第4話
「篤志、ちょっと」
親父はむさ苦しい顔をシリアスに歪めて、俺に手招きする。
夜遅い時間だ。亜里砂には先に就寝してもらうことにした。
親父は冷蔵庫から大きなビール瓶とジョッキを出した。どちらも冷気を発している。
それに続いて、ミニトマトと茹で卵、ポテトサラダまで出てきた。
フライパンから厚切りハムも皿に移して。
込み入った話が始まりそうだ。
「座れ」
貫禄のある一言に従い、俺は食卓に着いた。
親父はビール瓶の栓を開け、ジョッキを傾けろとばかりに瓶の口を向けてくる。
俺は逆らわずにお酌を受けた。
ビールの泡がジョッキの中に波を立てる。
親父にもビールを注いであげると、親父は無精ひげの生えた口元を動かして「ありがとう」とつぶやいた。そこは「かたじけない」の方が雰囲気に合っているが、そんなことは言えない。
今の親父が怖い。
昼間、親父を出し抜くかのように三葉旅館に行った。そのことを怒っているのだと思った。
親父はビールに口をつけず、大きな手のひらで自分の顔をおおう。
「……篤志ぃ」
むさ苦しい顔の親父からは想像もつかない、か細い声がこぼれた。
「お父さん、バイかもしれない」
恐怖が引けてゆく。昼間の件を怒っていなかった。
でも、親父。
ごめん。それはちょっと想像してた。
「天国へ行ったお母さんのことは、今でも愛している。きゃっきゃうふふしてた頃のことを思い出して、今でもたちそうになる。篤志の弟か妹をつくりたかったな」
親父、それはそれで危険思考だ。
「でも、気を抜けば“カンちゃん”のことばかり考えてしまう。初めて店に来て、テーブル席で蕎麦湯を口にしていたときに、すとんと落ちてしまったんだ。あれは一目惚れだった」
“カンちゃん”とは、甘露のことだ。
ごめん、親父。それも想像してた。
でも……
「俺だって、わかってる。三葉旅館とは昔からの近所つき合いで、野菜とかをお裾分けし合っていたから、カンちゃんが鮎をくれたのもその一環だってわかっている。場の空気がそんな感じだったから。わかっているけど……!」
でも……親父がそんな風にマイナス思考だったとは思っていなかった。
好きになってはいけないと自制しようとしていたのか。
「あのさ、親父」
顔を上げようとしない親父に、俺は亜里砂にしたのと同じ話をした。
親父はもっと自由になってくれて良いと思う。相手に迷惑をかけなければ。
「親父は“カンちゃん”と、どうしたいの?」
えげつない言葉が返ってくるとばかりに、俺は心の中で構えるが。
親父の返事はシンプルだった。
「懲りずに店に来てほしい。それだけだ」
ビールジョッキを掲げて、乾杯した。
親父は「とりあえず解決」と言いたそうな、表情になった。
俺はミニトマトをジョッキに落としてしまう。
泡が消えかけていたビールの水面に、再び泡が生じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます