無茶なスケジュールを任せているからね。悪いとは思っているのだがセラしか出来ないことが多くて、」
「やっぱ大変なんだな。魔術師様ってのは」
そりゃ大変だろうよ、とレイは声に出さず呟いた。名門家の魔術師は自身の研究に社交界への参加、国が奨励する魔術演習その他が合間って地獄のような忙しさだ。それが嫌で魔術演習で圧倒的記録を叩き出し、研究専門職の座を取ったのがライカ・フレリカなのだからよく分かっている。
そんな地獄のスケジュールの中、キャンプだ何だとフィロウの趣味にも着いてくるセラは相当主が大事なんだろう。
「凄い女の子だよな。大事にしてやれよじいさん」
「もちろん大事さ。娘のようなものだよ」
そう言ってフィロウは優しげな顔で笑って見せた。まあ、こんな性格の主なら守ってやりたくなるのも少し分かる。気が長く身内に甘い珍しい貴族様だ。
「まあ、街中で危ない目にあっても魔術師以外なら俺もちょっとは役に立てるさ。期待しててくれ」
「魔術師がきたら?」
「全速力で逃げる。無理無理。セラみたいな魔術師に本気出されたら瞬殺される」
小玉葱を口に放り込んでレイがお手上げとばかりに首を振った。セラが万が一本気で掛かってきたら見えていたリザーブ中の魔術だけでも半径500mは一瞬で吹き飛ぶ。魔術師同士が本気でぶつかり合ったら、さながら固定砲台同士の打ち合いの様になるだろう。
「魔術師が来たらセラに頼ってくれ。じいさんが逃げる手伝いはするけど」
「分かった。今までと同じことだ」
にっこりと笑ってそう言うフィロウに、胆据わってるなと呆れたように呟きつつ、レイはもう一度皿の上に山を作るべくガラスケースに突進していった。
・・そうしてフィロウが満腹になってもレイの手は止まらず、一時間ほど経って店のスタッフがそわそわと此方を見てくる頃に漸く満腹になったらしい。料金を多く払っていて本当によかった。
店を出た二人は上機嫌で宿が多い城門近くの通りへと階段を歩いていた。満腹でご機嫌のレイが鼻唄混じりに辺りを見ている。
「宿は取ってあるのか?」
「ああ、セラがもう話を付けてあるよ。一応部屋は分けているはずだ。」
「すげぇな秘書。万能過ぎる」
のんびりと階段を降りつつフィロウが取り出した一枚の紙には、泊まる予定らしい部屋が書かれ印が押されている。封蝋のついた綺麗な紙の雰囲気的に少し高そうな宿だ。
「じいさん本当に金持ちだな」
「まあ、色々あるからね。本の印税とか」
「あ、そっちなのか。貴族だから、じゃないんだな」
つまり旅費を自分で稼いでるのか。凄いじいさんだ。結構年食ってる様に見えるが、そんな年になってもまだそれだけの利益を生んで遊ぶ暇があるなんて尋常じゃない。
そこまでぼんやりと考えていたが、不意にレイが勢い良く後ろを向いた。
「・・?」
何だろう、何でもない町の風景なのに妙な違和感がある。
正体は分からないが不思議な感じがして、首を傾げながら上りの階段を見つめる。正直、こう言う時の勘程当たるものはない。俗に言う「なんか嫌な感じ」って奴。
「レイ?」
「・・ちょっと待て、フィロウ」
雰囲気の違うレイに小さい声で唸る様に名前を呼ばれ、漸くフィロウは何かがあると悟った。レイは少しイラついたように人差し指を曲げて軽く噛む。もう一度見回そうと振り返ったフィロウの背中を見て、慌てて肩を掴んだ。
「・・セラ、呼べるか 」
「あ、ああ。連絡用の魔導石がある。一体どうしたんだい、」
「人が消えた」
こんな真昼に、こんな大きな町で人一人見当たらない。ついさっきまで溢れかえっていたのに。人気の少ない方へ歩いていたから違和感に気づかなかった。
フィロウの肩を掴んだ右手がゆっくり離れて、腰に差した剣を掴む。
いくら人通りが少ないといってもこんな町で一人も通らないのはおかしい。物理的な人払い。こんな妙な真似が出来るのは魔術師以外あり得ない。
「ひっでーな。魔術師は無理って言ったのにさ」
これが所謂フラグ回収か。思わず引き吊ったような笑いを溢してレイが左手でフィロウの服を掴んで軽く押した。弾かれた様に二人は前に走り出す。
まだ魔術師らしい奴の動きはない。セラに貰ったであろう魔導石を握るフィロウの背中をレイが軽く叩く。
「セラはどれくらいでくるんだ?」
「いつも十分掛からないくらい、かな」
「遅い、下手すりゃ死ぬぞ・・!」
だから魔術師相手じゃ一瞬で死ぬって。分かってんのか、と悪態を付きながら走るレイの目の前で、フィロウの足元から演算式が展開するのが見えた。
(火矢で止められるか・・っ!)
