第三十六話 「でも、正しくもない」(エピローグ)
人類の未来を勝ち取る、数多ある悲劇の戦いから数日。
ミリーという少女が魔王となって殺された事は民衆には知らされず、多くの者が無邪気に勝利に酔いしれた。
街は活気づいて、この日を記念日にする勢いでお祭り騒ぎが続いている。
そんな中、ひっそりと行われたミリーの葬儀ではあったが。
アベルの予想に反して参列者は多く、元奴隷の子供達は勿論、多くの冒険者、大通りに店を構える商人等々。
誰も彼もが、彼女の死を悼んだ。
それはきっと、不本意に得た力であろうと、ミリーが誰かの為に戦い勝利を得ていたからに他なら無い。
それが例え、魔王ラセーラの策謀であったとしても、近頃頻繁に出現していた巨大魔獣を次々に倒し、人々に希望をもたらした事実に。
決して、――――誤りは無い。
アベルは彼女の葬儀に、イレインと共に最後まで見届け、そして今ギルドの屋上で黄昏て。
「ああ、面倒くさい面倒くさい。嫌になるなまったく…………」
リーシュアリアを本来の姿に戻した影響で、体が、喪った右腕と左目が酷く疼く。
痛み止めの煙草を取り出し唇に挟んだ所で、屋上のドアが開く音がした。
そちらに目を向けると、喪服姿のリーシュアリアの姿があった。
彼女も参列していたが、終わってからも長いこと墓前に佇むイレインに付き合っていたアベルとは違い、ギルドに一足早く戻って、ヴィオラ等と事件の纏め等の事務処理をしていたのだった。
「どうぞ、旦那様」
「――――はぁ、…………ありがとうよ」
煙草というのは、最初のひと吸いが美味だ。
じっくりと堪能する姿を見ながら、リーシュアリアは口を開く。
「ミリーの件だけどね、やっぱり公表はしないそうよ」
「そりゃそうだな。魔王が人間を新たな魔王にするなんて、悪夢以外の何物でもでもないからな」
事実、それでアベルの故郷アトリーは滅んだのだ。
そこに彼の行いが無かったとしても、滅びの運命は変わらなかっただろう。
「次に魔王ラセーラね。今回の件は、復活した彼女が、それを察知した貴男の手によって倒された。――――良かったわね、これでまた経歴に箔が付くわ」
「嫌みったらしく言うんじゃねぇよ」
「あら、何の罪も無い女の子を殺した気分はどう?」
「最悪に決まってるだろうが」
あの後、イレインがアベルを責め立てる事は無かった。
その余裕が無かったのかもしれない、或いは言っても無駄だと判断したのか。
彼女はただ、ひたすらにミリーの死を悼んでいただけだ。
だからこそ、それが故に、リーシュアリアはアベルに刺々しい言葉を送る。
アベルの事を責める事が出来るのは、イレインを除けば彼女一人。
「旦那様は本当に狡い大人ね、私を勝手に助けて――――いいえ、生き地獄に落としておいて、彼女には『死』という救いを与えるなんて」
「…………うるせぇよ。お前は俺と共に地獄に落ちていればいいんだ。――――俺には、それで手一杯なんだよ」
「あら、生かさず殺さずの深手を与えておけば、或いは私に捕縛を命じておけば、アイ様や、貴男にその義眼を与えた人に来て貰う余裕は出来たかもしれないのに?」
確かにそうすれば、ミリーが彼女の様に生きて生けたかもしれない。
憎悪に身を焦がしながら、吸いたくもない人間の血を啜って、生存が可能だったかもしれない。
だが、だがそれは――――。
「それはな、只の仮定の話だリーシュアリア。アイ様が来られるまで、俺やミリーが持つ保証は無いし、来て貰った所で救える保証など、何一つも無い事はお前も良く知っているだろう?」
もし方法があるのだとしたら、この世から魔王という存在は居なくなっている。
アイという存在と因縁は、そういうものだ。
「俺にこの義眼をくれた人も同じだ、何かを救う為の都合の良い手段を持った人じゃあない」
