第35話 魔術師たちは、魔王と戦う

「俺か? 俺は……うーん、一介の魔術師だが」


 魔王フェルメノクを名乗る男に何者か問われたウィルは、少し考えてそう答えた。

 火焔系の魔術を近くで受けたらしく、焦げた布の切れ端を貼り付けた半裸の男は、ウィルの言葉を聞いて眉根を寄せる。

 

「一介の魔術師とやらが、さっきの魔術を使ったというのか?」

「さっきの? ああ、あれか……それが何か?」

「魔術を無効化する壁面を破った術式、あの構成は——<物質分解消去ディスインテグレート>であろう? そこの娘程度の魔術師であれば使いこなせるはずがない」

「あっ」


 ウィルは頓狂な声を上げる。


「ウィル様、どうしたんですか?」

「いやその、」


 そこまで口に出してから、ウィルはシルフィとの会話を<念話>に切り換えた。


『このパターンは想定していなかったんだ……』

「どういうことですー……?」


 シルフィが合いの手を入れ終わる間に。


「我が蘇ってから、間もない。当世の魔術師どもの平均的な実力のほどは分からんが……。貴様は、この娘より遙かに格上だろう。勇者どもの仲間であった娘の実力がこの程度であることからして——貴様は、名のある魔術師とみたが——」

「あーもう、<業火ヘルファイア>!」


 ウィルが予備動作抜きで魔術を使う。

 男の足元で生じた火焔が、全身を包みかけ——


「不意打ちとはな——だが、この程度の術式ならば、詠唱せずとも打ち消せる」


 何事もなかったかのように消え失せる。


「ちっ——魔王とか言うだけあるな」

「我の力はこの程度のものではない——畏れよ、平伏せ——」


 言葉と同時に、ウィルの身体にずしっとした負荷がかかった。

 ——重力系の魔術か。

 杖の先で床を軽く叩いて、対抗術式を展開。

 肩にのしかかった重さが離れていく。

 思わず、首を回してしまう。


「無詠唱で重力魔術を無効化するか」

「くっ」


 ウィルは呻いた。

 不味い流れだった。


 高速詠唱技術を駆使しての、近距離での魔術の応酬自体は構わない。だが、ウィルの側にはリッタがいる。

 それが意味することはつまり。


「だが、これはどうかな」

 