演算式の中央から現れる草の弦の様なものが、すかさず発動させた火矢に弾かれ音を立てる。音に驚いて走る速度を緩めたフィロウを急かしている間にも、周りからうじゃうじゃと草の弦が生えてくる。
「止まるな!走れ!」
拘束を目的としたオーソドックスな魔術だ。きっと草の弦を召喚してから演算を使って操っている。使っているのが草の弦だけに、火矢で充分に弾く事が出来た。拘束しようとするということは殺される可能性は少ない。即死は免れそうか。
周りの弦がピンポイントで当てられた火矢で弾けて、鮮やかな火花が散った。魔導石程度で何とかなる相手の手加減具合に感謝する一方、早くも体力にキているらしく息を荒げるフィロウに冷や汗が滴り落ちた。忘れていた。目の前を走るのは初老の男だ。
「じいさん、死ななきゃ明日から体力作りやれよ!」
「っは、・・分かった、 」
「そのまま宿まで走れ、振り返るな!」
「・・!?」
すぐに足を止めて、火矢を真後ろに向けて扇状に打つ。何本も放った内の一つが空中で風に煽られたように掻き消える。
背後でちゃんとフィロウが走り去るのを音で確認しながらもう一度掻き消えた方向に向けて火矢を打つ。結果は思い通り不発に終わるわけだが。
「・・そこか、魔術師」
そう呼び掛ければ、ふわりと空気が揺らぎを見せる。姿を消して追ってきていることはちらちらと辺りにちらついて見えた演算式の方向から分かる。立ち尽くすレイの前で、揺らいだ空間の間から燕尾服の男が地面に降り立った。優男風の大人しい風貌の魔術師だ。
(杖を持ってない。やっぱり本気じゃない)
「魔導石で私の位置を調べたか。器用な男だ。勘もいい」
「魔術師様に褒めていただけるなんて光栄だな。あとは生かして返してもらえれば御の字なんだけど」
感心したような声で魔術師が顎に手を添えてふむ、と頷く。此処でこれだけ足を止めたならフィロウは追っ手が別にいない限り逃げきりでセラと合流だ。あとは自分が逃げるだけなのだが、これが一番難関なのが困る。一般人がすぐに魔術を起こせるクラスの魔術師に勝てる要素なんてない。こうなったら魔術師が見逃してくれるか、セラが戻ってきてくれる可能性を祈ろう。
ひょいと両手を上げて見逃して、と笑うレイに、魔術師は愉快そうな顔で笑って見せた。
「先程まで私の魔術を捌いておいて。何とか逃げようとは思わないのか?」
「師匠から魔術師に本気で狙われたら潔くあきらめて死ねって言われてるんでね。出来れば死にたくないから助けて欲しいなー、なんて」
そう言ってる側から草の弦が右足に絡まるのが見える。あー、やっぱり駄目かな、と深い溜め息を吐いてがっくりと頭を落とした。せめて半殺しくらいのタイミングでセラに助けてもらえないかな。痛いのは嫌いだから比較的早く。
「やっぱダメ?」
「安心しろ、殺しはしない。奴に伝えるにはお前でも問題ないからな。」
「本当か!超嬉し・・って、うわ」
魔術師が一歩踏み出したと思えば、凄い勢いで目の前まで移動してきて止まる。足元に描いた演算式が見えたから魔術で自分の体を動かしたのだろう。思わず見上げた魔術師の顔は至極楽しそうに見える。というかデカイ。
面食らって仰け反ったが足を取られているからそのまま後ろへ倒れるのを魔術師が肩を掴んで止める。(結界は当の昔に自分に張ってあるのでバレる心配はない。多分)
「・・助かった」
「構わない。グレイフォールに伝言だけ頼もう、剣士よ」
伝言。これまた古風な。直接言えばいいのに。
どうせ逃げられないからとたかをくくってぼんやりと魔術師の顔を見上げていると、ひゅ、と風を切る音が鋭く響き渡った。
「っ、」
「うわ・・っ!」
魔術師が滑るように目の前から後退した直後に、まるで蛇のようにうねる炎が割り込んだ。炎が波打つ爆音と爆風に煽られるが熱さは感じない。こちらにシールドが張られている。
風に煽られて腕で隠していた視界が開けると、辺り一面を燃やす赤い炎の中にセラが杖を掲げて立っているのが見えた。
(・・っ、キッツい光景)
