第5話
親父のカミングアウトから約2週間後の金曜日。
店の入り口にこんな紙が貼られた。
『店主の都合につき、本日は17時までの営業とさせて頂きます』
俺が貼り紙に気づいたのは、昼過ぎだった。
近所の工務店の社員さんが、お会計のときに「親父さん、珍しいね」と話してくれて、知ったのだ。
俺は聞いていない。親父の独断だ。
17時になると、貼り紙の通りに親父は暖簾を片づける。
本当に
亜里砂が帰宅すると、親父はむさ苦しい顔を、にやにやさせる。
「久々に飯でも食いに行くか」
一抹の不安は雫となり、心に波紋を広げる。
親父は言わないし、俺も指摘しない。
でも、心の中でつっこませてもらおう。
甘露絡みだろう、と。
亜里砂は気づいていないのか、無邪気に喜んでいる。
親父の運転で向かったのは、「山賊のジャック」というステーキ専門店だ。フリーペーパーに載っていたこともある店で、俺も興味があった。
「山賊のジャック」のロッジみたいな店内は、とても混んでいた。
その中でも目を引く人がいる。
「カンちゃん!」
嬉しそうに指をさしたのは、親父ではなく亜里砂だ。こら、人を指さすな。
甘露は亜里砂の声に気づいて椅子から立ち上がる。
「久しいな、あっちゃんず」
「まとめて呼ぶな」
俺も反射的に遠慮を忘れてしまった。
ふと親父を見やると、むさ苦しい顔を赤くしていた。「親父殿」と甘露に呼ばれると、返事ができず俯いてしまう。あんたは女子高生か。
甘露は俺達に歩み寄る。
「親父殿、店はもう良いのか?」
相変わらずの堅い口調で、しかしなめらかに問う。
親父の代わりに俺が答えた。
「用事があるみたいで、早く閉めたんだ」
何かの拍子に、甘露がここに来ることを知って、偶然を装って会うという用事でね。
甘露は「そうであったか」と、あごを引いて深く頷く。
「ちょうど良い、紹介しよう。幼馴染みの者だ」
甘露と同じテーブルで、爆弾みたいなサイズのハンバーグを食べていた女性が、椅子から降りた。
俺や甘露と歳が近そうなその女性は、「楓と申します」と淑やかにお辞儀をした。着物姿だが、スタイルが良いのがわかる。おまけに美人ときた。亜里砂が「負けた」とつぶやいた。
この楓という人は、一度うちの店に来たことがあったと思う。
甘露と楓、お似合いのふたりだと思っていたら、甘露の口から衝撃の一言が発せられた。
「今度、結婚する」
おめでとう、と言うのが妥当だ。
しかし、俺も亜里砂も、驚いて何も言えなかった。
親父が無言で甘露の前に出た。つま先がぶつかる至近距離だ。
そして、太い腕で甘露を抱きすくめた。
「カンちゃん……っ」
親父の声が震える。
「……幸せになれよ!」
甘露は親父にすっぽり隠れてしまう。
しかし、微力ながら抗うのがわかった。
「親父殿、違う! 俺ではなくて……」
甘露の声は、親父の泣き声にかき消されそうだ。
ちょうどそのとき、背の高い男が「お待たせ」とやってきた。
楓が「勇貴くん、おかえりなさいませ」と呑気に迎える。この背の高い勇貴という人は、席を外していたらしい。
「楓ちゃん、これはどういう状況?」
「カンちゃんとわたくしが結婚すると勘違いされたようなのでございます」
勇貴と楓が、訂正してくれる。
“今度、(勇貴と楓が)結婚する”と。
でも、親父は話を聞けるほど心を整えることができず、泣いていた。
まるで、コップから水があふれ出すように。
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