 男がその手に生み出したのは黒い槍。

 魔力で編まれたその槍には、魔術的な強化が幾重にも付与されていることが見てとれる。ウィルですらも、一見する限りでは全ての術式を判別できないほどだ。


「貴様の実力、見せてみよ」


 槍が突き出される。標的になっているのはウィル一人。

 少し距離を取っているリッタには届く心配はないだろう。だが、それでも。


「バレないわけがないよな——っと」

「むっ」


 ウィルもまた、杖先に魔力で編んだ剣を生んで、敵の矛先を打ち払った。

 そして、ちらりと横目でリッタを見る。

 彼女の顔に浮かんでいるのは驚きの表情。


 これはもう——


「言い逃れなんか、できそうもないなぁ……」


 輝く白光の剣をもう一本、逆の手に生み出す。

 逆手に握ったその剣と、先ほど槍を払うのに利用した剣を纏わせた杖を伴って、男の懐に飛び込む。


「——お前のせいだぞ、魔王!」

「ぬうっ」


 逆袈裟に跳ね上げた剣を、男は引き戻した槍の柄で受ける。

 金属製の柄であっても容易に断つことが出来る魔力剣であっても、ほぼ同水準に組み立てられた魔力による槍であればそうはいかない。


 だが、片方の剣が防がれても、ウィルには杖がある。


 剣術使いではない身ではあるが、魔力剣の重みは存在せず、使い慣れた杖を振り回す程度の動きなら造作も無い。空いた左の腹を狙って、右手に握った杖を払う——が。


 突然、爆発が起きた。


「——っ」


 虚空から生じた圧力で、ウィルは吹き飛ばされた。


「ウィル!」


 叫び声を上げたのはリッタだ。

 彼女は、ウィルと魔王の攻防を驚きとともに見守っていた。

 そして、魔王がゼロ距離で放った魔術の衝撃で、ウィルが吹き飛ばされたと気づき、思わず悲鳴を上げたのだった。


 宙を舞ったウィルが、リッタのすぐ側まで飛ばされて、そのまま床に激突——することはなかった。 


「当然、よな」


 男が、額に汗を浮かべて言う。

 その言葉が届く先——ウィルは、宙に浮いたまま、静止していた。


「飛翔の魔術。貴様が使えぬわけがない」

「——隠す理由もなくなってきたからな。……めちゃくちゃ、不本意ではあるんだが」


「……飛翔魔術」


 リッタが目を丸くしていた。

 飛翔の魔術は、落下制御などと比べると難易度が遙かに高い。だが、リッタの驚きの焦点はそこにはない。


 起動詞すら使用しない、完全な無詠唱魔術。

 持続的な出力操作が必要な術式が展開されている最中に、さらに別の魔術を重ねて行使する、多重術式制御。

 そして、自分にはまるで読み解けない超高度な術式構成——


 ウィルの実力が自分以上であることについて、半ば確信にも近い疑いを持っていたリッタだったが、ここまでのものだとは思っていなかった。

 勇者パーティーの一員である、姉以上。

 ——いや、それどころか。


「だが、今のはちょっと危なかったみたいだな?」

「……ふん。確かに、強引な術式で我自身の障壁も十全には機能せなんだが——」


 リッタの想いをよそに、ウィルと魔王の会話は続いていた。

 言葉の区切り目で、男の周囲に、紫電を纏わせた雷光球が十数個浮かぶ。


「貴様が容易ならざる敵だと分かった以上、これまでのような遊戯は控えようではないか」


 宣言もなく射出された握りこぶし大の球状エネルギー塊が、迎撃を困難にさせる複雑な軌道を描いて飛ぶ。

 ウィルは、周囲全方位からの攻撃を前に。


「——本気にさせた、という理解でいいのか?」


 吹き飛ばされたときも握り続けていた杖を軽く横に払うと、自身を覆い隠す球形の障壁が生み出された。

 魔王が軽く眉を寄せる中、ウィルは障壁で雷光球を受けきった。


 障壁の損傷は——皆無。


「ぬう……っ」

「本気程度じゃ、足りないんじゃないか?」


 可能ならば隠し通すつもりだった、自らの実力がリッタにバレてしまった。

 言い訳の余地もないだろう。

 もちろん、二人と分かれた時点で万が一の事態になれば実力を明かすと決めてはいたが。


 それが敵のおしゃべりによって行われるのは業腹だ。


「こっちの勝手な事情で悪いが——落とし前、つけさせてもらうぞ」

「大きく出たものだな。……しかし、それは我の望みでもある。貴様のような魔術師がいるのであれば——」


 男は言葉を切る。


「我も退屈だけはせずに済むというわけだ。先の術を防ぎきった褒美だ、我の本気の一端を見せてやろう!」


 そして、高らかに宣言すると、即座に詠唱を開始した。


「——我が右の掌中に集まれ、無」


 凝縮する黒い光を見て、ウィルは術式を看破する。自分が部屋への突入時に使用した、物質分解に近いが、この色合いは。


「連鎖する自壊、受け止めるにはたやすくないぞ」


 触れる物質、通り道にあるものから仮にそれが空気でも、構成する分子や原子、微粒子も含めてすべて破壊し、破壊と同時に物体のエネルギーを熱に転換する。

 そんな高水準魔術だ。


 魔術師殺しの放つビームどころか、ウィルが使用した<物質分解消去>以上に剣呑な魔術だ。

 とくに、このような閉鎖空間での行使には適していない……。


「ふっ」


 だが、ウィルは笑っていた。

 なにがおかしい? と視線だけで問いかけてくる男に説明する。


「悪くない。正しい魔術戦とはこうあるべきだよな。一撃で、戦局を決定づけるような大砲の撃ち合い——それが魔術師の華ってやつだ!」


 そしてウィルもまた詠唱に移る。


「白翼の光輝よ、顕現せよ」


 相手の短い詠唱に合わせた、短縮型の詠唱。

 本来の威力よりは落ちるが、この術式ならば威力は十分。


「灰燼と化せ——<極限崩壊・転熱式>」

「そうはさせるか——<聖光・光輝燦然>」


 かたや、物質の存在論的崩壊を引き起こす黒き光。

 かたや、理論上の天界とされる七次元から喚ばれた白き光。


 いずれもこの世界の理を外れたエネルギーだった。


 それらが、白と黒の二色の光となって、正面衝突する。

 お互いの特性が光に近いため、その衝突は無音。


 しかし、衝突の余波で、建物の床がえぐれ、亀裂が入っていく。

 それだけではない。

 物体の存在そのものが揺らぐ衝突点から、波紋のように振動が伝わっていく。

 建物の構造体そのものに伝達され、辺りは地震のように揺れ始めた。

 そこで生まれた音は次第に轟音となる——


「ぬぅぅぅん」

「うぉぉぉぉ」


 押し負けたほうがやられると理解している二人は、光の放出の術式を少しでも長く維持しようとする。


 そこに。


「——<氷矢アイスアロー>!」


 割って入ったのは、つい最前まで二人の高度な魔術に目を丸くしていた、銀髪の少女。


「——何ッ」


 魔王とそれに比肩する魔術師の戦いにおいて、初級の魔術である<氷矢>が役に立つことはない。お互いが常時展開している魔術障壁の前に、雲散霧消するだけだ。


 ——それが、この瞬間でなければ。


 最高難度——古代魔法王国において第八階梯に位置づけられる、超高等水準の術式制御のために、限界まで集中していた魔王の障壁に触れた氷の矢は、ほんの一瞬、彼が操る魔術の制御を揺るがした。

 秒にも及ばぬ、まさに刹那の瑕疵。

 だが、それでウィルには十分だった。


「いい判断だっ!」


 叫んで、制御下においていた残りのすべての魔力を、躊躇なく術式に注ぎ込む。 

 もともと第八階梯の魔術を使いこなせるウィルには、同等の魔術を数発放てるだけの魔力の余剰があった。

 それを一気に注ぎ込まれた術式は、過剰すぎる魔力のために自壊し始める。

 後には暴走を引き起こすだけの自爆行為だが——

 

 術式が崩壊するより一瞬だけ早く、込められた膨大な魔力によって勢いを増した光が、均衡状態を打ち崩した。


 魔王の生み出した黒い光が、白い光に飲まれ、そして——

 術式を制御していた男の全身を包み込んだ。


 そして、斜めに撃ち出された光は、男を包んだ後は底面をえぐっていき——階層間の構造体を貫いて大地の奥底に至るまで、迷宮をやすやすと切り裂いていく。抉られた床に破壊された建材が落ち込み、連鎖して、クレーターめいた巨大な穴を作っていく。


「……言ったはず……」


 一連の破壊の轟音が鳴り響く中、リッタはぽつりと呟いた。


「……現れた魔王を倒すために、私が勇者を助ける、と——」


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最強すぎる魔術師は『手加減』を極めるまで勇者パーティーには戻れない 折口詠人 @oeight

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