頭で焼けないと分かっていてもあんまり炎の中は好きじゃない。十年前のトラウマがちくちくと脳髄を刺激する。思わず首元を押さえて顔をしかめると、セラが慌てて近寄ってきて大丈夫ですかと服の裾を掴んだ。いや、大丈夫だったんだが。寧ろ今は大丈夫じゃない。目頭がキリキリ傷んでくる。
「お待たせしました。もう心配はないですよ、レイ」
「・・セラ、ストップ、あいつ何か、」
「すぐ片付けますね!」
あ、これ話聞いてない。
セラが向こうの魔術師に向けて杖を構えるのを引き留めようと手を伸ばしたが、思いもむなしく伸ばした腕が空を切った。
何とか話をしようと前へ歩けば、セラの背中越しに魔術師がやれやれと肩を竦めたのが見えた。
「また出直すとしよう。剣士」
「っわ、」
まるで耳元で言われたような音量で声が聞こえて、思わず耳を手で押さえる。その様子にからかうような顔で魔術師が笑って、その場から霧のように消える。
魔術師が消えたのを確認したのか、漸くセラが魔術を解いて、辺り一面に這っていた炎が消える。周りの建物は景色と変わらず、まるで何もなかったかのようだ。
(・・うえ、)
気分が悪い。乗り物酔いでもしたみたいだ。胸を押さえたままでよたよたと足を縺れさせる。セラがまだこちらを見ずに辺りを警戒している間に落ち着こうと震える指先で頬を叩いた。・・いい年して情けない。
「申し訳ございません、待たせてしまって」
漸く警戒する気が済んだらしいセラが走って戻ってきた。息を切らせて汗だくになっている。わざわざ自分を助けに走ってきたのか、とレイが濡れたセラの前髪に触れた。
「いや。ありがとう、助かった。走ってきてくれたんだな」
「心配しました。・・殺されるかと」
助けてもらった身なので勘違いだった、と言うのはやめておく。一介の冒険者ごときを必死で助けにくるなんて真面目な魔術師さんだ。
よしよしと思わず頭を撫でると、慌てて距離を取られた。恥ずかしがったな。
「だ、ダメです・・灰が付いてますし、」
「ん?ああ悪い。じいさんは?」
「宿でお待ちです」
フィロウを宿に押し込んでシールドを張ってからこちらに来たらしい。この子は本当に有能。合流しようと声をかけ、宿へと歩いていく。息を整えつつ、何な言いたげにセラがこちらを伺い見てくる。
「あの人は一体何をしにきたのでしょう、」
「魔術師のことか。あー、あんまり聞いてないけど、伝言が何とか言ってた。知ってる奴か?」
「あれもグレイフォール家に仕える魔術師ですね。私と同じくリタリアの者です」
まじか。親戚の人間相手にいきなりあんな魔術ぶっぱなしたのか。中々胆が据わってる。ドン引きの顔を察したのか慌ててセラが両手を振って言い訳をし始めた。
「グレイフォール家はかなり大きな家ですから、家督争いも苛烈で・・っ!」
(それ余計言ったらまずいやつ)
あれだけやっておいてテンパってるのか。何とか機嫌を取りながら宿へたどり着く。セラに案内された部屋のドアを開けると、勢い良く振り向いたフィロウが慌てて走り寄って肩をつかんできた。
「レイ!怪我はなかったかい・・!?」
「何ともない。セラのお陰でな」
そう答えると、フィロウが安心したように深い溜め息をついた。心なしか気落ちしている様にも見える。何だか重苦しい空気に茶化して笑ってみたが効果はイマイチどころかちょっと恥ずかしい。
「じいさん、何しょげてる。何時もの事なんだろう?」
あまりのフィロウの凹み方に、そう聞いてみると。どうやら今まで街中では魔術を打たれるほど本気で来られたことがなかったらしい。まあ今回も強引だったが本気じゃなかったのだが。
何か聞いてはいけなさそうな話題になってきた。本家で何かあったに違いないと話し込む二人に、取り合えずもう大丈夫だともう一回告げて、さっさと隣にとってくれたらしい自分の部屋にいることにした。
「・・街中で襲われるとは思っていなかった」
レイが部屋に帰っていったあと、ソファーに倒れる様に座り込みながらフィロウが頭に手を当てた。基本、この国の魔術師は基本的に昔からの慣習で一般人の多い街中で魔術を使わない。だからこそのんびりと一人でも回遊が出来たわけだが、今回初めて街中で襲撃を受けたのには驚いた。
「私はもう隠居した身なんだがなぁ・・」
「・・影響力は充分にあります。その、元当主様ですから。」