義眼をくれた彼女も、そしてまたアベルも、否。
誰も彼もが、全てを救い幸福な未来を得られる、都合の良い手段を持ち合わせていない。
短くなっていく煙草をぼんやり見ながら、アベルはリーシュアリアに問いかけた。
「お前はまだ、俺を――――怨んでいるか?」
「愚問ね、怨んでいるに決まっているじゃない。誰が人を捨ててでも生きたいと願ったのよ」
「…………だろうな」
ばっさり返された答えに、アベルは天を仰ぐ。
諦観と悲哀が入り交じった表情に、リーシュアリアはそっと寄り添って、その厚い胸板に顔を埋めた。
「私はね、貴男にそんな顔をさせたくなかったのよ」
例え、恋が叶わなくてもよかったのだ。
例え、愛が通じなくてもよかったのだ。
リーシュアリアの婚約者はアベルの双子の兄で。
アベルの婚約者は彼女の妹だったからだ。
全てを踏みにじり、犠牲にして、二人は今此処にいる。
また一つ命を犠牲にして、二人の時間の延長を計っている。
「…………地獄には一緒に落ちてあげる」
「お前だけでも天国に生けるように、精々頑張るさ」
この世界は優しくない、そして、人の世界は今のリーシュアリアにとって、生きていい場所ではない。
それでも、それでも、アベルは決めたのだ。
何を犠牲にしてでも、彼女を人として生き、そして死なせる事を。
見上げた空は雲一つなく、風一つ吹かない。
下からは、賑やかな声が多く聞こえてくる。
穏やかな二人だけの時間。
――――だがそこに、もう一人が。
イレインが、勢いよくドアを開けて入ってきた。
「ああーっ! ここに居たんですか二人ともっ!」
「…………イレイン?」
「どうしたのイレイン?」
とてとてと近づいてくる彼女の顔には、やはり泣きはらした後が。
では何故、そんなに元気な声をかけられるのだろうか。
アベルは、ミリーを殺した存在だというのに。
困惑する二人を前に、イレインは言った。
「決めましたっ!」
「…………何を?」
恐る恐る声を出したアベルに、彼女はずずいと距離を詰めるとにっこり笑う。
「アベルさん、貴男が救えないと言うなら。――――わたしが救ってみせますっ! 全ての魔王をっ! リーシュアリアさんもっ! だから、これからも宜しくお願いしますっ!」
それは、ミリーの最後の願いを叶えるという宣言。
それは、アベルを越えるという宣言。
それは、アベルの決断を間違いにするという宣言。
それは――――。
「――――そうか。なら精々頑張るんだな、期待しないで待っとくよ」
アベルは笑った。
この世界は優しくない、けど、希望はあるのかもしれない。
「旦那様…………そこは、素直にありがとうって言う所でしょう?」
「そうですよっ! それに、アベルさんにも協力して貰いますからね。出来ることはするって、ちゃんと聞いてましたもん!」
「…………ったく、面倒臭いなぁ。――――で、何すればいいんだ?」
「貴重な素材や文献、実験の手伝いと、それらにかかる費用。幾らでもありますよっ! さしあたっては――――」
イレインは大通りを指さした。
「皆が待ってます、アベルさん達もこのお祭り騒ぎを楽しみましょう! ミリーの分まで楽しんで、しっかり生きるんです」
うっすらと涙を浮かべながらそう言うと、彼女はアベルとリーシュアリアの手を引いて歩き出して。
――――誰かを犠牲にしてでも生きる事は、決して間違いなんかじゃない。
――――でも決して、正しくもない。
いつかそれが、間違いだと否定される事を願って。
間違った選択肢しか取れなかった大人達は、痛みを抱えながらも、正しく前を向く少女に従い歩き出したのだった。
辺境ギルドの教官曰く「姫奴隷とイチャイチャしたいだけの人生だった」 和鳳ハジメ @wappo-
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