第6話
鮎の時期が終わり、ワカサギ釣りがニュースで扱われる時期になった。
近頃の親父は、趣味の陶芸に一層打ち込んでいる。
亜里砂から「お店に出したらインスタ映えしそう」と言われたのが、きっかけだった。
“インスタ映え”の何たるかを知らない親父だが、店で使えるような陶器の試作をしている。
親父は“ハグ事件”の後も、自分の気持ちを甘露に伝えるようなことはしていない。
内に抱え込んでしまう性格が、そうさせているのだろう。
でも、今は落ち着いている。
むさ苦しい顔つきからは想像できないほど可愛らしい試作品が、我が家のインテリアと化している。
今日は店は定休日。
亜里砂は仕事。
親父は朝から陶芸に没頭している。
俺はひとりでネットサーフィン。たまには亜里砂をどこかに連れて行ってあげたいから、レジャー施設を検索中だ。
そろそろ15時になる。親父を休憩させようかと思っていたところ、玄関のインターホンが来客を教えてくれた。
玄関を開けると、そこに甘露がいた。
親父でなくても、どきっとする。甘露が店ではなく自宅を訪ねてくるのは初めてだ。
「休みの日に、すまない」
甘露に差し出されたのは、小さなバケツだ。夏場に鮎をもらったときと同じバケツ。狭い水中にも拘わらず、ワカサギが悠々と泳ぎ、水面に波紋をつくる。
「うちでは
「ありがとう。唐揚げにすると旨いんだよね」
と、お礼を言ってから、疑問をつぶやいてしまった。
「うち?」
甘露は独り身だ。育ての親はいたらしいが、家族らしい家族の話は聞いたことがない。
甘露は察してくれたようで、頷く。
「恋人と同棲している。……親父殿には、内密にな」
唇の前で人差し指を立て、にっと口だけで笑う。挑発と艶やかさが混ざったような、不思議な雰囲気だ。
甘露はきっと親父の気持ちに気づいている。
でも、指摘せずに黙って……親父の友人であり「ふじみ庵」の客でいてくれている。
「では」と甘露は去って行った。
色あせ始めたもみじが、乾いた風に舞った。
甘露はこれからも変わらずに店に来て、蕎麦湯を優雅にすするのだろう。
親父はこれからも変わらずに甘露に接するのだろう。心の中に漣が立っても、親父のやり方で穏やかに務めながら。
【「コップの中の漣 ~親父だって恋をする」完】
コップの中の漣 ~親父だって恋をする~ 紺藤 香純 @21109123
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