言いにくそうに呟かれたセラの言葉を聞きつつ、フィロウは自分の心当たりをぐるぐると模索する。ここ最近、普通に食道楽をしていたはずだったんだが。今回はレイが盾になってくれたお陰で事なきを得たが、こっちは当主と言え魔術も使えないただの人間だ。襲われれば太刀打ちできない。
「明日から、街中でも護衛につきます」
「いや、セラはこれ以上此方に時間を裂かない方がいい。リタリアの家の方に迷惑がかかるだろう」
「ですが、」
「大丈夫だ。ありがとう。」
まだ納得いかなさそうなセラを片手で制する。只でさえグレイフォール家との橋渡しや魔術師としての本来の仕事、仕事の手伝いまでさせている。これ以上はオーバーワークが過ぎる。
心配性を拗らせて半泣きになったセラの前まで行き、落ち着けるようにそっと頭を撫でれば、顔を見られたくないと俯いた。魔術の腕前は素晴らしいがセラはまだ成人すらしていない子供だ。幼い頃からなついていたフィロウに何かあったらどうしようと心配なのだろう。
「今は強い冒険者も着いてきてくれるんだ、平気だよ。今日も守ってくれたじゃないか」
「・・」
その冒険者はさっき足を拘束された挙げ句抵抗せずにぼんやり立ってたのですが。レイも意外に諦めが早いというか、確かに魔術師に一般人がどうこうできるものではないのだけれど。
そんなツッコミを内心入れたあと、諦めたように小さく溜め息をついた。今までの付き合いから主人が嫌と言ったことは絶対に譲らないのは分かっている。それなら今の状況をなんとかしようと考え直す。
「・・分かりました。ただこちらでも情報収集は致します。」
「ありがとう。頼りにしているよ」
漸く落ち着いたセラが、部屋に張ったシールドを確認してから転移の魔術で消える。セラが作ったこの安全地点からは次の日まで動けない。フィロウはおもむろに顎に手をやり、ソファーの上で長い思慮にふける事になった。
(家を通さず私に接触。捕縛しようとした意味は・・何なんだろうか)
・・
「いやー、俺の今日の運、死んでるわ」
ふかふかの絨毯に、気品ある調度品。手触りのいい壁紙に背中を合わせる。両手を上げながらレイは心底残念そうに頭を振った。
目の前には去っていったはずの燕尾服の魔術師が杖を片手に立っている。オマケに足は早々に拘束された上に手首に付けた魔導石ごときつく握られている。
(わぁ、トリプル役満大ピンチ)
いっそ清々しいくらい為す術がない。開き直ってはは、と笑いを溢す様に魔導師が首をかしげる。どう見ても今から好き放題いたぶられてもおかしくない状況だ。最初にあったときもそうだがこの剣士はどうも諦めが早い。
「また来ると言っただろう」
「もう少し時間をおいてくれるかと思ったんだけど。ちなみに部屋間違えてるぜ。じいさんはあっち、」
手首を握られているから身動きなんてできず顎で隣の部屋を差したが、痛いほど握りしめられた手首は離してはもらえない。
「居場所は分かっている。あんな強固な防御術、破れるはずがないだろう」
「そーなんだ。流石だなあのお嬢さんは」
茶化すように言うと足に絡んだ蔦がギリギリと締め上げ始めた。痛い痛い。さてはイラッとしたな。
眉を寄せて痛みに耐えていると、呆れたような溜め息が聞こえた。
「話していると調子を崩されそうだ。用件だけ伝えよう」
「ああ、伝言だったっけ?」
「そうだ。ついでに脅しも入れておこう」
「脅し?・・っ、う」
手首の魔導石が外されて床に落ちる。カラカラと転がるのを目で追った瞬間、手首から離れた魔術の指が勢いを付けてレイの首へ掛かった。思わず振り払おうとしたが縛られていたら為す術がない。急に明確になった害意に背筋を冷や汗が伝い落ちた。
「お嬢様からの伝言だと伝えろ。'我々の大切な人が消えた。私はお前を疑っている'。・・復唱しろ」
そのまま一言一句復唱させられ、これで解放されるか、と魔術師を見上げた瞬間。ジリ、と脳髄を焼くような痛みが走る。
「・・い、っあ"!ぐっ」
「静かにしていろ」
無理に決まってるだろ。煩いと口を塞がれていきなり与えられたひきつるような痛みに、視界が涙でにじんだ。こいつ、絶対喉焼きやがった。今日は最悪な事にとことん火にご縁がある。
