第34話 魔術師は、到着する
魔王迷宮の最深層。
現代の冒険者では、ごく一握りの熟練探索者でも、足を踏み入れたことのない領域だ。
そこが古代遺跡であることは明白であったし、魔王が根拠地にしていたことから、禁断の土地として進入禁止とされていた時期もある。
単純に、到達できるだけの実力者が不在だった時期もある。
実のところ、魔王を討伐した勇者の没後、誰かが魔王迷宮の最深部に到達したという記録は、公式には残っていない……。
そんな、訪れる者が皆無となって久しい場所を、高速に移動する物体があった。
それは、魔物でも無ければ、遺跡を守る
一人の魔術師だ。
「ひええぇぇぇ……」
その魔術師——ウィルの肩にしがみついた風精霊のシルフィが、手を滑らせそうになって、どこか間の抜けた悲鳴を漏らすと。
疾風よりも速い移動で、その声が通路に置き去りにされていく。
「お、落ちちゃいますー」
「手を離さなければ大丈夫だ」
そんな速度での移動をしているというのに、ウィルの出す声は息を切らせているわけでもなく、安定している。
その秘密は移動手段にある。
自身の二本の脚で走っているわけでは無く、高速移動のための術式を利用しての移動なのだった。
もし、魔術の対象がウィル自身だけに作用するのであれば、手荷物の類が置き去りになってしまう。そういうことがないように、幾つかの条件を満たす物体もウィル同様に対象となるように術式は構築されている。
と、シルフィに説明すると、彼女は。
「べ、便利ですね……前にすれ違った冒険者の皆さんは驚いてましたけど」
「ああ……まあ、見られてしまったものは仕方ないし——今はそれどころじゃないからな」
上の階層で、以前にあった冒険者集団……ミラクル・ディガーズの面々と一瞬遭遇したのだが、事情を説明する暇も、そのつもりもなかったウィルは彼らを無視して移動を続けた。
ずいぶん驚かれていたようだが、もはや割り切っている。
そんなことよりも。
「次の角を曲がった先に、二人の魔力の反応がある」
「よかった。無事だったんですねー……」
「ああ、少なくとも、死んではいない。だが、反応が弱まっている——その上、」
ウィルは言葉を切った。
通路の角を曲がった瞬間、目の前に壁が立ち塞がっていたからだ。
——行き止まりだ。
「別の道を探さないといけませんねー……」
動きを止めたウィルの肩の上で、シルフィは、ほっとため息を漏らしつつ呟く。
魔力反応を追うことの欠点は、これだ。
二人がいる位置は分かっても、そこに辿り着くための道が開けているとは限らない。ここまで辿り着くまでにあった複数の分岐。
それらの選択肢があるとき、魔力反応が少しでも近い側を選んだ。それは、より短時間で辿り着くための経路になるはずだったが——選択した通路の先が、袋小路になっている可能性も、無論あった。
「急ぎましょう」
別経路からの侵入を試みるのであれば、時間を無駄に使っている暇はない。
それを理解しているシルフィが、ウィルを急かす。
しかし、ウィルは。
「いや、これも想定の範囲内だ——壁を破るぞ」
宣告から一瞬後。
ウィルの掲げた杖の先に、白い光の刃が生み出された。
それを壁面に突き立てようとするが——通らない。
白光の刃が触れると、壁面が脈打つように震えて、その瞬間まで確かに存在していたはずの剣先が消えてしまったのだ。
「む。魔力拡散系の術式が付与されているのか……」
「魔術が効かないってことですか」
「ああ。この術式が付与されている物体は、受けた魔力を瞬時に周囲へと伝達させる——つまり、魔術の効果を薄める働きがある。この魔力剣に込められた魔力を拡散しきる程度ということは、階層の壁面全てに同じ術式が使われているのだろうな」
「じゃあ、諦めて別の道を探したほうがいいんじゃ……?」
ウィルの魔力感知では、リッタとミラの二人がこのすぐ向こうにいるのは確かだ。
少し前から、ミラは動きを止めているが、リッタは動いている。
その感じからすると、壁の向こうは大きな部屋になっていると思われる。
もともと反応が弱いのだが、ミラの魔力反応はかなり下がっている。
だが、安定はしているので、そこまで心配はしていない。
問題はもう一つの魔力反応だ。
ウィルをして、過去に例を見ないほどの底知れなさを感じさせる存在が、この向こうにいる。
悠長な行動は取れない。
迂回路が簡単に見つかればいいが、すぐに発見できるとは限らないのが問題となる。
「いや、やはり壁を破ろう」
「……でも、どうやって破るんですー……?」
「そうだな……」
ウィルは頭に杖の先を当てて思考する。
まず考えられるのは、壁面にかけられている術式の解呪だが。