「・・っ、痛ぇなクソ」
「二、三日すれば完治する。それを見ればグレイフォールも事の重大さを思い知るだろうしな、」
「こっちは巻き込まれただけじゃねぇか、傍迷惑な」
拘束が離れる。涙目でそう悪態をついたが当の魔術師は涼しい顔だ。どうせ当たらないだろうが苛立ちをぶつけるように腰の剣を抜いて横凪ぎに振りかぶった。ガキン、と変な音がして魔術師の手前で剣が弾かれて落ちる。魔術師が悪辣な笑みを浮かべるのを見て苛つきが走る。
「・・本当腹立つな、てめぇ。」
「まあそう言うな。火傷で眠れなくなると悪い、詫びに今夜の安眠でも与えてやる」
「は・・?」
とん、と胸元を軽く平手で押され、目の前で演算式が展開するのが見える。並べられた式を読み解いて、それが昏倒の魔術だと分かった瞬間ブラックアウト。
崩れ落ちるレイを魔術でひょいとベッドに放り投げて、魔術師はくつくつと笑う。つい遊びすぎた、と物騒な台詞を吐きながら霧となって消えた。
付けていたはずの明かりが消え、暗くなった部屋には、何事も無かったかのような寝息が聞こえるだけだ。
・・
お陰様でクッソ快眠過ぎて楽しみにしてた店のモーニングタイム逃したじゃねぇか。
朝イチの目覚めからレイの機嫌は最下層まで転落していた。
起きた瞬間悲鳴みたいな声を上げる程度には傷が痛かったが、それよりもズイ要塞のモーニングで人気の野菜しゃぶしゃぶ御膳を食べ逃した方が余程辛い。
「あの野郎、次会ったら一回は斬る。絶対」
向こうからしたら検討違いの殺意を抱きつつ、部屋の鏡台を覗き込めば、首の辺りが焼け付いて皮が剥けて呪いの手形みたいなものが出来ていた。・・これ二、三日で治るのか?取り合えずやけにひりひりと痛むので床に転がっていた魔導石から常備していた痛み止めを飲んでおく。
「いてて、グロいなこれ」
こんな痕付けて歩いてたら事件かなにかと勘違いして衛兵に職質される。少し暑いが外套を着れば首は隠せるか。取り出した外套を羽織りつつ部屋の外へ出る。
「・・セラ?」
フィロウの部屋の扉に、セラが背中を預けて俯いていた。珍しい真顔に思わず呼び掛けると、漸く此方に気付いてぺこりとお辞儀をした。顔色が優れない、やはり昨日の襲撃を気にしているのだろうか。
「お早うございます。よく眠れましたか?」
「あ、あー・・まあ、お陰様で。」
快眠と言うか昏倒していたと言うか。乾いた笑いをするレイにセラは不思議そうな顔をしたが、構わずレイの右手を握ってくる。
「ところでレイ、朝食などご一緒にどうですか?」
美少女の微笑みと精一杯の御誘いにイエス以外の返答があるだろうか。ぐいぐいと手を引かれながらレイはまた波乱の予感がする、と肩を竦めて笑った。
宿に併設されたレストランは、開放的でテーブル間、パーソナルスペースが広い。内緒話には中々好都合だ。
メニューを適当に頼めば、ウェイターがウェルカムドリンクらしい紅茶を出してくれる。それをのんびり口にしていると、しばらく俯いていたセラがあの、と呼び掛けてきた。
「・・相談したいことが」
「だろうな。じゃなきゃ忙しい魔術師様がこんな所に連れて来ないしな。」
何を言われるかと身構えたが、意外にも無茶振りではないらしい。座り直したセラが緊張した面持ちで言うには、
「フィロウ様とのご契約、今後も受けて頂けないでしょうか」
という、至極なんてことない普通の質問だった。普通すぎて逆に変なことがないか疑う。いきなりなんだ?と首を傾げると、今度は逆にセラが目を見開いて驚く。何だこの、噛み合わない会話。
「ん?よく分からない。なんで今更?」
「その、いいのですか?魔術師が相手なんですよ?命の危険だって、」
「あー、なるほど、やっと話が見えた。魔術師相手になったから俺が逃げると思ったのか」
そう言うと気を損ねたと思ったらしくセラがちょっと泣きそうになりながらぶんぶんと両手を振ってくる。何これ可愛い。苛めたくなる。
確かにグレートの低い冒険者なら魔術師相手だと手を引くかもしれない。セラの心配は最もだ。そう考え直て、レイは茶化すように笑ってカップの中身を煽った。
「逃げないさ。命張る相手が魔獣か魔術師かの差だ。なんてことない」
「・・ありがとうございます、感謝します」
心底感動したように声を詰まらせられて、逆に気恥ずかしくなってきた。こんな一介の冒険者に頼らないといけないほど切羽詰まっているのか、フィロウは。
貴族様の意外な世知辛さに絶句している間に、ウェイターが料理を運んでくる。スクランブルエッグとサラダ、パンのシンプルなモーニングだ。随分と遅い時間にきたが、まだ出してくれるのか。
「そういえばじいさんは?」
「一輪を捧げた後部屋で職務を。夕方には終わるとのことで。レイ様はこの後何か?」
「今日は要塞から出ずに食べ歩きでもしてる。うっかり要塞外で襲われたら困るしな」
重要な話はこれで終わりらしい。パンを口に放り込みながら他愛もない話をする。セラは至極真面目だ。余計な雑談を挟まないから話の纏まりが良くて話しやすい。
シンプルだが手の込んだ料理。スクランブルエッグにはチーズと微塵切りの野菜が散りばめられていて、柔らかく、酸味を飛ばして作られた角切りのトマトが入ったソースとのバランスがいい。
こんがり焼かれた角切りベーコンとクルトンがのったサラダを味わって食べていると、セラが思い出したように言った。
「そう言えば、今日から要塞内のフィロウ様の護衛に魔術師を手配しました」
「っ!?」
一番目の質問より危険な話題。思わず喉に詰まらせそうになった。ついでに変に噎せたから喉の火傷まで痛い。失礼、と言い呼吸を立て直すと変なタイミングですいませんと謝られた。いや、タイミングの問題じゃない。
「その、あまり高位の魔術師では無いのですが、有事の際私の到着までは何とか持たせようと。基本はフィロウ様に着いていて貰います」
「なるほど、了解。新しい魔術師様によろしく伝えといてくれ」
また魔術師が増えるのか。そっちの方が余計困る。数合わせらしいからそこまで真剣に悩まなくても良いらしいが。当の魔術師は今フィロウの部屋で待機しているらしい。
セラみたいに気さくな奴だといいけど、と肩を落とせば、見透かしたのかフィロウ様と懇意で人柄はいいですよとフォローを入れてくる。
「ただ・・その、」
「ただ?」
「あまり深く考えるタイプの方でないと言いますか・・その、」
「あぁ、もしかしてバk」
「そ、そのようなことは・・」
セラがこんな反応。余程あまり考える方でない、らしい。ちょっと笑いを溢しながらまた卵を口に運ぶ。野菜しゃぶしゃぶ御膳は逃したが、これはこれでかなり旨い。
「・・なので、危険度は少しはましになるかと。要塞内の護衛、どうぞお願いします」
「いいよ。これからも頼りにしてるよ、セラ」
そう言えば、漸く気を抜けたらしい。セラははにかむような、可愛らしい笑みを見せてくれた。
そうして朝食を完食し、勿論食べ足りないので町に繰り出すことにした。見送りに出てきたセラが、不意にレイの外套の袖を掴んだ。
「そう言えば珍しいですね、」
「ん?」
「食事中コートを着たままだったので」
ギクリ。
思わず肩が跳ねる。セラはちょこちょこと無自覚で恐ろしい話題を振ってくる。この流れで件の魔術師に昨夜リンチされました、とはちょっと言いにくい。冒険者としての沽券に関わる気がする。
「あー、何か最初穏やかじゃなさそうだったので緊張して忘れてた」
「そうですか。朝から失礼しました」
焦りつつでた言い訳にセラが申し訳なさそうに頭を下げた。よしそのまま忘れていてくれ。
誤魔化した勢いのまま軽く手を振って別れ、市場をのんびりと歩きながら、手に付けた魔導石を眺める。セラがわざわざ支給してくれた追加の魔導石がきらきらと輝いて見えた。中身を見ようと目を凝らしても、演算式が絡んで見えづらい。見える範囲では雰囲気的に炎を召喚するタイプの魔導石だ。ひょっとしてとんでもない出力の魔術なのかもしれない。
'一般人には渡し辛い代物ですが、レイは随分と器用なので大丈夫でしょう'
そう言って渡してきた程だ。炎の魔術はセラの得意技らしい。とは言え、最近炎とのご縁が尋常じゃない位強い。夢見が悪くなりそうだ。
意識すればするほどズキズキと心臓の鼓動のように火傷が痛む。気を逸らそうと煙草を口にくわえて辺りを見ながら歩く。苦い煙が肺を満たす頃には、階段を大噴水の方に向けて歩いていた。