——これは、それなりに時間がかかってしまう。駄目だな。
第二案。魔力を瞬時に逃すことが問題であるなら、時間制御系の高度な術式を魔力剣に組み込めばいいか。
——術式構築はすぐだが、時間制御を壁面に浸透させつつ切断していく分、単なる壁の切断に比べて、作業時間は膨らんでしまう。没。
第三案。壁面の向こう側に転移する。いきなり向こう側に出るのは危険があるが、向こうにある物体をこちらに切り出すようにして作業してからなら、危険はない。
——が、向こう側にある傷つけてはいけない何かを傷つける可能性もある。
とはいえ、そのような些細な問題に構っている場合ではない。魔力反応だけ避ければ差し支えはないだろう。
——けれど、時空干渉系の魔術は制御が難しいので、万が一の場合が……。
「よし」
「どうしますかー……?」
「困ったときは、力押しに限る」
「えっ」
「シルフィ、そのまま動かないでくれ、障壁を張るからな」
ウィルは言い捨てると集中に入った。
それで慌てたのがシルフィだ。
「いやその、壁に穴を開けるのに障壁って——あっ、ちょっとまってください、今すっごい嫌な予感が——」
シルフィの台詞が終わるのも待たず。
周囲から集めた魔力で組み上げた術式を、ウィルは即座に開放した。
「<
ウィルの杖の先から光が溢れ出る。
先ほどの魔力剣よりも遙かに鮮烈で、辺りを圧する光の渦がシルフィの目を眩ませた。
——そして、一瞬の後。
瞬きをしたシルフィの前に、壁にぽっかりと開いた穴が見えた。
「あれー……? もっと、派手な音がするのかと思ってましたけどー……?」
「物質の構成を破壊するだけだ、音は生じない」
「障壁を張った意味はー……?」
「反作用で術者も分解されかねないからな」
ウィルはそう説明したが、実際にはその心配はなかった。
魔術がかかっていようとも、物理的な壁面であれば分解するだけで、反発することはない。
まずいのは、反射系の術式だ。
向こうにいる何者かがこちらの行動に反応して、反射の術式を展開した場合——分解効果が数パーセントでも戻ってくると危険きわまりない。
それで、念のための対処をしただけだった。
その辺の説明の時間が惜しかったので、雑な返事になったのだ。
空いた穴をくぐろうとしたウィルの後ろから、シルフィが問いかける。
「……えっと、もし、向こうに人がいたらどうなるんです?」
「当然分解されるが?」
ウィルは振り向きながら素直に応える。
と、じっとりした目が帰ってきた。
なんだ——? あ。
「いや、当然だが射角は計算しているんだ。この方向に二人がいることはないから、万に一つも問題はない。それより……早く向こうに行くぞ」
「……まあ、そういうことならいいんですけどねー……」
説明不足がすぎると思っていたシルフィはまだ不満のようだったが。
ウィルの意識は——
壁を破った向こうにいる少女と、それに対峙している何者かの存在に占領されていた。
「リッタ、無事か」
「……ウィル……来たの……」
少女——リッタの声には力がなかった。
傷つき震える手に掲げた細い剣は、ミラの持ち物だろう。
もう片方の、これまた傷ついた腕で持っている杖は、戦闘の結果らしく、先端部が欠損していた。
……傷があるのは、腕だけではない。
身体のあちこちに損傷の後が見える。
頭部さえ——いつもの銀髪の一部が血に染まっている。
しかし、なんとか致命傷だけは回避している。
「手強い敵のようだな?」
「……ウィル……お願いがある」
ウィルが、古代魔法王国の演算装置——その多くは倒壊していたが——が立ち並ぶ部屋に入って以来、リッタと対峙していた半裸の男は沈黙を保っている。
こちらの出方を窺うかのような視線は気になりはするものの、今はそれよりも彼女達のことだった。
「これは、大丈夫じゃない感じですねー……」
この場で、シルフィの声が聞こえるのはウィルだけ。
もしかしたらこの男は聴き取ることが出来るかもしれないが——
高度な魔力を身に纏っている男が秘めている実力を考えて、ウィルはそんなことを考えた。
しかし、まずはリッタの台詞に応える義務がある。
「お願いってのはなんだ?」
「ミラ……あそこに倒れているミラを連れて、ここから逃げてほしい……」
「ん……ああ。彼女は大丈夫なのか?」
リッタの視線の先には、ミラが倒れていた。
見たところ、外傷はなさそうだったが、ウィルは男がこちらを傍観しているのをよいことに状況を丁寧に確認した。
「……この魔法剣に生命エネルギーを食われただけ……」
リッタは剣を力なく持ち上げる。
元々腕力があるタイプの少女ではない。
彼女は、すでに腕が上がらなくなっているようだった。
「……時間をかけて休ませれば、たぶん回復する……」
「なるほど。休息が必要か……確かに、魔力もかなり消耗しているようだし、そうだろうな」
ウィルは鷹揚に頷いた。
そこに、リッタが聞く。
「後の二人は?」
「マリエラにはジギーを連れてもらって、地上に向かって貰った。二次遭難になっても困るからな」
「……そう……」
その時、張り詰めていたリッタの表情——ウィルがやってきたときから、ずっと変わらず、その表情だった——が、少し揺らいだ。
そして代わりに浮かんだのは、安堵、ではなく、困惑の顔色だ。
「一人でここまで……?」
「んー。まあ、一応、そういうことになる。特に障害とは出くわさなかったしな」
シルフィが常にともにいることや、ミラクル・ディガーズの面々とすれ違ったことは、話さない。その必要が今はないからだ。
——湧いてきた、最新鋭モデルの魔術師殺しを瞬殺したこともまた。
「もし、マリエラさんもいてくれたなら……と思ったけれど……仕方ないわ」
リッタは一人で話を進める。
「ミラは頼んだわ。それと……今までありがとう」
「……多分だけど。私、案外楽しんでいたと思う」
「できれば……もう一度、魔術の力比べがしたかったかも」
一つ一つの言葉は訥々と、いつものリッタの喋り方だったが、今回は口数が多かった。
ウィルが何かの反応を見せずとも、複数の言葉を紡いでいく。
「あの敵は、かつての魔王。フェルメノク」
「どうやら、復活したらしい……ミラも理解しているはずだから」
「彼女の説明と合わせて、この迷宮から出たらすぐに王様に連絡して」
「なんとかしないと、世界がまた、危険に晒されるから——」
そして、最後に。
彼女は、下唇を強く噛みしめて言った。
「それじゃ……ウィル、さよな——」
そこで、ウィルが割って入った。
「よし、だいたい事情は理解したぞ」
その言葉に、とうとうリッタは泣き笑いのような表情になった。
「もう少し筋道立って説明してくれればよかったんだが」
「……ごめんなさい……こんなことになるなんて、思ってなかったから」
「確認させて貰えるか?」
ウィルの問いかけに、リッタは頷かなかったが、彼は続けた。
「つまり——あの半裸の男、あれが魔王フェルメノクだと」
「……そう……偽物かと思ったけど、魔力は膨大、魔王を名乗るだけの力がある。古代魔法王国時代の魔導武器であるこの剣さえ、効かない。そうだ、これはウィルが持っていった方が……いえ」
「しかし、魔王フェルメノクは、初代勇者にやられたはずだったと聞いていたが……?」
「ええ、完全には死んでいなかったらしい。どうやったかは分からないけれど、この最近、復活したみたい」
「ふむ……まあ、そんなこともあるか……」
ウィルが首をひねると、リッタは剣を持ち上げて、少し早口に言った。
「できればこれも持って帰って貰おうと思ったけど——これがないと、私では彼は抑えられない。とにかく、ウィル。ミラだけでもなんとか地上に……」
「ああ、この剣か……やはり、もう一種の術式があったというわけだな」
ウィルは剣をじっくり横から眺めようとした。
「……あの、ウィル。時間がないの。今は相手が、私の——最期のお願いのために、見過ごしてくれているのだけれど……それも相手の気分次第」
「まあ、そうだろうな……」
「もしかして……私をここで見捨てることに納得がいかないのかも知れないけど。ここは私が食い止めるしかないと思う。だって私は勇者パーティーの魔術師の血を引く——」
ぽん、とウィルはリッタの頭に手を乗せた。
目を丸くして、リッタは彼を見上げる。
「ちょっと落ち着いたほうがいいぞ。あいつの様子を見てみな?」
「……えっ——?」
リッタはそこで初めて、魔王フェルメノクに意識を戻した。
会話中も彼の動きをずっと警戒していたのだが、こちらの遺言の時間ぐらいは確保してやるという情けなのか、男は身動き一つしておらず——
「? ……どういうこと?」
ようやく、リッタが気づいた。
——違った。
男は。遺言の時間を与えようとしたわけではなかった。
リッタがどんな魔術を使っても、魔剣を交えて工夫の限りを凝らした攻撃をしても、余裕綽々であったはずの男は、じっと——一心不乱、と言っても良い様子で、こちらを、正確にはウィルの姿を睨んでいたのだ。
多分、ウィルがこの——男が玄室と呼ぶ部屋に入り込んでから、ずっと。
そして、ようやく。男は口を開いた。
「聞こう——そこの魔術師。貴様は——
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