(相変わらずすごい人だな)
一日ぶりに来た墓標では、訪れた人々が思い思いに花を添え、深く頭を垂れる。昨日と何も変わらない花で埋もれた鮮やかな光景。大噴水の側の椅子に座り込んで、休憩ついでに墓標を眺めた。
あの場で祈りを捧げている人間は墓標の中にライカ・フレリカの骨が居ると思っている。蓋を開ければ偽者だし当のライカ・フレリカはこんな一介の冒険者になった挙げ句遊んで暮らしてる。なんてまあ誰も報われない。いっそ笑える。
(まあ、俺は俺で好き勝手楽しむから、ずっと其処で拝まれてな。ライカさんよ)
乾いた笑いを浮かべながら、誰でもない自分を嘲笑してから。レイは花を買い、墓標へと放り投げた。
屋台巡りをして、生ジュースだの、ジェラートだの色々と食べ歩いてから、レイは漸く宿へと帰って来た。鍵を開けようと取っ手を握って鍵穴へ鍵を差し込んでいると、おもむろに隣の部屋の扉が開く。
「レイ、待っていたよ。今大丈夫かい?」
「了解、今そっちにいく」
呼ばれてフィロウの部屋に行くと、背中に大剣を背負った若い男が手を振ってくる。セラの言っていた魔術師だろう。銀髪の筋骨粒々な見た目で、立派な防具と使い込まれた剣に、ぱっと見た感じ熟練の剣士にも見える。
「よぉ剣士、俺はじいさんの護衛魔術師でミカエル・フェリエールってんだ。よろしくな!」
「よろしく。レイ・ゲインズだ。」
「魔術師としては人並みだが、剣は得意だ!頼りにしてくれよ!」
お、押しが強い。
名前は繊細優美そうなのに、竜でも狩れそうな見た目をしている。握手と差し出された手を握り返せば、にかりと快活な笑顔を見せながらぐいと腕を引かれた。
「話は聞いたぜ!魔術師相手に普通の魔導石でやり過ごしたらしいじゃねぇか。お前凄いな!」
「い"・・ッ!」
期待してるぜ、と言うまではいい。そのあと景気付けとばかりに背中を思いっきり叩かれて、火傷に針を押し付けた様な痛みに胸元を押さえて前へふらついた。
なんだなんだとミカエルが腕を掴んで止めていなかったらぶっ倒れる所だった。普通は初対面で年上の人間を叩いたりしないぞ・・忘れてた。こいつバカ(仮)だった。
「・・レイ」
俯いて痛みをやりすごしていると、フィロウの指が羽織ったままの外套の襟に掛かる。引っ張られる感覚に顔をひきつらせて前を見れば、怒りを通り越して能面みたいになったフィロウが聞いたことない声で唸っている。
(こ、怖ぇよ!)
「君、昨日はこんなコート着ていなかったね」
「痛、じいさん、ストップ、」
「こんな暖かくなってきたのに随分と厚着をしているのだね?」
「ちょ、本当に痛い、離せよ」
「その首、どうしたか、教えてくれるかな?」
目の前で底冷えするかのような眼差しで命令され、レイは冷や汗をかきながら昨夜の出来事を白状させられることになった。
マイルドな表現にしつつ、昨夜リンチを食らった挙げ句伝言を頼まれて昏倒させられた事を話したあたりで、フィロウが怒りから哀れみモードになったのが妙に情けない。外套を脱いで火傷が露になった辺りでミカエルですらお前ひでぇ目に合ったんだな・・と哀れまれて。何だこれ辛い。
「何ですぐ言わなかったんだい?」
「腹が減ったから先に飯に行きたくて。っ、 いてっ」
「君って人は本当に・・」
ミカエルにレイを速効でベッドに運ばせて(自分で行くと暴れたが一喝した)、首に巻こうとセラが調合していた非常用の薬を塗った包帯を用意しながらフィロウは深く溜め息をついた。
首の周りは手の形に火傷の痕が残り、浸出液が滲んでいる。表皮が壊死しているところまである。ガーゼで滲んでいた液体を拭けば、痛々しい顔で眉を寄せてうめいた。
「ろくな手当てもせずにうろついたりするなんて。レイは変なところで杜撰なことをする。何故私達に言わないんだい」
「う、黙ってるつもりじゃなかったんだがタイミング見逃してさ。」
「おーい、フィロウ。消毒液持ってきた。」
「ありがとうミカエル。ちゃんと教えた銘柄を持ってきてくれたかな?」
ちらりと見えた消毒液の瓶に、レイがちょっと待てと顔を青くさせた。それ、やたら泡立って滅茶苦茶痛い奴!
じたばたと両手で回避しようと動いたが、ミカエルが面白がって肩を押さえつけているから微塵も逃げられない。と言うか滅茶苦茶力が強くて敵わない。
「ほう、逃げるってことは消毒液の種類に詳しいんだね、レイは。これはよく効くよ?」
「いや無理!そう言う問題じゃない!」
「ガキみたいな事言わないで気合い入れようぜレイ」
「お前絶対この消毒液掛けたこと無いだろ!死ぬほど痛いんだぞ!?」
そう言って逆手でミカエルを小突いていると。まさかここまで黙っておいてまだ手当てしない、だなんて言い出すんじゃなかろうね?と凄まれて、思わずひぃっと悲鳴を上げる。いつもにこにことしているじいさんの真顔はとてつもなく怖い。
圧倒されて抵抗なしで消毒液をぶっけられる羽目になり、取り合えずこれ以上みっともない悲鳴を上げないよう口を塞ぐ。
ある意味、フィロウの方が昨日の魔術師より怖い。
・・
頬杖をついたフィロウが、万年筆片手に深く溜め息をついた。横でエール片手にのんびりと干し肉を摘まんでいたミカエルが笑いながらフィロウの背中を叩く。
「どうした?筆が進んでないぞ。考え事か?」
「・・流石に反省しているんだよ」
自嘲する様な響きの台詞だが、ミカエルもフィロウが何が言いたいのかぼんやりと分かる。視線の先は散々痛いだの酷いだの大暴れした後に寝入ってしまったレイの部屋だ。
「気に病むことはない。あいつは怯える素振りもないし堪えてなかったぞ」
「それは結果論だよ。一度襲撃にあった時点でレイをセラのシールドが張られたこの部屋へ入れていればこんな事態にはならなかった。下手を打てば殺されていたかもしれない。私の采配ミスだ。」
「この国の魔術師なら一般人に手を出さない。一度くらい勘違いしても仕方ないじゃないか」
魔術師は一般人を狙わない、当たり前だろ。とミカエルに言われ、フィロウが困ったように軽く髪を掻き乱す。魔術師と一般人は一切お互いに関わらない。お互いが違う暮らしをする結果国が豊かになる。グレイ・バーン建国から定められた魔術師達の暗黙の了解。それを知っているから魔術師は基本的に一般人に手を出さない。
それを破って来たと言うことは、余程本家で差し迫った出来事があった証拠だ。
「で、どんな意味の話だったんだ?伝言とやらは」
「時間をくれないか。まだ少し、周りの人に説明しがたい」
「分かった」
ミカエルは細かいことは聞いてこない。興味も示さないし、細かいことを考えるのはフィロウの役目だとわかっている。
少し重苦しくなった空気の中、ミカエルが思い出したかのように手を打った。勢いが良すぎてエールが縁から溢れる。
「そう言えば、アイツ暴れてた割によく寝てるな。冒険者が依頼人の前で爆睡とは面白いじゃないか」
「それはよく眠れるだろうね。一服盛ったから」
「何だって!?」
まるで業務報告でもするようにすらすらとカミングアウトされて、思わずミカエルが本当か!と声を上げて立ち上がるのをフィロウが起きるから、と右手で制する。
「痛み止めと言って睡眠薬渡したら素直に飲んでくれたから」
「フィロウ、采配ミスだ何だと言う前にそっちの方が怒られるんじゃないか?」
「え・・」
警護目的でついてる冒険者が依頼人から一服盛られるだなんて、それこそ不信に思うんじゃ・・とまで聞いて、漸く納得したフィロウは少しだけ顔を青くさせた。
「どうしようか」
「普通にすまん!じゃ許してくれないのか?」
「分からないから豪華朝食もオマケで付けて許してもらおう」
「そんな雑な扱いなのか、レイは」
呆れたようなミカエルのツッコミを受けながら、フィロウは執筆の資料にしている手帳を開き、明日の詫びに使う旨い飲食店を探すことになったのだった。
食事リスト
・バーニャカウダパーティ
約50種類の野菜の食べ放題。バーニャカウダソースが無くなるまで粘れる。
・モーニングセット
サラダスクランブルエッグパンスープのありきたりなモーニングセット。ホテルの本気にかかれば普通のモーニングも旨い。
・生ジュース&ジェラート
作物が有名なズイ要塞のお馴染み屋台メニュー。果実などを惜しみ無く使って素材の味を全面に押し出すスタイル。
食堂楽たちとのマイ墓参り @hatarakuneet
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。食堂楽たちとのマイ墓参りの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます